第27話 偽物の正体は

 ブランク帝国の食料庫は厨房の真下、地下2階に存在する。


 城内で働く人々の胃袋を満たすために作られたこの倉庫は広く、およそ800畳あるという。現代のもので換算するならば、それは学校の体育館程度の広さということになる。


 更に、部屋一帯には常に一定温度の冷気が漂っており、それによって全ての食材の新鮮さが保たれているのだ。


 まさに巨大冷蔵庫。


 食材の入った大量の木箱を収容するこの巨大な宝箱の中、一人の男が座り込んでいた。


 男は周囲の木箱を破壊し、中から溢れ出した食材をばら撒くと、次から次へとそれを口の中に放り込んだ。


 そして、がつがつと。むしゃむしゃと。もぐもぐと。


 生肉だろうと生野菜だろうと関係なく、掴んだ食材をそのまま口に突っ込んでいく。


 そうしてほぼ丸呑みで完食すると、今度は腕をゴムのように伸ばして木箱を引きずり落とす。


 ガターン! と音を立てて崩壊した木箱の中から食材が溢れ出す。


 今度はそれを、伸ばした両手で木箱ごと覆い込み、そのまま両手で食べた。


 まさに怪奇、不可解、異常。驚くべき芸当を誰も居ない冷蔵庫の中で披露しながら、男は豪快な食事を続ける。


 もしこれが最大級の大食い対決だとするならば、優勝は確実だろう。


 しかし、たった一人きりの大食い対決も、背後から響いた音によって中止されてしまった。


「やっと追い詰めたぞ偽者め! よくも俺の朝飯を食ってくれたなぁオイ!」


「さあ、もうシカトなんてできませんことよ? 両手を挙げて、大人しく投降しなさい!」


 偽マガツの潜伏する食料庫。そこにデザストと、本物のマガツが現着した。


 マガツは格闘術の構えを、デザストは槍の先端を偽マガツの首元に突きつける。


「………………」


 しかし偽マガツは無言を貫いたまま、その場に硬直するのみ。


 その後ろ姿も、特徴的な戦闘員の制服姿も、どこを取っても瓜二つ。


 だのに、生き物のようには思えない。まるで精巧に作られた蝋人形のような、人間に近しいを見た時に感じる恐怖を覚える。


 俗に言う「不気味の谷現象」だ。


「追い詰められても尚だんまりか? テメェの口は、飯を食うためだけに付いてるワケじゃあねえだろ?」


 皮肉交じりに言うと、偽マガツはゆっくりと立ち上がり、ぐにゃりと首だけを回転させて振り返った。


「きゃああああああ! ばば、化け物ォォォォォ!」


「誰が化け物だ!」


 偽者に言った筈なのに、マガツは思わず叫んでしまった。


 だが、それもその筈。何故なら振り返った偽マガツの顔もまた、マガツそっくりだったのだから。


 しかしその目に精気はなく、表情もない。


 本当に、趣味の悪い人形が目の前に置かれているようだとマガツは思った。


 すると次の瞬間、偽マガツは首を横直角九十度に傾けて口を開いた。


「……あれ? もう、ばれた?」


『ホンモノ、ホンモノの魔王!』


『最強の、魔王。ホンモノ』


『どうする? どうする?』


 偽者の口から発せられた声は、確かにマガツのものだった。


 だが一人しかいない筈の偽マガツの中から、子供のような声が聞こえてくる。


 食料庫にいるのは、本物のマガツとデザスト、そして偽マガツの三人だけ。他に子供の声を持つ者は誰もいない。


 更にその声はどれも同じで、まるで一人の人間が複数の役を演じて一人会議を行っているようにも聞こえる。


 腹話術だとしても、そのような高度な技術を扱うのは、ほぼ不可能に等しい。


「な、何だコイツ……? 一人で、何人分の声を……?」


「魔王? 最強? 一体何を……」


 とその時、偽マガツが身体を前に向き直らせると、その身体はドロドロと溶け出した。


 更にボコンッ、ボコンッ! と身体のあちこちが膨れ出し、一つの塊になる。


「バレたなら、仕方ない」


