第3話 盤上の王女様

 先代ブランク大帝が死に、がらんとした静けさの広がる玉座の間。


 今ここに、シャトラとマガツのレクシオン、もといチェス対決の火蓋が切って落とされた。


「先行は、マガツがやるなの。シャトラは、後攻なの」


「OKだ。勝負は一度きり、キングを追い詰めれば勝ちでいいな?」


 意気揚々と訊くマガツに、シャトラは無言で肯く。


 今回の勝負で得られるものは、シャトラからの信頼。


 それは未だ誰からの信頼もないマガツにとって、必要不可欠なものであった。


 大帝直々、まして過去の預言から魔王を継承したとはいえ、所詮はぽっと出の魔王でしかない。


(現に、オッサンの側近だったデザストの姉ちゃんでさえあの態度。無理のないことだが、このままじゃこの国は、王が不在のまま滅びかねない)


 そんな中、まさに救いの手とも呼ぶべき存在が、目の前にいる。


 そう、魔王の娘であるシャトラの存在だった。


(この子に、オレが親父さんの跡継ぎとして相応しいって認めてくれれば、少しは説得力が増すってもんだ)


「いいか、先に言っておくぜ嬢ちゃん。俺は、かーなーり強いぞ」


「御託はいいから、早く駒動かすなの」


「あっはい」


 ハッタリを兼ねた宣言をはねのけられ、マガツは無言でポーンを二歩進める。


 次のターン、シャトラは無言でポーンを一歩進める。


(馬鹿め。俺はチェスの知識こそないが、将棋ならある程度できる、という大いなる自信があるッ! このままポーンで駒を奪い取り、と金にしてやらぁッ!)


 続けて、マガツは駒を進めていく。

 

 シャトラも、即決で駒を進めていく。


(この子、ちゃんと考えて指してんのか? いやしかし適当に指している感じはしねぇ)


「次、マガツの番なの」


 気付けばシャトラは駒を進め終え、首を傾げながらマガツを催促する。


 油断も隙もない。その様子に、マガツは焦りを覚えた。


(やべぇ、こいつはまるで……AIッ! 初心者の俺からすれば、適当に動かしているように見えるが、しかしそれは的確に俺を詰ませるための布石……ッ!)


 この瞬間、マガツは既に無謀な闘いに立ち向かったことに後悔しつつあった。


 だが、ここで負ければこの国も、自分の未来もない。


 そして、一人の男として、紅顔可憐な少女に手も足も出せずに敗北することは、マガツの“漢”としてのプライドが許さなかった。


 たとえそれが大人げなく見えたとしても、今後に関わる大戦である以上、譲ることはできなかった。


「ならば俺はッ! このポーンで、目の前のポーンを取ってや――」


「ポーンは斜めの駒しか取れないなの」


 完全に、進撃の一手のつもりだった。しかし、その進撃は転倒に終わる。


 もうおわかりであろう。チェスと将棋は、似ていても全く違う競技なのだ。


 マガツは将棋と同じであるという考え故に、自らその首を絞めてしまっていた。


「そそ、そうだったな。じゃあ、このナイトを動かして――」


「チェックメイト」


 マガツがナイトを置いたと同時の出来事だった。


 敵軍のクイーンは斜めに進撃を開始し、キングを追い詰めてしまった。


「……えっ?」


「シャトラの勝ち。やっぱり、マガツはお父様にはなれない、なの」


 敗北。ただの遊びだと思って高を括っていた分、そのツケの重さは高くついた。


 このままでは全てが終わってしまう。この小説も終わってしまう。


(マズい、ここで退いちまったら、俺は……またモブに戻っちまうッ! せっかく、オッサンから託されたチャンスなのに……ッ!)


