第5羽ー2


「お断りさせていただきます」


 床は赤く、壁周りには豪華な装飾がなされた部屋で、私の声はどうしてか大きく響き渡った気がした。いやきっと、私の返事が思いもよらないものだったから、目の前の大人たちが一斉に黙りこくったからだろう。


「いま、、、なんと……?」


 目の前で深々と大きな椅子に座っていた校長先生は、机に手をつき身を乗り出してきた。


「"上界"へ飛び級の件はお断りさせていただきます、と言いました」

「正気かね君は!?何が根拠でこの申し出を断ることが――」

「まあまあ落ち着いてください。ミカエル校長。まずは彼女の話を聞きましょう」

「だから今それについて問い詰めようと――」


 気を荒げた彼を横から止めようとしているのは、私の担任のオファエル先生だった。白髪の校長の気をなんとか鎮めると、こちらを向いた彼は相変わらず落ち着いた口調で私に問いかけてきてくれた。


「ハニエ生徒。念の為聞くが、本当に断っていいのだな?この学校を飛び級で卒業し、今すぐ上界で働いてもいいと、から君に申し出があった。この事実を十分に理解しての返答か?」

「はい。オファエル先生自身が授業で扱っていたので、十二分に理解しているつもりです」


 続けて先生が授業で言ったことを、口から真似るように反芻した。


「この学校を卒業した天使の進路には3つの選択肢がある。1つ目に、ここ星上界に留まって働き、天使として尋常な生活を手にする。2つ目に、他より優れたものがない者は星上界ここを降りて人間界、つまり下界で働くことになる。そして3つ目に――」 

「ここより更に上の場所、"上界"で働き、神とともに暮らす幸せを享受することだ。天使にとって、より神に近い場所、地上より上に行けば行くほど名誉ある事となるのだ。毎度毎度、どれだけの卒業生が希望しようとも、そこへ行くのを許されるのはほんの一握り。それを君は今、自分の一つ返事で断ろうとしているのだぞ!!これがどれだけ愚かなことなのか、やはり若い者は分かっていないのではないか?」


 私に向かって指をさしながらいきり立つ彼の形相を見ていると、とてもじゃないけどウリルと同じくらいの年齢の天使とは思えなかった。同じなのはそこにあるシワくらいだろうか。


「だいたいさっきからわしがこんなに問い詰めておるのに、理由の一つも言わないとは何事じゃ。こんな名誉なことを断っておきながら、十分な説明もなしに――」


 ◇◇◇


 校長室を完全に出る手前、私は一礼し、ゆっくりとそのドアを閉めた。校舎の34階にあるこの廊下では、さすがに生徒の出入りも少なく、左右の奥行きを見渡しても、一羽として他に天使はいなかった。私はそのまま、左端の階段に向かって歩き始めた。


 にしても、、ようやく終わった。という安堵の息が、私の口から最初に漏れたものだった。終始、校長のミカエル先生は納得していない様子だったけれど、横にいたオファエル先生の存在が大きかったかもしれない。なんとか「上界行き」は回避できそうだ。


 長い階段を降り、私達の教室がある25階に辿り着くと、廊下の縁でペチャクチャと喋っていた数羽のクラスメイトが、私を見るなり近付いてきた。


「ハニエじゃん!お疲れ様」

「ホントだ。ハニエちゃんだ!!」


「…やっほー!」

 それとなく返事をして先を行こうとしたところを、彼女たちは行かせまいと周りを囲み、目を光らせて聞いてきた。


「ずいぶん長いこと先生に呼び出されてたじゃない」

「何の話をしてたの?教えてよ、

 

「なんで様付け?」 

 やけにへりくだった眼差しで見てくる彼女たちの様子が、私は不思議でならなかった。

 

「だって、みんなあなたのことそう呼んでるのよ」

「ね。だってハニエちゃんは、

 学校一の"秀才"だもの」

 

 ◇◇◇


 やけに取り巻いてくるクラスメイトや他クラスの生徒をなんとか振り切り、ようやく自分のクラスのドアの前に辿りついた。校長室でうっすらとチャイム音が聞こえたのもずいぶんと前のことだった。今はもう昼休み半ばといった頃だろうか。


「フォルン、まだいるかな…」 

 

 不思議と幼なじみの顔が大きく浮かびながら、ドアの取っ手に手をかけたとき。教室の中から、何やらクスクスと笑い声のようなものが聞こえてきた。


 ガラリと開けて中に入ると、そこには前方を向いて一斉に笑っている天使たちと、黒板の前でどこか恥ずかしそうに一枚の紙に顔をうずめる幼馴染フォルンがいた。


 私が入ってきたのを見て、目の前の男子三人組は、逃げるように反対のドアからそそくさと出ていった。教室に残った他の天使たちも、どこか気まずいのか、やけに私から目をそらす。


 何が起きているのかわからないままフォルンの元へ駆け寄り、うつむいた顔を見ようと下から覗き込むと、その目の中には涙のようなものが一瞬垣間見えた。


「フォルン、どうかしたの?」

 

