第15話 五里霧中の血戦 -弐-
「《
「その能力……ッ! まさかお前も――」
「ここからはオレ様のターンだ。もっとも、貴様には二度と攻撃させる隙は与えないがなァ」
どこからともなく、グレアの声が聞こえてくる。
西か。そう思って振り返るが、白い世界が広がっている。
此度は東か。そう思って振り返るも、白い世界が広がっている。ただそれだけ。
「シャトラ、奴の状況は――」
マガツは耳を澄ませ、シャトラからの指示を仰ぐ。
しかし――
『――ない、全く――――なの!』
まるで濃霧の中に妨害電波が張り巡らされているように、シャトラの声に雑音が混じる。
しかもそれだけではなかった。
「シャトラのフィールドも、霧がかかって何も見えないなの!」
城に残って軍指揮をしていたシャトラ。彼女の前に広がる大型のチェスボードの上には、モヤモヤとした曇り雲のようなものが浮かんでいた。
「シャトラの《
シャトラの固有能力の一つ、《絶対的領域》。戦場を擬似的にレクシオン――チェスに置き換え、味方に的確な指示を送る能力。
レクシオンを極めた彼女だからこそ、何十人、何百人単位で指示を出すことができる能力。
グレアの兵士とアヤカシ族達は白と黒のポーンで。オーマは黒のビショップ、デザストは黒のクイーン、そして両陣営の大将であるマガツとグレアは、白と黒のキングで表示されている。
しかし、一対のキングは突如として上がった霧の中に姿を隠している。
払おうとしても、その霧はホログラム映像のように、シャトラの手をすり抜けていくだけだった。
***
場面は戻り、濃霧の中。
「クソッ……こんなことなら剣くらい持ってくれば良かったか……いや――」
どこから来るか分からない。グレアは毒とレイピアを持っている。
拳一つで対処できると思っていたマガツにとって、それはとてつもないミスだった。
「貴様には最早、オレの姿すら拝ませない――」
耳元で囁くように言い、西側から斬撃を受ける。
咄嗟に西側へ拳を叩き込むが、グレアは既に消えており、放った拳は地面へと飛んでいく。
砂埃が舞い上がる。
「無駄だ。貴様の死は確定事項――」
続いて南側――背中を斬りつけられる。振り返り、今度はもう片方の拳を打ち込む。しかし、それはただ地面を殴るだけで終わり、再び砂埃が舞い上がる。
だがその時、一瞬だけグレアの真っ赤な頭髪が見えた気がした。
「そこだ――」
「諦めろ、貴様の負けだ」
次の瞬間、首にレイピアが突き刺さる。
いつの間に毒を塗り直したのか、レイピアに貫かれた箇所から全身にかけて、じわじわと身体が麻痺していく。
グレアは勝ちを確信したようにニヤリと笑い、自然と笑い出す。
「ガハハハハッ! 口ほどにもなかったなァ、マガツ=V=ブランクッ! 今度こそ、貴様もッ、帝国も、全部お仕舞いだァァァァァァァァァァッ!」
濃霧の中で、グレアの邪悪な笑い声がこだまする。
その声は濃霧の外にも届き、やがてその喜びの声は、オーマ達の耳にも届いた。
「そんな……マガツ殿が……っ!?」
「嘘、アイツ、どうして……私なんか助けようとしたから……!」
マガツがやられた。信じがたいことだった。
しかし、折角救出したデザストを再び戦場へ連れ戻すことを、マガツは求めていない。
まして、オーマがマガツを助けに向かうことも、マガツは求めていない。いや、体力的に無茶をして出て来たオーマに、今更助けに戻るほどの体力は残っていなかった。
「マガツ殿……すみませぬ――」
己の不甲斐なさ、非力さ、力不足。己の弱さを憎みながら、オーマはデザストと共に帝国へと急ぐ。
と、その時だった。
「――捕まえた」
濃霧の中、痺れて動けない筈のマガツが動いた。
気が付くとマガツの手はグレアの頭を掴み、逃げないようにガッチリと、両手で力強く抑え込む。
「な――何っ!? 貴様――」
「どんなとんでもビックリ技が飛んでくるかと思えば、煙に巻いて姑息に斬りつけるだけ。芸があったのは、霧の領域を展開した時だけか」
「なにっ、貴様――」
「それに、トドメはこの前と同じ毒レイピア……もう少し、冷静になって考えた方が良かったんじゃあないか、グレア?」
マガツは言葉を紡ぎ、グレアに言った。
「『なぜ即死級の劇毒を受けた男が、こうして目の前に現れたのか』、考えればすぐに分かることだろう?」
「――――っ!?」
刹那、グレアは自身の失態に気付いた。その失態が今、自分の首を絞めた、と。
「まさかお前、毒に耐性をッ!」
「そんなところだな。しかしまあ、優秀な医者がいなければ俺は死んでいたがな」
マガツは呟き、窮地を救ってくれた友――レイメイのことを思い出す。そして、彼と巡り合わせてくれたシャトラのことも、思い出す。
もしあの時、シャトラがレイメイに助けを依頼していなければ。
もし、レイメイがそれを断っていたら。
今頃、自分は死んでいただろう、と。
そうして繋いできたものが、デザスト救出作戦を成功へと導いた。自分だけの力では絶対になし得なかったことを、達成することができた。
