努力
「…まだやるの?」
「うるせぇ、お前と違って俺は才能がねぇんだよ」
エリーに才能の差を叩き込まれたのも何年前だろうか、エリーは何故か俺の家に押しかけてくる。
何歳になっても仏頂面は変わらないないな、そんな感想を頭の隅に追いやって鍵盤を叩きはじめる。
白いワンピースを着た少女は、ちょこんとソファに体育座りをしていた。若干の拙さを残しつつも、練習量を感じさせる優美な旋律が2人だけの空間に鳴り響いている。これがこの部屋の日常であった。
「....」
少年は全力で集中していた。滑らかに、流れるように。数千と繰り返した動きを再現する。前より細かな抑揚をつけて、前より感情を込めて。
「…上手になったね」
額には汗が滲んでいた。吸っていた息を吐いて、数秒目を瞑る。もっと、もっと上手くできる。俺は天才じゃない、だから努力しないといけない。1曲弾き終えた俺は、張り詰めていた緊張の糸を解いた。
俺は目を擦って両手で頬をパチンと叩くと、再びピアノに向き合う。もっと、もっと練習しないと。
体育座りの白い少女が、ソファからぴょんと飛び降りて、少年の隣へ、てくてくと歩き出す。
「...休憩、必要」
少年の隣へと到着した少女は、少年の両頬を抑えて、ピアノから自分へと視線を向けさせた。無表情を崩さずに、じっと目を見つめていう。
「根を詰めすぎ」
「なにふんあよ」
両頬を抑えられた少年は喋りずらそうにしながら、少女を睨みつける。
「…ただがむしゃらにやっても、上手くならない。メリハリが大事」
「うるせえ、お前に何がわかるんだよ」
少年は少女の手を払い除けて、集中するために息を吸った。
「...あの事、お母さんに言うよ」
「ぅえぉ」
吸った息が喉の奥で詰まって、変な声がでた。恨めしげな視線を込めてエリーを見ると、整いすぎた造形と、感情を感じさせない無表情が相まって、人形のような無機質を感じさせた。どこかバツが悪くなって、視線を逸らす。
「悪い、乱暴だった」
「...ん、分かればいい」
エリーは俺の手を掴んで、着いてこいという風に引っ張った。されるがままにソファまで誘導されると、ゆっくりと優しく押し倒された。
「...ねぇ、なんでそんなに頑張るの?」
顔をスっと近づけて、じーっと目を見つめてそんなことを言ってくる。俺を押し倒す彼女の長い髪が、頬へ垂れていることにくすぐったさを感じる。
「…ピアノが好きだから」
「...そう」
この質問も何回目だろうか。彼女は無表情の奥で、何を考えているのだろうか。
数秒間無言で、時間だけが流れていく。その間、彼女は俺の瞳をじーっと見つめている。感情の籠らない瞳が俺の頭の奥を見透かしているような気がした。
やがて満足したのか俺の上から降りた彼女は、冷蔵庫からお茶を取ってきた。他人の家の冷蔵庫を開けるなんて非常識なのかもしれないが、もはやそれが当たり前になってしまってる。それほどまでに彼女は俺の家へ馴染んでいた。
彼女は俺にお茶を渡すと、先程まで俺が座っていた場所へと腰を下ろした。
されるがままにお茶を受け取った俺は、ぼーっと後ろ姿を眺める。さっきとは真逆の構図だ。
ド ド ド ミ
ああ、あの曲だ。
3年前、俺がエリーに教えた曲。演奏が耳に入るだけで、様々な感情が渦巻く。上手い、上手い。同時にその上手さに、心が締め付けられる。
1曲弾き終えると、今まで俺が彼女に聞かせてきた曲を、メドレーかのように弾き始める。
ああ、どうしてこんなに差があるんだろうか。
俺とエリーは何が違うんだろうか。情けなくて、涙が出てくる。俺の数十時間が、数分の練習で追い抜かれる感覚。いつまで経っても、これだけは慣れなかった。
「...疲れた」
彼女は自分の実力を誇示したりなどせず、それが当たり前かのように淡々と熟す。彼女に追いつくには、生まれもった何かが足りていない気がした。でも、俺は本当にピアノが好きだった。
「…今日もありがとな」
こんな感情になるなら、彼女の演奏なんて聞きたくない。何度も弱音を吐きそうになった。だが、彼女は俺に足りない物を持っている。俺の演奏を聞く傍らで俺に足りないものを直観的に分析して、それを示すかのように、俺のできていない部分を浮き彫りにしてくる。
皮肉にも、彼女の演奏は俺に足りないものを知る上で、最高の教材だった。
コップに残ったお茶を一気に飲み干して、先程の演奏を思い出す。自分に足りないものを冷静に分析する。
考えがまとまって顔を上げると、目の前に彼女の顔があった。
「…息抜きに、散歩、いこ」
俺の考えがまとまるまで待ってくれていた彼女は、目が合うと同時に口を開いた。
「…あぁ、行こうか」
空になったコップを机に置いた。
天才な君と凡才な僕 わわわわっふる @tgjgHhj
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