第16話 宝を持って

 しん、とした静寂が平原一帯に行き渡る。そこにいる全ての人々が、驚きを隠せずに硬直していた。


 オーマをはじめとしたブランク帝国の勇士達は、上空で凜とした表情を見せるマガツを見て、唇を震わせていた。


 やがて、「ドサッ」と青草の生い茂る地面にグレアが墜ちる。それと同時に、ヨルズ帝国の兵士達は恐怖で声を震わせた。


「嘘だろ……あのグレア団長が、負けた……⁈」


「あり得ない、団長はヨルズ帝国最強の男だぞ!」


「俺達だって、模擬戦で一度も団長に勝てたことはねえってのに、あの人間……」


 兵士達は身体をガタガタと震わせ、マガツへと視線を写す。


 マガツは空の上に立ち、ただ静かに、細い息を吐く。そして、ゆっくりと地上へ降り立った。


「……一応手加減はしたが、何分初めて使った技だからな。死んでなけりゃあいいが――」


 そう言いつつ、マガツは地面に倒れ伏したグレアの前でしゃがむ。


 うろ覚えだったが、マガツは彼の手首に指を当て、脈拍を測ってみる。


 どく、どく、と微かに鼓動を感じた。辛うじて息があったことに、マガツはほっと胸をなで下ろす。


 と、その時だった。


「……く、くそぅ……! おのれ……このオレ様が……負けるなんて……!」


 グレアは小刻みに震えながら、両手を地面について起き上がった。


 しかし自身の体重を支えるほどの力が残っていないのか、生まれたての子鹿のように、全身を震わせる。その振動のせいか、震える度に「ガチャガチャ」と鎧の掠れる音が鳴る。


 その姿は、マガツに怯えているかのようにも見えた。


「うおっ。まだ生きてたか、アンタも頑丈な奴だな」


 俺も人のこと言えねえが。心の中で、自分の変な特性を思い出し、マガツは口角を上げる。


 耐久力∞。完全無敵とまでは行かないものの、毒にも、激しい攻撃にも耐えることができる能力。それが大帝から継承した能力の一つなのか、はたまた神がブラック企業時代の皮肉として与えたのか。それはまさしく〈神のみぞ知る〉こと。


 しかしそれがなければ、今頃デザストを助けられず、毒で死んでいた。そしてオーマも、応急処置が間に合わずに死んでいた。


 そのことを振り返って、マガツはグレアの顔を見つめると、ゆっくりと口を開けた。


「……お前のレイピア、凄かったぞ」


「……?」


「フェンシングの世界大会でも、あれほどのモンは見たことねえ。お陰で、良くも悪くもいい勉強になった」


「フェンシング……? なんだか知らないが……このオレ様を、笑うのか……?」


「いいや、そんなんじゃあねえよ。ただ、姑息すぎて勿体ねえと思った。それだけだ」


 言って、マガツは後ろを振り返る。そこには、グレアの敗北に動揺する兵士達の姿があった。


 その殆どが「あの最強のグレア団長が負けた」と認められず、顔を見合わせている。


「アイツら、お前の部下だろ? それにあの驚き様、相当実力を信頼されてんだな」


「……何が……言いたい……!」


「アンタは強い、少なくともその実力があったから、お前は『団長』となって、アイツらの憧れの的になった。そうじゃあねえのかい?」


 マガツの言葉に、グレアは息を呑んだ。マガツは続ける。


「毒なんかに頼らなくたって、十分に凄ぇって話だ。俺の身体が頑丈じゃあなけりゃあ、とっくの昔に死んでただろうな」


 言うとマガツは立ち上がり、大きな背中を見せつけた。


 グレアはその大きな背中をじっと見つめ、大きく息を吸い込むと、


「貴様……貴様は一体、何者なんだ……マガツ=V=ブランク!」


 掠れてしまった喉から、最後の力を振り絞るようにして叫んだ。


 その問いに、マガツは歩みを止めると、ニヤリと笑ってグレアの方を向き直る。


 そして、スーッと深呼吸をして、名乗りを上げた。


「俺の名はマガツ=V=ブランク。ブランク帝国の新たな魔王にして、この世界を支配する者。その名を、敗北の味と共に覚えておくがよい」


 マガツの思う今世紀最大の格好良さを表現した名乗り口上だった。


 グレアはその言葉を噛みしめるように唇を噛み、やがて気絶した。


「グレア団長――――!」


 刹那、見守っていた兵士達は彼の名を叫び、一斉に向かっていった。マガツは彼らの声を背に、歩みを進める。


「……いい仲間がいるもんだな。大切にしろよ、グレア『団長』」


 最後に、気絶したグレアに言葉を遺し、マガツは帝国へと歩みを進める。


 漢として、一人の戦士として。白目を剝いた無様な姿を、あえて拝まないように。


 

