第7話 狩・猟・本・能
ブランク領・ヨーブ山脈。そこはブランク帝国より東に位置する、この世界で3番目に大きな山である。
その麓には大型の魔物、ベヒーモスが住んでいるという。
特に夜は、ベヒーモスが最も活発になる時間。そのため、付近にある国々には夜間、この区画を通行することを禁止する法律まである。
そんな危険な場所に、アヤカシ族を率いてマガツは立っていた。
「な、なあアンタ。ベヒーモスを倒すって、一体どうするってんだよオイ?」
「奴らは魔法だって使う野郎ですたい。そんな簡単に倒せる相手じゃあねえんですぜ?」
集まったアヤカシ族の男達は、口々に弱音を吐き続ける。
アヤカシ族の武器はなんといっても拳、武術に関するものが多い。武器や魔法を使う者もいるにはいるが、他の種族と比べると、そこまで強いというワケではない。
最後の晩餐がないまま死んでしまうかもしれない。
そもそも、こんな全身タイツ姿の変な男を信頼して良かったのか。
アヤカシ族達に、一抹の不安が募る。
「マガツ殿、流石にまずいでございます。このままでは、統率すら取れませぬぞ」
「そうか。だが安心しろ、オーマ。問題はない」
マガツは自信満々に言うと、アヤカシ族の方を振り返り、「ハーッハッハ!」と大笑いした。
「な、何だ何だ?」
「ハーハッハッ! よく聞けアヤカシ族の民よ!」
「あの兄ちゃん、よく笑うのぅ……」
「この先には未開の地が広がっている。我々が到達すれば、飢えも空腹も吹き飛ぶだろうッ!」
マガツの言葉に、アヤカシ族は困惑する。しかしマガツは続けて、言葉を贈る。
「想像するのだッ! 我々の力で手にした肉を、皆で仲良く喰らい、笑い合っていた日々のことをッ! 美味さに驚き、「美味しい!」と笑顔で言っていた子供達の姿をッ!」
「……そうだ。ウチのチビは、毎日飯を食い、嬉しそうに笑ってた」
「オレ達だけでねぇ。子供達の笑顔が、オレらの……」
「大帝が目指していたものッ! それは民の笑顔、そして未来ある子供達の笑顔が絶えない国を築くことッ! この俺、マガツ=V=ブランクは、大帝が目指した世界を作るために、この命を捧げると誓うッ!」
その瞬間、アヤカシ族は想像した。
自身の妻子がベヒーモスの肉を囲み、美味しいと笑顔を見せる姿を。
子供がいなくとも、大帝が統治していた時代、交流していた他種族の知り合いが喜んでいる姿を。
そして、ベヒーモスの肉という未開の味が、どんなものかを。
想像すればするほど、自然と味蕾が刺激され、涎が出てくる。
「全てはブランク帝国再興のためッ! 前線にはこの俺、マガツ=V=ブランクが立つ! そして、全ての手柄はお前達にくれてやろうッ! ハーハッハッハッ!」
マガツが笑っていると、その背後から唸り声にも似た咆哮が上がった。
耳を澄ませば、何かがドシドシと大地を踏みしめる音が聞こえてくる。
「きっ、来たぞッ! ベヒーモスだ、ベヒーモスの群れが来るぞー--ッ!」
「皆の者、耳の穴をかっぽじってよーく聞けッ! この狩りで、死ぬことはこの俺が許さないッ! 国民の笑顔のため、皆で生きて帰るのだッ!」
マガツの言葉に、アヤカシ族はうおおおおっ! と声を上げた。
先程まで不安を抱えていた男達も、今となってはマガツのペースに乗せられ、武器を掲げている。
「マガツ殿……確証はあるのですか……? 相手はベヒーモス、ニンゲン族最強の戦士でさえ苦戦を強いる強敵ですぞ?」
「言ったはずだ、オーマ。何事も、やれば出来るもんだってな。それに――」
マガツはオーマの方を向き、ニッと笑顔を見せながら言葉を紡いだ。
「折角ブランクのオッサンに拾われた命だ。そう簡単に捨てるつもりはねえよ」
