誕生日

――十月二十五日。

「カエデ、今日の帰りさ、俺んち寄ってって。新しいゲーム買ったんだよ。一緒にやろ。」

遥はいつも以上に急いで帰り支度をしている。そんな背後に怪しい人影が近づいていた。

先に気づいたのは楓だった。

「ハルカ…」

目線で遥に知らせるが、当の本人は全く気づく様子もなく「え、なになに?」とカバンに教科書を詰めている。

すると、両肩にズシンとした重さが加えられた。

肩を見ると大きな手が乗っていて、恐る恐る振り向くと、そこにはニヤーっと不気味に微笑む山田の姿があった。


「ひーろーみーやー君っ!ウキウキで帰ろうとしてるとこ悪いけど、お前補習だよ?プリント、終わったら職員室持ってこいな!」

ふふんと鼻歌を歌いながら、山田は教室を出ていった。昨日の確認テストで平均点以下の生徒には補習のプリントがあることを、すっかり忘れていたのだ。遥の他にも数名、同じプリントを貰っているやつがいる。


「うっそだろ!」

遥はプリントを頭にかぶせて机に突っ伏した。そのプリントがひらりと浮かんだので、顔を上げると楓が笑ってプリントを眺めている。

「教えるから早く終わらせるぞ。ゲームするんだろ?」

遥の顔にパーッと光が射したようだった。今さっきしまったペンケースを取り出し、カチカチっとシャーペンの芯を出した。

勉強は基本全部苦手な遥だが、数学にはめっぽう弱かった。教科書の公式を見ても意味が分からない。そんな遥に一つずつ丁寧に説明しながら、解き方を教えていく。

「あー!なるほどね!分かった…cosθを求めるんだから、この公式使えばいいんだね!」

同じ補習プリントをやっていたはずの生徒はいつの間にか皆帰っていた。

静かな校舎の中では音がよく響く。階段をのぼり、二人がいる教室に向かって近づいてくる二つの足音が聞こえる。


「あー、良かった、まだやってた。」

息を切らしながら実弥と彩水が教室のドアを開けて入ってきた。二人は机に小さな白い箱を置いた。

「誕生日おめでとう。」

「ハルカくんは一日早いけど、おめでとう!」

それぞれ小さな箱が渡された。

「学校から一番近いケーキ屋さん行ったんだけど、結構遠くて…あんまり動かすとケーキ崩れちゃうと思って、彩水と慎重に走ってきたの。」

まだ少し呼吸が整わない実弥は肩で息をしている。

「選ぶのに時間かかっちゃって、もう帰ってたらどうしようって思った。」

彩水の頬は秋風に当たり薄く紅潮している。

「わざわざ買いに行ってくれたの?」

遥が両手で大切そうに箱を持ち上げると、楓は

「もらってばっかだな、俺たち。ありがとう。」

と、二人の顔を交互に見てペコっと頭を下げた。

「いーのいーの。誕生日なのに補習頑張ってる二人への応援だから!」

「…ごめん、補習は俺だけだったのにカエデにまで付き合わせちゃったんだ。」

楓は首を横に振って遥に優しく微笑む。

「俺が勝手に手伝ってるだけだから。あと少しで終わるしな!」

そんな二人を見て安心した実弥と彩水は、電車とバスの時間があるから、と笑顔で帰っていった。

楓と遥は、ありがとうと言って手を振り残りの問題に取りかかった。




「あー!終わったー!山ちゃんにプリント出してくる!カエデ、昇降口で待ってて。」

慌ててカバンに荷物を詰め、貰ったケーキの箱は楓に預け、遥はバタバタと職員室へ急いだ。



――ガチャ。

「ただいまー!」

「お邪魔します。」

二人の声を聞いて、奥から理咲が出迎えた。

「おかえりー。あ、カエお誕生日おめでとう!」

「ありがと、理咲ちゃん。」

遥は急いで二階に上がり、その後を楓も続いた。遥はカバンをベッドに放り投げ、ゲームの準備を始めた。楓にコントローラーを渡し、隣に座った。最新版の格闘ゲームだったが、初めてプレイしたにも関わらず、楓の圧勝だった。

「なんで?カエデこれ持ってる?」

「持ってないよ、初めてやった。」

そう言いながら楓の口元は緩んでいた。

「マジ?カエデ上手すぎ!練習しとくから、またあとで勝負な!…あ、貰ったケーキ食べる?」

「お、そうだな。」


――トントン。

部屋のドアを叩く音がする。ドアを開けると理咲が紅茶をいれて持ってきてくれた。

サンキュ、と言って遥はトレーを受け取った。

箱を開けると、いちごのショートケーキとチョコレートケーキが一個ずつ入っていた。どちらも、繊細なデコレーションが施してあり崩して食べるのが勿体ないほどだった。

スっと楓はチョコレートケーキを遥に渡した。

「ハルカ、チョコの方が好きだよな。」

「うん!カエデはイチゴだもんね。」

二人はゆっくりと、出来るだけ崩さないように美しいケーキを食べ進めていった。甘いクリームとほろ苦いチョコレートクリームは口の中でふわっと溶けていき、あっという間に姿を消してしまった。


