第1話 継承! 次期魔王は戦闘員⁉

 ――思えば俺の人生は、下り坂ばかりの最悪な転落人生だった。


 高校時代、陸上部で培った実績で体育系の大学に進むも、他の強豪に追い付けず落ちこぼれへと転落。


 意地で卒業したものの不採用続きで、新卒カードを失わないために入った企業が、まさに某企業だった。


 パワハラ、セクハラ、モラハラ、多分ありとあらゆるハラスメントを平気でやっていたような気がする。


 泥水が砂糖水に見えるほど最悪な環境だった。


 そんな某企業に勤めて3年と半年。俺は体育大卒という実績から、秘密結社『ブラッドムーン』の戦闘員に連れ去られ、彼らと同じ戦闘員に改造された。


 並の格闘家を簡単に倒せる程度の力と、最大200時間休みなしで働ける強靱な身体を手に入れた。最初は自分が万能な人間になれたような気がして、とても嬉しかったのを覚えている。


 しかし蓋を開けてみれば、ここは毎日のように人が死ぬような地獄の世界だった。


 失敗すれば殺される。怪人の怒りを買えば殺される。何もしていなくても、怪人の趣味で殺される。そうやって理不尽に殺されてきた仲間を何人も見てきた。


 まだ部下殺しが蔓延っていなかっただけ、前の職場の方が幾分かマシに見えてくる。


 もしかしたら次は、俺の番かもしれない。毎日毎日、そんな恐怖が俺を襲う。


 もし、もしもこんな地獄みたいな日々をやり直せるのなら、今度は世界を救えるようなヒーローになりたいもんだ――



 ――――――



「どうして、こうなっちまったんだろ。俺の人生」


 東京のどこか、地下深くに造られた悪の組織『ブラッドムーン』のアジト。


 丸められた紙くずや資料が散乱する部屋の中で、黒い全身タイツ姿の戦闘員――193号は白紙の日記に日々の鬱憤を晴らしていた。


 その文字はミミズが這った跡かと思うくらいに、書いた本人でさえ何を書いたのか分からないほど汚かった。


 だがむしろ組織への恨み辛みがバレないならいいかと思いながら日記を閉じ、椅子の背もたれに倒れる。


 最大200時間稼働できる社畜特化型の身体に改造されているとはいえ、疲労が全く溜まらないワケではない。電池の切れかけたロボットのように、消耗すればするほど疲労でパフォーマンスが低下していく。


 逆に仕事を早く終わらせたからといって、定時で上がれることもない。早く終われば次の仕事が来るだけである。


 そもそも戦闘員に定時はおろか、休みも楽しみも、土日も祝日もない。


『世界征服』という大雑把すぎる目標を掲げる首領のため、日夜その身を粉にして働く以外にないのである。


 年柄年中365日、一週間毎日月曜日。それがこの秘密結社『ブラッドムーン』の実体なのだ。


(俺はただ、ブラック企業の苦しみから逃れたかっただけなのによぉ……どうしてこうなるかなぁ……)