 ドロドロに溶けたそれは黄色いゼリー状の物体になった。


『ホンモノ食エバ、オイラ、ホンモノ、ナル』


 更にそれは、体内で細胞分裂のような動きを繰り返し、見る見るうちに大きく育っていく。


『食ベル、食ベル』


 次第に大きく育っていくそれは、やがて食料庫の天井に付くほど大きな物体となり、側面に巨大な目と口を形成した。


「おいおい、レイメイ……こりゃ何でも聞いてねえよ……」


「嘘、こんなことって……」


『『『オイラ、最強ナル! オマエタチ、食ウ! ゼンブ、食ッテヤル!』』』


 そうして本来の姿を現したそれは、まさにレイメイが考察した通り、スライムだった。


 だが、ザコの代名詞とも言うべきスライムと言うには、あまりにも大きかった。


 全長は15メートルを超え、その全てがドロドロとしたゼリー状の物質で構成されている。


 スライムは苦しそうな雄叫びを挙げながら、形成した触手をマガツとデザストに放つ。


 二人はそれを華麗に回避し、木箱を壁代わりにしながらスライムの弱点を探る。


「デザスト、無事か!」


「ええ、何とか! けど……」


 よく見ると、スライムの中心に丸い宝石のようなものが揺蕩っていた。


 恐らくそれがスライムのコア――敵の弱点であり、破壊さえすれば倒すことができるのだろう。


 しかし――


『『『オイラハ、最強ナンダ! ザコ、チガウ!!!』』』


 スライムは腕のように太い触手を伸ばし、近くに転がっていた木箱を5個のみ飲んだ。


 すると次の瞬間、体内まで送られた木箱達はじわじわと溶け出し、そして跡形もなく消えてしまった。


「嘘だろっ!」


「マガツ様、奴の中心! 体内を潜ってコアを砕けば、倒せるはずですわ!」


「確かに、溶ける前に敵を討てば、簡単に倒せるけど……ってアホか!」


「あら、妙案だと思ったのですが……」


「見ただろお前も、あの消化スピード! 俺でも流石にアイツの中入ったら溶けて死ぬわ!」


 マガツは叫びながら、必死にスライムから逃げる。


 デザストも、作戦を否定されたことに不満を覚えながらも、マガツの後を追うように逃げる。


 正確な時間こそ分からないが、スライムが木箱を取り込んでから消化するまで、その時間は10秒もなかった。


 そして全長15メートルあるスライムの、少し横幅は大きめなプールくらい広い。


 仮にスライムの中を潜ってコアまで辿り着こうにも、その前に跡形もなく消化されてしまう。


「くそっ……! こうなりゃモノは試しだ!」


 確証こそなかったが、マガツは己の直感を信じて右拳に魔力を溜め込む。


『『『ニガサナイ! オマエ、絶対ニ食ウ!』』』


「食えるモンなら食ってみやがれ、このゼリー野郎ッ!」


 魔力の溜まった右腕が、一瞬光った。それを合図にマガツは踵を返し、スライムへと走っていった。


「マガツ様! 何を!」


「コイツがゼリーみたいだってんなら! コレが効くはずだッ!」


 そう言って、マガツはスライムの触手攻撃を避けながら飛び上がった。


 そして、雷を纏った拳を大きく振りかぶり、叫ぶ。


「食らいやがれ! 《伊弉冉神・火雷》ィ!」


 スライムにマガツの拳が炸裂した瞬間、ゼリー状の身体は衝撃でぶるりと大きく揺れた。


 そして次の瞬間、スライムの全身に激しい電流が流れた。


「うらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 激しい雷鳴が部屋全体の空気を痺れさせる。


「そ、そうですわ……! スライムの体組織の殆どは水! そして雷魔法と水魔法の相性は……!」


 木箱の陰から顔を覗かせ、デザストは息を呑む。


 しかし――


「な、なんだ……⁉」


 雷を全身に受けながらも、スライムの体はグニグニと蠢いていた。


