温泉旅行2
「今日の夜、行きたいところあるんだ。」
楓が荷物をバッグから取り出しながら呟く。
「行きたいところ?どこどこ?」
「内緒。」
遥は、楓の背後に回ると髪をぐしゃぐしゃにした。
「気になるー、教えろー。」
そんな遥の手を取ると、そのまま優しく引っ張った。手が引かれたので、楓の顔まであと数センチというところまで近づいた。
「…内緒。」
そう言うと、楓は遥にちゅっと短いキスをした。
「そうやって誤魔化す…。」
そのまま向かい合うように楓の上に座った遥は、楓の首の後ろに両手を回し、目を見つめると今度は長く唇を重ねた。
楓が遥の体を抱きしめると、遥の腕もスルスルと下がり楓の背中をぎゅっと抱きしめるのだった。
離れると楓は少し開いた唇を再び遥に近づけようとしたが、二人の顔の間に人差し指をすっと差し込み「待て」をされてしまった。
「教えてくれないからだよ~。」
そう笑うと、遥は立ち上がり部屋の中を探検し始めた。
「なんだよ、それ…。」
楓は片手で顔を覆うとフルフルと頭を振り、遥の後を追った。
部屋に入ってすぐにテーブルと座椅子が置かれた客間があり、広縁には大きな窓がありそこから眺める景色はまるで絵に描いたような自然が広がる。そこにも椅子とテーブルが置いてあるので景色を眺めながらゆっくりすることも出来る。
「カエデ!こっちこっち。」
客間から横に行くと、部屋に付いている露天風呂に行けるようになっていた。
そこは淡い照明が灯る、幻想的な空間だった。
「結構大きい風呂だな。もっと小さいの想像してた。」
「いつでも入れるのかぁ。最高だね!」
遥はユラユラと揺らめく
「あったかーい。足湯の手バージョン!カエデも触ってみて。」
隣に並ぶと、楓も柔らかなお湯をその手に感じた。
「これだけでも気持ちいいな。」
部屋の中に戻り、更に奥へと進んでいくとベッドルームが広がった。和洋室の作りになっており、布団ではなくベッドが二つ並んでいる。手で感触を確かめると、ふわふわですぐにでも眠りに落ちてしまいそうだった。
「すごいね、このベッド。」
「これ、ずっと寝られるやつだな。」
客間に戻りクローゼットを開けるとズレなくぴったりと畳まれた浴衣が二枚置いてあった。
「浴衣あるねー。柄が違うよ、なんかいいね!」
浴衣は藍地に、ストライプ柄と市松模様の柄違いになっていた。
「ハルカどっち着る?」
「うーん、カエデは背が高いからストライプが似合うと思うんだよね。でも、こっちの柄のカエデも見てみたい。」
「俺は、ハルカにこっちの浴衣着てほしい。」
そう言って指さしたのは市松模様の浴衣だった。
「ハルカにはこっちが似合うと思って、っていうか、ただこの浴衣着たハルカを見てみたいだけなんだけど。」
「分かった。俺こっち着るね!お風呂は外から帰ってからでイイよね!」
「そうだな、冷えちゃいそうだもんな。」
今日は大晦日ということもあり、夜に出掛ける宿泊客も多いだろう。近くには神社があり、そこでは屋台も出ると旅館のスタッフから教えてもらっていた。
部屋の中をひと通り確認し終えると、入口の方から声がする。
「失礼いたします。お食事をお持ちいたしました。」
夢中で部屋の中を見ていたので、時間のことをすっかり忘れていた。時計はまもなく十八時を知らせようとしていた。
二人の中居さんが、テーブルの上にテキパキと且つ丁寧に、料理を並べていく。
あっという間に、テーブルの上が料理の皿でいっぱいになった。
料理の説明と、美味しい食べ方を教えてもらうと中居さんは「失礼いたします。ごゆっくりどうぞ。」と言って、部屋を出ていった。
向かい合う形で座椅子に座ると、目の前の豪華な料理をまずは目と鼻で感じた。立ちのぼる湯気は食欲をそそる匂いで、二人は蓋のしてある料理を興味津々で開けていく。
「ハルカ、グラス貸して。」
空のグラスを楓に渡すと、透明の瓶に入ったオレンジジュースの栓をシュポっと開け、トクトクと小気味よい音と共にグラスがオレンジ色で染まっていく。
「はい、ハルカ。」
グラスを手渡すと、貸してと言って楓の手から瓶を受け取る。
「はい、カエデ。グラスこっちに。」
「ありがとう。」
グラスを差し出すと、両手で丁寧に注がれていくオレンジジュースを、楓は綺麗だと思って見ていた。姿勢を正し、グラスを持つと二人は声を揃えた。
「「乾杯!」」
ゴクゴクと喉を鳴らしジュースを流し込むと、二人は「ぷはぁ」と息を吐いた。さながら、生ビールでも飲んでいるかのような光景にうつった。
「めちゃくちゃ豪華じゃない!?早く食べよう!俺、お腹すいちゃったよ。」
「そうだな。いただきます。」
「いただきまーす!」
