第28話 侍女の仕事

 背後の樽ごとデザストを取り込んだ触手は、ゆっくりと体の奥へと運んでいく。


 デザストは触手の中で暴れて脱出を試みるが、しかしゼリー状のスライムの体は強い弾力性があり、内側からはどうすることもできなかった。


「デザストォォォ! 畜生、スライムのくせに……!」


 マガツはすぐさまデザストのもとへ急ぐ。だがスライムはその巨体から触手を増やし、マガツの行く手を阻む。


 6本に増えた触手は蛇のように的確な動きでマガツを追い詰めると、巨大なタコの怪物のように力強く触手を叩き付ける。


 間一髪で触手を避けるが、しかし叩き付けられた触手から、更に細い触手が伸びて来た。


「チッ! 次から次へと……っ!」


 そうしている間にも、デザストはスライムの中心部へと送り込まれていく。


 ゼリー状とはいえ、その体内は水中のようなもの。スライムの体内で、デザストが溺れるのは最早時間の問題だった。


 早く助けなければ。そんなことはマガツが1番よく理解していた。


 だが、次から次へと、太さを変えて襲いかかってくるスライムの触手攻撃に阻まれて進めない。


(クソッ……このままじゃ、デザストが……!)


 ふとデザストの方へ視線を向ける。


 すると、既に消化が始まっているのか、デザストの周りにあった樽がじわじわと溶け始めていた。


 幸いデザストの消化は始まってはいないが、樽が消えてしまえば、その次はデザストの番。


「もう……ダメか……?」


 触手攻撃は止まらない。掻い潜ったとして、どうやってデザストを救えばいいのか。


 マガツの頭の中に「諦める」という選択肢が現われつつあった。


 しかし、その時だった。


『『『――っ! むぐ、むぐぐぐぐっ!』』』


 突然、スライムはぐにゃぐにゃと蠢き、苦しそうなうめき声を挙げた。


 一体何が起きたのか、スライムは生成した触手を何度も床に叩き付けながら叫ぶ。


『『『マズイ! マズイ! オイラ、コレキライ!!!!』』』


「な、何だ……?」


 戸惑いつつもスライムを観察していると、そこに驚くべき変化があったことに気が付いた。


 スライムの底面から真水が噴き出し、段々と体が小さくなっていく。


 その度にスライムの中にあった無数の声が一つ、また一つと減っていく。


『う、ウワアアア……!』


 やがて3メートルまで小さくなると、スライムは慌ててデザストと樽を吐き出した。


「ゲホッ、ゲホッ! はぁ、はぁっ……! もう何ですのこれ、気持ち悪いっ!」


「デザスト! 大丈夫か、どこも消化されてないか?」


 デザストのもとに駆け寄り、マガツは肩を担ぎながら訊く。


「何とか……服も肌も、無事ですわ……!」


 肩で呼吸をしながら、デザストは答える。


 がしかし、何か思うことがあったようで、デザストはマガツを押しのけた。


「それよりも……」


 言うとデザストは、ビシッ! とスライムに人差し指を突きつけて叫んだ。


「人のこと飲み込んでおいて、マズイだの嫌いだの言って吐き出すとは! 失礼ですわよっ!」


「そっち⁉」


 確かにそうではある。


 デザストはぷくっと頬を膨らませながら、更にまくし立てる。


「大体、この私をスライムまみれにしておいて何もしないだなんて、アンタ一体何を考えてるのよ! 服くらい溶かして見なさいよ、この骨なしっ!」


「いやいやスライムに骨ないし、何を言ってんだお前は」


『ゴメンナサイ……』


「お前も謝るな!」


 しゅんと項垂れるスライムに、マガツも思わずツッコミを入れる。


 敵を前に調子が狂う。なんて思いながらスライムに目を向けると、スライムはニヤリと仮初の口角を上げた。


「っ⁉」


 それに気付いた頃には、もう遅かった。


 スライムは自ら核を破裂させて、自爆した。


「きゃあっ! な、何ですの⁉」


「コイツ……自爆したッ⁉」


 否。追い詰められたからといって、自ら爆死するような知能など持っていない。


 それどころか、食料庫を滅茶苦茶にしてでも捕食したい目標が目の前にいるのだ。