「マガツ殿……!」
マガツの言葉に、オーマは憧憬の眼差しを向ける。
そして、マガツは再びその背中をアヤカシ族に見せ、武器庫から適当に持ってきた剣を取り、地平線に向けた。
「皆の者ッ! 戦闘開始だァァァァァァァァァァッ!」
やがて、地平線の向こう側から、大きな角と牙を携えた魔物が現れた。
そのシルエットは闘牛と、サイを掛け合わせたよう。全体的に大きく重量感のある身体に、相手の返り血を溜め込んでいるのかと錯覚するほどに赤黒く威圧感を放つ眼球。
極めつけは、ベヒーモスの武器であろう、槍のように鋭く尖った三本の角。
闘牛のように角庄から生えた一対のねじれ角。サイのように、鼻の位置から生えた一本の太い角。
マガツはその大きく重量感のある姿から、大型トラックを想像した。
いやしかし、大型トラックよりも明らかに大きかった。仮に大型トラックに乗り込んで突撃を仕掛けたとして、最後は三本の角に貫かれ、その重たい身体でただの鉄板へ姿を変えられてしまうだろう。
最悪、現代の軍隊が所有する兵器を以てしても、やっと幼体のベヒーモスを狩れる程度だろう。
だがマガツは、ただ一点の可能性に賭けた。勝利する、ただ、それだけに。
マガツの中の〈成功する確率〉は、最早眼中にすらなかった。
「来るぞッ! う、うおおおおおおおお!」
アヤカシ族の叫び声を合図に、マガツ達は走り出す。
――ブルモォォォォォォォァ!
地平線の先から現れたベヒーモスは、マガツの姿を見つけるや否や、激しい咆哮を上げた。
その数はおよそ7体。どれも生体と見て良いほど、肉付きの良い個体が並んでいる。
「全軍ッ! 突撃ィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!」
マガツ達は敵の咆哮に負けまいと、雄叫びを挙げながら突撃した。
早速、ベヒーモスはその眼にマガツを捉え、鋭い角の先を向けながら突進する。
「バカめッ!」
マガツも真っ向から突撃し、角が突き刺さる直前、右に避けた。
そして、この時生じた勢いを剣に乗せ、ベヒーモスの右目を貫いた。
――ブルモォォォォォォォァ!
目を潰されたベヒーモスは、痛みと突然視力を奪われた恐怖から、訳も分からず他のベヒーモスの方向へ突進する。
次の瞬間、目を潰されたベヒーモスは他のベヒーモスと衝突した。
三本の角が大きな胴体に突き刺さり、痛みの悲鳴にも似た咆哮を上げる。
「す、すげぇ……アイツ、あんな一瞬で二体も……!」
「こうしちゃいられねぇ! マガツの兄ちゃんに続けぇッ!」
マガツの凄まじい快進撃に心を打たれたアヤカシ族は、負傷したベヒーモスを囲み、武器を振りかざす。
槍で突き、急所にドスを突き立て、やがてベヒーモスは息絶える。
しかし、一体の息の根を止めるのに要した時間はおよそ20分。
仲間の角に貫かれていてもなお、そこまで生きていた。仮にアヤカシ族の力だけで戦っていた場合、それの4倍ほどの時間を要しただろう。
それどころか、まず全滅することも必至だっただろう。
「いいかッ! ベヒーモスは全てこの俺が惹きつけるッ! 貴様らは弱ったベヒーモスを叩けッ!」
マガツは叫びながら、次々とベヒーモスの掃討に向かった。
「コイツも試してみよう。《
八十禍津日神の魔法の一つ、迎怪之掌。
物の怪――この場合ベヒーモスを、身の毛もよだつ魔力のフェロモンで呼び寄せる、マガツだけが持つ禁断の魔法。名前は今考えた。
マガツは合掌をするように両手の平を合わせ、地面に半径50メートル程度の魔力の結界を張る。
そこにはマガツ自身、背筋がゾワゾワとしてしまうほど悍ましい“何か”の気配があった。
