第26話 ドッペルゲンガー

「成程。そいつは恐らく、ドッペルゲンガーかもしれない」


 偽マガツの情報を訊いたレイメイは開口一番にそう言った。


「どっぺるげんがぁ? マガツ殿、何か知っておられますか?」


「さぁ、有名人の名前か? レイメイ、そいつは一体何なんだ?」


 ドッペルゲンガー。聞いたことのない名前に、マガツは首を傾げながら訊く。


 するとレイメイは本棚から一冊の本を取り出し、それを捲りながら解説を始めた。その本の名前は「世界の都市伝説図鑑」というものだった。


「簡単に言ってしまえば、もう一人の自分。今回の状況を参考にすると、もう一人のマガツということになる」


「もう一人のマガツ様ですって⁉」


 デザストはショックを受けたように口元を覆い、その場にへたり込んだ。


「ただでさえ仕事をサボりがちなマガツ様が二人になるなんて、私心労で倒れてしまいますわ……」


「テメェ、一体俺のことを何だと思ってんだ!」


「いや、その心配は無い」


 ツッコミを入れるマガツをよそに、レイメイは話を続ける。


「ドッペルゲンガーは対象の人物の影、つまりは本人と人格が真反対の存在と言われている」


「じゃ、じゃあつまりもう一人のマガツ様は勤勉で仕事熱心な殿方……!」


 まるで天啓でも降りてきたように、デザストは一瞬にして立ち直り、今にも笑い出しそうな笑みを浮かべた。


「お前なぁ……」


 いやしかし、コレに関しては怠惰で仕事嫌いなマガツの生活態度に原因があった。


「そういえば、某の見たマガツ殿は無口で何だか陰鬱とした雰囲気を纏っておりましたが……」


 言いながら、オーマは自分が目撃した偽マガツのことを思い出す。


 声を掛けても反応せず、普段の明るく気さくなマガツとは対象的にどこかネガティブな雰囲気を纏っていた。


 最初は何かショックな出来事があったのかと思っていたが、しかし今オーマの隣にいる本物のマガツはいつも通り気さくだった。


「確かに私が見たマガツ様も無口でしたわ。本物はうるさいくらいお喋りなのに……」


「何故俺の方を見るのかしらん?」


 デザストも、じっとマガツに視線を向けながら証言する。


「ああ。それがドッペルゲンガーの最大的な特徴だ。それに――」


 言葉を紡ぎながら、レイメイは顕微鏡の台に載せていたある物体を見せた。


 それはマガツ達が回収した、偽マガツの残した痕跡。まるでローションのようにヌメヌメとした謎の液体だ。


「コイツを検査してみたんだが、魔法の気配が検出されなかった。もしこれが変装や変身魔法の類いなら、少なからず魔法を使った痕跡が残る筈なんだが」


 とどのつまり、偽マガツを生み出しているものは魔法由来ではない。ということになる。


「あっと、ちょいと待ってくれないかレイメイ教授」


 その時マガツはそっと申し訳なさそうに右手を挙げつつ、レイメイに訊いた。


「その魔法の気配っていうのは、一体なんですのん?」


 そう訊かれて、レイメイは驚いた様子でマガツを見つめる。


 まさか魔法の概念を知らない者が存在するとは、思ってもみなかったからだ。


 しかし考えてみれば当たり前か。魔法が無い世界で生まれ育ったのだから、それも仕方ないことだ。


 ならば、とレイメイは一から丁寧に説明することにした。


「魔法とは、大気中に存在する【魔素】と、生物の魂に宿る【マナ】を消費することで発動するもの。そして消費された魔素は出涸らしのようなものとなり、魔法を発動した場所に残る。杖をはじめとした道具を使った場合も同様、対象物に魔素の出涸らしが付着する」


