夏休み2

遥は少し遠回りして帰った。

頭の中に浮かぶ映像が、彩水の浴衣姿でも、綺麗な花火でもなく、実弥と腕を組んで歩く楓の姿だったから。


(あんなの当たり前じゃん。付き合ってるんだから。…カエデも俺と藤乃さんが手を繋いでたところ見たのかな。)



アスファルトを街路灯がぼんやり照らす。

慣れない下駄で歩いたせいで、少し足が痛んだ。

一軒の家の前を通る。楓の家だ。

ふと、庭に目をやると楓の姿が見えた。


「カエデ、もう帰ってたんだ。」

「あ、うん。さっき帰ってきたところ。…花火見れた?」


遥には花火よりも気になることがあったせいで、最初の何発かの記憶しかなかった。


「…あんまり見れなかったかな。カエデは?」

「俺も。よく見れなかった。」


楓も同じだった。頭のなかで遠くの方で花火の音だけが鳴っているような。目でも見ているはずなのに、記憶として残っている花火は色を持たず、モノクロで機械的に繰り返し消えていく映像が流れているだけだった。


待ってて、と言うと楓は玄関のドアをあけて何かを手にして戻ってきた。


「花火する?」

楓は手持ち花火の袋を手に、ガサガサと振っていた。左手にはバケツを持っている。

「うん!やりたい。」


バケツに水を貯め、2人で花火に火をつける。


遥は花火から視線を楓に移した。光に照らされた楓の顔をただぼんやりと眺めていた。


「綺麗だな。」

「うん、綺麗。」

楓のふっと笑った顔なのか、花火なのか、どちらに対する感想だったのか遥は自分でもわからないまま意識せずに言葉を発した。

子供の頃から最後は必ず、線香花火だった。

せーの、で火をつけ華奢な先端を持ち、儚げに揺れてパチパチと小さく鳴らす光の玉を見るのが好きだった。

ジュッと地面に先に落ちたのは楓の花火だった。

落ちた瞬間赤かった玉の色が、だんだんと黒く変わっていく様子をただ眺めていた。



花火をやり終えた二人はウッドデッキに並んで座った。

「なにか飲む?」

「あ、ありがとう。」

楓は電気の消えた家の中に吸い込まれていった。

暗がりのまま冷蔵庫を開けて、缶ジュースとペットボトルの水を手に取った。

グラスを棚から出すと、プシュっと缶の蓋を開け炭酸がこぼれないようにゆっくりと注いだ。


「おまたせ。」

遥にグラスを手渡す。さんきゅ、と両手で受け取ると遥はゴクッと一口飲んだ。

「美味しい。桃味だ。俺、桃好き。」

「ハルカの場合、炭酸だったら何味でもいいんじゃないの?」

「そんなこと…あるかも。」

目を合わせ同時に笑い出す。嬉しいのと照れくさい気持ちが同時に押し寄せ、遥は続けてゴクゴクと喉をならしながらグラスに入ったジュースを飲み干した。


「今日、ハルカたちも約束してたんだな。」

「…あ、うん。…そうそう。…」


「人が多くてさ、はぐれないようにって…俺、歩くの速かったみたいで…それで腕…」

上手く文章に出来ずに、切れ切れに腕を組んでいたことを説明しようと必死の楓だった。



ぽすっ――

目をぱちぱちさせて横目で左側を見ると、遥の髪が耳にくすぐったい。

肩に感じる遥の頭にぽんぽんと手を置く。

「ハルカ…?」


「…あれ、ごめん。なんかフワフワしてきて…」

一度体制を直すも、再びゆらゆらと体が揺れる。

遥の肩を支えて、大丈夫か?と顔を覗いた時だった。


遥は柔い笑顔で楓に近づいて、そのまま頬にキスをした。

「…好きだよ。」


楓が目を丸くして、今起きた出来事を整理しようとするが思考が全く働かない。

一人静かに慌てている間に、遥の体はスルスルと重力に引っ張られ、楓の膝の上で眠ってしまった。


(…寝てる?)