 193号はため息を吐きながら、次の任務が来るのを待つ。その間、次に来る任務のことを予想する。


 先週は別の班が怪人と共に破壊活動へ向かい、例の如く正義のヒーローを名乗る5人組と遭遇してあっけなく敗れたそう。


 これで負けが増え、0勝30敗。お陰で首領はご立腹、これから戦績を上げるために厳しくなっていくことは必然的と言うべきだった。


 その分、送られてくる怪人も好戦的な個体が多くなってくるだろう。その怪人に、今度は何人の戦闘員が殺されるだろうか。


 今まではただ運が良かっただけ。次はきっと俺が殺される番かもしれない。そんな恐怖が、193号の心を締め付ける。


 と、そんな時だった。背後で錆び付いた蝶番がうめき声を挙げた。


「193号、そろそろ新しい怪人が来るそうだ。全員、広間に集合とのことだ」


 後ろを振り返ると、193号と全く同じ姿をした戦闘員が顔を覗かせていた。


「ああ。今すぐ行く」


 193号は慌てて立ち上がると組織で決められた特殊な敬礼ポーズを取り、事務室をあとにする。


 嫌な予感がする。今日は俺が殺される日かもしれない。193号の野生の勘が警鐘を鳴らしている。


 その恐怖を抱いているのは、他の戦闘員も同じだった。


 だが、戦闘員にとって、怪人や首領の命令は絶対。どんなに理不尽な要求だったとしても、従う以外にない。


 白と言えば白。黒と言えば黒。死ねと言われれば、その場で死ぬしかない。


 行きたくないと思っていたとしても、行く以外の選択肢はないのである。



 ***



「よくぞ集まった戦闘員諸君。俺様はサソリ怪人、スコーピオ様だァ! 今日より貴様らの統率をすることとなった、よろしくなァ!」


 スコーピオはそう言いながら、丸みを帯びた腕のハサミをカチカチと鳴らす。


 サソリやカニのような堅い甲殻に身を包み、頭には一匹のサソリを模したマスクを被っている。


 その頭頂部に生えた尻尾には、猛毒サソリも恐れるような劇毒針が仕込まれているらしい。一発でも食らえば、たとえヒーローだろうと一瞬であの世行きという恐ろしい効果を持っている。


 だがそれよりも脅威に満ちていたのは、両腕に携えた巨大なハサミだった。


 鈍色に研ぎ澄まされた刃先は鏡のような光沢を放ち、天井からぶら下がる蛍光灯の光を反射している。


 刃先だけではない。みねには日本刀特有の波のような紋様――もん――が浮かんでいた。一対の日本刀をハサミの形に加工したような両腕。それが彼の武器だった。


 日本刀ともなれば、切れ味は相当なものだろう。


 もし人間を斬ろうものならば、骨ごと綺麗に真っ二つにされてもおかしくない。


 戦闘員達が固唾を呑む中、スコーピオはハサミをガチガチと鳴らしながら演説を続ける。


「これより早速、街へ繰り出し破壊活動を行うワケだが……オレ様は今日とても機嫌が悪い」


 言いながらスコーピオは、戦闘員の首元にハサミを突きつける。


「どうしてだか分かるか? おい、そこのお前、答えてみろ」


 果たしてそこに立っていた戦闘員は、193号だった。


 スコーピオの刃は想像以上に冷たく、193号は一瞬自分の身体が凍り付いたような気がした。


 無理もない。間違った回答をすればその瞬間、首を斬られてしまうかもしれないのだ。


 いや、確実にやられる。これといった確証はないが、しかしこれまで多くの怪人と出会ってきた193号の野生の勘がそう告げていた。


 だが、答えなければ逆に殺される。まさに万事休すの状態にあった。


(機嫌が悪いだなんて、心も読めねえのにどう答えろってんだよ……)


 数秒の沈黙の後、193号は敬礼のポーズを取りながら、考えに考えた答えを告げる。


「しゅ、首領様から小言を言われたから、でしょうか!」


 それが精一杯の答えだった。すると怪人は「うんうん」と大きく肯きながら、193号の首からハサミを降ろす。


 微妙な反応だったが、難を逃れられた。そう思った矢先の出来事だった。


「違うッ! 何故この支部には女戦闘員が一体もいないのだッ! ふざけているのかこのチンピラ共がァ!」


 瞬間、193号の腹に鋭い痛みが走り、足下で鈍く生々しい音が鳴る。


「……え?」


 足下に転がっていたものは、193号の両腕だった。それに気付くと今度は急激な脱力感に襲われる。


(俺……斬られた……? どうして、俺、ただ質問に答えただけ、だよな……?)


 ただ質問されたから答えただけ。それだけの小さな理由でも、怪人の機嫌を損ねた戦闘員は殺される。それがこの組織の掟だった。


「まあいい。憎きヒーロー共を殺せば、オレ様も幹部へと昇格できる。そうすれば編隊も好きにできる、ハーレムだってやりたい放題だ! ガーッハッハ!」


 スコーピオは高らかに笑いながら、生き残った戦闘員達を引き連れてアジトを後にする。


 その中で193号を悼む戦闘員は、果たしていなかった。


(畜生……なんでオレが、殺されないといけないんだ……なんで、なんで……)


 理由なんてものはない。心どこかでそれを理解していても、理不尽に殺された事実に納得できなかった。


 納得したくなかった。


(クソッ……こんなところで……惨めに終わりたくねぇ……!)


 どうか夢であってくれ。193号は何度も願いながら、必死に切断された腕を伸ばす。


 しかしいくら腕を伸ばしたところで、胴体を分断された状態から生き返る方法は存在しない。


 もがく度に身体中の血が溢れ出し、段々と意識が遠のいていく。


(寒い……! ダメだ、身体から熱が消えていく……)


 やがて視力も落ち始め、視界がモノクロに染まる。


(もう……限界だ……やっぱり俺は――)


 ――何者にもなれない、ただの雑魚……。


 全てを諦めた193号は、最期にそう呟いて目を瞑った。


 転落に転落を重ね、そして「死」というゴールに無理矢理叩き落とされた気分だった。


 これでもう苦しまずに済むんだ、と。そう思うと、どこか気が楽になってくる。


 ――暖かい……。


 突然の温もりが193号を包み込む。だがそれが何か知る暇もなく、193号の意識はプツリと音を立てて消滅した。



 *****



「う、ううっ……」


 意識を取り戻した193号は、ゆっくりと瞼を開ける。


 ぼんやりとした視界に映ったのは、エンタシスと呼ばれる赤黒い柱だった。


(こんな柱、アジトにはなかったよな……?)