「なるほどな……つまり、ドリップコーヒーとその出涸らしみたいなものってことか?」


「まあ簡単に言ったらそんなものだ。風の噂だと、この技術はニンゲン共の街でも魔法犯罪を検出する方法として用いられているそうだ」


 ――最もこの国では一度も使ったことのない技術だがね。レイメイはそう締めくくる。


「てか魔素とマナを使って魔法を発動するって、そーだったの⁉ デザスト、オーマ、そーなの⁉」


「常識も常識、今ドキ物心ついてすぐの子供でも知っていますわよ?」


「まあマガツ殿は別世界の住人。知らなくても無理はないでございます……」


 デザストは少々呆れ気味にため息を吐きつつ、オーマは首を縦に振りながらも、またしても何も知らないマガツにフォローを入れる。


 だが、思い返して見ると魔法を使うときの感覚は、まるで自分の血液を扱うような感覚に近かった。


 身体中を巡るエネルギーを身体の各部位に集中させて、解放する。それこそが魂のエネルギー、もといマナを消費したのだ、と。


「なるほど、なぁ……」


「それと、個人差はあれどマナには消費できる限界が存在する。もしその限界を超えて魔法を使おうとした暁には、己の命を削ることとなり、やがて死ぬ」


 まるで気を付けろと念を押すように、レイメイは少し強い口調で注意した。


 何故か、マガツをじっと睨みながら。


「な、何で俺のこと見てるのかしらん?」


「ううん、別になんでも」


「そう含みを持たれると余計に気になる!」


「そ、それよりレイメイ様。そのいやらしいモノに魔法の気配がないってことはつまり、どういうことなのです?」


「…………」


 何を答えるべきなのか、レイメイは沈黙する。


 完璧主義なレイメイのことである。あくまで仮説、まだ確定もしていない情報を伝えて余計な騒ぎを起こすことを懸念しているのであろう。


 だが結論を急いでも、現状偽マガツの尻尾を掴むまでには短くても2日はかかる。


 もしその偽マガツが人間側の回し者で、その間に彼が国民の信頼を失うようなことをしたらどうか。


 まだまだ混乱の渦中にあるブランク帝国で事態が起これば、マガツの信頼は真っ先に地の底へ転落する。そしてそれは、ブランク帝国壊滅の危機を意味していた。


「レイメイ殿、確定していなくてもいい。某達のことを、友を信じるつもりで教えて欲しい」


 悩むレイメイに、オーマが助け船を出す。するとレイメイは決意したように深呼吸をして、その“仮説”を告げた。


「スライム……」


「す、スライム? スライムって、あのぷにぷにした可愛らしい顔したあの?」


 一同はその仮説に驚き、マガツはそのスライムの姿を想像する。


 だがマガツのイメージとは程遠いのか、レイメイは微妙な表情をしながら今度は「魔獣図鑑」を開いてスライムの姿を見せた。


 そこに記されていたスライムの姿は、ドロドロとした身体に一対のギョロリとした目玉が体内に宿っている、お世辞にも“可愛らしい”見た目からかけ離れた姿をしていた。


「ぎゃあっ! 化け物ォ!」


「あ、でもこの見た目……なんか可愛いかも……」


 言って、デザストは頬を赤らめる。その表情は愛くるしい動物に心を射貫かれた乙女のように、キラキラと輝いていた。


 その視線の先にあるのは、ドロドロに溶けたような姿をした怪物――スライムである。


「しかしレイメイ殿、スライムは知能を持たない生命体。擬態魔法を使えるようなスライムなど存在しませんぞ?」


「そう、そこが引っかかる。だがこの粘性のある物体は、スライムの性質とよく似ている」


 レイメイの言うとおり、偽マガツの残した痕跡はスライムのように粘性を持っている。


 そしてその物体に、魔法を使ったような痕跡は残っていない。


 もし仮に偽マガツの正体がスライムだったとするならば、そのスライムは魔法に依存しない“擬態能力”を持つことになる。


「ですが擬態魔法に依存しない変身スライムなんて……」


「今までに色んな魔獣についての研究も続けてきたが、そんな能力を持ったスライムは見たことがない。仮に居たとしても、そいつは恐らく【新種】……ボク達の常識を越える力を持っていてもおかしくない」


