第24話 もう一人のオレ?
ブランク帝国の地下一階には、情報処理室のほかに、大きな書庫室がある。
その大きさは80畳ほど。まるでそこに一つの図書館があるのかと錯覚するほどの広さを有し、数え切れない量の本がここに保管されている。
しかし薄暗さも相まって、その不気味さはこの「ブランク帝国の恐ろしい場所」として五本指に入るほど。
城内で働く者達でさえ、近付くことを躊躇うような、そんな魔窟なのだ。
そんな魔窟の中、マガツはとある本を探していた。
「畜生、デザストの奴……歴史書ってどこだよ……」
ひんやりとした嫌な風を背に受けながら、マガツはため息交じりに呟く。
レイメイとの万能薬作りから半日が経ち、時刻は午後11時を回っている。
勢いで飲み干した毒の解毒に成功したマガツは、早速デザストから仕事を渡された。
いや、仕事というよりは、それは勉強に近かった。
『マガツ様、そろそろこのブランク帝国の歴史について、学びましょう』
デザストは笑顔でそう言い放ち、マガツにブランク帝国の歴史書を持ってくるように言い渡したのである。
だが、デザストの言い忘れなのか、はたまたある種の嫌がらせなのか、歴史書がどの本棚に仕舞われているのか分からない。
正面に聳える本棚には、辞書のように分厚い本がずらりと、隙間なくみっちりと並べられている。後ろを振り返ると、そこにもまた本棚。
こちら側にも、同じように分厚い本がずらりと並び、背から飛び出したしおりの黄ばみが、その本がどれほど前のものなのか物語っている。
「畜生……こんなとこ、すぐにでも出たいのに……」
因みにマガツは幽霊を怖いと思ったことはあまりない。
がしかし、この書庫室のように薄暗く、形容し難い“何か”の気配がある空間が大の苦手だった。
例えば夜の公衆トイレ。例えば山の中の廃病院。例えば殆ど誰も使っていないような、無人駅のホーム。そして当然、この書庫室も例外ではなかった。
今も、どこからか“何か”の視線を感じる気がする。
恐る恐る左右の通路を確認してみるが、何もいない。後ろも、天井まで伸びる大きな本棚が聳え立っているだけで、これといって問題はない。
「……あんの野郎、戻ってきたら一つ文句言ってやる」
マガツは呟き、遂にブランク帝国の歴史を記した書物を発見する。
「あった! これだぁ!」
背にも、しっかりと「ブランク帝国の歴史」とシンプルなタイトルが記されている。
その嬉しさは、まさに天にも昇るほど。マガツは思わずガッツポーズを取る。
と、その時だった。
――ガラガラガラ!
「くぁwせdrftgyふじこlp!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
突然、何かの崩れる音がした。言わずもがな、今この書庫室にいるのはマガツだけである。
更に、音がしたのはマガツのいる場所よりも離れた場所――現在地から対角線上にある部屋の隅からだった。
「だ、誰だ! 誰かいるのか!」
恐る恐る叫んでみるが、しかし返事はない。
しばらく息を潜めてみても、マガツ以外の息遣いは聞こえてこない。
「……い、行くか……?」
意を決して、マガツはゆっくりと音のした場所へと向かう。
本棚に身を隠し、まるでスパイ映画の主人公のように、音を殺して近付いていく。
そして――
「動くなッ! 手を挙げろッ!」
歴史書を拳銃のように構えながら、音のした場所に姿を現した。
果たしてそこには――何もいなかった。
あるのは、やけに湿った木箱の山だけだった。その頂点にあったと思われる木箱が転落したのか、中に仕舞っていた本を吐き出して横たわっている。
「廃棄、本?」
そこに積まれている木箱の側面には「廃棄本」と記されていた。
確かに落ちた木箱の中に入っていた本はどれも古く、帝国にはあまり必要のなさそうな書物ばかりが散見された。
あまり本を読まないマガツにとって、その廃棄本は別に欲しいものでも何でもない、ただの廃棄物にしか見えなかった。
「ったく、変な置き方するからこうなるんだぜ?」
誰がこれを管理しているか知らないが。小声で呟きながら、マガツは横たわった木箱の中に廃棄本を戻す。
その時ふと手に取った本を見た瞬間、マガツは思わず声を漏らした。
「おっ……⁉」