しかしその恐ろしくも、どこか惹かれてしまう気配に、ベヒーモスはマガツの方を振り返る。
(来たッ! 後はある程度弱らせればそれでいい)
次第にマガツの周りには残った四体ほどのベヒーモスが集まり、中心に立つマガツを捉え、突進の準備を始めた。
しかしそれが、マガツの罠であったと気付いた頃には、もう遅かった。
「《八十禍津日神・
唱えた次の瞬間、魔力の結界は刀身のような姿となり、地面からベヒーモスの胴体を突き上げた。
その様はまるで、無数の針を携えたハリネズミの背中、いや、針山地獄のようだった。
「今だッ! たたみ掛けろッ!」
弱ったベヒーモスたちの隙を突き、マガツはアヤカシ族に指示をした。
***
倒したベヒーモスを前に、アヤカシ族の男達は呆気にとられていた。
どうやら、心のどこかで勝てないと思っていたのだろう。
しかし勝利した。その超低確率と言っても過言ではない勝利を掴んだのだ。
「これで、ざっと7体ですな。まさか、こんな簡単に倒せるとは……」
「いや、これも全ては皆の力があってこそだ。今の俺の力では、弱らせるだけで精一杯だった」
呆気にとられるアカヤシ族たちに、マガツは言った。
実際、マガツ一人でも、7体全てを一人で倒すことは困難に等しかった。
何故なら、マガツの魔法はまだ未完成、不完全であったから。
大帝から直々に継承した《伊弉冉神》と《伊邪那岐神》、そして彼が元々持っていた魔法の才能。それらを得たとしても、元は魔法の「ま」の字すら存在しない世界の住人。
更に、彼のユニークスキル《八十禍津日神》は、マガツのみが持つスキル。それを開拓するのは自分自身、マガツしかいないのだ。
(あの鍼鼠だって、ついさっきイメージして考えた技。それでも気持ち半分削った程度だった。能力的には、まだまだ、オッサンの本気には届かねぇ……)
政治や統率力だけではなく、純粋な力も、今のマガツには必要不可欠だった。
「兄ちゃん……いや、マガツ様と呼ぶべきか。貴方様は一体……?」
「ん? ああ、ただの魔王だよ。今は見習いだが……ん?」
マガツは振り返り、笑顔で言う。
がしかし、彼は集まったアヤカシ族を見て、違和感を覚えた。
「ど、どうしたんじゃ?」
「兄ちゃん? なあ、兄ちゃんってば?」
老いた者に、勇気ある若者、おおよそ100人ほど集まっているアヤカシ族の中で、最も目立っていた男の姿がなかった。
あの独特な台詞回しをする男の姿がなかった。
マガツ様。兄ちゃん。アンタ。
――マガツ“殿”。
「なあ、お前達。オーマは、仮面をしたアヤカシ族の青年は、どこに行った?」
そう、オーマがいなかったのだ。
嫌な予感がした。マガツは、恐る恐る男達に訊く。しかし、
「オーマ? うーん、見てねえなあ」
「そういや、アイツ途中から姿が見えなくなっちまったな……」
男達は顔を見合わせ、口々に言い合う。そして出た結論は「知らん」。
どこに行ったのか、どこで消えたのか、その他一切不明。
行方不明。それが答えだった。
「何っ……!?」
マガツの額に、嫌な汗がしたたり落ちる。
(まさか……あの時、鍼鼠を使った時に、巻き込まれた……? いや、それはあり得ない。もしそうなら誰かはオーマのことに気付くはずだ)
なら何故いない? オーマはどこに居るんだ?
焦りと同時に必死に思考を巡らせていたその時、地平線の奥で火炎旋風が巻き起こった。
「何だっ!?」
「まさか……! あそこにッ!?」
こうしてはいられなくなり、マガツは駆け出した。
「お、おい兄ちゃんっ! どこに行くんだーっ!」
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