 デザストの問いに、レイメイは冷静に答える。だがやはり、その答えにレイメイはまだ納得が行っていないようだった。


 それもその筈。仮に新種だったとして、それが他のスライムを越える力を秘めていた時、果たしてマガツ達に倒すことができるのだろうか。


 雑魚の代名詞として人間の間でも語られる単細胞生物スライム。幾千年と続く生存競争の中で、彼らもまた進化を遂げている。


 極端に寒い地域や砂地など、特定の地形に適応した種類はそれを魔法として味方に付ける習性を持つ。


「そしてスライムの最も厄介な所は、単為生殖機能だ」


「単為生殖、でございますか⁉」


「じゃあつまりソイツを一匹倒したとしても……」


「核を破壊しない限り、合体と分裂を繰り返して対象が弱るまで暴れ続ける。更に擬態能力を持っている以上、最悪擬態した対象の能力を使ってくる危険性もある……」


 その言葉に、マガツ達は戦慄した。


 マガツに擬態しているそれは、逆説的に“マガツと同等の能力を扱う”ことができる。


 それ即ち、マガツ本人を相手にするの同じこと。


 いや、マガツだけではない。敵はオーマにも、デザストにも、そしてシャトラにだって擬態することができるかもしれないのだ。


 偽者とはいえ、彼らは仲間の姿をした敵と戦わなければならないのだ。


「キミ達の実力は、先日のヨルズ軍襲撃事件の一件でよく分かった。しかしそれ以前に、“それ”と戦う時には仲間の姿をした敵を討つ覚悟が必要になってくる」


「仲間を……」


「討つ覚悟、ですの……」


 オーマもデザストも、薄々それに気付いていた。だがその覚悟を決めるまでには至らなかった。


 無理もないことだ。最悪、自分の手で最愛の仲間を殺す可能性があるのだ。スライムと違い、本物の仲間は一度斬ってしまえば二度と復活しない。


 一同が躊躇する中、研究室の扉が勢いよく開いた。振り返ると、血相を変えた若いメイドが肩で息をしていた。


「で、デザスト様! 大変です! マガツ様と思しき怪しい男が、食料庫に……って、マガツ様⁉」


「じゃあやっぱり、出たんだな……偽者の俺が……!」


 マガツを見て驚いたメイドの様子を見て、マガツはすぐに気が付いた。


 4度目の正直。マガツはすぐさま食料庫へと足を向けた。がしかし、オーマとデザストは一向に動こうとはしなかった。


 いや、動けなかった。


「オーマ、デザスト……」


「某には、やっぱり……この逢魔流の剣でお二方を斬ってしまうと思ったら……」


 オーマは言って、悔しそうに下唇を噛みしめる。


「安心しろ、俺のことは本物も殺す気で――」


 本物も殺す気で戦ってくれ。そう言いたかったが、しかしオーマの問題はそれだけではなかった。


 マガツはまだしも、もし愛する人を――デザストを斬ってしまったら。その恐怖心がオーマの足を引っ張っていたのだ。


「こんな弱気な姿を晒してしまい申し訳ございません。ですが某は、たとえ偽者だとしても、二人のことを斬ることは……」


「オーマ様……」


 その言葉を聞き、マガツは一瞬考える。


 そして、レイメイら三人に背中を向けたまま告げた。


「斬れねえもんは仕方ない。オーマはここに残って、レイメイと一緒にソイツを調べてくれ! デザストは一緒に来い!」


「ま、マガツ殿⁉」


「お、おいそんな勝手な! 相手は未知数の敵、二人で戦って勝てる相手じゃないかもしれないんだぞ⁉」


「かもな。でも俺は皆を信じる! レイメイの頭脳も、オーマの優しさも。そして、デザストの実力もな!」


 マガツは言って、そのままの足で食料庫へと向かった。仲間達の了解の言葉も聞かずに。


 いや、聞かずとも知っていたのだ。彼らなら“そうするだろう”と。


「全く、アイツは。この前毒を飲んで死にかけた奴とは思えないよ」


「デザスト殿、どうかマガツ殿を……」


 言って、オーマはデザストに肯いた。デザストも、オーマの目を見つめ返して肯き返す。


「必ずやマガツ様を殺し……間違えた。偽マガツを殺す気でやってやりますわ」


 そう言い残し、デザストも食料庫へと駆けていった。


「……本当にあの二人大丈夫なのかね?」


 二人がいなくなり、嵐が過ぎ去った後のような静寂の広がる研究室の中、レイメイは静かにそう呟いた。

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