 嫌な予感がして、マガツはスライムの体をマットの代わりに蹴り、近くの木箱の上に避難する。


 すると次の瞬間、スライムの体内に溜め込まれた雷が、一本の槍となって放出された。


「っ⁉」


 槍は木箱の壁を焼き貫きながら、一直線に進んでいく。


 その軌道上に、デザストがいた。


「しまったッ! デザスト、伏せろッ!」


 しかし雷の速度は恐ろしく、マガツが気付いた頃には既にデザストの隠れていた木箱を貫通していた。


 デザストは何のことか分からずに居たが、マガツの緊迫した叫び声に勘付き、地べたに這うように倒れる。


 刹那、雷はデザストの背中を擦り、そのまま煉瓦の壁に衝突して消滅した。


「キャアッ!」


「くそっ、一体どうなってやがんだ……!」


『『『オイラ、強イ! 魔法モ、ミンナ食ウ!』』』


 言うとスライムは形成した腕に雷を纏わせ、マガツに目掛けて拳を放った。


 あまりに唐突な展開に、マガツはスライムの攻撃を許してしまった。


「ぐっ! うぐああああああ!」


 咄嗟に手にした木箱の蓋で防ぐも虚しく、殴られた瞬間、全身に激しい電流がなだれ込んできた。


 先程マガツがスライムにしたように、今度は自分が電流に全身を貫かれる。


 だが幸い、防いだことでそのまま吹き飛ばされ、取り込まれることはなかった。


「マガツ様! ぶ、無事ですか!」


「な、何とか……しかしコイツは……!」


 心配し駆けつけたデザストの肩を借り、マガツはスライムを見上げる。


 その姿は大して変わってこそいなかったものの、その全身には雷のようなビリビリとした魔力が漂っていた。


 まるで、マガツが与えた魔法自体を食らい、己のものとしたかのように。


 更に先程マガツが避難していた木箱を食らったスライムは、また更に大きくなる。


「まるで、食べれば食べるほど、強くなっているみたいですわ……」


「畜生。周りがこんな回復アイテムだらけじゃ、どうやっても勝てねえ……!」


 食えば食うほど、強くなる。食えば食うほど、ダメージが回復していく。


 スライムにとって、食料庫はまさに自分が最強でいられる場所。


 どれだけ弱らされたとしても、近くの木箱を取り込むだけで見る見るうちに復活することができる。


 しかし魔法も例外ではなく、例え弱点である雷魔法を食らおうと、それさえも己の力に変えてしまう。


「くそっ。奴の核さえぶち壊しちまえば、簡単に倒せるだろうに……!」


「魔法も効かない以上、レイメイ様の研究結果を待つしかありませんわ」


 デザストは槍を構え、様子を伺いながら呟く。


(レイメイ、アイツの頭脳なら確かに奴の弱点を見抜くことはできる………。だが――)


 いくら天才であるとはいえ、解析には時間がかかる。


 今回の偽マガツの正体も、運良くレイメイの仮説が当たり、スライムだったことが判明しただけに過ぎない。


 魔法が効かない今、二人に必要な情報はそう“確証を持った結果”である。


 だがそれが見つかるまでは待っていられない。


(アイツの腕なら1日足らずで弱点の解析はできる。しかし、その間にもコイツは食料庫の食料を片っ端から喰らい尽くす……!)


 未だ食料供給の復旧が不完全な今、食材は貴重な資源。


 何の変哲もない食料庫は、今や“第二の宝物庫”と言っても過言ではない。


 もし研究結果を待ってスライムを放置していれば、いずれ食料庫の食料を全て食い尽くされてしまう。


 それだけはどうしても避けたかった。


「畜生……!」


 マガツは頭を回転させながら、スライムの攻撃を次々と避けていく。


 デザストも、マガツとは反対側に走り出し、スライムの核を破壊する方法を模索する。


(考えろ! 考えろ、俺! 魔法が効かなくても、せめて何か弱点となるものがあるはず! よく敵を観察するんだ……!)


