第23話 信ずる勇気
マガツの血から血清を取り出したレイメイは、その間にオーマが用意していた薬品と混ぜ合わせることで、ついに7本目の万能薬を作り出した。
見た目こそ最悪ではあったが、しかしフラスコの中に入っている薬品には、これまでのものにはない特殊な材料――マガツの血清が含まれている。
「遂に完成ですか……! 7度目の正直……これでマガツ殿が……」
しかしレイメイはフラスコを手に持ったまま、深呼吸を始めた。
次第にそれは深呼吸とは呼べないほど早くなり、やがて過呼吸に変わっていった。
「れ、レイメイ殿⁉ どうしたのですか!」
震えるレイメイの肩を担ぎながら、オーマは訊く。
「……んだ」
「えっ?」
「怖いんだ。どうしてだろう、怖くなってきたよ……」
ガタガタと震えながら、レイメイは振り絞るように答えた。
怖い。どうして怖い? この天っ才と自画自賛するボクが、何を怖がっているんだ?
そう何度も自分に問いかけるが、その答えが返ってくることは、しかしなかった。
曖昧で答えもない、正体も掴めない“不安”が、突然レイメイを襲った。
早くしなければマガツは毒に侵されて、最悪死んでしまうかもしれないというのに。
自分の研究のために、冗談だと思って交した約束を真に受けて本当に毒を飲んだのに。
一抹の不安が、レイメイを止めた。
「怖い? 一体、何が?」
「分からないよそんなの! ただ、本当にこの薬で治るのかなって思ったら……」
言いながら、レイメイは手にしたフラスコに視線を落とす。
6度と失敗を繰り返し、遂に完成した万能薬。
しかしまた、これまでの試作品のように失敗したら、マガツが死んでしまうかもしれない。
大帝の時のようにまた間接的に、いや直接的に、大切な人を殺すことになる。
レイメイはそれが、とてつもなく怖かったのだ。
「……やっぱりボクは、どうしようもないただのマッドサイエンティストだったのかな……」
その恐怖は、自意識過剰だったレイメイの強靱な自信を、いとも簡単にへし折ってしまった。
「レイメイ殿」
その時、黙っていたオーマがゆっくりと口を開けた。
「自分を信じるのです、レイメイ殿。マガツ殿は、そう言って倒れたでしょう?」
「仮面クン、キミ……」
「怖い気持ちは、某も同じです。ですが、このまま何もせず呆然と見ていたら、マガツ殿は確実に死んでしまう」
オーマは、断言するように言った。
見ればマガツの顔からは段々と色素が抜け、唇も見るに堪えないほど白く染まっていた。
その変化を見て、レイメイは目を丸くした。
科学者でありブランク帝国の名医でもあるレイメイは、それがどれほど危険な状態なのか、すぐに気が付いたのだ。
「まずい……毒が、マガツが毒に負けている……」
「レイメイ殿、己を信じるのです。貴方はいつも自信過剰で、薬を完成させるまで、楽しそうに笑っていたじゃあないですか! ここで怖じ気付いて、どうするのです!」
オーマは言って、レイメイの背中を叩く。
オーマには薬の知識なんてものはないから、薬が本当に効くかどうかも分からない。だが、レイメイならきっと万能薬を完成させられるという確信があった。
「レイメイ殿の作った薬がなければ、某もマガツ殿も、グレアの毒にやられて死んでいた。レイメイ殿はそんな窮地にあった某たちを救ってくださったでしょう!」
言葉を紡ぎ、オーマはそっと、レイメイの震える手を握った。
はっ。と、レイメイはオーマを振り返る。
その視線は鬼の仮面に隠れていて見えなかったが、レイメイは不思議とその視線に熱いものを感じた。
「某も、レイメイ殿の実力を信じまする。どうかレイメイ殿の天才たる頭脳をもって作ったこの薬で、マガツ殿の毒を無力化するのですッ!」
オーマの言葉に背中を押されたレイメイは、意を決して肯いた。
そして、手にしていたフラスコの先をマガツの口に付け、今度こそ成功してくれと願いながら飲ませる。
禍々しい色をした液体は、ドロリと粘っこい音を立てながらマガツの口へ入り込み、マガツはゴクリと無意識に薬品を飲み込んだ。
「…………」
「頼む、どうか…………」
オーマとレイメイは、共に祈りを捧げる。
マガツが自らの肉体を犠牲にして作り出した血清、そしてオーマと共に買い集めてくれた材料、そして二人が信頼するレイメイの腕をもって作り上げた最強の万能薬。
その真価が今、試される。
「お願いだ、マガツ。こんな所で死ぬなんて、言わないでくれ……」
レイメイがそう呟いた時だった。
「うっ」
突如、どこからか男の咽せる声が聞こえてきたではないか。
それはレイメイやオーマのものではなかった。そう、その声の主は――