手にした本には、なんとセクシーな水着姿のお姉さんが載っていた。
まさかと思いペラペラと捲ってみると、次から次へと多種多様なセクシー女優の姿が現われる。
それはこの世界にあるべきではないもの。
しかしマガツのような現代の男達にとって、存在しない筈のそれはまさに神からの授かり物のようだった。
「コイツは……なんてけしからん……!」
そう言いつつも、マガツの手から本が離れない。いや、離したくなかった。
「けどどうしてこの異世界に、俺の世界の本が……?」
一瞬そんな疑問が頭を過ったが、マガツは首を振り、周りに本当に誰もいないか指さし確認をした。
右よし。左よし。天井よし。床よし。もう一度右よし。左よし。
そんな風に繰り返しながら、離れようとしない愛おしい雑誌を、そっと懐に忍ばせた。
「こんなものがシャトラの目にでも触れたら危ない。ここは一人の男として、俺がきっちりとお楽しみ……処分しておこう」
嘘である。マガツは何も知らないフリをして木箱を置き直すと、歴史書を持って書庫室をあとにした。
そして誰もいなくなった書庫室。暗闇に包まれた部屋の中、ぽよん、ぽよんとリズミカルに跳ねる“何か”の姿があった。
その特定の姿を持たない“何か”は突如、びよんと伸び、少しずつ形を形成していく。
「アレがこの国の魔王?」
「最強? 最強?」
「あの男みたいになったら、オイラも最強?」
まるで他の誰かと話し合うように、一つの声が言い合う。
やがて変形を完了したそれは、暗闇の中、ニヤリと笑った。
***
日付は変わり、早朝の食堂。
ブランク帝国の食堂は一階の広間にあり、ブランク城に仕える者は皆、ここで食事を摂る。
それはレイメイ達科学者や衛兵は勿論のこと、シャトラやマガツもここで食事を摂っている。
ブランク大帝の時代から変わらず、食堂は家臣や王といった身分の隔たりのない場所となっているのだ。
「シャトラお嬢様、好き嫌いはよくありませんわよ?」
「やなの。シャトラ、野菜は嫌いなの」
朝から賑やかな食堂で、シャトラとデザストは朝食をつつきながら言う。
テーブルに並んだ皿には、栄養満点な野菜や卵炒めのようなものが載っている。典型的な朝食であった。
しかしシャトラはピーマンやにんじんのような野菜を避け、それ以外を器用に食べている。
「今、野菜は貴重な資源なのですのよ? こうして不自由なく食べられるのも、国民のお陰。シャトラお嬢様は、その国民の努力を無駄になさるおつもりですの?」
言って、デザストはシャトラの残した野菜に視線を落とす。
勇者一行によって畑を焼き払われた一件で、今現在ブランク帝国では野菜の価値が高騰しつつあった。
オーク族の営む農場もその被害に遭い、現在復興中ではあるものの、野菜を収穫できるのはまだまだ先になる見込みという。
マガツがどうにかすると約束したものの、食料の完全な供給にまでは、しかし至らずにいる。
「……だって、苦手なの」
シャトラは俯きながら、残した野菜に視線を落とす。
「お嬢様、苦手なものは克服するためにあるのです! 私も応援致しますから、ほら!」
そう言って、デザストは熱い視線をシャトラに向ける。だが、シャトラの手は止まったままで、全く動こうとはしなかった。
その様子に見かねたデザストは、ふと後ろを横切ったマガツの方を振り返り言った。
「ほらマガツ様も何か言ってください! シャトラ様のお野菜克服のために、お力を――」
しかしマガツは返事をすることなく、朝食を食べ始めた。
がつがつと。もぐもぐと。むしゃむしゃと。
何も言わないで、ただひたすらに食べ続ける。
「マガツ様? ねえ、聞いておりますの?」
「…………」
いくら声をかけても、マガツは何の反応も返さない。
ただ無言を貫き、朝食を頬張る。
「マガツ……?」
様子のおかしいマガツに、シャトラも心配して声をかける。
がしかし、無言のまま。言葉無く、喋ることもない。
「もしかして、私が昨日歴史書の在処を伝え忘れたことを怒ってらっしゃいます?」
「…………」
「それとも、これまでやってきた仕事の催促が、ウザかったですか?」
「…………」
「ちょっと、何とか言ったらどうなんですの!」
遂に痺れを切らせたデザストは、声を荒げた。
しかしマガツは、何一つとして反応を返さなかった。
