第6羽 それでも僕らは不適合者
「しかし、上界があのハニエという少女一羽にあそこまで執着するのも図りかねるな」
「あなたがそれを口にするのですか。さきほどあそこまで彼女をがなり立てていた、あなたが」
オファエルの言葉を背中に、校長と呼ばれる彼は、窓に広がる街並みをただ眺め続けていた。
一日を通してそらが真っ黒な星上界でも、昼夜の分かれ目ははっきりとしている。太陽の光が地上を照らさず、街並みが薄暗く見える今は夕方といったところだろうか。
「...翌々考えればの話だ。まだ座学しか学んでいない状態で上界に行くことが許されるというのは、少々奇妙な話じゃないか。今までにそんな例があったか?」
不意に窓から目を外した彼は、手を後ろで組み机の周りを歩きながら続ける。
「天使の世界において、この学校の役割というのは教育だけではない。若い天使たちの能力を見極め、評価し、適切な場所へと送り届けることこそが、この施設の最も重要とされる機能だ。そして、評価にはいつも”軸”が必要になる。彼女のように頭が切れ、豊富な知識を得ていることも無論重要だが、私たち天使にとっては
そう言う彼の右手には、薄く光る
「そういえば、
「……」
◇◇◇
それからちょうど一週間後、校舎の一端にある「大広間」と呼ばれるホールに、一学年の天使たちが続々と集まり始めていた。
「ようやく見つけた。ヨエルー!サリルー!」
群衆をかき分けた先にいた二羽を、ハニエはやっとのことで見つけることができた。彼らの元へ駆け寄ったハニエは、息が上がる様子も見せないまま満面の笑みを向けた。
「
「
「あったりまえよ!待ちわびた『実技』の授業がやっと始まるんだから!昨日の夜も全然寝れなかったわ。それに――」
「学校生活で唯一の、全クラス合同授業だもんね。授業でこの
ハニエの言葉に、ふたりはハッとしたように周りを見渡す。
「ねえハニエ、そういえば今フォルンはどこにいるのかしら?」
「な、さっきから全然見かけねえけど」
「何言ってるのふたりとも。さっきからずっとここにいるじゃん」
そう言ってハニエがさした指は、真上に向かってまっすぐと伸びていた。
何のことかと二羽が天井を見上げると、そこには何か
『…………なにあれ』
「ほらフォルン、降りてきて。授業始まっちゃうよー」
ハニエがそう呼ぶと、その
サリルとヨエルが近寄って見ると、初めてそれがなんとも渋い顔をしたフォルンだと分かった。
「...いや蛾かよ!」
「一体何してたのよ。天井なんかに貼り付いて」
翼に手を触れ、揺さぶりながらにヨエルが問いかける。すると考えたのか躊躇したのか、数秒間の間を空けた後に、顔を翼で隠しながら彼は初めてか細い声を出した。
「だって、実技やりたくないんだもん……」
そして起き上がるどころか、更に両翼を閉じて繭のように固まるフォルンを前に、二羽はただ呆然と見下ろすことしかできなかった。一方ハニエには、これが何度も見てきた事象だとでも言うように、落ち着いた口調で語る。
「フォルンは不安なことがあると、こうやってすぐに木とか壁に貼り付くんだよね。ふたりは違うクラスだったし見たことないかもだけど、学校に入ってからも毎授業前は教室でこんな感じだよ」
「まじで天使じゃなくて蛾だな…」
そうこうしていると、突然ホール中に鐘の音が響き渡った。聞き覚えのあるその音は、いつも授業の開始を知らせているチャイム音だということに彼らはすぐに気がついた。反面、それがこの広間の屋根上から発せられているものだったことは、大半の生徒がこの時初めて知ったのであった。
音を聞くなり、周りにはびこっていた生徒達は一斉に広間の正面へと集まり始めた。彼らが向かう先では、すでに各クラスの担任達がそれぞれ整列の合図を取り始めていた。
「おい、どうすんだよ。もう授業始まっちまうぞ!」
「フォルン!早く起きなさいよ!ねえ、ねえってば!!」
サリルとヨエルの二羽が必死に呼びかけても、その繭は開くどころか、さらに硬く閉ざしていくのであった。
「だめだ、全然起きやしねえ....」
「ちょっと乱暴だけど、このまま担いで持ってくしかなさそうね。私は脚持つからあんたは頭を持って」
