温泉旅行
―――大晦日。
気温は低いが、太陽はしっかりと青空を背景に輝いている。絶好の旅行日和となった。
遥は昨晩、緊張でなかなか寝付けず、起きている間にてるてる坊主を十個も作り、窓辺にぶら下げた。
その甲斐あっての快晴だと、遥はそう思いながら家を出た。
「いってきまーす!」
「行ってらっしゃい。迷子にならないようにね~!」
「なんだよそれー。子供じゃないっつうの。」
「んふふ、楽しんできな!」
理咲は、大袈裟に手を振り見送った。
楓の家のチャイムを鳴らそうと、指を伸ばした瞬間に玄関のドアが開いた。
「おはよう、ハルカ!晴れたね。」
「おはよう!」
ふと見上げた楓の部屋の窓に、てるてる坊主が一つぶら下がっているのが見えた。
遥の視線の先に気づき、楓は少し恥ずかしそうに笑った。
「昨日、なかなか眠れなくて…子供みたいだよな。あんなのぶら下げて。」
「俺も一緒!俺なんか十個も作ってぶら下げちゃったよ?」
「はは。十個はスゴいな!」
「絶対晴れてほしかったからね!」
楓はドアの鍵を閉めて、うんと頷くと二人は並んで歩き始めた。
「そっか。美季ちゃんってもうおじさんの実家に帰ってるんだっけ?」
「そう。一昨日二人で出かけて行ったよ。旅行先で迷子にならないようにねって言われた。」
「うそ!?俺もさっき、全く同じこと言われて家出てきた。」
二人は顔を合わせると、思わず吹き出して笑った。
最寄り駅から電車に乗り目的の駅に着いた。帰省のピークは越えたらしく、客はいるがそこまで混雑している状況ではなかった。
構内の売店に寄り、飲み物やお菓子を買ってホームへ向かう。
二人が乗る列車が到着し扉が開き、二人がけの椅子に座ると、荷物を足元に置き、リクライニングを調整し、フーっと一息ついた。
「ここから一時間ちょっとだな。」
「俺、いろいろ調べてきたんだぁ。食べたいものとか!」
「うん、俺も。」
車内にアナウンスが流れ、車体がゆっくりと動き出した。心地よく静かな揺れが二人を包む。
楓が窓の外を見てお茶を飲んでいると、肩に遥の頭がもたれかかって来た。
気持ちよさそうにスヤスヤ眠る顔を見ているうちに楓も眠気に勝てず、遥の頭に重なるように眠りに落ちた。
先に目覚めたのは遥の方だった。頭に感じる愛しい重さからそっと抜けると、楓の頭を自分の肩に乗せた。そっと髪にキスをすると、楓も間もなく目を覚ました。
「俺、寝ちゃってた。ごめん、重くなかった?」
「全然。俺こそ寝ちゃってごめん。」
「昨日の睡眠不足の分、少し取り返したかな。」
「うん!めちゃくちゃスッキリした。」
車窓からの景色が、だんだんとゆっくりになり二人が降りる駅が近いことを知らせている。
「よし、行こうハルカ。」
「うん!」
車内の温かさの中に居た体には、外の風の冷たさがより一層強く感じる。
「とりあえず、旅館に荷物預けてこよう。」
肩に掛かる一泊分の荷物は、観光するには邪魔になる。少しでも身軽になるために、まずは旅館に向かった。
趣のある門構えの先には、綺麗に手入れされた庭に、緩いカーブを描きながら石畳の道が二人を入口まで先導する。
「本当に、こんなすごい旅館に泊まれるの?」
心配になった遥は石畳を歩きながら、楓に尋ねた。
「うん、ちゃんと貰った券で泊まりたいって話してあるから。」
木でできた格子状の戸を開けると、旅館のスタッフが深々と頭を下げている。
「いらっしゃいませ。」
「予約している早坂です。荷物預かってもらってもいいですか?」
「はい、もちろんでございます。お部屋の方にお運びしておきますので、ごゆっくり観光なさってきてください。」
「ありがとうございます。」
二人は会釈をして、身軽になった体で外へ向かった。
「うーん!軽くなったー!カエデ、どこ行く?」
「お腹空かない?お昼にする?」
「いいね!俺、海鮮丼食べたい!」
電車の中でほとんど寝て過ごした二人は、まずは昼食をとることにした。時刻は十一時三十分に間もなくなる頃だった。
「うわぁ、駅前いろんなお店あるー!お昼食べたらちょっと見ていこう?」
「そうだね。」
少し歩くと、店の前に『海鮮丼』と書かれたのぼりがはためいているのが見えた。
「あそこなんか良いんじゃない?」