 天井を支えている柱は驚くほど高く、その果てを視界に納めようとして首を攣ってしまいそうな程だった。


 正確な長さは分からないが、およそ10メートルかそれ以上。三階建てのビルに相当する高さである。そんなビルのように高く伸びる柱が、等間隔に並んでいる。


 その柱の外側に広がっているのは、テラスだろうか。黒いイバラの装飾が施された鉄扉の向こうには心地良さそうな空間が広がっていた。


 その様子は中世ヨーロッパ時代に建てられたお城のよう。特に今いるこの場所は魔王城みたいだなと、193号は思った。


「なんだ、ここ……?」


 続けて屋内に視線を向けると、黒い石畳の上に真っ赤なカーペットが敷かれているのが見えた。ハリウッドよろしくのレッドカーペットは入り口側から最奥まで一直線に伸びている。


 果たしてその先にあったのは、目を疑うほど巨大な玉座だった。


 5メートルを優に超えるであろうその玉座には、これまた大きく厳つい男が腰をかけていた。


「…………」


 その男は、何から何まで現実離れしていた。


 青紫色の肌に鍛え上げられた強靱そうな肉体。兜の装飾だろうか、頭から生えた一対の角。そして膝まで伸びている、滝のような白髭。


 この空間の雰囲気も相まって、その姿はまさしく「魔王」そのものであった。


「あの、大帝。彼、死にかけておりますが……?」


 男の横から、透き通るような美声が戸惑いの声を挙げた。


 視線を横に移すと、玉座の左端に金髪の女が立っていた。


 水着のような際どい衣装を身に纏った女もまた、背中にコウモリのような羽根が生えている。


 その異様な光景に戸惑っていると、大男は金髪の女を向いて言った。


「まだ息はある。デザスト、彼を回復してやってくれないか?」


「ですが大帝――」


 デザストと呼ばれた女は言葉を返すが、しかし大男の真剣な眼差しを受けて口を噤んで歩み出した。


 だが何か思う所があるのだろう、彼女は悔しそうな表情を浮かべていた。


「……《メガ・ヒール》」


 193号の身体に手を当て、魔力を込める。


 すると193号の身体を淡い光が包み込み、その光が消えると傷は跡形もなく消え去っていた。


 だが体力までは回復しきれていないようで、193号の身体は依然として気怠いままだった。


「これで治ったはずですわ。さあ、早く起きなさい」


 デザストに言われるがまま、193号はゆっくりと起き上がる。まだ少し感覚は鈍っているものの、確かに手足は切断される前のように動かせた。


 193号は体をほぐしつつ、再び城内を見渡す。その時、ある違和感を覚えた。


「……んだよ、これ」


 よく見ると、大帝と呼ばれた大男の周囲には無数のクレーターのような窪みが出来ており、柱も数本ほど折られていたのだ。


 更に大帝の胸元には深い傷があり、今も真っ赤な鮮血がダラダラと垂れている。


「お、おい姉ちゃん! デカいオッサンが――!」


 あまりに衝撃的すぎた光景に、思わず言葉が詰まる。


 すると大帝は厳つい頭を横に振り、193号に言った。


「我の心配は要らぬ……。これは勇者に付けられた聖なる傷、どんな手段を使おうと治すことはできぬ……」


 信じられず、隣のデザストに視線を向ける。しかしデザストは下唇を噛み締めながら、首を横に振った。


 治療する手立てはない。かといって、自分が大男に何かできるわけでもない。


 193号はただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。


「てか勇者ってことは……もしかしてオッサン……」


「いかにも。我はブランク帝国七代目盟主。この帝国を統べし魔王である」


 193号は耳を疑った。だが目に映る情報や、これまで起きた出来事がそれを裏付ける。


 ここは俺のいた世界とは別の世界――異世界なのだと。


 いや、そうだとしても理解できなかった。


 何故俺はここに呼び寄せられたのか。何故魔王城で目覚めたのか。一体この場所で何が起きたのか。


 様々な疑問がシャボン玉のように生まれては、次から次へと消えていく。


 戸惑う193号の感情を察したのか、193号の代わりに大帝が口を開いた。


「驚くのも無理はない。全てはお主の事情を無視して召喚した我のせいだ」


