11-①

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「お待たせー」

「お、お疲れ」

 強い日差しが降り注ぐ七月下旬の昼下がり、待ち合わせ場所に決めていた駅の南口の日陰で三分ほど待っていると、ピンクベージュのふんわりした半袖カットソーシャツを着たその人物が、集合時間の七分前にやって来た。お互い、考えていることは同じのようだ。

「てか隆也くん、来るの早すぎない?」

「大学生は夏休みだから暇なんだよ」

「え? 試験ないの?」

「あったけど先週終わった。今年から百分授業になったから、その分授業週が短くなったんだよね」

「ふーん。そういえば、そんなようなこと言ってた気もする」

「俺と話したこと全然憶えてねーじゃんか」

 火曜日の白昼に人がごった返すほど、僕たちの地元駅は繁盛していない。だからこそ、初めての駅での待ち合わせという試みでも、浮足立つことはない。

「それで花音さん、今日から晴れて夏休みになったわけですが、どこか行きたい場所ありますか?」

「なにそれ、気持ち悪。てかまだ試験終わっただけで夏休みじゃないしね」

 花音は背負っていたリュックから化粧道具のようなものを取り出し、軽く身嗜みだしなみをチェックすると、日向の方に踏み出した。

「じゃあ、公園行こうよ」

 そのまま僕の方を振り返る。

「公園? 今から?」

「そう。公園でお散歩したいな」

 花音の言う公園とは、僕たちの地元にある比較的大規模な都立公園であり、時期を適したものに当てめれば確かに散歩にはちょうどいい場所だった。同じ都内の井の頭公園や昭和記念公園らにはさすがに及ばないが、それでも散策やランニングのコースとしてだけでなく自然としても情緒が溢れ、地域で深く愛された憩いの場になっている。現に修一を含めた三人での思い出にも、この場所はしっかりと刻まれている。僕たちは何度も、この自然を真っさらな感性に浸してきた。

「暑いし、せっかく駅に集まったのに?」

 その実、本心では納得していた。こんなに暑く、さらにはどこにでも行けるようわざわざ駅に集まったことをふいにするような花音の提案に、心の底から追従していた。

「だって私たち、今まではただ暗い道を歩いてただけだったじゃない?」

 僕たちが比翼連理を知ったあの日の後から今日まで、アルバイト以外で会う時間はなかなか取れなかった。お互いそれぞれの学校生活は忙しく、だからこそ今日の節目となった期末試験は、今日以降に全てを心待ちにする取り交わしの原動力となった。

「だからこれから色んなことをする前に、まずは、明るい場所で歩きたかったんだ」

 その言葉が来ることは知っていた。その言葉が来ることを待っていた。花音の口から出るその言葉が、ずっと聴きたかった。

 それが、僕の本心でもあったから。

「へたっておんぶしなきゃいけないとかはやめてくれよ?」

「体育で体動かしてる高校生舐めないでよね。そっちこそ、女子高生に負ぶわれるとかになったら文子さんにチクるから」

「山岸さんはどういう立ち位置なんだ」

 ようやく僕も日向に繰り出し、花音と足を並べる。花音の額からしたたりそうになっていた汗が、何かの弾みで揺曳ようえいし、僕の左腕に付着した。

「ほんとに、隆也くんって意地悪だよね」

「え? なに?」

 左腕に気を取られていると、花音がボソッと独り言を呟いた。本当は聞こえていたが、聞こえていないフリをした。

「なんでもない」

 左腕に付いたそれは、もう僕の汗にまみれて区別がつかなくなっていた。花音は紺色のショートパンツのポケットから取り出したハンカチで額を拭き、僕の隣を流浪るろうする。右手に持った汗の染み付くそのハンカチは、淡い水色で、自作の跡が生々しかった。

