第4話 最・終・局・面

 第4ラウンド開始と同時に、マガツはポーンを動かす。


 続けて、シャトラも駒を動かしていく。


 戦況は最初の頃とは打って変わって、押し押されのせめぎ合いの激戦になっていた。


「なかなかやるなの。でも、チェック」


 ナイトの駒は味方の上を飛び上がり、キングを追い詰める。

 

 しかしマガツは、プロポーション(昇格・成ると同意)により変身させたビショップをスライドさせ、ナイトを奪い去る。


「どうだッ! 俺は今、闘いの中で成長しているぞッ!」


「うるさい。ちょっと黙るなの」


 一々うるさく叫ぶマガツに言葉のナイフを投げつつ、シャトラは再び動き出す。


「チェックなの」


「なんの、チェック返しッ!」


「チェック」


「ならばこちらは貴様を喰らうッ!」


 チェックをしてはチェックを返し、近くに来た駒は喰らう。


 そんな試合が続くうちに、突然シャトラの手が止まる。


「あっ。ステイルメイト、やり直しなの」


「すている、めいと?」


「どっちも動けない、チェックメイトできなくなったなの。だから、引き分け。やり直しなの」


 ステイルメイト。それは盤上にキングのみ、若しくは片方がキングとビショップ、或いはナイトのみとなり、チェックメイトができなくなった時に起こるルールである。

 

 これが起こった場合、引き分けとなり、やり直しをしなければならないのだ。


(シャトラが、引き分けになったなの? こんなこと、お父様以来初めてなの……)


「ならば仕切り直しだ。次こそはシャトラ、貴様のキングの首を頂くッ!」


 そうして、続けて第四回戦をもう一度やり直す。


 シャトラは完璧に計算し尽くした手でマガツを攻め込み、マガツは行き当たりばったりながらも、しかし的確な一手でシャトラの軍を減らしていく。


 そして、二度目の第四回戦もまた、


「ステイルメイト、か……。やり直しだッ!」


 仕切り直し。


 再び両陣営は横二列に軍を成し、敵将の首を取るために進撃を開始する。


 その闘いの中で、マガツはチェスを学習し、ついにはシャトラの持つ配下達を全て倒すまでに至る。


 しかし、


「やり直しなの」


「チッ、またやり直しか!」


 ステイルメイト。


「ま、またなの。仕切り直し」


 ステイルメイト。


「おのれっ、またこれかッ!」


 追い詰めては、ステイルメイト。


 追い詰められては、ステイルメイト。


 二人の闘いは混沌を極め、やがて無限に続く第四回戦は二人も数えるのが面倒になるほど仕切り直すこととなった。


 ***


 そしてその第四回戦が続いてから、三日が経過した。


(あれからどれくらい経った? シャトラはまだしも、流石の俺でももう三日は限界だ……)


「お嬢様~! 未処理の資料を持って参りました!」


 玉座の間に、デザストが戻ってくる。


 彼女は塔のように積み上げられた資料を器用に片手で持ちつつ、笑顔でシャトラに報告をする。


 だが、彼女の声がシャトラに耳に入ることはなかった。


「嘘、まだやっているのですか!?」


 それほど過剰に、二人は集中していた。


 マガツは1勝でも勝ちを取り、シャトラに魔王として認めて貰うために。


 シャトラは、久々の強敵に心を躍らせて。


「ああくそっ! また仕切り直しかッ! ぐぁっ」


 マガツも既に限界を迎え、眠りの神が深い夢の世界へと誘い始める。


 だが寸前のところで瞼に力を入れ、ポーンを動かす。


「マガツ……まだやるなの?」


「ああ……っ! 嬢ちゃんに勝たねぇと、俺の後がないんでなぁ……!」


 マガツは言って、シャトラのターンを待つ。


 そんなマガツの様子に、デザストは震えた。


(人間族は飲食、ましてや睡眠を三日も摂らなければ死んでしまう生物の筈。なのにこの男……まだ、耐えている……ッ!?)