 しかしこの行為は恥知らずも良いところ。

 

 何より、プライドを捨て去ってしまう、大人げない行為である。


「待ってくれ、シャトラ!」


 それをマガツは、重々承知していた。

 

 承知した上で、マガツは両膝を地面に付け、地面に向かって思い切り頭を叩き付けた。


「わっ」


「もう一戦、せめてもう一戦だけ……ッ! 頼むッ!」


 土下座。これまで何度もやり慣れてきた、マガツの伝家の宝刀。


 それでまともに許してもらえたことはあまりないが、しかし嫌というほどに強要され、気付けば身体に染みついてしまった動作。


 まだ年端も行かないような魔族の少女を前に土下座など、不格好もいいところである。


 しかし、今はそうも言っていられなかった。


 するとシャトラは少しの間を置いて、


「いいなの」


 と、物静かな口調で言葉を返した。


「でも、これで負けたらマガツ、とても恥ずかしいなの」


「うぐっ!」


 シャトラの言葉が、胸を貫く。


 更に、あまりの辛辣さに血反吐を吐いてしまいそうなほど、マガツの急所に当たった。


(この子、痛いとこ突いて来やがる……)


「でも、ここまで自分から挑んでくる人、初めてなの。シャトラだけ5本勝負、マガツが1勝でもしたら、勝ちにするなの」


 その言葉は、まさに天啓のようだった。


 しかし同時に、シャトラの絶対的な勝利を確信しているような発言にも聞こえた。


 現状、先の闘いでマガツはシャトラの才能を恐ろしいほどに痛感した。


 相手の才能はまさに、チェスのチャンピオン、いやAIをも凌駕するほど。


(名を冠するならまさしく、盤上の王女様プリンセスだな。だが――)


 勝てるわけがない。マガツの心の中にある弱さが、恐怖心から悲鳴を上げる。


 しかしマガツは、ニヤリと笑った。ハッタリだ。


 99%勝てないかもしれない。そんな不安を抱く自分を鼓舞するように、1%の『勝ち』に賭けて笑った。


 その瞬間、マガツの脳裏にブラック企業に勤務していた時代の嫌な記憶が蘇る。


「ブラック企業での理不尽なノルマに比べりゃ、まだまだマシだぜッ!」


 過去の辛い日々を思い出すことにより、マガツの闘志は炎のように燃え上がった。


 そしてそれは、マガツの中にある“悪の心”にも燃え移り、彼の中の何かが爆発した。


「ナァーハッハッハッハッハァ! このチェス界の大将軍を倒すとは、なかなかやるではないか小娘よッ!」


「大が四つ減ったなの」


「しかァしッ! そいつはほんの小手調べ、この俺、マガツ=V=ブランクの本気はァ、あっ、ここからぁ~よぉ~ッ!」


 まるで歌舞伎の見栄を張るように、マガツは宣言した。


 しかしシャトラには、それがただの見栄っ張りであることを見破られていた。


「フッ」


 その時、シャトラの声で、吹き出すような声が聞こえてきた。


「い、今笑ったか?」


「……何でもないなの。今、シャトラが1勝、マガツは0勝。あと4勝すれば、シャトラの勝ち。負けたら、諦めるなの」


「望むところよ小娘……! さあ、我がレクシオンの実力の中で、息絶えるがよいッ!」



 ***



 こうして、第二、第三ラウンドと闘いは続いていく。


 その中でマガツは駒の動きを完璧に熟知、ルークとキングを入れ替える技「キャッスリング」までをも会得した。


 しかし、


「チェックメイトなの。これで、シャトラの3勝」


「ぐぅっ……なるほど、これは実に手強い相手だ……!」


 盤上の女王であるシャトラを追い詰めるまでは、しかし至らない。


 それでも、マガツは投げ出すことはしなかった。


 自分でも、最速で成長しているという実感があったのだ。


 まだアマチュア程度の腕しかないが、確かにマガツはその才能に磨きが掛かっていると自覚していた。


 そしてそれは、シャトラも同様に、マガツの驚異的な成長性を見て心の中で唸っていた。


(マガツ……本当はレクシオン弱いなの。けど、闘いの中で覚えている……)


「面白い。久々に、とても面白くなってきたなの」


 その中で、シャトラの口角が自然と上がっていく。


 それはまるで、彼女の心を閉ざしていた『孤独』という氷壁を、内側から溶かしていくように。


 笑わなかった彼女に、笑顔を芽吹かせた。


「来るなの、マガツ。その威勢が本物だって、見せつけてみるなの」


「当たり前だ小娘よ、第四ラウンド。ここで決めさせて貰おうじゃあないかッ!」

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