 狩人だって、今際の際まで獲物を諦めるようなことはしない。


 もしそれが敵も同じだとしたら、意味の無い自爆ではないことは明白だった。


「マガツ様! あれっ!」


 デザストは叫び、爆散したスライムを指差した。


 彼女の指の先を目で追うと、そこに飛び散っていたスライムの欠片が、グニグニと体をよじらせ、姿を変えていた。


 黒い髪にパックリと割れた腹筋。そして特徴的とも言うべき、趣味の悪い黒の全身タイツ。


 その姿に見覚えしかなかった。何故ならそれは、マガツと瓜二つの姿をしていたのだから。


 それも、分裂したスライムの数同様、およそ20体。


 追い詰められたが故の悪あがきか、或いは本物ごと潰す逆転狙いか。


「クソッ、こうも同じ人間が何十人と増えるのは気持ちが悪いもんだな」


「マガツ様、一体私はどうしたら……」


「何だっていい。デザスト、本物の俺を殺すつもりで戦え」


 静かに拳を握り込みながら、マガツは言った。


「でも……」


「俺を信じろ。そう簡単に殺されて、魔王が務まるか」


「マガツ様、あなたというお人は……」


 デザストは目を見開き、マガツの背中を見る。その背中はいつまでになく、大きく見えた。


 しかし彼の目の前に立つ偽マガツは、闇色に塗られた目で本物のマガツ達を睨んでいる。


 その覇気は尋常ではなく、偽物と言えどその迫力はまさに〈本物〉だった。


「っ! 来るッ!」


 刹那、偽マガツは地面を蹴り、一斉に飛びかかってきた。


 まず前線に飛び込んできたのは、二人の偽マガツ。彼らはそれぞれ右拳と左拳を振り上げる。


 マガツは胸の前で両腕を組み防御するが、しかし威力はマガツ二人分。すなわち二倍だった。


 マガツの体は呆気なく殴り飛ばされ、地面に叩き伏せられる。


「マガツ様ッ!」


「……ッ! デザストォ!」


 しかしその時、デザストの背後から更に偽マガツが襲いかかっているのが見えた。


 マガツは咄嗟に地面を蹴り上げ、デザストを庇う。


 今度は蹴りが腹に直撃し、胃液が噴き出す。


「ぐっ……」


 そうしている間にも、偽マガツはゆっくりと、そしてじわじわと二人を追い詰める。


(畜生……弱点を見つけた気がしたのに……このままじゃ……)


 やられる。


 自分自身に。自分の姿をした敵に。


 突破口となりえる樽に目を向けるが、分裂した上に本物同等の力を得たスライムを一掃することは不可能に近かった。


「デザスト……せめて、お前だけでも、逃げろ……」


 血反吐を吐きながら、マガツは言った。


 スライムの狙いは、はじめからマガツだった。現にマガツに化けて暗躍していた。


 しかし、デザストは彼の言葉とは裏腹に、マガツの前に立った。


「まさか先のお言葉を忘れたワケじゃありませんわよね?」


「デザスト! 何やってんだ! 逃げろ!」


「“本物の俺を殺すつもりで戦え”」


「――っ!」


「なればそうするまで、ですわ」


 言うとデザストは、両手に光の粒を纏わせる。


 光魔法。デザストが得意とする魔法の一つだった。


 彼女の掌に集まった光の粒は形を変え、やがて一対の両剣(両先端に刃のついた槍)に変化した。


「くたびれた主様に代わって仕事を熟す敵を討つ。それが侍女の仕事ですことよッ!」


 刹那、デザストは両剣を華麗に振り回し、目にも留まらぬ速さで食料庫内を駆けた。


 その速度は凄まじく、逆に遅く見えるように錯覚してしまうほど。


「嘘だろ……デザストが、影分身してやがる……!」


 マガツの目に写るその景色は、大量に現われた偽マガツと影分身をしたデザストが戦っている様。一体一の大合戦がそこに広がっていた。


 しかし全ては錯覚。デザストは高速移動をしながら偽マガツと戦っていたのだ。


 動きに無駄はなく、まるで開始数秒で10点札が確定した体操選手のように、軽やかで見応えがあった。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 バトンのように振り回される両剣は華麗に偽マガツの攻撃を防ぎ、そして無慈悲に胴体を横一閃に凪ぐ。


