第2話 笑わない娘
ブランク大帝の死からほどなくして、マガツは外の様子を見にバルコニーへ出た。
理由は至極単純。唐突に魔王になったとはいえ、何一つこの国についてのことを知らなかったから。
そして、ブランク大帝が目指していた国の未来、その像を知るために。
「なるほどな、これは酷い……」
バルコニーから見下ろした先に広がるのは、滅茶苦茶に崩壊した街だった。
中世ヨーロッパの建築を模したような家々は、今では瓦礫に姿を変え、そこに住んでいた魔物達は悲しみに明け暮れている。
あまりにも凄惨な光景に、マガツは胸を痛めた。
「オッサンはただ、この国の奴らのために、必死に王様やってただけなのに」
「ちょっと、あなた!」
と、背後から女性の怒声が響く。
後ろを振り返ると、軽装の女性、もといデザストが怒りの表情を向けながら立っていた。
その表情は鋭く、剣先のように尖らせた眼光で、マガツのことを睨む。
「さっきから大帝のことをオッサンオッサンと! 不敬ですわよ、不敬ッ!」
「お、おい待てよ姉ちゃん! そんなこと言われたって、俺からしたらオッサンはただのオッサンだし……てか、お前はまず服を着ろ! そんな水着みたいな格好、最悪BANされんぞ!」
「それはどうでもいいですわ! サキュバス族は肌を多く出した者が、最も美しく度胸があると言われているのですのよ!」
「なんだその風習! ケツ出した子が一等賞になれるなら誰だって苦労しねぇよ!」
「あなたこそ、そんなぴっちりと身体にフィットした全身タイツ姿のくせに、よく言えたものですわね! ダサい、超絶にダサいですわ!」
「うぐっ、それはウチの首領様に言ってくれ! とにかく、お子様の目に入れても毒にならないよう服は着なさい!」
「なんですって! 私の姿が毒になると言うのですか!? ああブランク大帝、ご先祖様の予言とはいえ、どうしてこんな審美眼のない異世界人を次期魔王などと……シクシク」
デザストはそう言いながら、わざとらしく号泣して見せる。
その態度を見てマガツは、「お前みたいな奴を魔王と認めるか」と言っているように思った。
だがその思いに、マガツは言い返すことができなかった。
彼らにとって、ブランク大帝は何年、何百年、或いはそれ以上。人間の儚い寿命よりも長い時間、共に過ごし慕ってきた存在。
それが国の言い伝えとはいえ、特に目立つこともない、モブキャラにも等しいぽっと出の戦闘員が魔王の座に就いたと言われて、すんなり納得する者は多くない。
例えるのならばそれは、純白なほど優しかった会社の社長が突然失踪し、代わりにパワハラ、セクハラやりたい放題のブラック上司が指揮を執り始めたようなものである。
それと同じように、魔王から受け継いだ最強スキルで成り上がった気になり、力で国を支配しては、かつてマガツが尽くしていた悪の組織と同じ道を辿ることとなる。
だからこそ、マガツは自分が魔王として相応しい存在だと、皆に認めてもらう必要があった。
しかしそれはただの上下関係の構築だけではない。
無礼講。「友」として対等でもいられるような関係を築きたい、と。
しかし――
(大帝サマを尊敬していた
マガツはため息を吐き、頭を抱えた。
と、その時だった。
「デザスト……」
か細い少女の声が、デザストを呼んだ。
声のする方を振り返ると、大帝が座っていた玉座の裏から、金髪の少女がひょっこりとマガツ達を覗いているのが見えた。
少女の肌は陶器のように白く、赤い瞳は磨き上げられたルビーのように澄んでいる。
服装はフリルやリボンといった装飾をふんだんに使った、黒いロリータドレス姿。
その姿はまるで、一国の姫のようだった。
「お嬢様……ああ、お嬢様……!」
デザストはすぐに少女のもとへ駆け寄り、すすり泣きながら彼女を抱きしめた。
「デザスト、どうして、泣いてるなの?」
「お嬢様、申し訳ございません。あなたの父……ブランク大帝はつい先程、息を……」
無理もないことだった。
デザストは先代魔王、もとい大帝の侍女だった。きっと長い年月、彼の隣に居たのだろう。
それほど信頼していた男が死んだともなれば、喪ったときの悲しみは想像に難くない。
「泣かないで、デザスト。私は、大丈夫なの。それより、そこにいるのは、誰?」
物静かな雰囲気の少女は言って、マガツの方を指す。
マガツはゆっくりと少女の方へ歩みを進めるが、途中でその足を止めた。
(この子、話の流れからしてオッサンの娘さんだよな。けど死んだ親父さんの跡継ぎが俺になっただなんて、どう説明したらいいんだ?)
