第8話 漢たるもの

「く、来るな……っ! 来るんじゃあないッ!」


 ヨーブ山脈のはずれ。火炎旋風の巻き起こった現場に、負傷したオーマはいた。


 そんなオーマの前には、マガツ達が討伐した個体よりも更に大きなベヒーモスが、鼻息を荒くしている。


「やめろっ! この子供は関係ないはずだッ!」


 オーマは必死に説得を試みるが、しかし、ベヒーモスに彼の言葉は通じなかった。

 

 彼の背後を見ると、そこには額から血を流し、ガタガタと怯える人間の少年の姿があった。


 そう。オーマはその人間の少年を守るため、ベヒーモスの前に立っていたのだ。


「やるのなら、某は容赦せぬぞ! こ、このアヤカシ族きっての武士、オーマが相手であるぞッ!」


 オーマはそう叫びながら、刀を構える。


 しかし、ベヒーモスは幼体でも強力な魔物。それの何十倍と大きなベヒーモスを前に、オーマが敵う筈もなかった。


 それでも、オーマは震える足を必死に堪え、仮面の奥から鋭い視線を向ける。


「来いッ! ベヒーモスッ!」


 次の瞬間、ベヒーモスは口から激しい風と共に、炎を吐いた。


 炎魔法と風魔法。その二つは左右から合体するように合わさり、火炎旋風となる。


 オーマはそれに巻き込まれ、風に全身を引っ張られ、熱気に身体を焼かれる。


 その苦しみは、想像を絶するものであった。


「ぐぎゃあああああっ!」


 やがて火炎旋風は勢いを弱めていき、上空へ吹き飛ばされたオーマが落ちてくる。

 

 ドキュッ。骨が折れるような、命ある肉塊が落ちてくるような、鈍い音。


 その耳にするだけで吐き気を催すような音に、オーマは命の危機を知覚する。


「お、お兄ちゃんっ!」


「近付くんじゃあねえ、少年ッ! 某に殺されたくなかったらなぁ……っ!」


 慌てて駆け寄る少年に厳しく言い放つ。そうでもしなければ、自分はまだしも、少年まで犠牲になってしまうから。


「でもお兄ちゃん、お面が……それに、血まで……」


「某のことはどうだっていいっ! 某はアヤカシ、貴殿のような子ども一匹、平気で喰らう者ぞ……?」


「でも……」


「いいから逃げろ、小僧ッ! 某のことなど、見なかったことにするのだッ!」


 喉から溢れ出す錆鉄味の血を吐き出すように、オーマは叫ぶ。


 がしかし、そうしている間に、ベヒーモスは後ろ足で地面を蹴る。その視線の先、ロックオンしたのは言わずもがな、オーマと人間の子供。


 それに気付いた少年は、悔しそうに顔をぎゅっとしかめ、やがてオーマから離れていった。


(これで、これでいい。憎き人間だとしても、マガツ殿が守りたいと願っていた命を守ったのだ。武士として、漢として、守るべきものを守った。これで、これでいい)


