人類救済or滅亡装置 (短編)

藻ノかたり

人類救済or滅亡装置

俺は、国際秘密警察のエージェントだ。今、世界に重大な脅威を与えようとしてる、マッドサイエンティストのアジトへと潜入している。


仲間は次々と倒された。それも奴が開発した発明が、大いに関係している。俺は辛うじて、発明品の効果を減衰させる試作品を使っているが、発明の全てが完成してスイッチが押されれば、この防護品も効果を失うだろう。


もう、時間がない。


俺は全力で、奴がスイッチを押すのを止めなくてはならない。押されれば、全てが終わりだ。俺だって、どうしようもなくなってしまう。長年連れ添った妻にさえ、もう会えなくなりかねない状況だ。


そんな事は許されない。俺は防護品のおかげで、何とか奴の手下どもの攻撃をかわし、一歩、また一歩と首領である博士のいる部屋、すなわちこの施設の指令室に近づいて行く。


「ぐわっ!」


最期のドアを守る敵を拳銃で射抜いた俺は、急いで指令室へと踏み込んだ。


「やぁ、遅かったね。エージェント君。だが、全てはもう遅い。発明品は、もう全て完成した。スイッチ一つで、世界中に設置された端末が作動する」


齢八十を越えようかという老博士が、勝ち誇ったように微笑んだ。


「バカな真似はやめろ。あなたは、世界が滅んでも何ともないのか!?」


スイッチは奴のすぐ傍のパネルに設置されており、悪魔が手を伸ばしさえすれば発動してまう距離にある。俺は、必死に説得を試みた。


「君、いや君だけではない。皆は、勘違いをしているんじゃないのか? この発明は、人類を滅ぼすためのものではない。むしろ、世界を救うための品だという事がわからんのかね」


博士は俺の言葉に対して、如何にも心外だという顔をする。そうなのだ。彼らにとって、これは人類を救う発明なのかも知れない。そう信じる者がいても、不思議ではない。だがそれはあくまで理想論であり、発動すれば世界の破滅は明らかだ。


「考え直してくれ、博士。あなたは立派な科学者の筈じゃないか。これまでも様々な発明で、人類に貢献したのを皆知っている。それが何故?」


このまま拳銃を撃ったとしても、既にスイッチに手を掛けている博士は、倒れる勢いでボタンを押してしまうだろう。そうなれば、全てはお終いだ。俺は説得を試みながら、ある事をひたすら待った。


「その通りだとも。私は、人類のために様々な貢献をしてきた。だが、全てが無駄だった。もう、これしかないのだよ。安心したまえ。私がスイッチを押せば、君も幸せになれる」


博士は勝利を確信し、余裕の表情をしている。


その時である。施設の一部が大爆発をおこした。仲間が命を懸けて仕掛けた爆弾が作動したのだ。ただしだからと言って、発明品が破壊されたわけではない。この爆発は、あくまで陽動作戦であった。


「何だ?」


驚いた博士が、スイッチから一瞬手を離す。


今だ! 俺は拳銃のトリガーを引き、その弾は博士の胸を貫いた。スイッチが押される事はなく、その場に倒れる狂科学者。


「やった。これで世界は救われた。あなたの野望は、ついえたのだ」


今度は、俺が勝ち誇った顔をする。


「ぐぐっ……、それは違うな。勝ったのは私だ」


苦しみながらも、装置にもたれかかって座り込む博士。


「何? 負け惜しみを!」


俺は博士の言葉が理解できず、思わず口走った。


「こんな事もあろうかと、私の心臓が止まった事をバイオセンサーが察知したら、それでもスイッチが作動するように、設定しておいたのだよ。


ふん、喜びたまえ。奇妙な言い方だが、これで装置を作動させたのは、君だという事になる。君は人類救済の英雄になったのだ」


俺は茫然となって、その場に立ち尽くす。


「間もなく私は死に、それを感知したセンサーが作動する。世界中の装置が、それに呼応する。


人類の長年の夢であった《皆が、分かり合える社会》が実現するのだ!」


遺言とも取れる言葉を残し、博士の頭はガックリと落ちた。


彼の後ろにある装置が、不気味な音を立てて動き出す。世界中の端末機器に、指令を送っているに違いない。


俺は、失敗したのだ。


「これで、何もかも終わりになる……」


端末から発信される特殊電波は、世界中の人間の脳に働きかけ、全人類をテレパシーの使えるエスパーへと変貌させる。しかも自分で制御は出来ないので、嫌でも人の考えが頭の中に飛び込んでくる。もちろん自分の思考も、相手に筒抜けという代物だ。


この忌まわしい発明の試作品の効果、これは相互ではなく、一方的に相手の思考を読み取れるというものだが、博士の部下たちはその恩恵を受け一時的にエスパーとなった。それで邪魔者の思考を読み取り、常に先回りが出来たのだった。


俺の付けているテレパシーを妨害する装置も一時的なもので、本装置が作動してしまっては何の役にも立ちはしない。


博士は常々「どうにか人類に、平和をもたらせないか」をテーマに研究をしており、非常に沢山の発明品を開発した。だが結局のところ、それは権力者に悪用されたり、踏みつぶされ、全ては徒労に終わった。そして博士が辿り着いた、究極の平和をもたらす手段というのが「全ての人の心を、強制的につなげる装置」だったのである。


確かに巷では”人は必ず分かり合える”などという、薄っぺらい理想論がはびこっていたのは言うまでもない。様々な発明の果てに絶望を見出した一人の科学者が、最後にこの愚かしい考えにすがっても、何の不思議もなかったのは俺にも理解できる。


だが、現実はそんな甘いもんじゃない。分かり合えないからこそ、かろうじて平和を保てていた事が、この狂科学者には最後までわからなかったのだろう。お互いの心が、際限なく他人に通じる。そうなれば人類は「たてまえ」を失くし、本音がぶつかり合って悲惨な事態になるのは火を見るよりも明らかだ。それが大半の”まともな人間”の見解である。


俺の頭の中にも、博士の生き残った部下の思考が流れ込んでくる。世界の終わりが始まったのだ。


「あぁ、とんでもない事になってしまった。俺はこれから……」


自分の思考が妻に伝って、これまで何度となく繰り返してきた浮気がばれる事を、心の底から恐れている俺がここにいる。


「女房に、どんな顔をして会えばいいんだ」


博士の死に顔が、ニヤリと笑ったような気がした。

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人類救済or滅亡装置 (短編) 藻ノかたり @monokatari

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