オーマ、シャトラ、レイメイ、そしてデザスト。アヤカシ族の漢達。
皆のことを思い、マガツは自信に満ちた表情をグレアに見せた。
「さて、あえて言わせて貰おうか。“ここからは、俺のターンだ”、と」
次の瞬間、マガツは地面を蹴り上げ、グレアと共に濃霧から脱出した。
その光景に、戦場にいた全員が驚き、空を見上げる。
「ま、マガツ殿……」
「マガツ……あなたって人は……!」
そして更に、シャトラの観測していたチェスボードの上でも、一対のキングが同じように濃霧から飛び出していた。
『マガツ……よかったなの……』
「何故だッ! あの霧の中で、俺は無敵な筈ッ! 『あの方』から受け取った力は最強……なのに――」
形成を逆転させられたグレアは混乱していた。無理もないことだった。
グレアの能力はその名の通り『霧』。霧に呑み込まれたが最期、敵はグレアを捉えることも、為す術もなくやられてしまう。しかしマガツはそれを破った。
理解の追い付かないグレアに、マガツは説明する。
「霧は細かい水滴の集合体。土埃なり砂なり、異物がそこに加われば水滴は土に吸われてしまう」
そして、グレアの頭を掴んだ手に目線を落とし、あえて質問した。
「貴様の頭を掴んだこの両手、地面を殴ったこの手には、何が残っている?」
「ま、まさか貴様――」
次の瞬間、マガツは彼の言葉を遮るように手を離した。グレアは絶望の表情をマガツに向けながら、地面に向かって落ちていく。
そして、マガツは宙に人差し指を立て、指先に魔力を集中させる。
「安心しろ。殺さないよう、手加減はしてやる。だが――」
指先に集まった魔力は渦を巻き、雪だるまのように大きな球体へと成長していく。
黒く、禍々しいそれは、まるで“黒い太陽”のように、闇の輝きを放っている。
そして――
「オーマとデザストを苦しめた罪――その身をもって償うがよいッ!」
そう言うと、マガツは溜め込んだ魔力の渦を凝縮させ、右手でそっと、優しく包み込む。
次に、魔力を包み込んだ右手を構え、拳銃の形を作る。その銃口にあたる人差し指と中指をグレアへと向けると、マガツは呪文を唱えた。
「――――
マガツの銃口――指先から、黒い閃光が走る。それは光の速さでグレアを貫き、次の瞬間、グレアを中心にして大爆発を巻き起こした。
それはビッグバンを起こした恒星のように、そして周囲のものを見境なく呑み込むブラックホールのように、朝陽に照らされた平原ごと飲み込んでいく。
やがてその暗闇はマガツやオーマ、デザスト達をも呑み込んで、暴風を巻き起こす。
「なんと……」
「あれが、マガツの力……」
戦場にいた全ての人が、その光景に言葉を失った。
空には無数の星が輝き、地面を抉るような勢いで爆風が吹き荒れる。
雲は『霄啼』の巻き起こした爆発によって吹き飛ばされ、より美しい〈朝の星空〉を見せつける。
朝と夜、太陽と月、天照大神と月夜見尊。絶対に交わることのない、矛盾した二つの世界。それが今、ここに再び相まみえた。
しかしグレアは、その神秘的な星空の下、声にならない悲鳴を挙げる。
「■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」
『霄啼』。それはマガツが編み出した
極限まで発現させた魔力を一点に凝縮し、掌からレーザー光線のようにして放出する。そして、対象の肉体を貫いたと同時に、凝縮された魔力は炸裂し、自身が受けた苦痛を『七倍』に増幅させて相手へ返還する。
その苦痛はたった一瞬。しかし、対象の脳内時間では一年の苦痛体験となる。グレアの場合、マガツに与えた劇毒の苦痛、そしてレイピアで受けた刺し傷の痛みが、七倍の復讐として襲いかかっていた。
全身が焼け爛れるような痛みに始まり、強力な酸を飲まされ、意識があるまま腸を抉られ、そこへ千本の針が止めどなく突き刺さる。そんな地獄のような苦痛が、グレアを襲う。
苦しい。いっそ死んで楽になりたい、殺してくれ。何度もそう心の中で懇願しても、死ぬことはない。
一瞬。たったその一瞬で、一年分の苦痛を味わう。その間、逃げることも、死ぬことも許されない。ただただ、全身に駆け巡る『死』よりも惨く恐ろしい苦痛を、耐え忍ぶしかない。
それが――グレアがオーマに与えた苦痛、その『七倍』の報復だった。
「これが、俺達からの餞別だ。じっくりと味わっておくがいい」
「ぐ、ぐぎゃああああああああああああああァァァァァァァァァッッッッッ!!!!!」
やがて辺りを飲み込んでいた暗闇はグレアのもとへ戻り、平原には再び朝陽が差し込んだ。
戦場となった平原の上空。静寂に包まれた青空の下、グレアは地面へと墜ちていく
それは皮肉にも、蝋の羽根を失ったイカロスのように、とても儚く、不思議と美しささえ覚えるような散り様だったという。
【ヨルズ帝国聖騎士団『団長』 グレア・フォースタス】 ・・・敗北
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