ケーキ

「ハルカくーん、こっちこっち。」

子どものようにはしゃいでいる彩水を追いかけるように、遥は人の隙間から顔を覗かせる。

中間テストも無事に終わり、ハルカと彩水は水族館に来ていた。


「藤乃さん、ちょっと待って。」

たくさんの人など関係ないといった感じで、ひらりひらりと進んでいってしまう。

青く深い海をイメージした水槽の中には、数え切れないほどの種類の魚が泳いでいる。

やっと追いついた彩水の背中は、身長の何倍もある高さの水槽の前にあった。

「ハルカくん、見て。いっぱい魚いるね!」

水が反射して顔が白い光に照らされるほどガラスに近づいて見上げている。

「あれ、サメかなぁ。他の魚のこと食べないのかな?」

「水族館にいるサメは餌でおなかいっぱいだから、他の魚食べないんだって。」

「ハルカくん、すごーい。物知りだね!」

「いや、昨日ちょっとだけ水族館のこと調べてきただけ。調べてないこと聞かれた時は急に黙るから察して。」

遥は彩水と同じく水槽の上を見上げながら笑った。そんな遥の横顔を見て彩水も笑った。



「可愛い!ペンギンだよ。」

「ほんとだ。可愛い!」

陸ではヨチヨチ歩くペンギンも、水の中では飛ぶように泳いでいる。岩の上にいるペンギンは毛繕いをしたり、翼をパタパタ動かしていたり愛らしい姿を見せている。二人はペンギンの前からなかなか動けずにいた。

「可愛すぎて連れて帰りたい。」

「藤乃さん、向こうにアザラシいるって。行ってみよう。」

彩水は、ペンギンの水槽を名残惜しそうに振り返りながら後にした。


トンネル型の水槽の中をクルクル回りながらゆっくりと泳ぐアザラシが、頭上を通過していく。

「お腹見えたね!すごい可愛い。」

「アザラシには耳たぶが無いけど、アシカには耳たぶがついてるんだって。」

「え、そうなの?…あっ、それってもしかして?」

「正解!昨日勉強してきました。」

アザラシが二人の上を再び通過していく。

「耳たぶないところ私たちに見せてくれてるんじゃない?」

「そうかも!」


彩水がアザラシの泳ぐ動きとともに顔を正面に向ける。彩水の顔の前まで来たアザラシは、まるで手を振っているように泳いでいる。


「…私ね、一番行きたいところあるの。」


彩水はアザラシに向かって手を振るとクルリと体の向きを変えた。

「行こう。」

スっと遥の手を握って彩水は歩き出した。突然の行動に少し驚きながらも、遥は引かれるままに彩水の横に並んだ。


少し暗いそのエリアの水槽には、プカプカと一定のリズムを刻みながら浮遊するクラゲがいた。

照明に照らされたクラゲは白やシルバーに輝き、そこは幻想的な雰囲気に包まれる。まるで雪や星が降っているように見えた。

「きれい。」

彩水は息を吐きながら優雅で神秘的なクラゲを見つめた。そして、水槽の前に置かれたベンチに座った。

「ハルカくん、今日は誘ってくれてありがとう。」

「藤乃さんのおかげで赤点回避出来たからね。そのお礼!」

「ハルカくんが頑張ったからだよ。」

「今日、四人で来られたら良かったね。」

遥は一匹のクラゲを目で追っている。楓と実弥が別れていることを知らない遥は、楓に今日の計画を提案したのだが二人とも用事があって行けないと断られてしまった。

遥はまた、同じクラゲを目で追った。


「ハルカくん…今、何考えてる?」

遥は慌ててクラゲから目を離すと、彩水の方を向いた。

「あ、ごめんっ。俺ぼーっとしてた。」

「ちがうの…じゃあ、誰のこと考えてる?」


彩水は遥の目を真っ直ぐに見ている、その目の中にはキラキラと星が舞っている。遥は答えられずに、ただ少し潤んだ星をぼんやりと眺めていた。


「私たち、クラスメイトに戻ろうか!」

「…え?」

突然の言葉に頭が追いつかない。


「放課後、補習してた時にケーキ渡したでしょ?そのお礼のLINEくれた時に、ハルカくんチョコレートケーキ美味しかったって書いてた。」

「…うん、美味しかったよ。」


「私が選んだの、ショートケーキなの。…ハルカくんは生クリームのイメージで、苺好きそうって勝手に想像して、ケーキ選んでる自分に自己満足しちゃった。」

「ごめん…カエデにケーキの箱持っててもらったから、どっちのケーキか分からなくなっちゃって。」

「ううん。私、なんにも分かってなかった。分かろうともしないで勝手に決めつけてた。でも、ハルカくんの本当に好きな人のことは分かる。私にはどんなに頑張っても越えることが出来ない人。」