 しかしフォルンはそれを嫌がったのか、無理に顔を上げて平然を装っていた。


「…いや、何も。早くサリル達のところ行こ」


 丸めてポケットの中に入れたその紙が、返されたテストであったことは知っていた。だからこそ、教室で何が起こっていたのかも、その時になんとなく分かってしまっていた。

 

◇◇◇

 

 最近になってからだろうか。いや、たぶんこの学校に入ってからずっとかもしれない

 周りにいる天使。誰もかれもが、信じられなくなってしまっている気がする


 こうやって幼馴染とふたりで廊下を歩いてるときだって、周りで私達のことを見てくる目の一つ一つが、の敵に見えてしまう。


――おい見ろよ。秀才と底辺が一緒に歩いてるぜ

――あのふたり、幼馴染らしいわよ

――ははっ!その割には真逆だな!

――ね。なんていうか"不釣り合い"よね


 聞こえない…聞こえない…何も聞いてない…

 

 ◇◇◇


 廊下を渡り、別の校舎の棟に行くと、そこには生徒たちが休憩できるラウンジスペースがある。あたり一面に散らばったテーブルのうちの一つにて、で会うのがいつもの日課になっている。


「あ、ふたりともようやく来たわね」

「ずいぶんと遅かったじゃんか」


 そう言って廊下を渡ってきた私達に手を振ってくるのは、いつもヨエルとサリルだった。クラスは違えど、入学の日以来ずっとこの四羽で仲良くしている。

 

「アハハ、ごめんごめん。ちょっと先生に呼び出されてて」

「ハニエが校長室に呼び出されてたのは聞いたけどよ、フォルンはなんで遅くなったんだ?」


 サリルが聞くと、フォルンは恥ずかしそうに頭を掻いて答えた。


「それが、授業中にうっかり寝ちゃって、、それでそのままチャイムがなったあとも」

「フォルンらしいわね……ていうか、ハニエは校長室で何を話してたの?」


 ヨエルの突然の質問に、私は一瞬息を呑んだ。その瞬間にいくつもの考えがよぎっていくのを自分ながらに感じたけれど、こういうときは決まってこう逃げてしまう。


「ううん。特に大した話じゃ無かった。

 それより、今度の実技の授業が楽しみだよね!」


 少し話題を変えようとしたのが顕著に出過ぎたか。みんなの困惑した顔が見えて、これは間違えたと堪らず目をそらしたくなった。しかし、次の瞬間には、ヨエルが話に乗ってくれていた。


「そうよね!ようやく来週から始まるもの!あたしはずっと楽しみにしてたのよ」

「ヨエルは俺と違って勉強できないもんな。いつもみたいに運動一本で勝負するんだろ」

「うるっさいわね!あんたもどうせ勉強しかできないくせに」


 サリルとヨエルは、私達みたいに幼馴染ではあるけど、"相性"みたいなのは真逆なのだろうか。しかしこうして喧嘩ばっかりしている様子を見るのにもそろそろ慣れてくるほどには、この四羽よにんで一緒にいることが多かった。


「はいはい、ストップストップ」


 きっとここだけなのかもしれない。もはや不思議になってしまうほどに、ここの空気は暖かい。

 きっとフォルンもそう感じてるはず。


 上界でも下界でもどこでもいい。この学校ばしょから離れられるなんて、本当は最高の提案に響いていた。でも、それはこの四羽じゃないと意味が無かった。私だけ行ってしまうのだったらそれこそ意味がない。だから断った。それで良かったんだ。

 でも今の私は、それ以上に...



――より神に近い場所に行くことこそ、我々天使の最高の幸せなのじゃ

――ははは、見ろよ。天才とバカが歩いてらぁ

――あのふたり、不釣り合いよね

――ああ見えても幼馴染なんだってさ。しかも森から来てるっていうらしいぜ

 

 ◇◇◇

 

 周りで飛び交う言葉一つ一つに耳を傾けるたび、

 それを知らないようにと顔を背けようとするたび、

 私の中でしだいに、しだいに何かがたまっていた。しかもそれは自分でも驚くくらい、どうしようもなく深く、深く、深く深く深くて


 この感情を、なんと言うのか

 それを知ることすら怖かった


 私の行く先を押し付けて来るやつも、少しテストができた私を『秀才』だとか手のひら返して取り巻いてくるやつらも、見えないところで幼なじみをいじめるやつも

 みんなみんな、「憎い」という言葉ですら表せないほどに、私は――



「ハニエ?どうかしたの?そんなに机にうつむいて」

「いや、なんでもないのフォルン。本当に、、なんでもないから」


 ああそうか。ただ単に、私が必要としているだけなんだ。"ここ"という場所が無ければ、私はきっとどうにかなってしまいそうなんだ。それが一番の理由だったんだ。

 


 だけどきっと、幼馴染フォルンたちはこのことを知らない。知ってほしくない。私のこんな顔を、どうか


 

 そんなことを考え続けていたのが、あの頃の私だった



 

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