図書館
夏休みの最大の敵は、大量に出される宿題だ。
遥は重なる問題集の中から一冊選び、机の上に広げてみたが、ペンを持つ気が起きず椅子から立ち上がった。
「…飲み物取ってこよう。」
毎日こんな様子だった。時間と日にちだけが無情に過ぎていく。
部屋に戻った遥はスマホに目をやる。LINEが一件来ていた。開いてみると相手は彩水だった。
『ハルカくん宿題どう?
遥はグラスに入った麦茶を一口飲んで返事を打った。
『全然!もうすぐ夏休み終わるのにヤバい!』
彩水からはすぐに返信がきた。
『これから、実弥ちゃんたちと図書館行くんだけどハルカくんも一緒に行かない?』
『行く!』
(『たち』ってことは、カエデも来るってことだよな。)
そう送って鏡を見た遥は、追加でメッセージを送った。
『ごめん、準備に時間掛かるから先に図書館行っててくれる?あとから合流するね!』
それから遥は慌てて洗面所へ行くと、顔をバシャバシャ洗い、寝癖だらけの髪を直し、歯を磨き、着替えを済ませると、リュックにほとんど手をつけていない問題集を詰め込み慌てて玄関のドアを開けた。
図書館は夏休みでたくさんの人が訪れていた。
児童書のコーナーには親子連れが多く来ている。
黙々と調べ物をしている大学生や、ソファに座りゆったりコーヒーを飲みながら読書を楽しむ人、図書館の中は涼しく穏やかな時間が流れている。
二階に上がって見回すと、奥の方の丸いテーブルに見慣れた三人の姿があった。遥は一度下に降りて併設されているカフェでコーヒーを買って戻ってきた。
「遅くなっちゃってごめんね。」
そういうと三人の前にカップを置いた。
「買ってきてくれたの?」
「うん。絶対迷惑かけると思ったから先にお詫びの品渡しとこうと思って。」
実弥と彩水は、なんのことを言ってるのか分からず顔を見合せているが、楓はすぐにピンときたらしく
「どこまで終わってるか見せて。」
と、一つ空いている椅子を引いてハルカを座らせた。
問題集を開いた瞬間、遥はすみませんと謝った。
ほとんど手をつけておらず、ほぼ配られた時のままという感じだった。
「そういうことね!あたしも結構ヒドイけど、ハルカくんの方がレベル高かったわ!」
実弥は、いただきますと言ってコーヒーを一口飲んだ。
「でも大丈夫!彩水が優しく教えてくれるから!」
「ハルカくん、がんばろうね。」
楓と彩水の前には、問題集が一冊しかなかった。
「えっ!二人ともあとこれだけなの?他はもう終わったの?」
楓は頷きながら笑った。彩水も笑っている。
「安心してハルカくん!あたしはこれだから!」
そう言って実弥は、トランプのババ抜きをする時のように問題集を両手で広げて見せた。
「…同じく。」
と言って、遥もババ抜きスタイルでみんなに問題集を見せた。
「ハルカくん、とりあえず一冊ずつ終わらせよう。どの教科から始める?」
「数学でお願いします。」
遥は、まっさらな問題集を広げペンを持った。持っただけで、紙の上に芯の先が付くことはない。
隣で見ていた彩水が遥の問題集を覗き込んだ。
「ここ?…これは、次数と係数を求める問題だから…6xの3乗は?」
遥は春に習った単元のことなど、すっかり頭から抜けており何を聞かれているのか、意味が分からなかった。
「…ごめん。どういうことかな?」
申し訳なさそうに彩水の方を見る。
「あ、ごめんね、難しいよね。どうやって説明したら分かりやすいかなぁ…。」
彩水が参考書をペラペラと捲っている。すると、楓が問題を指さして遥に聞いた。
「これは、文字がいくつかけ合わされてるか考えればいいんだよ。6にxがいくつかけられてる?」
「3乗だから、xが3こ!…ああ!分かった。だから、係数が6で、次数が3だ!」
遥は嬉しそうにペンを走らせる。
「カエデくん、すごい。教え方上手だね!私、あまり教えたことないから…教えるのって難しいね。」
「俺はいつもハルカの補習に付き合わされてるからな。ま、教えてもハルカの場合すぐに忘れちゃうんだけどな。」