のぼりを見つけて、遥の顔はパーっと明るくなった。
「うん、そうしよう。」
テーブル席に通された二人は鮮やかな写真が載るメニューの数の多さに驚いた。
「こんなにある!どれにするか迷っちゃう。ね、カエデ。」
「こんなにあるとは思わなかったな。」
「イクラも美味しそうだし、サーモンもいいなぁ。」
「…俺はこれにしようかな。」
先に決まったのは楓だった。ちらし寿司の上に溢れんばかりの数種類の魚が乗った海鮮丼だ。
「えー、それも美味しそう!やっぱり俺はこれかな!」
遥は丼の上に山のように魚や甘エビが乗っており、これでもかといわんばかりのイクラが宝石の川の様にかかっているものだった。
二人は注文し終えると、出された温かいお茶を飲んだ。店内は家族連れやカップルで賑わい、座敷の方にも人がたくさん座っているのが見えた。
「お待たせいたしました~。」
店のスタッフの明るい声と共に運ばれたお盆の上には、煌めくほど美しい海鮮丼とみそ汁、お新香に小鉢が付いており、なんとも豪華でテーブルの上が一気に華やいだ。
「「いただきます!」」
一口食べると、その美味しさに二人は目を丸くして喜んだ。
「うっま!」
「うん!うまいな。」
遥は楓の丼に甘エビが無いことに気づくと、こぼれそうな甘エビを楓の丼に乗せた。
「カエデ、甘エビ乗ってないでしょ。」
ありがと、と言うと今度は楓がサーモンを遥の丼に乗せた。
「サーモンも気になるって言ってたもんな。」
「ありがとー!サーモンめちゃくちゃ美味い!」
溢れそうなほどあった海鮮丼も、あっという間に胃袋の中に消えていった。
「あー、美味しかった!」
「駅前行ってみる?」
「うん!いろいろ美味しそうなもの売ってたよね!」
二人は店を出ると再び駅の方へ向かった。冬休みの上に大晦日ということも重なり、駅前は多くの人で溢れていた。
「あ!このおまんじゅう有名なんだって。」
「買おっか。」
小ぶりなおまんじゅうの中には白餡が入っている。
「ん!美味しい!」
「うん!カステラみたいだな。」
温泉マークの焼印が可愛らしいおまんじゅうを食べ終えると、遥の視線は次の店に目星をつけていた。
「カエデー、あれ見て!さつまあげ美味しそう!」
「ホントだ!」
楓と遥はのぼりに誘われて店を移動していく。
「ハルカどれにする?」
「俺はぁ、明太マヨ!」
「じゃあ俺は、たまねぎにしようかな!」
棒に刺ささったさつま揚げは俵型で食べやすい大きさだが、ずっしりと重かった。
一口食べると、お互いの持っているさつま揚げを食べさせあった。
「はい、あーん。」
「ハルカも、はい。食べてみて。」
うんうん、と頷き二人は笑顔になって顔を合わせた。
お腹もいっぱいになった二人はバス乗り場に向かった。
「ハルカ、ロープウェイ乗りたい?」
「え!乗りたい!」
二人はバスに乗り、大涌谷へ行くことにした。
ケーブルカーを乗り継ぎ、乗り場がある場所まで到着した。ロープウェイを待つ客は沢山いたが、一分間隔でロープウェイが来るので、それほど待つことなく乗ることができた。山々や遠くの街並みを過ぎると、景色が一変する。茶色く剥き出しの山肌から、迫力満点の白煙が上がる。
そんな景色を遥は写真に撮っていた。
「すごい煙だね!俺、ロープウェイって初めて乗るかも。」
「俺も乗ったことないな。落ちたらやばいな。」
「ちょっ、カエデー。そんな事言うなよ。」
怖がる遥は、楓に体を少し寄せながら写真を撮り続けていた。
あっという間にロープウェイは、目的地の大涌谷まで到着した。
「カエデ、たまご食べよう!」
店の前にあった黒いたまごのオブジェの前で二人で写真を撮った。
袋に入ったたまごを見た瞬間あまりの黒さに驚いた。
「想像以上に黒いな。」
遥は硬めの殻を割り、真っ白な白身を一口食べた。
「ん!温泉の味がする!」
「ハルカ、そのまま食べたの?」
「うん、食べてみて。美味しいよ。」
塩が付いてきたが、遥の言葉を聞いた楓も一口そのまま食べてみた。
「ホントだ!硫黄の香りがする。」
「ねぇねぇ、あっちの方にも行ってみようよ!」
遥は楓の腕を引っ張ると、立ち上がらせグイグイと進んでいく。
「ハルカ食べるの早すぎ。」