 マガツの身体は痩せ細り、目の下には大きなクマが現れ、度々ガクンと大きく船を漕ぐ。


 しかしマガツは、そんな状態でもなお、雷のような速さで思考し、駒を動かす。


(くそっ、ガチで眠い……。けど、こんなもん、新卒クソブラック時代と比べりゃあ……)


 マガツは過去の7徹、水と塩のみの生活を思い出し、燃え上がっていた。


 その気分はまさにハイ、今にでも髪が逆立って金色に輝くような気がするほど。


 彼の辞書には最早『限界』という二文字は消え去っていた。


「速い……! マガツの成長スピードが、格段に上がっているなの……!」


「オラオラどうした、これが本気なのかぁ……?」


 シャトラは彼の成長速度に目を見開きつつも、駒を動かしてマガツを追い詰める。


「は、速いですわ……お嬢様も、アイツも、動きが全く見えませんわ……!」


 デザストは超倍速されているように繰り広げられるレクシオンの試合に、目を瞬かせる。


 その実力はまさに互角。その決着の付かない盤上の戦争に、気付けば通りすがりの魔物たちも釘付けになる。


「ど、どうなってんだこりゃあ……!」


「あの、レクシオン最強のシャトラ姫様とタメを張ってやがる!」


「これほど強い者は、魔王様とレイメイとあと……」


「ジェーンとか名乗った女の客だけだ」


「それでもレクシオンを極めた姫様を倒したのは、魔王様が一度のみ。それ以降はここ70年、誰一人として敗北したことはないぞ!」


 知らぬ間に増えていたギャラリーの魔物達は、口々に言い合う。


 その間にも、マガツとシャトラの激戦は続く。


 やがて最終局面に差し掛かると、デザストが叫んだ。


「負けるなお嬢様! そんなぽっと出野郎、倒しちゃってくださいませ!」


「そ、そうです姫様! 姫様こそが最強なのです!」


「姫様!」


「シャトラ様!」


「お嬢様!」


 デザストの声援に続いて、魔物達は皆シャトラを応援する。


 しかし同時に……


「人間! 押し返せーッ!」


「お前のような実力者は初めてだ! ここで決めてやれーッ!」


 少ないものの、マガツへの声援が送られる。


 ここ三日、駒を置く音だけが響いていた玉座の間に、ギャラリーの声援がこだまする。


 それは今、国の、国民の心に立ちこめていた暗雲を吹き飛ばす、熱く激しいスポーツとなっていた。


「しまった……! でもここからなら、ステイルメイトでもう一度なの……!」


 気付けばシャトラの駒はキングとナイトのみ。


 一方、マガツの軍勢はポーンが3体。ビショップが一体という状態にあった。


「ステイルメイトはさせねえぜ。ここで、俺はアンタを超えてみせるッ!」


 マガツは宣言し、駒を動かしていく。


 シャトラも負けじと、駒を動かしポーンを蹴散らす。


 しかしマガツは、プロポーションでクイーンを召喚する。


「まだ……負けるワケには行かない、なの!」


 シャトラは、燃え上がる熱い感情を吐き出すように叫ぶ。


 無表情だったシャトラの顔には汗が滴り、よりよい笑顔に変わっていた。


「今度こそ、これで終わらせるなのッ!」


 反撃の狼煙と言わんばかりに、シャトラはビショップを取る。


(勝ったッ! 後はこのままキングを追い詰めて――)