手を合わせると、さっそく箸を持ち鮮やかな料理に手を伸ばす。新鮮な刺身や、カラッと揚がった天ぷらの盛り合わせ、鉄板には一口サイズに切り揃えられたステーキが乗っている。
一人用の釜飯もしっかりとした蓋のおかげで、最後まで温かく食べられる。
その他にも、可愛らしい小鉢に入った鮮やかな緑や赤といった野菜も、丁寧に料理され彩りを添えた。
食べ盛りの高校生男子の胃袋も十分に満たしてくれる料理だった。
「もう無理!お腹いっぱい!」
「ちょっと食べすぎたな。」
「でも、めちゃくちゃ美味しかった!」
「うん、最高だった。」
二人は座椅子から畳の方へズレると、横になり体を伸ばした。
「少し休んだら、神社行ってみようか。屋台見に行こう。」
「うん!行く行く!屋台行ったらまた食べたくなっちゃうかも。」
お腹をさすりながら遥が言うので、楓は思わず笑ってしまった。
「ハルカは食いしん坊だな。」
「違うよ!成長期って言ってもらえる?」
「はは、成長期か。…じゃあ俺も、成長期。」
「そう!だから、いくら食べても太らない。」
遥の手に楓の手がそっと触れると、きゅっと手を結んだ。
「ハルカへの気持ちも成長してるよ。」
「…な、なに恥ずかしいこと言ってんの!」
「だって、本当だから。」
「いいって、そんなの。分かってるし、俺もそうだし。」
楓は嬉しそうに微笑むと、さらにぎゅっと手を握った。
―――パッ。
楓は目を開いた。瞬きさせて隣を見ると、気持ちよさそうにスヤスヤ眠っている遥の横顔が見える。
横になって少しの間、二人は眠ってしまったのだ。
時計を見ると間もなく二十一時になるところだった。
「ハルカ、起きて。」
肩をユラユラ揺らすと、遥はゆっくりと目を開けた。
「あれ!寝ちゃってた?」
「うん、俺も寝てた。いい時間だし、そろそろ出掛けようか。」
ハンガーに掛けてある上着を着ると、二人は今年最後の日を楽しもうと賑わっている冬空の下へ飛び出した。
冷えた風が吹くたび、二人は体をくっつけてぼんやりと照らされた街灯の下を歩いた。神社に近づくにつれて、目に入る明かりの量が増えてきた。それと同じく沢山の人の話し声や笑い声が響いてくる。
「うわぁ、見えてきた!なんの屋台あるかなぁ。」
「甘いもの食べたいな。」
「おっ。いいね!温かくて甘いもの探そう。」
近くの旅館に泊まっているのであろう、浴衣に陣羽織を着た人と数人すれ違う。
参道を挟むように並ぶ屋台を抜けると、社務所などが建っている近くに、テーブルとイスが並べてある休憩所が作られている。
屋台で買ったものを、そこで食べられるようになっている。
ちょうど端の二席が空いていたので、二人は一度イスに座った。正面に見える奥の方で、大きな鍋から湯気が上がっており、鍋の向こう側でゆっくりとかき混ぜている人の姿が見えた。周りの人が食べているものを見てみると器に入ったお汁粉を、美味しそうに飲んでいる姿が目に入ってきた。
「「お汁粉!」」
もちろん食べたいものは二人とも同じだった。
「俺さ、お汁粉買ってくるからカエデここに座って席取っといて。」
「分かった。でも大丈夫か?」
「大丈夫だよ。ちょっと待ってて。」
遥は小走りで、白い湯気を目ざして進んでいった。
後ろ姿を目で追っていた楓は、遥が器を二つ持ってヨロヨロと帰ってくる姿を心配そうに見つめていた。
「おまたせ~!」
「ありがとう!熱くなかった?」
「大丈夫!見て、美味しそう!」
「うん、食べよう。」
「「いただきます。」」
温かさと甘さで二人はたちまち笑顔で溢れた。
遥は、ふうふうと冷ましながら、一口飲んではまた次の一口と休みなく続けたのですぐに底が見えた。
「はぁ~、美味しかったぁ!俺、いちご飴買ってくる、パリパリのやつ。カエデはゆっくり食べてて。」
「分かった。」
遥は再び人で溢れた参道へと向かっていった。
その時、楓は前から近づいてくる女性に声を掛けられた。
「あの、すみません。ここまでタクシーで来たんですけど、車内にスマホ忘れちゃったみたいで…。」
連れはおらず一人で旅行に来ているようだった。
「そうなんですか。乗ったタクシー会社覚えてますか?」
「それが、領収書を貰ってなくて…。車の色は緑色だったんですけど。」
楓はスマホを取り出すと、この辺りを走っているタクシー会社を調べ始めた。
屋台でお目当てのいちご飴を二つ買って、遥は楓が待つ休憩所へ向かった。後ろ姿が確認できたところで、楓の前に女性が立っているのが見えた。
遥は話し声が聞こえる位置までそっと近づいた。
「連絡先、ありがとうございます!…」
遥の心臓は急に乱れたように速くなった。
(は?連絡先ってなんだよ。カエデ、なんでそんなこと教えてるわけ!?)
