第18話 オレの覇道と事務作業

 マガツ主催の祝勝会は三日三晩続き、気が付けばベヒーモス肉も底を尽き、長かったDAY3もじきに終わりを迎えつつあった。


「それではマガツ様、後ほど地下の資料室で落ち合いましょう」


「マガツ、おやすみなの」


「ああ。おやすみシャトラ、また明日な」


 そう言って、マガツは城へ戻っていくシャトラに手を振る。シャトラはうとうとと船を漕ぎながら目を擦り、デザストと手を繋いで帰って行く。


 二人の後ろ姿は、同じ金髪ということもあってか、まるで年の離れた仲良し姉妹のように見えた。


 マガツは焼き上がった肉を頬張りつつ、二人の背中を見送る。


(姉妹……か。そういや俺、兄弟とか居なかったな。てか、親って言っても、血の繋がった本当の両親じゃあなかったし……何だか、羨ましいなぁ)


 ふと、マガツは子供時代のことを思い出した。


 本来、戦闘員は改造された際、殆どの記憶を抹消される。中にはマガツのように記憶を保持する者もいたが、それでも直近の記憶だけで、幼少期の記憶まで覚えている者は極めて希であった。


 そのせいだろうか、マガツは肉を咀嚼しながら涙を流していた。


「あれ……? 俺、なんで泣いてんだ……?」


 ツーッ……と頬を伝う涙は思ったよりも少なく、顎から滴り落ちるよりも前に、乾いてしまう。


 それでもマガツは目を拭い、デザストとシャトラの背を見送った時に感じた思いを整理する。


(親父……親父……そういや、俺の親父とお袋――両親って、どんな人だったんだろ)


 思い返してみるが、そこには血の繋がった両親の記憶がない。


 それは戦闘員になった際に失ったとかではなく、生まれた時から存在しない。あるのは、親代わりとなった“ある男”と、その周りにいた人達の姿だけ。


 しかし、いくら思い出そうとしても、周りに居た彼らの顔にはもやがかかり、誰一人として思い出すことはできなかった。


 大人になり、いつかは恩返しをしようと誓った筈の、大切な人達だった筈なのに。


「…………」


「どうした、兄ちゃん? 手ェ止まってるぞ?」


 その時だった。背後から声をかけられる。振り返ると、そこには白髪の交じったオールバックのアヤカシ族が立っていた。


 男は普段より大幅に抑えた声で「よっ」と手を挙げて気さくな挨拶をする。


「えっとアンタは確か、オーマの叔父貴とかいう――」


「ワシはカブキ。オーマのまぁ、叔父に近いかのぅ」


 そう言うと男、もといカブキは口角を上げ、マガツの隣に腰掛ける。


「そういえば、オーマは? あれからまだ食ってるのか?」


 ふと気になったので、マガツは訊く。するとカブキはククッと声を殺して笑い、右手の親指で背後をさした。


 後ろを振り返ると、満腹で苦しそうにしながらも、しかしとても満足して幸せそうな笑みを浮かべて眠るオーマの姿があった。この三日で沢山食べたのだろう、腹はいつもの数倍ほどに膨れ上がり、顔もやや丸みがかった風になっていた。


「何だ、もう寝ちまったのか」


 だがその分、デザスト救出のために無理をして頑張ってくれたんだ。マガツは心の中で呟き、微笑んだ。


「お疲れ、オーマ」


「アイツも、結構変わったもんじゃのぅ。それもこれも、全部兄ちゃんのお陰かね、マガツ」


 すると、カブキは言いながら、おんぶしていた子供をマガツに見せた。


 子供は人間で言えば5歳ほどか、まだまだ年端も行かない男の子だった。子供はカブキの大きな背中に張り付き、幸せそうな寝顔を浮かべている。


 そして、よく見ればその子の顔は、どことなくカブキの面影があった。


「カブキさん、その子は?」


 マガツは子供の頭を優しく撫でながら訊く。


「ワシの息子だ。大帝が殺されてからはずっと泣いてたんだが、今じゃあこんなにぐっすりと、幸せそうに寝てやがる」


 カブキは言葉を続ける。


「それにオーマもよぉ、アンタが来てから大分成長したんだぜ」


「成長? オーマがか?」


「ああ。覚えてるか、初めてワシらがアンタと出会った時のこと。あん時は、勇者が人間だったのもあって、少なくともアヤカシ族の中じゃあ、人間を好いている奴ぁ誰もいなかった」