 ***



 それからのこと。グレアは意識の残っていた兵士達によって、他の負傷兵と共にヨルズ帝国へと帰った。


 そしてオーマとデザストは、無事アヤカシ族の男達によって保護され、ブランク帝国へと帰還した。


 ざわつく西門前では、待っていたレイメイ達医療班によるアヤカシ族達の治療が始まり、彼らの素早い治療によって、ほぼ全員が元気を取り戻していった。


「全く、君達というのは何故こうも無茶をするのかねえ! 今回は無事に帰って来れたからいいが、普通は死んでいるからな! なあ、聞いてるのか仮面クン!」


「は、はぃ……返す言葉もありませぬぅ……」


 マガツと共に、無茶をして帝国を飛び出したオーマは、レイメイからのお叱りを受けて縮こまっていた。


 車椅子のようなものに座らされ、小柄な青髪の少女にガミガミと叱られるその姿は、なんとなくシュールな光景に見える。


 そんな中、デザストは槍をじっと見つめ、纏められた瓦礫を椅子代わりにして、ある人物の返りを待っていた。


「デザスト! 無事でよかったなの……」


「シャトラお嬢様! ああ、お嬢様、ありがとうございます……」


「デザスト、どうしたなの?」


「実は……」


 デザストの心の中には、未だにモヤがかかっていた。それはグレアの展開していた濃霧のように深く、全く先の見えない悩み。


 そのモヤモヤは、マガツから受け取った槍を見つめる度に、段々と濃くなっていく。


「どうしたんだ、デザスト?」


 と、その時。背後から何者かが声をかけてきた。気さくな声だった。


 後ろを振り返ると、そこには笑顔のマガツがいた。


 マガツはいたずらに笑っている。しかしその身体はボロボロで、この世界に来る前から着たきりだった戦闘員スーツも、ビリビリに破けていた。むしろ、死んでいなければおかしいくらいである。