 じきに某は死ぬ。オーマはそう、全てを諦めかけていた。


 ドスドス、ドスドスと、ベヒーモスが突進してくる音を、衝撃を、揺れる地面から感じ取る。


 その度に、段々と死への恐怖が増していく。


「い、嫌だ……!」


 錆鉄味に包まれた喉から、唐突に本音が漏れる。


「まだ……デザ嬢とも、しっかりお話もできずに死ぬなど……そんなの……」


 嫌だ。しかしその願いは、無情にも踏み潰されてしまう。


 ――と、その時だった。


「どらぁぁぁぁぁぁッ!」


 オーマを突き上げようと、ベヒーモスが頭を少し下げた瞬間、目の前に黒い影が現れた。


 その影はベヒーモスの真ん中の角を抑え、雄叫びを上げながら必死にベヒーモスを押し返す。


「ったく、テメェなに勝手に死のうとしやがって! こんな所で、終わるつもりかぁッ!」


「ま……マガツ、殿……!? どうして――」


「さあなぁッ! テメェが子ども助けたのと、多分同じ理由だッ!」


 マガツは言いながら、ベヒーモスを押し返す。がしかし、ベヒーモスもマガツのことを押す。


 それでも負けじと、マガツは押し返す。だが、激しく掛かった重圧に、マガツの内蔵が限界を迎えて破裂する。


 その度に口から血が漏れ、呼吸に空気の抜けた風船のような音が混じる。


「マガツ殿、そうまでして……何故某を……!?」


「言ったはずだッ! この狩りで死ぬことは、この俺が許さんとッ!」


 そう言うと、マガツは獣のような激しい雄叫びを挙げ、ベヒーモスを持ち上げ、そして北西側へ向かって放り投げた。


「ま、マガツ殿……」


「……それに、お前だって死んでも死にきれねえだろ。デザストと結ばれずに、死んじまったらよぉ」


「あっ……」


 図星だった。


 オーマはデザストに恋をしていた。しかしそれはただの片思い、まだデートはおろか、まともに会話をしたこともなかった。


 それが無念として遺れば、死んでも死に切れなかっただろう、と。オーマは思った。


 その無念が、死のうとしていたオーマの心に「生きたい」という想いの炎を灯した。


「約束する。俺がデザストとお前を繋ぐ架け橋になってやる。その後、奴にアタックするか撤退するかはテメェが考えろ。だから、死ぬな」


「……マガツ殿、貴方というお方は……」


「俺はただの、ぽっと出の魔王見習いだ。お前ら民の信頼なしには、まだ魔王は名乗れないんでなぁ」


 カッコ付けた風に、マガツはキメ顔でそう言った。


 その今のマガツには似合わないキメ顔に、ついオーマは吹き出した。


「あっ! お前今笑ったな!?」


「だ、だってマガツ殿、そんな急にカッコ付けられたら……」


「ったくぅ、これじゃあ魔王としての面子が……だが、アリだなそれ」


 言うとマガツは、投げ飛ばしたベヒーモスの方を向きながら、ニヤリと笑みを浮かべながら、言葉を続けた。


「最も身近な魔王様、一つくらいそんな王様のいる国ってーのも悪くねえと思わないか?」


「アリであるな。マガツ殿」


 二人はニヤリと笑みを浮かべ、それぞれ武器を構える。


 その様はまるで、心を通わせた兄弟、或いは同じ志を持った相棒のように、強く強固な縁を結んだ者達のようだった。


「いいかオーマ、今度は俺が奴を引き付け、できるだけ弱らせる。オーマはそこを、テメェなりの全力でぶった斬れ」


「うむ! 心得たッ!」


「自信満々ってところか。いいなぁ、アンタみたいな奴、嫌いじゃあないぜ。準備はいいか?」


「漢たるもの、二言などないッ! 某はできておるぞっ!」


「右に同じく、俺も出来たぜ、最大にして最強にして、〈最恐〉の覚悟をなァ!」


 マガツは言った次の瞬間、ベヒーモスは突進を繰り出した。


 それに続いて、マガツも突撃を開始する。


 互いに走り出す。その速さに僅差はない。だが少しだけ、マガツの方が速かった。


 巨体と細身の鍛え上げられた身体、そして戦闘員として底上げされた戦闘力。それが、ベヒーモスの速度に勝るだけの力を出した。


 やがてベヒーモスとマガツが衝突する。その直前、マガツはひらりと真ん中の角を避け、その角の上に乗った。


「ががががががががっ!」


 ベヒーモスの速さに、顔面に風が衝突する。それは口や鼻、目の隙間に入り、内側から肉を震わせる。


 それにより、マガツの表情が崩壊する。


「マガツ殿ッ!」


「なんの、これし、きィ!」


 今にも吹き飛ばされそうになりながらも、マガツは両手に魔力を溜め、叫びながら解放した。


「《神鳴かみなり火雷ほのいかづち》ッ!」


 魔力は電撃となり、まるで神の怒りを思わせるほどの雷に、ベヒーモスの肉体が痺れ、焼けていく。


 しかしそれでもベヒーモスは走り続ける。それどころか、凄まじい威力の電撃は、巡り巡って、マガツの肉体をも焦がしていく。


 髪は逆立ち、眼球に星のような光がチカチカと輝く。そして、血管という血管から、血中の鉄分やヘモグロビンが焼け焦げるような嫌な臭いを纏った煙が上がる。


「ぐ、ぐぅぅぅぁぁぁあぁぁぁ!」


 激しい痛みが、マガツを襲う。今にも死んでしまいそうなほど、気を抜けば意識が飛んでしまいそうなほどの痛みが、マガツを襲う。


 だが、その程度で死ぬほど、マガツは貧弱ではなかった。


「これくらいッ! どらぁぁぁぁぁッ!」


 耐久力∞。それは不死身というワケではないが、しかし、マガツがかつて耐え抜いてきたブラック企業での激務、悪の組織でこき使われていた時の経験が、彼の身体をより強固な、より強靱な、より強烈な耐久力が生み出した才能。


 それが彼の努力の結晶なのか、はたまたただの皮肉なのか、それは誰も知らない。だがマガツは、その耐久力に賭けた。


 ――ブルモォォォォォォォァ!


 その無茶が功を奏し、ベヒーモスは限界だと言うように、叫び声を上げた。


「オーマッ! 今だッ! トドメを刺せぇぇぇぇぇぇッ!」


「マガツ殿ッ! 今行きますぞォォォォォッ!」


 その時、オーマは思った。


 何故こうして、マガツはカチコミを、謀反を仕掛けようとした自分たちのために、命懸けで戦うのか、と。


 何故自分の魔法で身を焦がすような思いをしてまで、マガツは自分を守ってくれたのか、と。


 何故自分のためだけに、デザストと結ばれる架け橋になると約束したのか、と。


 その答えは、ただ一つ。


『大切な国民だから、それだけだ』


 マガツはそう言っていた。


 突然ブランク大帝に呼び出され、突然魔王の座を明け渡され、突然崩壊寸前のブランク帝国の再建を任された。それも、大帝を殺した種族、ニンゲンの男に。


 それをすんなりと「そうですか」と認めてくれる国民は、極めて少ない。デザストやオーマ達アヤカシ族が、その良い例だった。


 だが、それでもマガツは、国民のため、大帝が大切に思っていた国民を守るため、ただそれだけのために、初対面と言っても過言ではないようなオーマ達のために、命を張って戦っていた。


 しかしそこに、命を捨てるつもりはない。


 命を賭けて、その上で賭けに勝つ。それが、マガツという男なのだ、と。


(そうか……マガツ殿は、マガツ殿という“漢”には、必ず勝って帰るという、覚悟があるッ!)