「召喚……?」


「いかにも。お主を呼び寄せたのは他でもない――お主に我の座を継いでもらうためだ」


「魔王の座を、継ぐ……? お、俺が⁉」


 また突拍子もない告白をされ、193号は思わず体を飛び跳ねさせて驚いた。


 だが無理もないことだった。


「ま、待ってくれよオッサン。俺はただの戦闘員で、魔王になんてなれるような器じゃ……それに――」


「私は反対しますわ!」


 193号の言葉を遮り、デザストが口を挟む。


 その表情は今にも泣き出してしまいそうだったが、同時に193号へ強い憎しみを抱いているようにも見えた。


 きっと最初で最後の、大帝への抗議なのだろう。恐怖心からか、彼女の拳は震えている。


「人間は我々の敵ですわ! 奴らのせいで、今までどれだけの同胞が犠牲になったか、大帝なら分かっている筈ですわ!」


 その言葉で193号はデザストが自分に向けている憎しみの意味が理解できた。


 大帝に致命傷を負わせた「勇者」は人間だったのだ。そしてそれ以前にも、このブランク帝国は人間による襲撃を受けてきた。


 一体どれだけの犠牲者が出たことか。魔族達の抱く恨みは想像に難くなかった。


 現に、デザストは193号のことを嫌っている。


「姉ちゃんの言う通り、人間の俺がオッサンの跡を継ぐなんて無理だ。そもそも国民が俺のことを認めてくれるワケがない!」


「そのことは重々承知している……。だが我は予言の通り、我の後継者たる者だけを召喚した」


「その後継者に、俺が選ばれたって、ことか……?」


「これからお主は我が国民と幾度と衝突するだろう。だがお主の持つ《固有能力》と、我の魔王の力を以てすれば或いは……」


 その言葉は、大帝の激しい咳によって遮られた。滝のように長く整った白髭が鮮血に染まる。


 それでも咳は治まることを知らず、遂に大帝は玉座から転げ落ちた。


「大帝様! 大帝様、しっかり――」


「もう、時間がない……」


 大きな肩で呼吸をしながら、大帝はゆっくりと立ち上がった。


 そして193号の前に立つと、巨木のように逞しい膝を付いて頭を下げた。


「……っ⁉」


「大帝様が……人間に膝を……⁉」


 あまりの衝撃的な光景に、デザストは驚き両手で口元を覆い隠す。


「頼む青年よ。どうか我が大切な帝国を――国民を導く魔王となってくれ……」


 その願いに、193号は言葉を失った。


 自分のような何物でもない、その上冴えないし取り柄もない。モブにもなれないような自分に、魔王が務まるのだろうか。


 国民を導けるほどの力があるのか。不安で仕方なかった。


 だが同時に、嬉しいと思う自分がいた。


(何はどうあれ、オッサンは俺のことを頼ってくれてんだ……)


 思い返せば、誰かにこれほど頼られたことがなかった。


 何をするにも『無能』『給料泥棒』と罵られ、やがて自分の価値が分からなくなっていく。


 だが大帝は違う。見ず知らず、どこの馬の骨とも知れない193号を信じ、こうして頼ってくれた。


「……本当に、俺なんかでいいのか?」


「頼む、だから見せて欲しい。お主だけの『覇道』というものを――」


「……ああ。約束する、この俺がオッサンの分までこの国を導いてやる」


 193号は大帝の目を真っ直ぐ見つめ、力強く頷いた。


 大帝はその覚悟のこもった視線を受け取ると、自分の胸に手を当てた。


 すると大帝の手の周りに紫色の炎が集まり、やがて一つの火球となった。


「これが我の持つ魔力、そして《能力》の全てだ」


 手の中に現われた魔力は凄まじく、息苦しさを覚える。まるでこの紫の炎に、大気中の酸素を焼き尽くされたかのようだった。


「強大故、能力の全てを把握するまで相当な時間がかかるだろう。しかしその全てを使い熟せるようになった暁には、世界最強の座を勝ち取ることができる筈だ」


 そう言って、大帝は魔力を載せた掌を193号に向けた。これに触れることで、魔力の継承が完了するらしい。


 193号は恐る恐る手を伸ばす。すると、尋常じゃない程の覇気を感じた。


 今にも吹き飛んでしまいそうな程強い覇気。だが193号は全身に力を込め、大帝の魔力に触れた。


「う、うぐぁぁぁぁぁ!」


 ――熱い! 熱い熱い熱い熱い熱い!!!


