待ってよ、弟!

@rabbit090

第1話

 哲学者になりたい、と彼は言った。

 その時の彼は深く傷付いていて、とにかく、というかふざけていた。

 私は、そんな彼のことをぶん殴ったし、お前目ぇ覚ませよ、と恫喝(とまではいかないはず…)ということで、混乱していた。

 「もう、辞めるから!」

 そう宣言したまま、彼、つまり弟は、失踪した。

 ああ、ごめん、と思った時には遅かった。

 私は姉として、全てがダメだったのだと、その時気付いた。

 「お母さん、ごめんね。あいつ、いなくなったみたい、それ全部私のせいだから。」

 「…連れ戻してこい!」

 母は、憤っていた。それはもちろんそうだ、弟は、母の最愛の(多分)息子で、何よりまだ成人しておらず、中学生なのであった。

 「分かった。」

 仕方なく、私は荷物をまとめ、旅に出ることにした。

 旅って(私まだ高校生なのに…)、とにかく、家出したいという思いもあり、ちょっとだけ外へ出よう、という軽い気持ちでいたのが、悪かったのかもしれない。

 

 「姉ちゃん、俺のことほっといていいから。」

 あれ?え?

 まさか、弟はすぐ見つかった。

 というかほぼ隣り町の、ショッピングセンター、近、と思ったけれど、それは杞憂だった。

 弟の隣に、とても可愛らしい女性がいる。

 彼女か? と思ったが、何も言わずに、去って行った。

 私は、弟をいじめた自覚がある。だからきっと、弟は哲学者になる、だなんて馬鹿げたことを言っているのだ、と思った。

 でも、昔からやたら新書だったりなんだったり、学術書に近いような内容のものを、手に取っていて、うぜえな、と思っていた。

 「おい、こいや。」

 つい、クセで私は汚い言葉を、弟に向かって吐きかけた。

 隣りにいる多分弟と同じ年代の彼女は、わたしを汚いものを見るような目で見ていた。

 そんな目をされる筋合いはない、私は、私だ。

 とか、変な開き直りをしなくてはいけないくらい、動揺していた。

 「うるせえ、お前。俺が暴力振るわないからって、もう姉じゃねえから。お母さんには俺から話しておくから、もう仕事も決まってるんだ。だから、大丈夫。」

 大丈夫?仕事?中学生の分際で? 

 それって、

 「あんた、怪しい仕事じゃないでしょうね。だってまだ中学生じゃない。」

 「卒業後、俺のこと雇ってくれるって。口約束だけど、話があるんだ。まあ、約束じゃねえな、とにかく、真っ当な所だから。」

 そう言って、弟とその彼女(らしき人物)は、私を嫌そうな目で見つめて、去ろうとした。

 でも、

 私は、弟をあきらめられない。私が弟に向かってぞんざいな態度をしてきたのも、この弟のことが好きだったから。生れた瞬間は、天使かと勘違いする程、愛らしかった。

 半面、私は不細工だったけど、その分弟のことが、好きで、多分興味が離れなくて、目が離せなかった。

 そして、成長する内に、弟はそんな私の関心をうっとうしく感じていることが分かった。けれど、嫌がっている弟のことを認識しているはずなのに、私はやめられなかった。

 そして、ヒートアップしていった先が、これ?

 「待ってよ、私。」

 私は、弟の手を掴んだ。けれどその手は、厚く太く、もう子供ではないのだと、感じた。

 「あのさあ、俺。姉ちゃんの関心が、嫌なんだ。だから内にこもって、研究とか、そんな本ばっか読んでんだ。でさ、その結果姉ちゃんは、多分やべぇ奴だから、ごめん、言葉は汚いけど、でも俺、姉ちゃんの暴言とか暴力から、逃げたいんだ。もう、辟易してるから、だから。」

 はあ、とそこまで言い切って、弟はため息をついた。

 そんなに長く私に話しかけることがあまりないからか、疲れているようだった。

 「来んな、いい加減にしろ。」

  

 弟は、母の公認を得て、中学を卒業後、就職ではなく親戚の家で暮らすことになった。

 かく言う私は、誰も一緒にいたくない、というから一人になって、高校を卒業していないのに、実質、一人暮らし、ということになってしまった。

 仕方ないことだと、心の中で笑っていた。

 たった一人の、部屋なのに。



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