 だがマガツの帰還に、その場に居た国民全員が喜び、アヤカシ族の男達は嬉しさのあまり叫ぶ。


「おどれらぁ! 今日のMVP様のご帰還だぞぉぉぉぉぉ!」


 その声に続いて、次々と声が上がり、やがてお祭りのようなどんちゃん騒ぎとなる。


 オーマはその騒ぎに便乗し、レイメイの説教から抜け出し、マガツの方へ車椅子を前進させた。


「マガツ殿ォ! どこに行っていたのでございますかァ!」


「うおっ、オーマお前、大丈夫なのかそれ……」


「大丈夫なワケがあるか、重症患者を戦場に連れて行きやがって! お陰で仮面クンはこのあと二週間の療養生活だぞ! こんな帝国の危機的状況だって時にお前らは――」


 オーマとの会話に割って入り、レイメイはマガツをも巻き込んで叱る。


 ガミガミガミガミと、要約すると「無理な真似はするなボケナス」というお説教である。そうして、一通り説教をし終えると、小さくため息を吐き、口角を上げて見せた。


「でも君達はとても面白い。反省していると言うのなら、今度その身体を実験に使わせてくれたまえ」


「そ、それは……遠慮致しま――」


「ああ、約束だ! 毒でも何でも、皿ごと喰らってやらぁ!」


「えええええええっ!? まま、マガツ殿ォ!」


 と、即決で豪語して、マガツは笑う。


 その三人の愉快な会話を聞き、シャトラは「ふふっ」と静かに笑みを溢した。それに釣られて、デザストも俯いて笑う。


 数秒の間を追いて、決心が付いたデザストは立ち上がり、マガツの前に立った。


「マガツ……様」


「お、おう。何だ、デザスト?」


 再び沈黙が走る。するとデザストは恥ずかしそうに頬を赤らめながら、しかし嬉しそうな表情をして言った、


「助けに来てくれて、嬉しかった……ですわ。ありがとう」


 デザストのその言葉に、マガツも頬を赤らめる。


「べ、べべ、別に俺は大したことなんかしてねえよ」


「ほほぉう。キミ、もしかして結構褒められ慣れていないんだなぁ?」


「バカッ、レイメイお前! ちょっと黙ってろ!」


 ひょっこりと現れたレイメイの頭をぐぐっと押し込んで、マガツは背を向けて言った。


「……無事で本当によかった。まだ至らねえ魔王見習いだが、そんな俺でもよかったら、一緒に来てくれねえか――」


 すーっと、深く息を吸い、マガツはデザストに顔を向け、右拳を出した。



「オッサンが目指した、理想の未来って奴に!」



 刹那、デザストはぽかんと口を開け、硬直した。そして少し経ってから、


「ぷぷっ。ふふふっ」


「?」


「アハハ! 何を言い出すのかと思ったら、それで上手いこと言ったつもりですの? あー面白い! 理想の未来ですって! ねえ、お嬢様!」


 デザストは笑った。大笑い、完全に彼女の笑いのツボに入ってしまったらしい。


 そのせいで、マガツの考えていた〈カッコイイ俺〉の像はガラガラと音を立てて崩れ去った。


 やがて笑い終えたデザストは、目に浮かんだ涙を拭い、しかしまだ「ぶふっ」と思い出し笑いをしながら、マガツの右拳を、同じく右手で包み込んだ。


「おっと?」


「それでは、これから先代の遺したお仕事を全てやる覚悟がおありと見て、いいのですわね?」


「あ、ああっ! 男に二言はねえッ! どんな仕事も、帝国のためならやってやるぜェ!」


 そう言った次の瞬間だった。


 ――ぐぎゅるるるる……。


 マガツ達の間に、腹の鳴る音が響き渡った。しかしそれはマガツでも、デザストのものでもなかった。


「……ごめん、それシャトラなの」


 腹の虫の主は、シャトラだった。するとまた、


 ――ぐぅぅぅぅ……


 ――グララララ……


 ――ドロドロドロ……


 後半は何だか不思議な音だったが、続々と腹の虫が共鳴し始める。


 その瞬間、マガツは思い出した。


(そうだっ! 今回の件ですっかり忘れてた! 俺、食糧不足解消のために、ベヒーモス狩りに行ってたんだった! やべぇぇぇ、しかも肉の解体作業とかもまだじゃあねえかよぉ!)


 更に、ヨルズ帝国からの襲撃事件で慌てていたがために、まともな食事も採れていなかった。


 しかしその時、頭を抱えるマガツの肩に、ぽんと手が置かれた。


 その手は男のものか、とても大きく固く、逞しいものだった。


「兄ちゃん、心配は要らねえぜ」


 振り返ると、そこにはアヤカシ族の男がいた。


 手を置いた男は白髪と黒髪が混じった髪色で、人間でいう50代半ばのような印象を受けた。


 その奥にいるのも、白と黒が入り交じったような髪をオールバックにした男。更にその奥には、オーマよりも年上であろう、30代ほどの若い男達がベヒーモスの肉を持って立っていた。


 彼らの顔は、桃太郎なんかに出てくる鬼のように厳つく、一見怖い印象を抱く。しかしよく見れば、ただ笑顔が下手なだけか、口元はとても楽しそうに笑っている。


「お、叔父貴殿! この肉は一体……?」


 オーマが訊くと、白髪のアヤカシ族はニカッと眩しい笑みを浮かべながら説明した。


「お前さん達が、ヨルズ帝国の騎士団とドンパチしちょる間に、帝国シマに残ってた野郎とウチらの女房かき集めて、祝勝会用の肉を切り分けたんだ」


「そんでまあ、無事に誰一人欠けることなく帰ってきたし、結果的にヨルズ帝国にも勝てたし!」


 アヤカシ族の青年は言う。マガツは彼らの不器用な笑顔を見つめ、けけっと静かに笑う。


「ようし! 貴様らァ、全帝国民を城の前へ集めろォ!」


 そうして、号令をかけるように大声を上げた。


「お前達のお陰で、無事にデザストを救出できたッ! そして、全員無事に、誰一人戦死することなく生きて帰って来れたッ!」


「マガツ……!」


 シャトラは呟き、じっとマガツの後ろ姿を見つめる。


「今日は我らブランク帝国の勝利を祝して、宴を始めるぞォォォォォ!」


 マガツは大きく右拳を挙げて、その場に集まっていた民衆達に宣言する。


 次の瞬間、アヤカシ族の男達はうおおおお! と、彼に負けない声を挙げて叫んだ。

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