「おっけ....いや、これどこが頭なんだ?」
「わからないわよ。とりあえず、、こっち?」
慌てふためいて手がつかない様子でいる二羽の後ろから、突如肩に手を置きながら身を乗り出してきたのはハニエだった。動かないフォルンの前で膝をつき、手を口周りで広げてしっかりと聞こえるように口を開いた。
「ねえフォルン。この授業終わったら――――」
すると突然、さなぎの様に閉じていた翼がかっ開いたと思うと、床から勢いよくフォルンが飛び起きた。そして体を伸ばしながら元気な声を張り上げた。
「よし!座学ができなかった分、
そして何事もなかったかのように、ステップを踏むような軽い足取りで駆けていったのであった。その横に並ぶようにハニエも一緒になり、彼らのクラス、3組の整列してるほうへと向かって行った。数秒前からは想像もできなかったような状況に、サリルとヨエルはただただあっけにとられるばかりだった。
「さすが幼馴染、、フォルンが何が好きか分かってるわね...」
「俺も今度から部屋に戻った時は
立ち尽くしている二羽に、前方で振り向いたフォルンが大きな声で呼びかける。
「ふたりともー!早く行こ!みんな集まってるよ!」
「まったく、誰のせいだと思ってんだよ」
「まったくね」
二羽は顔を合わせて少しほほ笑んでから、急ぎ足で4組の列へと向かった。
◇◇◇
――1組、大丈夫ですー
――8組も点呼完了しました
――5組は
クラスごとに並んだ生徒達を、担任が一羽一羽点呼を取っていく。出席の確認が終われば、つぎつぎと私のもとに来ては報告をしに来る。手に持っているボードに記載をしていると、隣にいた後輩の教師が話しかけてきた。
「オファエルさん、生徒たちも揃ったことだし、そろそろ始めちゃってもいいんじゃないですか?」
「ああ、そうだな」
3組の担任教師と兼任して、この実技授業においても私は全てを任されている。
生涯二千年の天使の人生において、生徒たちのこれからの進路を大きく左右するのは、間違いなくこの学校の「成績」。その評価の半分を占める”軸”が、ここでの実技点だ。私が相手をするのは、一クラスだけではなく学年全体。責任ある以上、手を抜くことは許されないな。
まあとは言いつつも、私自身決してこの授業を好んでいるわけではないのだが
「にしてもオファエルさん。今期の生徒たちは一体どうなんでしょうね?座学で優秀な子たちは多いですけれど」
「さあな。私は教えるべきことをただ教えるだけだ」
「そんなこと言って、ほんとは気合入ってるんじゃないですか?前の代はずいぶんと”豊作”だったでしたもんね。まあ、
6組の担任をしている彼が肘を圧しつけるように絡んでくる中で、私の頭にはすぐさま"ある顔"が思い浮かんできた。
「そう言えば、その”彼”はどうしている?今日は補助員の一員として呼んだはずだが」
「それがなんと、ちゃんと来てるらしいんですよ!こりゃまた意外ですよね!」
自分で呼んでおきながら、彼の言う通り意外だと思ってしまった。正直、私がお願いをして”彼”が来るとは微塵も期待していなかった。しかし、嬉し半分に再度周りを見渡しても、その"彼"の姿はどこにも見当たらなかった。
「たぶん今頃、この建物の屋上で寝てるんだと思いますよ。」
上を指さしながらのんきな顔でそう言う彼に、思わず大きな声で叫んでしまった。
「な!それじゃあ意味が無いだろう!!今すぐ呼んでくるんだ!」
「は、はいぃ...」と担任の立場も無いようなひしゃげた背を向けた彼は、屋上へとつながる階段をつたわりながら立ち去っていったのであった。怒鳴るつもりも無かったが、つい強い口調になりすぎてしまったかと反省しつつも、同時に騒がしかった生徒たちがいつの間にか静まり返っているに気付いた。
まあちょうどいい。
体育座りの生徒たちのちょうど正面へと出ると、腹の底から息を吸い、全体の奥にまで向けて先ほどのような大きな声を出す。
「それではこれより、実技の合同授業を開講する!!」
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