遥は楓に背を向けると、ふたたび参道を引き返した。下を向いて歩いていたので、向かってくる人とぶつかってしまい、その拍子に持っていたいちご飴を落としてしまった。次から次へと流れてくる人の波で、拾うことは出来なかった。
そのまま、遥は神社の外まで出てきてしまった。
(なんだよ!俺がいない間に何やってんだよ!)
そのまま旅館とは反対の方向へ歩き出した。
―――数分前。
「このタクシー会社ですか?」
そう言ってスマホの画面を女性に見せた。
「そうです!このタクシーです。」
「これが、会社の電話番号ですね。」
「連絡先、ありがとうございます!…」
「電話してみます…って…スマホ無いんでした。」
明るくなった顔から一転また曇り顔になってしまった。
「良かったらこれ使ってください。」
「良いんですか?ありがとうございます!お借りします。」
女性にスマホを渡すと参道の方を振り返り、なかなか戻ってこない遥の姿を探した。
「スマホありがとうございました。確認したら、やっぱり忘れてたみたいで保管してくれてるそうです!明日取りに行きます。本当に助かりました!ありがとうございました。」
「そうですか!良かったですね。」
女性はあっと言うと慌ててバッグから財布を取りだした。
「あの、お金…!」
パチンとボタンを開くとお札を一枚取り出そうとしている。楓は慌てて制止した。
「お金なんてもらえません!大丈夫ですから、気にしないでください。」
女性は、でも…と言うとパッと目を輝かせながら、バッグの中を何やらゴソゴソと漁り始めた。
「それじゃあ、これ!」
美しいブルーに輝く石の中に銀箔が閉じ込められた、シルバーのリングが付いたキーホルダーをその手に持ち、ゆらゆらと揺らしている。それは光の反射でキラキラと綺麗に輝いていた。
「私、沖縄から来たんですけど。これ、ホタルガラスっていうトンボ玉の仲間です。沖縄では有名なんですよ。私これ作ってる工房で働いてるので…お兄さんも一人旅ですか?」
「俺は…恋人と来てて。」
楓は少し照れたように下を向いた。
それを聞くと女性は、もう一つキーホルダーをバッグから取り出した。
「それじゃあこれ、大切な人にもあげてください。」
「本当に頂いて良いんですか?」
「もちろん!本当に助かったので是非受け取ってください!」
楓は手を伸ばすと、大切そうに二つのキーホルダーを手のひらにそっとおさめた。
「ありがとうございます!ハルカも喜びます!」
思わず名前を口に出し、楓はハッとしたように頭をかいた。
「ハルカさんっていうんですね。いつまでも仲良くいてください。」
「はい。ありがとうございます。お気をつけて。」
何度も何度も頭を下げると、その女性は人混みの中に消えていった。
しかし、肝心の遥の姿が未だに現れないことに、楓は急に不安になった。
参道へ向かい、人の間をスルスルと抜けていくと、足元に踏み潰されたいちご飴が二つ転がっているのが見えた。
「ハルカ…」
その頃、遥は知らない道や知らない場所に不安を感じつつも、歩くのをやめなかった。
しばらくすると、大きな公園のような場所に着いた。目の前に大きな池が広がり、周りを木々が囲んでいた。
ふと横を見ると、ベンチがあったので遥はひとまず座って、これからどうするか考えることにした。
(なんなんだよ、カエデの奴!女の子にデレデレしちゃって、連絡先まで教えるとか意味分かんないし!)