 不格好だが、しかしその大きな背中を見て、オーマは確信した。


(彼こそ、マガツ殿こそ、某の目指すべき境地――“漢”の中の“漢”ッ! マガツ殿こそが、最大にして最強にして、〈最恐〉の武士ッ! いや、〈魔王〉ッ!)


 その時、不思議なことが起こった。


 突如、オーマの脳内にあるビジョンが浮かび上がったのだ。


 影に潜り、影を斬り敵の息の根を止める、自分のビジョン。


「これは――」


 一刹那置く間もなく、ベヒーモスは口から炎魔法と風魔法を放った。


 それは左右から合わさるようにして、火炎旋風を巻き起こす。


 しかし、オーマはその際にできた影に身を潜め、火炎旋風を回避した。


「なっ!? お前、いつの間に――!?」


 突然姿を消したオーマに、マガツは驚く。


 と、影に潜んだオーマは、次にベヒーモスの影から姿を現した。


「漢たるもの――主の命を守るため、その命を捧げるべし。但し命を捨てるべからず――!」


 呪文を唱えるように、オーマは呟きながら、刀を鞘に戻す。


 そして、目を開いた刹那、それをベヒーモスの影を睨み、抜刀した。


「某という名の災禍と出会ったことを後悔するがよい。《逢魔流奥義おうまがりゅうおうぎ影斬かげきり》ッ!」


 オーマの刃はベヒーモスの影を斬った。


 それは少しの間を置いて、首と胴体とで真っ二つになる。


 そして、その影の後を追うように、ベヒーモスの肉体にも同じ現象が起きた。


「……な、なんだよ、これ……?」


「某の最強にして最大の奥義です。その名も――逢魔流っ!」


 逢魔流、それは突如としてオーマが閃いたことで誕生した、オーマ自身の才能だった。


 影斬はその閃いた技の一つ。その言葉の通り、生物の影を斬り、敵を倒す能力。名前は今考えた。


「オーマ、お前、よくやったぞっ! やっぱりお前を信じて正解だったぜ!」


 マガツは言って、オーマの肩を叩く。


 だがその衝撃で、ヒビ割れていたオーマの仮面が外れてしまった。


「あっ」


「あっ!」


 パキンッ。もろい音を立てて、仮面は割れてしまった。


 オーマはその様子を、素顔のままじっと見つめ、硬直する。


 その姿は、眉目秀麗みもくしゅうれいという言葉がよく似合うものだった。


 キリっとした鋭い目、シュッとした顔立ち、鋭い目をより綺麗に見せる長いまつ毛。どこを取っても変わらないほどの好青年の顔が、そこにはあった。


「オーマお前……」


「わぁぁぁぁぁぁぁ! み、見ないでくださいっ! 某の顔は、とと、トップシークレットだと言うのにぃぃッ!」


「そんなことないだろ! 悔しいが、イケメンじゃないか!」


「そ、それが恥ずかしいから顔を隠していたと言うのにッ! 某、一生の不覚ッ! かくなる上はァァァァァァァ!」


「だぁぁぁぁぁぁぁ! だから早まるなァァァァァァァ!」


 突然切腹をしようとするオーマを、マガツは必死になって止めた。



 ***



 一方、その頃。ブランク帝国で留守番を任されたデザストは、ブランク大帝のやり残した資料の整理をしていた。


「はぁ。全く、突然アヤカシ族を連れて狩りに行くなど……あの男、一体何を考えているのか、困ったお人ですわ全く」


 そう愚痴りつつも、一つ、また一つと書類に目を通し、ハンコを押していく。


 と、そんな時だった。


「ほぉ、お姫様が事務仕事とは。この国も随分と余裕がないと見た」


 暗闇の奥から、男の声が響く。


「だ、誰ですの!? ここは今、私しか入れないは――」


「おっと喋るな。騒ぎを起こされると、余計な殺生をすることになる。交渉をする上で、それだと困る」


 男はデザストの口を覆い、耳元で囁くようにして言う。


 ハンカチには薬品が染みこんでいるのか、それを嗅いでしまったデザストの意識は、段々と遠のいていく。


「む、むぅ! (マガツ……どこに――)」


 デザストは暴れるが、しかし、男の力に圧倒され、眠ってしまった。


「……さて、この女を人質にすれば、上手くことが進むはずだ」


 男はデザストを抱きかかえながら、ヒヒヒと不敵な笑みを浮かべる。


「面倒事はできる限り避けたいからな。簡単に、一瞬でこの国を徹底的に潰すためには、これが一番だ。フフフ、ハハハハハ」


 笑みを漏らし、男は姿を消した。霧のように、そこからすっと気配を消して。

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