「お、おえええええええっ! に、苦っ! 苦ぁぁッ! ぺっぺっ! マジ、こんなもん、普通にまず過ぎて死ぬわ!」
マガツだった。彼は万能薬のあまりの苦さに嗚咽し、必死に呑み込んだそれを吐き出そうと、必死に悶える。
が、すぐに異変に気付き、動きを止めた。
「あ、あれ……? 俺って確か、毒飲んで、それから……」
記憶を辿るように辺りを見渡していると、マガツの視界にレイメイとオーマの姿が映った。
二人は身体を震わせながら、復活したマガツのことを見つめていた。
「マガツ……お前……!」
「マガツ殿……! 身体の方は?」
「えっ? それなら、ちょっとぼんやりすっけど、まあ何にも問題は――」
頭を掻きながら、マガツは言う。と、その言葉を遮り、レイメイはマガツの胸に飛びついた。
「うおっ! ど、どうしたんだレイメイ⁉ お前、薬は⁉」
「わーんっ! バカバカバカ! 心配させやがって! 成功してよかったよぉぉぉぉぉ!」
レイメイは子どものように泣きじゃくりながら、マガツの胸に顔を擦りつける。
その途中、まるで鼻をかむような音を立てているように思えたが、マガツはそんなレイメイの頭を優しく撫でながら、オーマに顔を向けた。
よく見れば、オーマも無事に復活したマガツに安堵しているのか、仮面の隙間からホロホロと涙を溢していた。
「いやはや、無事に成功してよかったでございます、マガツ殿。顔の具合もよろしいようで、某、感無量でございまする!」
「オーマまで? てか成功ってことは、もしかして……」
やっと気が付いて、マガツはレイメイの持っていたフラスコを持ち上げ、中に入っている薬品を見つめた。
相変わらず毒かと錯覚するほど禍々しい見た目をしているが、しかしこの禍々しい色をした薬のお陰で、マガツは無事に復活することができたのである。
「そうか、やったじゃないかレイメイ! やっぱりお前は天才だ!」
「そ、そんなことはない! だって、だってもしこれが失敗したら、マガツは死んでいたかもしれないじゃあないか!」
「だから言っただろうが、レイメイ。俺は絶対に死なねえって。それに、俺はお前を信じてたんだ」
マガツは言いながら、レイメイの背中を優しくさする。
だがレイメイはまだ納得が行かないのか「でも……」と言葉を続けた。
「でも、まだ完全じゃあない……。現にマガツ、まだ気分が優れないんじゃあないのか?」
「それは、まあそうかもな……。まだ気分は悪い」
と返しつつも、マガツは言葉を紡いだ。
「でもレイメイ! 完全じゃあなくても、俺はこうして復活できた。それに、この実験結果が巡り巡って、お前の夢である〈万能薬〉を作る糧になってくれるんだ」
「夢を作る、糧……?」
「そうさ。だから諦めるな。俺も、レイメイのことを応援するからさ」
マガツは屈託のない笑みを浮かべ、レイメイの手を握った。その手はさっきまで死人のように冷たかったはずなのに、今では優しい温もりを帯びていた。
心臓が鼓動している、生きている者の手だった。
「しかしどうして、ボクなんかの為にあんなバカみたいな無茶をしたんだ? もしこの薬が失敗作だったら、キミは死んでいたんだぞ?」
マガツを抱きしめながら、レイメイは問う。
その問いに、マガツは微笑みを浮かべながら口を開く。
「それは――」
「それは、マガツ殿がそういう根性に満ちあふれた漢だからです」
と、マガツの言葉を遮り、オーマは答えた。更にオーマは微笑みを絶やさずに続ける。
「たとえ不可能に見える状況にあったとしても、信じた者のためならば、命も惜しまず全てを賭けて手を伸ばす。それがマガツ殿の、魔王としてのやり方なのでございます」
――まあ、今回のように毒を飲む死に急ぎ癖は、どうかと思いますがな。
そう締めくくり、オーマはマガツに微笑んだ。
彼の言葉にもまた、マガツを信じる熱い気持ちがこもっていた。その言葉に、マガツは身体を震わせる。
「オーマ、お前……」
「おろ、某そんな感動的なことを言いましたかな?」
口に手を当て、オーマは訊く。がしかし、マガツはレイメイを払ってベッドから立ち上がると、
「そこは俺がいいこと言うシーンだっただろうがよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
冗談めかしく叫びながら、マガツはオーマに飛びかかった。
オーマの背中にしがみ付くように掴みかかったマガツは、そのまま「コノヤロ」と言いながら、オーマの仮面に手を伸ばす。
「畜生お前この野郎、美味しいところ持って行きやがって! 仮面剥いでやるこの野郎! そのイケメンの素顔晒しやがれ!」
「おおお、おやめくださいマガツ殿! 某の素顔はトップシークレットですぞぉ!」