 両腕を経由して、止めどなく熱いものがなだれ込んでくる。まるで体内に溶かした鉄を流し込まれているように、身体中の痛みが悲鳴となって噴き上がる。


 だが熱さだけではない。その分、肉体が強化されていくのを感じる。


 溶かした鉄が型に合わせて固まっていくように、ただの戦闘員だった193号を《魔王》たる存在に変えていく。


 次の瞬間、頭の中で声が聞こえてきた。


 《スキルの獲得を確認。固有能力 《伊弉冉神いざなみ》を獲得しました》


 《スキルの獲得を確認。固有能力 《伊邪那岐神いざなぎ》を獲得しました》


 《この世界への順応を確認。転生特典として、固有能力 《八十禍津日神ヤソマガツヒ》を獲得しました》


 立て続けに3つのスキルを獲得したというメッセージが表示される。


「こ、これは……」


「それが我の持つ能力の全て。伊邪那岐神と伊弉冉神、その両方の持つ魔法があれば、すぐにでも魔王として君臨できるだろう」


 ――我のお下がりで簡便だがな。


 そう言うと大帝は、ニヤリと笑みを浮かべた。髭で口元の動きは見えなかったが、しかし確かに笑っているような気がした。


 だがそれも束の間のこと。


「うっ……」


「大帝様っ⁉」


 大帝は突然その場に倒れ伏し、口から血を吐いた。


 それだけではない。肉体の消滅が始まり、足下から段々と身体が消えていく。


「い、嫌ぁ! 大帝様、大帝様! 消えちゃ嫌ぁぁ!」


 一見大人びた印象を与えるデザストが、子供のようにわんわんと泣いている。


 だが、いくら泣こうが喚こうが、大帝の死が覆ることはしかしなかった。


 無慈悲にも両足が消え、腰が消え、指先まで消えていく。


「オッサン……」


「青年よ……後を、任せたぞ……」


 最後にそう言い残すと、大帝の目から光が消えた。


 それが、大帝の命の灯火が消えたサインだと気付いた頃には、既に目から大粒の涙が零れていた。


「……ああ。俺に、任せてくれ」


 そう言うと193号は窓を開け、テラスへと出た。


 そこに広がるのは、中世ヨーロッパ時代の街を彷彿とさせるような城下町。


 煉瓦造りを基調とした家々に噴水広場、テント張りの出店の並ぶバザール。


 しかし勇者によって荒らされた後の景色は、まさに最悪そのものだった。


「……っ」


 ずらりと並んでいた民家は倒壊し、バザールの出店だったものは今となっては黒く焼け焦げてしまっている。


 そして、普段なら笑顔の絶えない場所であろう噴水広場には、今回の襲撃で犠牲になった魔族達が並べられていた。


 周りにいるのは彼らの家族だろう。冷たくなった彼らを前に泣き崩れていた。


「……こいつが、勇者のやることかよ……」


 その時、193号は思った。


 この世界に、正義も悪もないのだと。


 人間からすれば勇者は正義、魔王は悪だろう。だが果たして、平穏な暮らしを脅かす勇者は魔族から見てどうだろうか?


 魔王――ブランク大帝はただ、魔族達の平穏な暮らしを守るために戦い、そして死んだ。


 そして、魔王だからという理由だけで勇者に殺された。


「成程な。それが、この世界の人間が考える悪ってワケか……」


 193号は決意した。大帝から受け継いだスキルに、大帝から託された国民達に、そして生まれ変わった自分自身に。


 国民達に愛されるような魔王になれるかどうか分からない。それでも、193号の決意は曲がらなかった。


「そんなに我らを悪と罵るのならば、望むところッ! お望み通り、人間共にとって迷惑な“悪”になってやろうッ!」


 193号は叫んだ。大帝を失った悲しみを、全て吐き出すように。


 そして、全ての国民に聞こえるように、大きく息を吸い込んで叫んだ。


「このマガツ=V=ブランクが、世界を支配してくれるわァ!」


 193号の名を捨て、マガツは名乗った。


 ヤソマガツヒの「マガツ」、そして大帝の跡を継ぐ意志を込めた「ブランク」。


 そしてブラック企業でこれまで受け続けてきた苦行のない、異世界一ホワイトな組織にするために――



「ここに、異世界一ホワイトな悪の組織を設立するッ!」

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