 カブキの言葉に、マガツは初めてアヤカシ族と、そしてオーマ達と出会った時のことを思い出す。


 大帝が亡くなってすぐのこと。帝国の崩壊を危惧したアヤカシ族は、自らの身を守るため、空席の玉座へカチコミを仕掛けた。


 その時、マガツの受けた視線は槍のように鋭く、南極大陸に放置されたナイフのように冷たいものだったことを、今も覚えている。


 そして今でこそマガツを『漢の中の漢』と慕うオーマも、初めて会った時の彼は、人間に対し激しい憎悪を抱いていた。


「そういえばアイツ……人間、嫌いだったな」


「これから他の種族とも同じようなことが起こるかもしれねえが、この国の魔族は人間に大切なモン奪われた奴らが殆どだからなぁ。人間のことが好きな奴は、この界隈じゃあ『物好き』なんて呼ばれてる」


 カブキは言うと、残っていた酒を一杯飲み、懐かしむように夜空を見据えた。


「ワシらアヤカシ族も、元々は辺境の里で暮らしてたんだが、人間に見つかり、魔族だから、人間ではない異形だからという理由で殺されていった。そん中に、オーマの親父さんとお袋さんもいた」


「じゃあまさか、オーマは……」


 孤児。そして何百年という長い間、人間に恨みを募らせていた。


「そんで、オーマの親父ってのがワシの兄貴分でなぁ。その親父の代わりに、ウチらのシマで育てることにした。後はワシらはぐれモン連中の『武士道』と『任侠』を学んで、あんな立派な武士になりよった」


 言うとカブキは、空いた杯に酒を注ぎ、マガツに一杯差し出した。


 その酒は透明で、香りは日本酒のようであった。だがほのかに、麹菌の芳しい香りが鼻腔を突く。


「お近付きの印に、一杯どうぞ」


「いただきます」


 そう言って一口、酒を口に含む。味は、普通の日本酒とそれほど変わらない。しかし不思議と、現世で飲んだことのある日本酒とはまた違った雰囲気を感じた。


 辛い。だがその辛さがまたいい。マガツは口の中で酒を転がし、そっと喉へと持って行く。

 

「どうよ、アヤカシ印の米酒だ。ま、コイツを一旦ワシらと兄ちゃん、兄弟の契を交す儀式としてくれや」


「兄弟……?」


「ったり前ぇじゃ。今回の戦い、そしてオーマのことも、全部上手く行ったんは兄ちゃんのお陰じゃ。ホント、頭が上がらんわ」


 カブキはガハハと豪快に笑うと、マガツの肩を強く叩きながら言った。


「オーマは性格こそ気難し奴っちゃが、持っちょる実力はホンモノじゃ。コイツぁワシのワガママになるが、どうかアイツを、兄ちゃんの幹部として雇って欲しい。その方がきっと、オーマも喜ぶ」