楓は頬に残る柔らかな感覚を指で触れて確かめた。

「藤乃さんと勘違いしてる?」

そっと、遥の顔にかかる髪を指で払うと、少し赤みを帯びた頬があらわになった。



「…俺は、ハルカが好きだよ。」

耳元にそっと近づき囁いた。そのまま耳にキスをすると、くすぐったそうに遥が首を動かした。


楓はリビングに布団を敷いて遥を寝かせることにした。

(俺の部屋で寝かせたら、なにもしない自信ない…)


スヤスヤと眠る遥の浴衣の帯を見つめ、このままでは寝づらいかと手を延ばしたが、さすがに帯をほどくのはまずいと思い、楓は浴衣の衿元を少し緩めた。

遥の白い肌に鎖骨が浮き上がる。楓の手のひらがするりと首元から鎖骨へと滑っていく。

そこまでいくとスっと手を引き、目を閉じ深く息を吐いた。

「卑怯だよな。」


そっと髪を撫で、おやすみと言うと楓は二階の自分の部屋に上がっていった。

ベッドに寝転がると、遥の唇と言葉の余韻で頭がいっぱいになり、なかなか寝つけないでいた。


「誰を好きなんだよ。」

時計の秒針の音を聞きながら、ゆっくりと目を閉じ、夜の静けさに体を預けた。


ようやく眠りに入れた頃、楓は下の階から響く美季の声で飛び起きた。

「ちょっとカエデー!あんた何飲んでんのー!」


いつの間にかカーテンの隙間からは光が差し込んでいた。

楓は目を擦りながら階段を気だるそうに降りていった。

「こーれ!あんたが飲んだの?」

それは、昨日遥に飲ませたジュースの缶だった。

「ぁあ。昨日、ハルカにあげたんだけど。」

「バカ!これお酒だよ!よく見なかったんでしょ!!」

楓はハッとした。

昨日の遥の行動は、そのせいだったのかと納得した。


そんな二人の声で、リビングで寝ていた遥が目を覚ました。

「ふあぁ~。あれ?俺…カエデんち泊まったの!?」

「ああ。…ハルカごめん。昨日飲ませたのお酒だったみたいで。」

遥は、一緒に花火をしたところまでは覚えているようだったが、その後の記憶が曖昧になっている様子だった。

「ハル大丈夫?度数は低いけど、頭とか痛くない?」

心配そうな美季が水を持ってきて遥に手渡す。

「全然大丈夫。ありがと。…そっか。あれお酒だったんだ。」

ふと楓の方を見上げると、楓はいたたまれない様子で「ごめん。」と目を逸らした。

「そんな気にしないでよ。美味しかったし。」

はは、と笑いながら布団を畳み、寝ている間に乱れてしまった浴衣を直した。

開いた胸元やスラッと見える太ももが目に入り、楓は再び目を逸らした。


刺すような太陽の光を浴びながら、楓は遥の家まで送り届けた。

「わざわざ良かったのに。ありがと。風呂入って昼寝しよ。」

それじゃな、と背中を向けた遥の腕を楓は思わず掴んでしまった。


「…昨日のこと、」

「ん?」

楓は掴んでいた遥の腕をパッと離した。


「…いや。ハルカ、よだれ垂らして寝てたなぁって。」

「なんだよそれー!カエデがジュースと間違うからだろ!」

プクッと頬を膨らませた遥は楓の肩をトントン叩いた。

ごめんごめんと言いながら楓は笑った。それを見た遥もふふっと笑い、またねと言うとドアを開けて手を振った。



昨日のキスを思い返す度に、鼓動が早くなり顔に熱が帯びるのを感じた。楓は、それを太陽のせいにしてフッと短く息を吐き自宅へと戻った。



ずっと着っぱなしだった浴衣を脱ぐと、遥はぬるめの温度のシャワーを頭から浴びた。


わしゃわしゃと髪を洗う手が止まった。

(昨日、夢でカエデに好きって言われたような)


それが現実だったらな、と考えたが、そんなこと夢でしか有り得ないと思い、シャワーのお湯を冷水に変えて顔に勢いよくかけた。


濡れた子犬のように顔をブルブル振って、そんな調子のいい考えを振り払おうとした。



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