 だが、打撃も斬撃も効かない巨大スライムを相手にどう立ち回ればいいのか。


 その方法をマガツ達は知らなかった。


 そうしている間にも、スライムは触手のようにした腕を伸ばしてマガツ達を襲い、次々と木箱を捕食する。


 スライムの体は天井ギリギリまでの15メートルが限界値なのか、これ以上は大きくならない。


 しかし、その代わりに攻撃力が増している。


「しまっ――」


 スライムは槍のように鋭く尖った触手を三本生成し、デザスト目掛けてそれを発射した。


 瞬間、触手はデザストの目の前に着弾し、電撃爆発を引き起こした。


「あああああああっ!」


 絹を裂いたような、デザストの悲鳴が部屋中に響き渡る。


「デザスト! くそっ、コイツもう雷攻撃に適応してやがる……!」


 幸い直撃こそしていなかったものの、デザストは爆発時に飛び散った瓦礫を受け、血を流していた。


「まだまだ……! 私だって役に立てることを証明してやりますわ!」


 デザストはそう言って槍を構えると、その先端に魔力を集中させた。


「泳いで到達できないのなら、コレで核ごと打ち抜くのみですわッ!」


「まさか、デザスト! ソイツはリスクが高すぎる! 今は――」


「リスクを恐れては、エリートの名が廃りますわッ! 城に働く方々の食料を護れるのなら、安いものッ!」


 確証こそなかったものの、デザストには覚悟があった。


 その覚悟に呼応するように、デザストの槍が光り輝いた。


 デザストはその槍の柄をガッチリと掴み、回転を掛けながら放つ。


「食らえッ! 《ライトニング・インジェクション》ッ!」


 放たれた槍は、ブレ一つ無い一閃を描きながらスライムの胴体に突き刺さる。


 普通に投げていれば、核に届くことはなかっただろう。


『『『マズイ! カラダ、削ラレル!』』』


「そうかっ! ドリルみてーに槍が回転しているから、速度が一定まで保たれているのかッ!」


 マガツは感心した表情を浮かべ、ニヤリと笑った。


 いくら重厚な肉壁で核を守っていたとしても、その壁を破られてしまえば意味が無い。


 そうしている間にも、デザストの槍はスライムの核へと距離を詰めていく。


「いっけぇぇぇぇぇぇぇ!」


 腹の底から、デザストの声が響く。


 その声に呼応するように、槍の速度が強くなっていく。かと思いきや、現実は非情だった。


「……っ!」


 核まであと一歩という所で、槍の勢いは衰退し、やがてスライムの体内に飲まれてしまった。


 粒子体である光に対し、槍は物質。例え光の速さで槍を投げたとしても、いずれ空気抵抗によって速度が落ちてしまう。


 鬼が出るか蛇が出るか。攻撃手段を賭けたデザストの攻撃は、無情にも凶と出てしまった。


「そんな……」


 悔しそうに歯を食い縛り、デザストは後ずさる。


 その時、背後に積まれていたものに背をぶつけた。


「こ、これはッ!」


 振り返るとそこには、無数の樽の壁が広がっていた。


 一体中に何が入っているのか。それを気にする間もなく、スライムは反撃を開始した。


「まずいッ! デザスト、避けろォォォォォ!」


 マガツの叫び声にスライムの方を向き直ると、スライムは大量の触手を伸ばし、デザストを囲んでいた。


 四方八方から迫っていた触手はすぐそこまで来ており、逃げ道など最早ない状態だった。


 更に槍を失ったデザストに、この状況を突破する方法はない。


(畜生ッ! 魔法を食らうなんてチート能力がなけりゃ、デザストの魔法も使えただろうに……! 俺の魔法だって、何か役に立てた筈なのに……ッ!)


 マガツは必死にデザストの元へ駆け寄ろうとするが、間に合わない。


 魔法も打撃も効かない。核を攻撃しようにも、壁が厚すぎてほぼ不可能。


 最早これまでか。マガツは唇を強く噛みしめる。


『『『ウボワァァァァァァァ!』』』


「イヤアアアアアア!」


 そして、スライムの触手は樽ごとデザストを飲み込んだ。

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