「うるせぇ! 俺の見せ場奪ったバツだ! それにお前顔いいんだから勿体ないぜこの野郎!」
「レイメイ殿ぉ! 見ていないで助けてくださいぃぃぃ!」
二人はわあわあと叫びながら、お互いに戯れる。
すると、その様子を見たレイメイはクスッと笑みを零し、続けてゲラゲラと大笑いした。
「フフ、ははは、あはははは!」
「「?」」
相当ツボに入ったのか、レイメイは眼鏡の下から涙を拭い、ゲラゲラと笑う。
やがて笑いが収まると、レイメイは深呼吸をして言った。
「全く、キミ達は本当に騒がしいな。この前急患で運ばれてきた患者とは思えないよ。まるでゾンビだよキミ達」
「ハッハッハ、それほどでもありますかなぁ!」
オーマは高らかに笑い、恥ずかしそうに頭を掻く。
するとレイメイはカルテを手に取り、彼の頭を叩いた。その拍子で仮面の紐が緩み、オーマは図らずも素顔を晒してしまった。
相変わらず優男のような優しげのある風貌の素顔に、レイメイは「ワオ」と静かに驚いた。
「あ……わぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「うっさい!」
「あ痛っ! 何でぇ⁉」
スパコーンッ! と、再び殴られるオーマ。
そのまましゃがみ込んで仮面を付け直すオーマを横目に、レイメイはマガツを見上げた。
「なあ、マガツ」
「なんだ、レイメイ?」
「ボクのために……その……ありがと。お陰で、ボクに最も必要だったものが分かった……気がするよ」
照れくさそうに言うと、レイメイは顔を逸らした。しかしショートボブの髪と眼鏡をかけた耳は、レイメイの本音を物語るように、赤く染まっていた。
だがマガツはあえてそのことには触れず、ニヤリと笑う。
レイメイは顔を逸らしたまま続ける。
「ボク、これから逃げてった研究員達に謝ってくるよ」
「えっ? それまたどうして?」
きょとんとした表情で、マガツは訊く。
「思えばボクは、彼らの実力を信じていなかった。ずっと、自分一人で抱え込んでいたんだ。けど、キミ達がこんな無茶をしてくれたお陰で、やっと分かったんだ」
すると、レイメイはマガツを向き、ニシシと無邪気な少年のような笑みを浮かべて言った。
「誰かを信じることもまた、研究をする上で大事なんだってな! だから今度は、ポルクのことも、皆のことも信じて、次こそ完璧な万能薬を作るんだ!」
完璧な万能薬はまだ諦めてないのね。マガツは心の中でツッコミを入れつつも、大きく肯いた。
そしてレイメイの前に拳を突き出し、
「そん時はまた手助けしてやっから、呼んでくれよな!」
と、ニカッと笑いながら言った。
更にそこへ、仮面を付け直したオーマも拳を突き出し、マガツの拳に合わせて言った。
「そ、某も! 某も手助け致しまするぞォ!」
息の合った二人の様子に、レイメイは三度目のため息を吐き、クスクスと笑う。
「全くお前らは……だが、面白いな」
レイメイは言いながら、二人の突き出した拳に合わせるように、彼も拳を突き出した。
三人の拳が、三角形を描くように合わさる。
「それじゃあ今後とも、ボク達男同士、共にやって行こうじゃないか!」
そうレイメイが宣言した瞬間、研究室内に静寂が走った。
まるで時が止まったような、音の波紋一つない静寂。その間、二人の脳内でレイメイの言葉が何度も再生される。
『男同士』、『“男”どうし』――
――男。
「……えっ、それじゃあまさかレイメイ殿……?」
ミント色のショートボブに、愛くるしいほどに小柄で華奢な体格、丸眼鏡。まるで女の子のような容姿。
「あれ? もう既にキミ達は知っていると思ったんだがなあ。ボクは正真正銘、生物学上、生まれながらの男だぞ?」
その正体は、男だった。
そう、男の娘だったのだ。
「え、ええええええ、えっと、じゃあつまりレイメイ、お前は男の娘ってことか?」
「男の子? 失敬な、ボクは一応180歳のギリギリ大人吸血鬼だぞ。男の子というほどガキじゃあない」
全くもう、とレイメイは頬を膨らませながら腕を組む。その仕草からも、完全にあざとい少女にしか見えない。
だが男だ。
萌え袖のようになった白衣や、無駄に自信過剰な所なんかが愛くるしい印象を与えているが、それでも男。
いやしかし、可愛いは男も女も関係ないもの。だとしても、マガツとオーマは衝撃の事実に言葉を失った。
「「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」
二人の驚嘆の声は、研究室を飛び越え、ブランク城を飛び越え、そして帝国を囲む壁をも飛び越えたのだが、それはまた別のお話……。
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