「あなた、ここの人じゃない? 変な格好」
呟くように、少女は言う。
その言葉は、マガツの腹に「グサッ」と鋭い音を立てて突き刺さった。
「へ、変な格好って……」
あながち間違っていないから、反論の余地もない。その現実が、マガツに追撃を加える。コレに関しては自滅である。
と、少女はじっとマガツを見つめ、不思議そうに口を開けた。
「でも不思議。お父様と同じ力を感じるなの」
「あ、ああ。実はな嬢ちゃん、俺は君の親父さんに頼まれて、次の魔王になる――」
「まだ、私は認めませんわ」
デザストは話を遮り、食い気味に反論する。
「いやアンタ、気持ちは分からんでもないけど、今はちょっと黙っててくれ!」
「お断りしますわ。次期魔王として相応しいのは、血族であられるシャトラお嬢様しかおりません!」
「私は、まだ若い。だから、魔王にはなれない」
シャトラはそう言って、首を横に振る。
彼女の言う通り、その姿はとても若く見えた。
見た目の年齢はおおよそ12歳ほどか。それにしてはどこか大人びた雰囲気を抱いている。
まるで波紋一つない湖の上に立つ女神のように、お淑やかで、物静か。
「シャトラって言うのか。俺はマガツ、マガツ=V=ブランク、よろしくな」
「……」
「よ、よろしく……?」
シャトラは無言を貫き、床に目線を落とす。波紋一つないどころか、声の波動すらない。
緊張しているのだろう。
そう思いつつ見つめていると、シャトラはゆっくりを顔をあげて、
「お前、私と遊ぶなの」
と、透き通る声で命令した。
「なりませんわお嬢様。こんな見るからに怪しい男と遊ぶなど、あぁ〜んなことや、いゃ〜ん! なことをされるに決まっておりますわ!」
「ッテメ! 俺のことなんだと思ってんだ!」
「デザストは、ダメ。弱くてつまらない」
キッパリと断られ、デザストはその場に膝をついて崩れ落ちる。
マガツはそんな彼女にフッと笑みを溢しつつ、シャトラの前にしゃがみ込んで、デザストに言った。
「こう見えても、俺は子供との付き合い方には自信がある。それに、あえて言っておくが、そんな趣味はないからな! 断じてッ!」
「さぁどうだか。見るからに変質者みたいな格好してるくせに」
「そ、それはアンタもだろうが!」
再び、デザストとの言い合いを始める。
だが、シャトラは二人のやりとりをじっと見つめているだけで、なんの反応も示さなかった。
(この子、さっきからずっと無表情だな……)
いやしかし、父親が死んだばかりで気持ちの整理が付いていないのだろう。
マガツはそう思うようにして、シャトラに笑顔を向ける。
しかしシャトラの表情が変わることはなかった。
「それじゃあ、デザスト。お父様の遺した仕事、集めておいてほしいなの」
「は、はい! お嬢様!」
シャトラの命を受けたデザストは瞬時に敬礼を送り、ギロリとマガツを睨みながら、
「失礼な真似をしたら、お前を殺しますからね」
「なんて丁寧な殺害予告!」
と大胆に脅迫して頭を下げた。
マガツは玉座の間を後にするデザストを見届け、シャトラを一瞥する。
シャトラは無表情のまま、じっとマガツの横顔を見つめている。
「シャトラちゃん……だったっけ?」
「そう、シャトラ。あなたは、マガツ?」
「覚えててくれたのか。それで、遊ぶって、何をしたらいいんだ?」
マガツは恐る恐る訊く。
するとシャトラはそっと、亜空間から板のようなものを取り出して見せた。
それは駒の形状こそ少し違うものの、チェック柄に印刷された板や白と黒の駒の姿から、それがチェスであることをすぐに理解した。
「チェス、かな?」
「レクシオンっていうなの。駒の取り合い、盤上の戦争なの」
(なるほどな。ルールも、チェスと一緒のようだな)
「シャトラ、レクシオン強い奴なら、お父様の後継ぎって認めてやるなの」
「やるなのって……」
少々上から目線なことに引っ掛かりを覚えつつも、マガツは目を瞑る。
するとどういうわけか、大帝の記憶──シャトラとの思い出のビジョンが映った。
その光景は、シャトラとデザストがレクシオン、もといチェスをしているのを、大帝が見守っている所だった。
『うっ、やはりお嬢様はお強い……』
『デザスト、12手前にナイト動かしてたら勝てたなの。もっと、広く見るなの』
どうやらこの時のデザストは、シャトラにボロ負けしていたらしい。
「シャトラちゃんは、強いのか? レクシオン?」
「シャトラと互角に戦えたのは、お父様しかいない。だから、シャトラと遊べ」
そう言って、シャトラは首を傾げる。
その表情は全く変化はないものの、逆にミステリアスな雰囲気が、彼女の王女たる気品を醸し出していた。
しかし──
(弱ったな。将棋なら小学生の時にやったことあるけど、チェスの知識は全くねぇんだよなぁ)
マガツには、チェスの知識が全くと言っていいほどなかった。
対するシャトラは大帝の記憶から見ても、強いことは確か。
その力量差は〈月とスッポン〉、または〈太陽とマダニ〉、或いは〈銀河とミジンコ〉。
勝ち目のない戦いに賭けられたのは、大帝の娘、シャトラからの信頼。
未だ信頼ゼロ、部下一人すらいないマガツにとって、この機会を逃すわけには行かなかった。
「よし! こう見えても俺は、かつてチェス、ああいや、レクシオンの
「大が多いなの」
「とにかく! 俺はそのゲームに於いて右に出る者はいなかった! 君が最強だと言うのなら、この我、マガツ=V=ブランクは“ガチ”で行かせてもらうッ!」
ハッタリだった。
チェスの知識もなければ、大将軍などと呼ばれた過去も存在しない。
それでも、大帝の娘から次期魔王であることを認めてもらうために、マガツは宣言した。
「それじゃあ、シャトラも……“がち”でやるなの」
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