遥はまた、すみませんと謝った。
そんな遥を見て、楓は「だから、教え方上手くなったんだと思うよ。」と笑った。
「ねぇねぇ、カエデくん。こっちの問題も見てー。教えてくださぁい。」
実弥は問題集の空いたスペースに落書きを始めていた。
「これ、カエデくん。似てるでしょ?」
えへへ、といたずらに笑う実弥の顔を見て楓は注意した。
「落書きは消してください、大崎さん。」
「カエデくん、先生みたーい。」
「どこが分からない?」
「ここ。日本史って難しい言葉ばっかり。」
実弥に教えている楓の姿を遥は羨ましそうに眺めてしまう。
ペンを握ったまま止まっている遥に彩水も注意する。
「廣宮くん、ぼーっとしないで下さい。」
遥はビクッとした様子で問題集に視線を戻した。
「すみません。」
謝ってばかりの遥に彩水も笑った。
「次の問題も解いちゃおう。さっきと考え方は同じだから分かるよね?」
「うん、やってみる!」
滑らかにペンが紙の上を滑る音を聞きながら、彩水も自分の課題を進めている。
真上にあった太陽は気づくと西に傾き始めていた。
「ハルカくん、すごーい。こんなに進んだの?」
まっさらだった遥の真新しい問題集は、半分以上ページが反対側へ重なっていた。
「藤乃さんが丁寧に教えてくれたからだよ。」
「そんなことないよ。ハルカくんて、集中できれば本当は出来るんじゃない?」
「確かに、家で一人でやろうと思うと別のことに意識がいっちゃって全然進まなくて、時間だけがいつも過ぎてるんだよね。」
「分かるー!あたしもマンガとか読み始めちゃったりしてさ、あと一冊とか思ってると止まんなくなっちゃって。」
「そうそう!この話だけ読んだら止めようって思うんだけど、ついページ捲っちゃうんだよね。」
サボり談義に花を咲かせている二人を、サボらない二人は全く分からないといった様子で、まるで宇宙人でも見るような目で見ている。
「今日はもう帰るぞ。」
「もう一回ここで勉強しよう?その方が捗るし!」
「俺も!お願いします。」
その数日後。
四人はまた同じテーブルで残りの課題を進めていた。朝から始まった勉強会は、お昼休憩を挟み夕方まで続いた。
無論、楓と彩水はすっかり課題が終わっているので、遥と実弥に教えるために数時間付き合った。
そして遂に、長く苦しんだ課題を全て終わらせることが出来た。
「終わったーー!!」
「間に合ったー!」
遥と実弥は、両手を伸ばし思い切り上半身を伸ばしながら後ろへ反らした。
長時間、下を向いていた肩や背中はボキボキと気持ちいい音を鳴らしほぐれていく。
「ほんと、ギリギリセーフだったな!」
遥はほっと安堵のため息をついた。
二人は、目を合わせ声を揃えた。
「「ありがとうございました!」」
そう言うと深深と頭を下げた。
「二人がいなかったらあたしたち学校行けなかったよー!」
「二人とも頑張ってたもんね。お疲れ様でした。」
「ホントに助かったよ!これで、心置きなくマンガ読めるー!」
「マンガじゃなくて、参考書でも読んでみたらどうだ?」
楓にそう言われて、遥はひぃーっと声を震わせた。
実弥と彩水とは、図書館の外で別れた。
「また学校でね!」
ヒグラシが鳴く道を二人は帰って行った。
楓と遥もまだ暑さを帯びている風に吹かれながら家に着いた。
「ハルカ、よく頑張ったな。」
楓は遥の前髪を左手で上げると、おでこにピッと指を押し当てた。
遥がおでこを確認すると、シールが貼られている。
剥がしたシールには『たいへんよくできました』の文字が花丸の中に書かれている。
「へへ、カエデありがとう!」
「また学校でな。」
遥は大切そうにシールを机の見やすい場所にぺたりと貼り付けて、そっと指で撫でた。
こうして四人の夏はあっという間に駆けていってしまった。
まだまだ夏の名残はたくさんあるが、カレンダーを見ると悲しいほどに秋がそこまで迫っていた。
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