 そうして、改めて実感した。花音の一枚上手は、僕の想像を遥かに凌駕している。


「思ったより涼しいな」

「でしょう? ちゃんとそこまで考えてるんだから」

 アスファルトを日差しからしずめる木陰と、優しく吹き付ける涼しい風が、僕たちの地元が誇る公園が用意してくれた舞台だった。

「マジで倒れそうなくらい暑かったらあそこ飛び込もうと思ってたのに」

「どうせそんなことする勇気ないくせに」

 二人の視線の先には、公園の中央を陣取る大きな池がある。花音の言う通り、仮にそれが花音からの命令だったとしても、そんなことを実行する肝は据わっていない。

「じゃあ、ボートならいいだろ?」

 提案のつもりでも意趣返しのつもりでもあったが、花音の表情は、薄笑いのまま動かなかった。

「ううん、このままでいいよ」

 花音は僕から視線を外したまま、どこか池からも離れた場所を見ていた。

「隆也くんはさ、こういう、ただ並んで歩いてるだけって、どう思う?」

 そう訊かれ、ふと自分の足下を見てみる。その後花音のことも見てみたが、相変わらず花音はどこか遠くを見つめていた。

「まあ別に、嫌いじゃないよ。今までもずっとそうだったし」

「うーんと、そういう意味じゃない、わけでもないんだけど、」

 一度下を向き、それから僕の方に視線を戻した。その際花音を見つめていた僕の視線と重なり、なんとなく、方向を逸らし合う。

「じゃあ仮にね、ただ並んで歩く二人にとって特別な紙ヒコーキがあって、それを、公園で飛ばしてみるの」

 言葉の意味が解らない、とは思いたくなかった。花音はたぶん、何かを伝えようとしている。

「それがね、全然ちないの。公園を飛び回って、そこから街の方に行って、最終的には駅に降り立つ」

 その証拠に、花音の表情はとても穏やかになっていた。

「隆也くんはこの紙ヒコーキに、どんな意味があると思う?」

 まるでその答えが、人生の決断に直結するかのように。

「生きてることを表してる、とかかな」

 僕の答えに、花音の表情は一瞬引き締まった。

「紙ヒコーキが飛び続けてる間は、何かが生き続けてる。だけどそれが墜ちると、何かの運命も共になる。だからその紙ヒコーキに人生を重ねた二人は、駅で生涯を終えるんだ」

 えて、花音と視線を合わせ続けた。深い意味はなかったが、花音の想像力に屈したくはなかった。

「……隆也くんって、中学とか高校でちょっと痛いキャラだった?」

「……なんでバレた?」

 だが、それをあっさりかわされてしまうのが、僕と花音の間にある大きな差なのは、今に始まったことではない。

「冗談冗談。でも、その考え方面白いね。死生観っていうのかな? ちょっと怖かったけど」

「俺は花音が急に紙ヒコーキとか言い出した方が怖かったよ」

 花音の表情が綻ぶ。その日初めて、花音のことを心の底から抱きしめたくなった。

「ふふっ。でもいいじゃない、紙ヒコーキ。鳥の翼は左右で完全に同じにはならないけど、紙ヒコーキなら、ずっと一緒で居られるんだよ?」

「なら、墜ちるときも一緒だな」

「うわー、最低。隆也くん、私と別れたらもう一生女の子に相手にされなさそう」

「……ガチ感あるからやめろ」

 何かの合図を出したわけではなかったが、それから僕たちは、ただ並んで歩き出した。

 会話を交わすこともなく、左手と右手を重ねることもなく、ただ、子供の頃から何度も訪れているこの場所で、何度も花音と過ごしてきたこの場所で、大人になりつつある感性を浸している。これが、僕たちの比翼連理なのかもしれない。

「左手、出して」

 花音の誘惑に、対抗する神経はどこにもなかった。そのまま僕たちの諸手もろては重なり合い、ゆっくりと、花音の温もりが全身に染み渡った。

「どうでしょう、ピチピチの女子高生に初めて触れる感想は」

 自分で言っておいて気恥ずかしかったのか、それとも意図的だったのかはわからなかったが、花音は視線を前に向けたまま、僕の左手を握り締める右手に力を込めた。

「……お前、それ親に伝えたら泣くぞ?」

「……それだけは勘弁してください」

 どうやら前者だったようだ。そこがまた、僕にとって花音がこの上ない存在になっている所以ゆえんでもある。

「でも、お兄ちゃんにだったらいいよ。少しぐらい、痛い目見せてあげたいから」

「言ったら悪いけど、たぶん全然気にしてないと思うよ」

 右手にさらに力が込められる。だが花音の握力では、僕に制裁を加えようとした行為は心地の良い痛快にしかならない。

「それなら……、文子さんにしよっかな」

 花音は再び、意味深な薄笑いを浮かべた。

「おいおい、何の恨みがあってそんなことするんだよ」

 その真意に悪戯いたずらを覚えた僕は、たしなめるように言った。

「え? 違うよ? 痛い目見るのは隆也くんだよ?」

「え? どういうこと?」

 だが、見当違いだった。今回に関しては、見当たる見当は何一つなかった。

「まったく、隆也くんはわかってないなあ」

 今度は思い切り、花音の笑顔は悪戯に染まった。花音の視線は、僕の瞳を直撃している。

「そんなところも、嫌いじゃないよ」

 薄暮を演出する太陽が沈みながら、花音の瞳に映った。オレンジ色のまばゆい光が、緑陰を避けてアスファルトに反射した日向の力を借りて、花音の髪を褐色に染め上げる。

 それが、花音と過ごした初めての日との永訣えいけつだった。

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