「……もういいですわ。お嬢様、こんなの放っておいて、お野菜の克服をしましょう」
「でも、もしかしたらマガツ、具合悪いのかも……?」
「いいのですわよ。無視するなら、無視仕返してやりますわ」
鋭い目でマガツを一瞥して、デザストは席に戻る。だが無理もなかった。
何度も声をかけて無視をする相手に苛立ちを覚えないなど、缶ジュースのプルタブを開けずに飲むくらい、無理に等しい行為。
完全に、マガツに非があった。
その間も、マガツはまるで何事もなかったかのように朝食を頬張り続けている。
「マガツ、一体どうしちゃったなの……?」
シャトラは心配そうに呟き、後ろを振り返った。果たしてそこには――
「あれ? マガツは?」
マガツの姿がなかった。
まるで神隠しにでも遭ったかのように、食べ終えた皿を残して消えていた。
「お嬢様、どうかしましたか?」
「マガツが、消えたなの」
「そんな馬鹿な……えっ?」
デザストも振り返り、目の前の不可解な現象に目を疑った。
どこを見渡しても、マガツの姿が見当たらない。それは彼の近くにいた兵士達も同じで、時間が止まったかのように、驚いて硬直している。
皿と、やけに湿った椅子を残して、マガツはその場から姿を消した。
「どういう、こと……?」
一抹の恐怖が、デザストを襲う。
その時、ふと遠くでマガツの声が聞こえてきた。
振り返ると、配膳係と何やら話をしているマガツの姿がそこにあった。
「ちょっと待ってくれよ~。俺、今来たばっかりなんだけど? もう渡したってどういうことだ?」
そこにいたマガツは、先程の無言を貫いていたマガツとは打って変わって、配膳係と会話をしていた。
機嫌も具合も悪くないようで、普段通り元気なくらいに騒がしいまま。さっきのマガツと対になるように、抗議している。
と、マガツは既に食事をしていたデザスト達に気付き、こちらへ来るように手招きした。
一体何が起きているのか。気になったデザストは、シャトラと共にマガツのもとへと向かう。
「なあちょっと聞いてくれよデザスト。なんか俺、今日の朝飯を既に貰ってるらしいんだけど、何か知らないか?」
何が起きたのか分からないと、マガツは頭を掻きながら訊く。
本人は何も覚えていないのか、しかしデザスト達は確かにその目でマガツが食事をしていた姿を目撃している。
見間違いでも、ましてや寝ぼけて空見したわけでもない。
両の目で認識し、無視された。そして、姿を視界から外した隙に、忽然と消えた。
まるで種も仕掛けもない摩訶不思議な手品のように。
出自も分からないような怪談話の一節のように。ふっと消えた。
そして、再び現われた。次に、おしゃべりになって。
「まさかマガツ様、ボケました? もう朝ご飯食べたじゃありませんか」
試しにデザストは、無視された仕返しと言わんばかりに嫌味ったらしく問う。
「ボケてねえわ! これでもピッチピチの25歳だこのスットコドッコイが!」
少々ツッコミ方が古くさい気もするが、マガツは息の合った返しをした。
だが、朝食を既に食べていることを覚えてはいない。そもそも、食べているという事実すら、マガツの中にはなかった。
「おかしい。だってマガツ様は確かに、朝食を食べておりましたわ」
「えっ?」
「ほら、その証拠にあの空いた席、食器が残っているじゃあないですか」
言って、デザストはマガツが姿を消した現場を指す。そこには、マガツが食べ終えた筈の皿が残されている。
しかしそれでも、マガツはピンと来ない様子で、眉をひそめる。
「シャトラも、見たのか?」
「うん。マガツ、デザストのこと無視してご飯に集中してたなの」
シャトラは肯きながら答える。
その目に嘘を吐いている様子はなかった。泳ぐこともなく、曇りのない眼でマガツを見つめている。
嘘は吐いていない。吐いていないが、マガツもまた嘘を吐いていない。
どちらも真実であり、どちらも間違っている。その矛盾した違和感が、マガツ達を襲う。
「……一体、何が起きているんだ……?」
マガツの知らない、もう一人のマガツ。
これがまだ恐怖の序章に過ぎないことを、マガツ達はまだ知らなかった――。
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