「チェックメイト」


 その時、マガツは静かに宣言した。


「な、なのっ!?」


 キングの方に目をやると、シャトラのキングは生き残っていたポーンに追い詰められていた。


 しかも、どちらに動かそうにもクイーンの邪魔が入るために動けない。


 詰み。たった一つの見落としによって、三日三晩続いた第四回戦、そしてレクシオン五番勝負は幕を下ろした。


「嘘だろ……」


「人間が、姫様を破った……!?」


 玉座の間に、再び静寂が走る。


 シャトラは負けた実感が沸かず、その場で目を丸くしながら硬直する。


「シャトラが……負けたなの? あり得ない……シャトラは、レクシオン最強……」


 その時、シャトラの脳内に、懐かしい記憶が蘇ってきた。


 それはかつて、大帝からレクシオンを教わり、何度も負け続けていた時のことだった。




 ***


「もう! お父様ってば大人げないなの!」


 まだブランク帝国が平和だった頃。新築と思うほどに綺麗な玉座の間で、ブランク大帝と幼きシャトラがレクシオンをしている。


 どうやら大帝の腕も相当らしく、シャトラは頬をぷっくりと膨らませて怒っていた。


「ガッハッハ! だがシャトラ、お前も段々と強くなっておるぞ?」


「そうだけど、納得がいかないなの! シャトラ、すっごくレクシオンのこと勉強して、お父様の技も真似してきたのに……!」


「やれやれ。シャトラ、やっぱり負けて悔しいか」


 大帝は笑みを浮かべながら、シャトラに訊く。


「当たり前なの!」


 言って、シャトラは拗ねる。


 大帝はそんな彼女の頭を撫で、優しく言う。


「いいかシャトラ。なにも、負けることは悪いことではない」


「そんなこと、ないなの。これが戦争なら、悪いことなの。負けたら――死んじゃうなの」


「それはそうかもなぁ。しかしなシャトラ、世の中には〈負けたからこそ〉見えるものだってあるのだ」


 大帝は言葉を紡ぐ。


「なぜワシが勝ったのか、何が決め手となったのか。そして、その決め手にどう対抗するか。それを反省し、学び、実践に活かすことができる」


「どう、対抗するか……?」


「お前は賢い子だ。勝利だけではなく、敗北からも学び、力を付ければ、必ずレクシオン最強の棋士となれるだろう」


「ほ、本当なの!?」


「本当だとも。それに、レクシオンは謂わば疑似の軍を指揮するもの。将来はシャトラ次第だが、お前には軍師の才能がある」


 その言葉を聞き、シャトラは満面の笑みを見せる。


 ***



(そうだ。シャトラは、お父様に勝ちたかった。勝って、もっと褒めて欲しかったなの。だから必死にレクシオンを勉強して、強くなったなの)


 その時、レクシオンを練習していたときの自分と、負けても尚諦めず立ち向かってきたマガツの姿が重なった気がした。


(マガツは、シャトラとの闘いから学んでいたなの……? やっぱり、お父様が言っていたことは、正しかったなの?)


 シャトラは心の中で問う。しかし、その答えが返ってくることはない。


 いや、答えを待たずとも、その答えを既に、彼女は知っていた。


「……ふふっ。あはは、あはははは!」


「なっ、姫様が……笑った!?」


 シャトラの笑い声に、一同は驚きを見せる。


 その笑顔は年相応の可愛らしさがあり、ギャラリーは思わずメロメロになってしまう。


「シャトラちゃん……?」


「あーあ、負けちゃったなの。これで1勝、マガツの勝ちなの」


「じゃ、じゃあ……」


「シャトラ、お前のこと、お父様の後継者って認めるなの」


 認める。その言葉を聞いた瞬間、マガツの顔にも笑顔が宿った。


 シャトラから勝ち星を奪い取った。そして、魔王として、悪の組織総帥として大切な『信頼』を獲得した。


 それはマガツにとって、大きな一歩であった。


「っしゃあああ!」


「でも、まぐれかもしれない。今度は、絶対に負けないなの! 首を洗って待っておけ、なの!」


「……あたぼうよ! 次はステイルメイトなしのガチンコ勝負できるようにしてやるからな!」


 マガツは言って、シャトラと握手を交わす。


 だが次の瞬間、


「あっ、もう無理……」


 ついに限界を迎えた身体は力を失い、マガツはそのまま深い眠りに落ちてしまった。

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