「はぁ~、美味しかったぁ。」

遥は後ろに両手をついて満足そうな顔をしている。カチャカチャと片付けをしている楓を見て、遥は机からそっと何かを取りだした。


「カエデ、あのさ。プレゼントあるんだ。」

遥は楓の横に座り、ちょっとごめんと言って髪が少しかかる耳にそっと触れた。

遥の指先から伝わる熱に少しドキッとした。

「痛くない?」

「痛くないよ。」

耳には冷たい感触のものが触れている。遥は手こずりながら、出来た!とパッと指を離した。

遥は鏡をテーブルに置いて、自分は楓の顔が正面に見える位置に移動した。

シルバーに輝く小さめのフープピアスが、鏡の中の耳元に映った。

「ハルカ、ありがとう。ピアスあいてることハルカしか知らないからな。」

「すごい似合ってる!やっぱカエデにはこのデザインが似合うと思ったんだよねー。学校にも付けてく?」


「…いや、学校には付けて行かない。」


遥の心はざわついた。出しゃばったことを言ってしまったという後悔と、自分からのプレゼントなんか付けて、大崎がどう思うか考えたら申し訳ない気持ちになった。

「ごめん、図々しいこと言って。」


「…え?そうじゃなくて、せっかくハルカがくれたのに学校に付けていって、無くしたらイヤだから。大事な時に付ける。」

耳に感じる冷たさを楓は指で確かめ、鏡に映る自分に微笑んだ。

予想とは違う答えに遥は耳を赤く染めていた。

「そんなに喜んでくれてるの?」

「当たり前だろ。ありがとな。」

遥に視線を移した楓は自分のカバンから何かを取り出した。

「実は俺も…ホントは明日だけど、プレゼント渡そうと思って。」

白いリボンが結んである、水色の不織布の袋を楓は遥に手渡した。遥はそれを両手で大事そうに受け取り、シュルシュルとリボンをほどいた。

中には、くたっとしてモフモフしたぬいぐるみが入っていた。遥は取り出すとギュッと抱きしめた。

「可愛い!カエデありがとう!」

遥はモフモフと目を合わせた。

「…たぬき?」

「ははっ、たぬきじゃないよ。レッサーパンダ。」

「レッサーパンダかぁ。超モフモフ~。」

遥の部屋にはいろいろなぬいぐるみが至る所に鎮座している。ベッドには何匹も寝ているし、机で使うイスにも大きめのクマのぬいぐるみが座っている。

「ハルカは本当にぬいぐるみが好きだよな。」

「恥ずかしくて、こんなことカエデにしか言えないけどね。」

遥はぬいぐるみで楓の頬にキスをした。ありがとう、とぬいぐるみのつもりで声を変えてお礼を言った。そんな遥の手首を掴んで、楓はグイッと引き寄せた。目の前まで近づいた楓の顔に、遥はまた耳が熱くなっているのを感じた。



その時、下から理咲の声がする。

「カエー!美季ちゃんから連絡来てないー?早く帰ってこいってLINEきたよー。」

楓はハッとして遥の手首から手を離し、スマホを見るやいなや、ヤバっと小さく呟いた。マナーモードにしていたため、着信に気づかなかったのだ。


「俺、今日留守番頼まれてたことすっかり忘れてた。父さんと母さん出掛けるんだった。」

楓はもう一度耳にあるピアスを指で触れて確かめると、「また明日、学校でな。」と言い部屋のドアを開けた。

「うん、たぬきありがとう!」

「レッサーパンダな。」

ドアが閉まる寸前、笑顔の楓が隙間から見えた。遥は手首に残る楓の手の感覚を眺めていた。


遥の頭の中には、好き勝手な妄想が次々に溢れ出してきたが、ないないと自分で冷静に否定して、貰ったぬいぐるみをギューッと抱きしめてキスをした。

(なにやってんだろ、俺。)

はぁっとため息をつくと、ベッドに移動して枕元にあるぬいぐるみを少し端に寄せると、楓から貰ったぬいぐるみを枕の一番近い場所に寝せた。


そして遥は彩水にケーキのお礼のLINEを送った。

『チョコレートケーキ美味しかったよ!どうもありがとう。また明日学校でね!』

彩水からは、どういたしましてと吹き出しのついたウサギのスタンプが送られてきた。


遥は楓との会話を思い出しては、口元がにやけてしまう自分に呆れた。

呆れながらも一縷の望みがあることを信じ、ぬいぐるみを抱きしめながら眠りについた。

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