 気付けば周囲にいた20体の偽マガツ達も切り裂かれたのか、真っ二つになって地面に倒れ伏していた。


「嘘だろ……あの、一瞬で……!」


 だが、真っ二つにされても元はスライムだ。偽マガツ達は切り離された箇所から胴体を再生させ、更に20体に増える。


「……やっぱり、そう来ますわね……」


 バラバラに切り裂いても、そこから新しい個体として再生するプラナリアのように。


 倍々に増えていく単細胞生物のように。ネズミ算式的に増え続けていく。


 とどのつまり、無敵。


 はじめからスライムに勝つことなど――


「……フッ」


 しかしデザストは、不敵な笑みを浮かべた。


 増殖した偽マガツ達は立ち上がり、今度こそデザストを仕留めんと動き出した。


 総勢40人の偽マガツが、真っ正面から飛びかかってくる。


 デザストも飛び上がり、偽マガツと衝突する。


 そして偽マガツ軍団の攻撃と、デザストの両剣が飛び出したのはほぼ同時だった。


「デザストォォォォォ!」


 マガツは叫ぶ。


 果たして、デザストの攻撃が偽マガツに当たることはなかった。


「……⁉」


 そして、偽マガツの攻撃が当たることもなかった。……否。


「この勝負、既に決着は付いておりますわ」


 そもそもデザストの狙いは、偽マガツではなかった。


 デザストは偽マガツの包囲網を潜り抜け、一直線にある場所へと向かっていたのだ。


 その目的地とは――


「あれは………………樽ッ⁉」


 スライムが飲み込んだ、樽の山。デザストはそこを目指していた。


 そして――


「そんなにお腹が空いているのなら、たんと召し上がるといいですわ!」


 デザストは両剣を再び光の粒へ分解し、無数のナイフへと変化させた。


「《ライトニング・ナイフ・ド・スコール》ッ!」


 デザストのかけ声と共に放たれた光のナイフは、樽の山へ目掛けて飛び込んでいく。


 次の瞬間、ナイフの大雨に斬り刻まれた樽は爆発するように崩壊し、白い煙を噴き上げた。


 それらはまるで、本来降り注ぐはずのない猛吹雪のように食料庫を包み込み、一瞬にして景色を真っ白に染めた。


 だがその結晶はやや大きく、口に入ったそれはやけにしょっぱかった。


「うえっ! なんだこれ……ん?」


 その違和感に気付いた瞬間、周囲からマガツの悲鳴が聞こえてきた。それも、40人分。


『ギャアアアアアアアア! 溶ける! 溶ける!』


『イヤダ! イヤダ!』


 振り返ると偽マガツ、もといスライム達はもがき苦しんでいた。


 体は段々とスライムに戻り、ドロドロと溶けながら縮んでいる。


「やはり、あの樽の中には塩が入っていたのですわね」


 デザストは納得したように肯く。


「塩……?」


「ええ。肉は非常に腐りやすい食材ですから、塩漬けにして長期保存するそうですわね。何でも『シントーアツ』だとか」


 それを聞いた瞬間、マガツはハッと息を呑んだ。


「そうか……! スライムの体組織の殆どは水! だからナメクジに塩をかけたら溶けるみたいに、塩に水分を取られているのかッ!」


 その証拠に、化けの皮が剥がれたスライムは水分を失い、みるみるうちに小さくなっていく。


 何とかして生き延びようと試みているが、既に小さくなったスライムが集まったところで、復元できる大きさはたかが知れていた。


 そして、不幸にも一つに戻ってしまったが故に、スライムはまとめて水分を奪われ、終いには10センチ程度にまで縮んでしまった。


『キュー……』


「勝った……のか……?」


「流石にこんな塩まみれの状態じゃあ、最初みたいに巨大化は無理でしょうね」


 もうこれ以上は小さくならないのか、小さくなったスライムは縮こまったままガタガタと震えている。


 小動物的な可愛さも相まって、今となっては愛くるしい感情が勝ってしまいそうになる。


「しっかしデザスト、一体どうやって塩が弱点だと?」


 訊くとデザストは、はぁ? と呆れた風に口を開けながら答えた。


「私がこのスライムに取り込まれて、そして吐き出された瞬間ですわ。樽の中身を消化しようとした時、明らかに異常な行動を取ったじゃありませんか!」


「そういえば……」


「私も、取り込まれて最初はワケが分かりませんでしたが、確かに樽の中に奴の弱点があると思ったのですわ」


「コイツは一本取られたなぁ。デザスト、お前はやっぱり凄いな」


 弱点にまるで気付くことが出来なかった悔しさを噛み締め、マガツはデザストにグーサインを送った。


 するとデザストはぷいっ、と不満そうに顔を逸らしたが、しかし満更でもない様子で続ける。


「とと、当然ですわ! 何せ私は、天才・秀才・ジーニアス・最強無敵のエリー」


「その口上もう少し短くならねえのか?」


「無理ですわね。これは私の、唯・一・無・二のアイデンティティーですから! マガツ様でいう『ブランク』と同じくらい大事ですわッ!」


「苗字と同等の価値があるのか⁉ ピカソでも流石に名前の長さに悩むぞ!」


 と言い合っていると、小さくなったスライムは鳴き声にも似た怯えた声を上げた。


『お、お願い……オイラを……殺さないで……殺さないで……』


 その声はどこか悲惨で、見ているだけでも心が痛々しくなってくる。


「………………なあ、デザスト」


「どうしました、マガツ様?」


 マガツを振り返り、そして足下に視線を降ろす。


 スライムはブルブルと震え、涙を溜め込んだ声で「殺さないで」と懇願している。


「悪い、瓶……取ってきてくれないか?」

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