最後の一口は立ち上がった後に口に放り込んだ。
前を歩く遥がゆっくりと振り向くと目を見開いた。
「すごいのある!」
指さす先には、よく見かけるソフトクリームの形をした置物があるが、その色が真っ黒なのである。
「…あれは…?黒?アイス?」
「え?え?食べる?食べてみる?」
遥は食べる気満々で進んでいくが、アイスを食べるような季節でも気温でもない。
「ハルカ、寒くないの?」
「平気!じゃあ、俺の少しあげるね!」
そう言うと遥は売店へ駆け出し、戻ってきた手には真っ黒に渦を巻いたソフトクリームが握られていた。
「いただきまーす。」
楓の方を見てイタズラに微笑むと、そのまま楓の口元に黒い渦をそっと近づけた。
楓は一度遥の顔を見たが、アイスを離す様子のない姿に諦めをつけて一口食べた。
「えっ!甘い。バニラだ。」
「すごいよね!ギャップヤバいでしょ。」
遥はその後、寒さなどもろともせずに最後のコーンまでサクサクと食べ終えてしまった。
「ハルカ、満足した?」
「うん。大!満足!!」
「そろそろ旅館戻ろうか。」
「そうだね!」
普段なかなか味わうことの出来ない景色を後にして、二人は帰りのロープウェイに乗り込んだ。
到着した駅には足湯があり、多くの人が眼前に広がる景色を見ながらひと時の休息を楽しんでいた。
「足湯入る?」
「入りたい!」
テーブルとイスが設置してあり、そのまま足湯に浸かることができるつくりになっている。
「俺、コーヒー買ってくる。ハルカも飲む?」
「ありがとう!飲むー。」
「先入ってて。」
ちょうど真ん中の席が空いたので、遥はそこに座ると目の前に広がる雄大な景色に目を奪われた。
「すごい綺麗。」
足を浸けることを忘れて景色に見入っていると、後ろから楓に話しかけられた。
「あれ、ハルカまだ入ってなかったの?」
「あ!うん、景色が綺麗すぎてずっと見ちゃってた。」
「ほんとだ、すごい綺麗だな…はい、カフェラテ。あと、あっちでタオルも売ってたからついでに買ってきた。」
「ありがとう!へぇ!このタオル文字がプリントされてる。なんか可愛い。」
二人はゆっくりと冷えた足先から温かいお湯の中に沈めていった。
「はぁ~、あったかーい。」
「気持ちいいな。」
目も心も体も癒される、そんなひと時を満喫した二人は、名残惜しい気持ちを持ちつつ、足湯から出るとタオルで足を拭いた。
「すごい、足ポカポカ!」
お湯から上がったあとも足からじんわり温かく、体の中も外もぽかぽかした気分だった。
飲み終えたカップを捨てるためにゴミ箱を探していると、ハルカが何かを見つけた。
「カエデ、ガチャガチャあるよ!これ回そう?」
猫の根付けのガチャガチャで、温泉にちなんだ格好をしている。
「ハルカ、こういうの本当好きだよな。」
先に回したハルカの緑色のカプセルに入っていたのは、頭にタオルを乗せて温泉に浸かって気持ちのいい顔をしている猫だった。
「やったー!俺、これ狙ってた!」
「カエデは?どれ狙い?」
「…俺は、」
そう言いながらハンドルを回す。
「緑色のカプセル!」
祈るように出口に手を突っ込み、取り出した手に握られていたのは、ハルカと同じ緑色のカプセルだった。
「やった。俺も狙ってたの当たった。」
カプセルを開けてハルカと同じ猫の根付をユラユラ揺らすと、嬉しそうに笑った。
「カエデ…お揃いだ!」
「うん、お揃いにしたかったから。」
二人はバッグに根付けをキュッと結びつけると、軽やかな鈴の音を鳴らしながら旅館へと戻るのだった。
旅館へ着くと、館内にはチェックインを済ませた客が大勢おり、順番にスタッフに案内されて自分たちの部屋へと吸い込まれていく。
「早坂様、お待たせいたしました。お部屋の方へご案内いたします。」
廊下から見える中庭には、ぼんやりとオレンジ色の照明に照らされた美しく剪定された木が浮かび上がる。
「こちら、りんどうの間でございます。夕食は十八時にお部屋へお運びいたします。ごゆっくりお過ごしくださいませ。」
二人は、ありがとうございますと言うとスタッフが扉を閉めるのを見送った。
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