2.壊れた人間関係

 次の日は大学病院へ。腫瘍が大きいこと、足に麻痺やけいれんが出ているので手術が決まった。この先生が最初の主治医〇先生だった。

心電図、胸のレントゲン、採血と術前検査をしながら、この病院でいいのか、とよぎります。でも、こんなに検査をしてお金もかかってる。なので、自分に言い聞かせて手術をすることを決めた。馬鹿だな、私。どんな簡単な手術でも病院は検討すべきだと今では思ってる。


 術前の説明は簡単なものだった。「腫瘍は大きな血管にできているので、そこは腫瘍を残します。手術後はガンマナイフ(患部にだけ当てる放射線)を照射します」


 姑息にも私は医療者として”それが古典的一般的な手術”なのだと、偉そうに考え納得したのです。


 良性の髄膜種だろうということで、二ヶ月先の手術になった。なーんだという感じだろうが、私は痙攣が起きる。つまりてんかん発作が出ているということで、抗てんかん薬が出ることになった。

 てんかん――意識消失して痙攣発作? 私も医療者だが発作大変だなあということしか知らなかった。


 私の場合は腫瘍で脳が傷ついたから、痙攣が起こるようになったと薬が処方された。ところが――副作用が辛い! 


 頭が重くてあげていられない、めまいが辛くて家では這っての生活。三週間で六キロもやせた。


 職場では軽作業でいいと言われたけれど、シュレッダーも辛い。「何ができて、何ができないのか教えて」と同僚に言われても「わからない」と答えた。頭の働きを鈍くする薬を飲んで、頭を働かせなければいけない仕事が辛い……。


 私は薬の副作用でダウンしてしまって、手術まで有給を取り少し回復してから手術を受けた。


 術後は一ヶ月程度で普通の生活に戻れると聞いていたのに、私は凄く具合が悪かった。頭重感がひどい。横になると頭の中に小石をいっぱい詰めたイメージが浮かんでくる。体が布団に沈んでいく。自分は細胞の塊なのに、分解せずにここにいることが不思議な気がした。


 パソコンで文字を見るのも辛い、自分の名前を書くのも一日がかり、テレビを見るのも汗びっしょり。六か月休職させてもらっても復帰はかなりしんどかった。時々トイレに駆け込んで座って目を閉じてこのまま気絶するかも、と本気で思った。


 その状態は三年ぐらい続いた。理由はわからない。主治医や他の先生に訊いても首を傾げられる。


 ただ、他の髄膜種の人に訊くと術後、頭痛持ちになった、光が嫌になったなどの話もきくので、先生が取り合ってないだけでは……とも思うけど。


 人間関係も壊れた。

 冒頭で、彼に病名を告げたら音信不通になった、と書いた。自分も具合が悪いからそれほど気にならなかったけれど、怒ってもいいよね、と一週間してから電話をした。


「会いに来てよ!」

 来てくれた。その時の言葉が「俺上司に話したら、お前も大変だな、と慰められて泣いちゃったよ」


 ……え。大変な私には連絡せず上司から慰められる? 優しい人。ただ、少し、大変な彼女を支える彼、というのに酔っているのかなと思ってしまった。


 そんな私の彼との関係が壊れたのは術後半年たってから。毎日のLINEで「具合どう?」「具合悪い」そんな答えをしていた気がする。遊びに行けなくて悪いなという思いもあった。


 でも毎週会いに来てくれて会話して、ご飯も食べていた。そんな彼が出て行ったのは私の誕生日。喧嘩の始まりは私のケーキをどうするか、という話だった。


 眠かったのでしょう、ベッドから出てこないし「もういいよ、ケーキいらない」と言ったら、「僕だって我慢しているんだ」と出て行ってしまった


 相手が出て行ってから、初めて泣いて怒った気がした。そのエネルギーがなかったというか。

 私は相手とこれまで喧嘩をしたことがない、タイミングがわからないというか。  

 だから相手が出て行った時の対応法をネットで調べたら、一週間は頭を冷やさせるため連絡を取らないほうがいいと。


 我慢した。電話もせず既読になるのを、毎日見てた。


 ようやく既読になったのは六か月たってから。長いよ……。


「ちゃんと話したい」、「負担をかけないように会いたい」と電話した。彼から言われたのは「そういうのは電話してくるのは卑怯だ」ということだった。


 そして「もう僕の時間を邪魔しないで」


 彼とよく行ったバーのマスターに教えられた。「彼は自分が被害者になってるよね」

“僕の時間を邪魔しないでくれ” ふられたのは私なのに、彼にとっては自分が被害者になっていた。


 私は、医療者として癌サバイバーの体験談を聞いたことがある。

 “乳がんの手術、抗がん剤の治療が終わり、自宅で横になっていた時。夫がインスタントの焼そばを食べていたので「美味しそうでいいね」と言ったら、怒って焼そばをゴミ箱に投げ捨てて出て行ってしまった”と。


 治療中は家族も「支えよう」と思っていても、それが終わった後も具合が悪いなんて予想していない。


 なのに、仕事から疲れて帰ってきても、毎日相手が「具合が悪い」と寝ていたら?  

 ご飯もできてない、一人で美味しいものを食べに出かけることも悪いと思う。


 支援者がいつのまにか被害者になってしまうこともある。ガス抜きをさせてあげないといけない、と医療者として実感した。


 ちなみに、その時よかったのは、彼のSNSのアカウントを知らなかったこと。見に行かなくてすんだ。やっていたら、いつまでも見に行ってしまい、つらかったと思う。


 ――私は、脳腫瘍が判明した時にヘラヘラ笑っていた。SNSに書いたとき、別の脳腫瘍の方から「わかる」とコメントを頂いた。「自分も笑っていて家族だけが泣いていた」と。 


 思い出したのが、働いていた内科のクリニックに常連の患者さんが来た時のこと。


 先生に「子どもが癌で入院になってしまったんですよ、助からないって言われてんですけどね」と笑っていた。


 ――面白いわけではない、彼も子どもの主治医の前では笑わないでしょう。でも他人に涙ぐんたり、話して重たくしたくない。でもこの場では漏らしたい。そんなのがあるかもしれない。


 私もシビアなことを言われてるが、友人や同僚達の前ではにこにこしている。笑っています。困っちゃうよね、でも頑張るしかないよね、と前向きに話す。でも時々家ではぼんやりしている。


 こんなことになっても小説のように、大泣きするとかパニックになるとかはないんだなと思いもした。

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