 マガツはじっと、カブキの横顔を見ながら話を聞いていた。


 厳つい顔に大きな身体、しかし心はそれよりも大きく、まるで海のように広い彼の心に、マガツは心を打たれた。


「ああ。俺もそのつもりだったし、時が来たら俺からアイツに声をかける」


 そう言って、マガツはカブキに杯を差し出す。カブキは受け取った杯に酒を注ぐと、今度はマガツに杯を渡す。マガツも同じように、カブキの杯に酒を注ぐ。


 二人は互いに杯をあおり、ぷはぁと一息ついたところで、マガツは口を開けた。


「じゃあ俺も、一つアヤカシ族の親父達にお願いしたい」


「ああ、何だ兄弟? 言ってみろ」


 凜とした表情を見せ、カブキは顔を見合わせる。マガツはじっと彼の顔を見つめ返し、そっと右手拳を突き出した。


「このブランク帝国の用心棒として、国の護衛を頼みたい」


「ほぉ、用心棒とな?」


「そりゃあ俺は魔王だし、今もこれからも、死ぬまでは一生この国に尽くすつもりさ。けど、俺一人で国民全員を守るのは、流石に無理がある」


 空の杯に映った月に視線を落としながら、マガツは言う。


 そして、少しの間を置き、マガツは再び顔を上げながら、


「だから、俺の手が届かない範囲を、守って欲しいんだ。子供達の未来を守るためにも」


 これも俺のワガママだけど。最後にそう付け加え、マガツはカブキに微笑んだ。


 次の瞬間、カブキは興味深そうにニヤリとした表情をしながら、マガツの右拳に自分の右拳をぶつけた。


「その話、明日すぐシマの連中にも伝えておこう。これから宜しくな、兄弟――魔王サマ」


 こうして、マガツはオーマだけでなく、アヤカシ族からの支持を獲得した。


 と、その時。残っていた肉を咀嚼していると、マガツはふと最初にデザストから告げられた言葉を思い出した。


『後ほど地下の資料室で落ち合いましょう』


「あっ、そういやデザストに呼ばれてたんだった」


 思い出したマガツは、山のように盛られた焼き肉皿を持って立ち上がった。


「おっと、もう行くのか?」


「悪いなカブキさん、デザストに呼ばれてたのすっかり忘れてたぜ。まだ先代の引き継ぎ作業も終わってねえし、色々大忙しだぜ」


「それじゃあ、また今度逢おうなぁ!」


 マガツとカブキは笑顔を向け合い、手を振ってこの日は別れた。そしてマガツは、デザストが待つ資料室へと向かった……



 ***



「お待ちしておりましたわ、マガツ様! 早速ですがこちら、早急に片付けてしまいましょう!」


 資料室、そこに待ち構えていたのは、満面の笑みを浮かべたデザストと、机の上に積み上げられた紙の山だった。


 いや、紙の山というよりも、それは几帳面にも柱のように立っていた。それはさながら、バベルの塔のように、立派なほどに。


「あ、あの……デザストさん? これって、一体……?」


 机の上に積まれた資料を前に、マガツは思わず訊く。するとデザストは、笑顔を崩さないまま、その資料についての説明を返す。


「はい、ブランク大帝の遺したお仕事、その一部でございますわ!」


「いい、一部ゥ⁉ これで、だってバベルの塔が1、2……」


「4本、立っていますわね」


「そんな他人事みたいに言うな!」


 そうツッコミを交えつつ、改めて指さし確認をする。間違いなく、机の上には4本の資料の塔が築かれている。しかも、それほどの量を以てしてもまだ“氷山の一角”に過ぎない。


 地下深くに眠っていた大帝の置き土産に、マガツは恐怖心を覚える。


「え、あー、これ、本当にやんなきゃダメ?」


「はい! この国のほぼ全ての権利を持つのが魔王、国民から寄せられた要望や事業の許可、その他諸々エトセトラ! 帝国復興のためにはどれも必要なものばかりですの!」


「そんなにあるの!? てか殆どその他じゃあねえか!」


「では全て諸々ご説明致しましょうか? まずは国民から寄せられていたおクレーム30件、要望が20件――」


 うんともすんとも言う隙も与えず、デザストは早口で資料の説明を続ける。その勢いは早口言葉が可愛く見えるほど、まるで早口ならぬ神速口かみはやくち。しかし一度も噛むことなく、ペラペラと説明を続ける。


 その情報は四本の塔となってそびえ立つ資料のように、全く完結しない。むしろ大量の情報を短時間に送り込まれ、マガツの脳は破裂寸前になっていた。


 遂に限界まで達してしまったマガツは、酒の酔いもあって気分を悪くして、


「あ、あーそうだ思い出したー。俺、紙アレルギーなの忘れてたー」


 なんとかなれという思いで適当に誤魔化し、資料室の扉に足先を向ける。


 と、その刹那。


 ――ドゴォォォォォンッ!


 空から隕石でも降ってきたのかと錯覚するほどの大きな音を響かせながら、マガツの前に何かが突き刺さる。


 それは槍だった。よく見ればその持ち手の部分には、デザストの絹のようにしなやかな手があった。


「あら? どこへ行こうと言うのですか? まさか、約束を破って逃げようなどとは、思っていませんわよねぇ?」


 デザストは輝かしいまでにお淑やかな笑みを浮かべ、頬に手を当てて首を傾げる。


 その背後には、般若のお面を被った思念体のようなものが現れ、「ゴゴゴゴゴ……」という擬音と共に、マガツに圧を放っている。


「いや後ろの殿方とアンタの世界観が合ってねぇ! 俺のユニークスキルも人のこと言えないけど!」


「そんなもの、この際どうだっていいじゃあないですか。お仕事とは、何の関係もありませんし」


 マガツ渾身のツッコミにも動じることはなく、デザストは再び槍で地面を突く。


 そして、二度と逃げようなどと思わないようにか、デザストは戦場でマガツの約束したことを復唱した。


「『魔王としての道を教えて欲しい』、『そのためなら事務作業だろうが何だろうが全部やってやる』でしたわよね?」


 グレアから救出した際、マガツが発したセリフである。それが今、マガツの恐怖で縮こまった身体に突き刺さった。


 更にトドメを刺すように、デザストは続けて一言、


「男に二言はないんでしたわよねぇ? マガツ様?」


 と、あえて今一度、マガツに訊き迫る。


 遂に恐怖の限界を越えたマガツは、腰を抜かし、完全に小さくなってしまった。


「わ……あぁ……」


「さぁ、つべこべ言わずに始めちゃいましょう! 私も、全力で応援いたしますので……」


 デザストは言って、綺麗な笑みを浮かべる。しかしその笑顔には影がかかり、マガツにはこの世の何よりも恐ろしいものに見えていた。


「や……や……」



「やっぱり事務作業なんてこりごりだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! ぎにあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」



 マガツの悲鳴は城を飛び越え、城下町にまで響き渡った。


 しかしその大きな悲鳴は皮肉にも、祝勝会の余韻を楽しむ人々の声にかき消され、誰にも届くことはなかったという。


 魔王の座を託されたマガツの覇道は、まだ始まったばかりである。


 2章へ続く……。

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