その時、電話が鳴った。
画面には『カエデ』の文字が表示されている。
遥は出ようか迷ったが、鳴り止まない着信音に負け、電話に出た。
『もしもし!ハルカ?今、どこに居るの!?』
いつもの楓の落ち着いた声ではなく、不安と焦りに侵食されたような、そんな声が遥の耳元で響いている。
「…なんか、大っきい池がある公園?みたいな所。」
『すぐ行くから、そこから動かないで!』
「な、なんだよ偉そうに!誰のせいでこうなったと思ってるんだよ!」
『え…?』
不思議がる楓の反応をよそに遥はそのまま電話を切った。
電話をしている間に、何故か人が集まりだしてきたような気がした。屋台も出ていないし、明かりだってそんなにあるわけでもないこの場所に、どうしてこんなに人が来たのか遥は不思議そうに眺めていた。
「……カ」
遥はほんの少しだけ風に乗って届いた声に耳を澄ませた。
「…ルカ!」
ベンチから立ち上がりキョロキョロと辺りを見回す。
「ハルカ!!」
「カエデ!」
声に気づいた楓は、遥の姿をその目にとらえた。肩で息をしながら遥の目の前までやって来た楓を見て、嬉しい気持ちと先程の光景が同時に蘇り、口を閉ざしたままでいた。
「ハルカ、何してるの?…心配したじゃん。」
「は?それはこっちのセリフだし。カエデこそ何してたんだよ!」
「ちょっと待って、何のこと?」
「とぼけんなよ!俺見たんだから。カエデが女の人に連絡先教えてるとこ。」
「連絡先なんか教えてないよ…」
「嘘つくな!」
「本当だって。タクシー会社の連絡先以外教えてないよ。」
「へ?……タクシー?」
遥は目をパチクリさせて、楓の顔をまじまじと見た。
「そう、タクシーにスマホ忘れちゃったみたいで、タクシー会社の連絡先が分からないって言うから調べて教えてあげたんだよ。」
それを聞いた遥は、へにゃへにゃとベンチに座り込んでしまった。
「ごめん、俺…勘違いして。勝手に怒って、カエデに心配かけて。」
肩を落としてうなだれてしまった遥を見て、楓は遥を立たせた。
「大丈夫。……間に合ったよ。」
周りに集まった人たちからカウントダウンの声が上がる。
五…
四…
三…
二…
一…
「「ハッピーニューイヤー!!」」
その瞬間、闇に覆われていた池の周りの木々が、光に照らされ、水面の上には無数の丸いライトがプカプカ浮かんで漂いながら水を優しく揺らしていた。木々の光が水面に反射して、更に明るく美しく光を溢れさせた。
遥はあまりの美しさに言葉を忘れてただ光の温かさを眺めていた。
「ここだったんだ。ハルカと来たかった場所。」
「え…。」
「ハルカ、あけましておめでとう。」
そう言うと楓は遥の体を優しく抱きしめた。
「カエデ…あけましておめでとう。」
楓の腕に包まれて、遥は肩に顔をうずめた。
ゆっくりと離れると、楓はそのまま顔を近づけていく。
「カエデ…見られちゃうよ。」
慌てる遥の顔を両手で押さえると楓は優しく微笑んだ。
「誰も俺たちのことなんか見てないよ。」
遥はそんな楓の言葉に頷くと、ゆっくりと目を閉じた。そうして、二人は静かに唇を重ねた。
そんな二人の頭上に大きな花火が打ち上げられた。
新年をお祝いするための大輪の花がいくつも上がっていく。
「綺麗…」
うっとりと眺めている遥の横顔を見つめながら、楓は先ほど貰ったものを思い出した。
花火に見とれている遥の顔の前に、ブルーに光る石がキラリと揺れた。
それは、
「どうしたの、これ。」
「忘れ物したお姉さんにもらったんだ。恋人と来てるって言ったら、もう一つくれたんだよ。」
「恋人…」
遥は目の前で揺れる青い光をそっと手のひらで包んだ。
「お姉さん、ありがとう!疑ってごめんなさい!」
楓はふふっと笑って、猫の根付と同じ場所に貰ったキーホルダーを付けた。
上手く出来ない遥のキーホルダーも器用に付けていく。
「ありがと!すごい綺麗だね、この石。」
「うん、ホタルガラスっていう沖縄では有名な石なんだって。」
遥は石をそっと手で包むと、優しく握りしめた。
「そろそろ帰ってお風呂入ろっか。」
「そだね!…あっ、もう一回神社寄っていい?」
「いいよ。」
「お参りといちご飴もう一回買いたいんだ。さっきの落としちゃったから。」
「やっぱりハルカが落としたんだ。可哀想ないちご飴のこと見たから。」
二人は神社に向かい、年が明けてさらに賑わっている屋台でいちご飴を買うと、お参りを済ませた。
「ハルカ、なんてお願いしたの?」
遥は楓の顔をのぞきこんでイタズラに微笑み、耳元に近づいて囁いた。
「内緒!」
目を合わせニッと笑うと、遥は旅館へと走り出した。
「カエデの真似ー。」
「ちょっとハルカ!」
追いついた楓は遥の手を握り、離れないようにしっかりと繋ぎ直すと、今度はゆっくりと歩幅を合わせて並んで歩いた。
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