1‐2

 女の隣を歩いてみると、まずその目線の高さに驚かされた。




 スタイルが良いとは思っていたが、この女、恐らく身長も優に一七〇はある。ぺったんこのキャンバススニーカーでこれなのだから、踵のある靴なんぞ履かれた日には、場合によっては俺より高くなりかねない。ますますサウナ染みた押し入れに潜んでいたのが不自然で、次はルーブルの保管庫辺りに潜むのがいいんじゃなかろうかと思う。




 夏真っ盛りの炎天下だと言うのにやはり汗一つかかない涼し気な姿はリアリティを欠いていて、それこそ大理石の彫刻が服を着て歩いているかの如くであった。造りの良い横顔が飄々としながら長い睫毛をしばたたかせているのを見ると、なんだか本当に涼しい風が吹いてくるような気がしてくる。




 さて何から供述してもらうべきか、右手に脚立をぶらぶらしながら女の横顔を盗み見ていると、彼女はふと「そういえば」と口を開いた。




「一ノ瀬君、今日アルバイトはどうしたの」




「早上がりになった。店長の奥さん、お子さん産まれそうなんだと」




「なるほどね。そっか、もうすぐ出産予定日だったものね。盲点だったわ、完全にしてやられたって感じ」




 その場合してやった側はお腹の中の赤ちゃんということになるが、赤ちゃんは何もお前を策に嵌めるために生まれて来ようとしているワケではないと思うぞ。と言うかコイツ、俺のバイト先の店長の奥さんの出産予定日まで把握していやがったのか。




「一ノ瀬君、いま私が一ノ瀬君のバイト先の店長の奥さんの出産予定日まで把握していることを不思議に思ったでしょう」




 薄々感じてはいたが、多分思考まで盗聴されている。アルミホイルでも巻いてみるか?




「出産予定日を知っていたのは、一ノ瀬君のシフトが無い時間にバイト先に通っていたから。思考が大体読めるのは、一ノ瀬君をストーキングしている間に、分かるようになったってだけ。ねぇ、人の思考回路って、確かに複雑に造られてはいるんだろうけれど、私達に使いこなせるようにはできていないのね。人って思っているよりも単純で、もっと習慣的なの。一ノ瀬君の朝ごはんとか、寝る時間とか、水道代とか、お友達とか……そういう細々した情報を集めて積み重ねてみると、その人がどういう人で、何が好きで、何をどう考えるのかとか、割と分かるものなのよ」




「へぇ。ところであんた、そこに至るまでに俺の情報をどのくらい蓄積したんだ?」




「二年と三カ月分」




「に、二年と三カ月分……」




 めまいがした。俺のプライベートは想像以上に損なわれていたらしい。何をどこまで知られているのか分からんが、二年と三カ月もあれば特に見所の無い俺のキャンパスライフだって、始まりからこれまでの期間丁度ぴったり総ざらいできてしまう。




「……ん? もしかしてあんた、椎大生?」




「そう。一ノ瀬君と同じ、椎應しいおう大学の三年生。私は経済学部だけどね」




 だいぶ話が見えてきた。今が七月の半ばだから、その二年三カ月前といえば俺が大学に入学してすぐの時期である。この女、どっかでダブったりしていない限り、入学して早々犯罪に手を染めているということになる。二〇歳を迎えずに飲酒喫煙の不良コンボに興じる学生はさして珍しくもないが、いきなり盗聴盗撮ストーキングゴミ漁りのピザ屋もビックリクワトロコンボをキメる女学生は日本中探し回ってもこの女くらいだろう。国立市の治安が危ぶまれる。




「別に、なにも最初からゴミまで漁っていたわけじゃないわよ」




 また思考を読まれた。蓄積とは恐ろしいものである。もっと別のことを蓄積した方が良かったんじゃないのか? 英単語とかさ。




「サークルの新歓で一ノ瀬君に声をかけられてから、しばらくはただのストーカー。大体半年くらいかしら、それくらいでゴミを漁るようになって、盗聴と盗撮はさらにその半年後」




「ちょ、ちょっと待ってくれ、声をかけたのか? 俺が? あんたに?」




「そうよ、覚えていないでしょうけど。私だいぶ変わったし、それに一ノ瀬君、あの時べろんべろんだったもの」




 全くもって思い当たる節が無い。そりゃ夢のキャンパスライフに浮かれて飛ばした記憶も多いが、それにしたって、泥酔する前後くらいはちゃんと覚えている。だいいち同じ新歓に来た一年生なら、素面の段階でちょっとした交流くらいしているはずで、その記憶すら無いなんてことがあるものか。よっぽどイメチェンに成功したのか?




「でもまぁ」と謎の女はつんとした顔のまま、事も無げに言う。「それがいいと言うか、そうでなくちゃ困るのよ。だって、私は私を知らない一ノ瀬君が好きだったんだから。いえ、知らないからこそ好きになっていた、と言うべきね」




「その、知っているとか知らないとか、結局何が言いたいんだ? とにかくあんたが俺を好いていてくれて、それで犯行に及んだことはまァ理解できたんだが、俺があんたを知っていると俺の行動に影響を与えるとか、その辺がいまいち何だか分からない」




「それは」




 と、そこまで言って、女ははっとして口をつぐんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る