遥は瞬きも、呼吸も、普段通りにできなくなってしまったような感覚に陥ってしまった。


「ハルカくんが頭の中で、私のこと考えようとしてくれてたこと知ってる、でも心はいつだってカエデくんを想ってたよね。…分かっちゃうんだよね、好きだから…ハルカくんのこと。分かりたくないことまで鮮明に分かっちゃう。

四人でいる時のハルカくんは、心の底から笑ってるけど、私と二人だとどこか無理して笑ってる気がしてた。」

「藤乃さん…」



「でもね…私、強いから!泣かないから。だからね、大丈夫だよ。自分の気持ち消そうとしちゃダメだよ。上から別のもので隠したとしても、それは消えてない。ちゃんと残ってる。」


「けど俺、カエデに自分の気持ち伝えられないよ…カエデの気持ち分かるから。」

「分かった気でいちゃダメ!それじゃ私と同じだよ?ちゃんと伝えなきゃ。…それでもし振られたら、お茶とチョコレートケーキご馳走してあげる!」


「藤乃さんは俺なんかより全然かっこいいね!ウジウジして気持ち悪いよな、俺。…当たって砕けたら接着剤で直すのお願いしていい?」

「分かった。接着剤いっぱい買っとくね。」


「藤乃さん、ありがとう。付き合えて楽しかったよ。」

「私の方こそ。いろいろな思い出忘れないから。…ハルカくん、先に帰って。」

彩水は水槽を見つめながら言った。

「帰らないの?」

「…もう少し、ここに居たいから。」

こちらを見ない彩水の横顔を見て、何かを察したように遥は立ち上がった。


「それじゃ、藤乃さん、また学校で。気をつけて帰ってね。」

「うん、またね。」

彩水の口角が少しだけ上に上がったのが微かに見えた。遥は振り返らずに出口へと向かった。


水槽を見つめる彩水の瞳は無数の雪と星を宿し、とても美しく輝いていた。

最後まで笑顔を崩さなかった彩水だが、遥の姿が完全に消えた瞬間、堪えきれずに下を向いた。

そして、彩水の手の甲には一粒の流れ星が零れた。




―――それから一時間後。

「あ、彩水~!」

甘い香りが心地よいカフェの奥にあるソファ席で、手を振る実弥の姿を見つけた彩水は、目にいっぱいの涙をためて隣に座った。

「実弥ちゃーん、終わっちゃったよー。」

よしよし、と頭を優しく撫でる実弥の目にも、今すぐにでも零れ落ちそうなほど涙がたまっていた。


「もしかして実弥ちゃんも、カエデくんと別れた?」

実弥は無言で頷いた。

「どうして言ってくれなかったの?」

「あたしがハルカくんに、別れたこと伝えるのは簡単だけど、カエデくんが自分で伝えなきゃ何も変わらないし、変えられないと思ったから。彩水にも秘密にしちゃっててごめんね。…でも、彩水もきっとハルカくんの気持ちに気づいて、あたしと同じ選択すると思ったから。」


二人のテーブルの上に、温かいミルクティーが運ばれてきた。紅茶の香りが甘くミルクと溶け合い、その香りだけで癒される気がした。


「どうしてあんなに頑ななんだろうね。私たちから見たら完全に両想いなのに。ハルカくん最後に言ってた。カエデくんの気持ち分かるから伝えられないって。」

「ねっ!バレバレなんだけどね。二人はまだ、お互いが別れたこと知らないから、ちゃんと顔合わせて自分の口で伝えるしかないからね。」

実弥は紅茶を一口飲みながら、スマホのスケジュール機能を開いた。

「はぁ。クリスマスの予定真っ白になっちゃった。今年はイケメン彼氏と過ごす予定だったんだけどな~。」

「実弥ちゃん!隣にいる親友の予定も真っ白だよ?」

「ん~!彩水ーー!」

紅茶を飲もうとカップを持つ彩水を実弥は両手で抱きしめた。

「わ、実弥ちゃーん。危ないから~。」

「もうさ、今年は二人でホールケーキ食べちゃおっか!カラオケも行く?クリスマスツリーも見に行く?カップルだらけのショッピングモールも行っちゃう?」

「うん、うん!ぜーんぶやろ!!二人で。」


いつしか涙は、悲しみの涙ではなく笑い泣きの涙に変わっていた。

店の外にはイルミネーションに彩られた街が暖かく輝いている。

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