第16話
紅葉は布団の中で身悶えていた。
(かっっっっっっこいいぃ松寿さん、格好良かった、美しかった)
ベッドの上を端から端に転がっていたらベッドから転がり落ちた。床の上、紅葉は天井を見上げる。まるで夢のようだった。憧れの人と会話をして一緒に出歩くなんて、そんな奇跡は紅葉の人生では起こらないと思っていた。
大学に入学した頃、大学内の桜並木を見上げていた紅葉に声をかけてきたのが松寿だった。
『新入生?一緒に行こうよ』
とても綺麗な顔をした男性だった。大好きなアニメ映画に出てくる魔法使いの王子様にそっくりだった。
『俺、1年の木村松寿ね。名前、教えてほしいな…あれ?』
『佐々木、紅葉、です』
『もしかして、男?』
紅葉が頷くと、松寿は吹き出した。
『まじか!女子だと思ったわ~』
『木村~何してんのー?』
さっきまでのイケメンな仕草が嘘のように、松寿は少年のように笑った。その時紅葉は恋に落ちたのだと思う。
友人に呼ばれて松寿が目線を外した隙に、紅葉はその場から逃げた。その後大学での噂で、彼がとんでもない女好きだと知った。大学内で何人もの女性とくっついては別れてを繰り返していた。憧れの王子様はクソ野郎だった。
男の自分では彼の恋人にはなり得ない。
紅葉は自分の恋心は胸の奥深くにしまった。なのに、まさか女性になってしまうなんて、その上憧れの彼と接点が持てるなんて思っても見なかった。
クソ野郎なのに、とても優しい王子様。
(明日また、お話できるかな…)
紅葉はベッドに上がり、枕を抱きしめた。
その日の最後の講義が終わった。教室内で紅葉は黒木彩葉に呼び止められた。
「おう、紅葉。ツラ貸しな」
昔のヤンキーだろうか。紅葉は大人しく彩葉についていく。
行った先のカフェのテーブル席に松寿ともう一人男がいた。よく松寿と彩葉と一緒にいる木原竹彪だ。
「おら、連れてきてやったぞ紅葉ちゃん。連絡先くらい聞いとけよ!」
「悪ぃ悪ぃ、これで許して。佐々木、体どう?」
彩葉と紅葉は松寿からカフェオレを受け取った。紅葉は松寿の隣に腰を掛ける。紅葉と同じ授業を受けていた彩葉は、松寿に使われたようだ。松寿の視線は紅葉の胸元にある。
「今朝、男に戻っていました」
言わなくてもわかるだろうが、あえて紅葉は口にした。自分でも驚くほどだったたわわな胸は、朝起きたらなくなっていた。代わりに馴染み深い棒が股間に生えていた。
松寿が息を吐く。安堵しているようだった。
「どーせまたすぐ女になるって。で、どうだった?めっちゃくちゃ痛かっただろ~」
「?」
彩葉はニヤニヤ笑って問いかけてきた。しかし紅葉には意味がわからない。紅葉が首を傾げると、彩葉も首を傾げた。
「やっただろ?マツと。入った?」
紅葉はカフェオレをを吹き出し、彩葉に直撃した。
「おまっ、きったねぇな!」
「やってねぇよ…それしか頭にないんか!」
「はぁあ?つまんね~じゃあ紅葉のおっぱい揉んでねーの?」
「揉んどきゃ良かった。それは心底後悔してる」
松寿は真剣に彩葉に答えていた。彩葉はあからさまにガッカリしている。彩葉という人は、頭の中がエロい事でいっぱいのようだ。エロい事以外は用はないと言わんばかりに紅葉から興味を失っている。
「男に戻るのに、なんか前触れとかなかったか?」
竹彪に問われ、紅葉は首を横に振る。女性になったときもそうだったが前触れは一切なかった。
「そうか…なんなんだろな、この病気。病気なのかもわかんねぇけど」
竹彪はため息をついて彩葉を見た。彩葉はつまらなそうにストローをかじっている。
「えっろい話聞けると思ったのに。もういいや。行くぞ、タケ。マツは連絡先聞いとけ。ほんでさっさとハメれ」
「ありがとなー、黒木」
松寿は彩葉に手を振る。彩葉と竹彪が連れ立って立ち去っていった。後ろ姿を見送っていると、竹彪が彩葉に寄り添う。
「仲が、いいんですね」
二人の後ろ姿を眺めながら紅葉は無意識に口に出していた。
以前から三人一緒にいる姿をよく見かけていた。しかし、先日から思っていたが、竹彪と彩葉の距離は友人にしては近いような気がする。
「あの二人、付き合ってるからね~…佐々木、出てる出てる」
紅葉は松寿に注意されて、口からカフェオレが流れ出ていることにやっと気づいた。松寿が紙ナプキンで口元を拭ってくれた。
「あへ?つきあ、…あ、黒木さんが、女性になったからですか」
「いや、その前から」
松寿はさらりと語った。女性になる前から二人は付き合っていたらしい。つまり男同士で、ということになる。
「リアルBLっ…!」
「ビー…なんて?」
「いえ、すいません。取り乱しました」
紅葉はBLでも百合でもなんでも嗜む雑食オタクだったので、つい興奮してしまった。しかし、BLで耐性のある紅葉はともかく、そばにいた松寿は二人をどう思っているのだろう。嫌悪感はないのだろうか。
「タケがさ、佐々木が黒木と同じ状況だし、色々聞きたいっつってたんだけど…あんま受け入れられない感じ?関わりたくない?」
「あ、いえ、そんなことは…失礼だったら、ごめんなさい。その、木村さんは、どうなんですか?男同士って…」
二人に対して、男同士ということについて松寿はどう思っているのか。失礼だとは思ったが、紅葉は気になって聞かずにはいられなかった。
「俺?前からうっすら気づいてたからなぁ。俺も男の子が気になった時があったし。だから、あんま抵抗ないかな」
紅葉はショックを受けた。自分が男だからと松寿への想いは断ち切ったつもりでいた。しかし実は松寿は男性に恋をした時期があったらしい。
先日、彼に話しかける時に耳に入ってしまった幼なじみの話。相手はその男の子なのではないだろうか。
「そう、なんですね…大丈夫です。嫌悪感は、私もまったくありません。タケマツ推しだったのでショックですが」
「なんて?」
「私もお二人に話をお伺いできたらと思います。同じ状況の方と、情報を共有したいです」
「…そっか。タケに言っとくわ」
松寿は笑った。女の子に向けるキラキラの笑顔ではなく、素の表情のようだ。紅葉はこの笑顔が好きだった。やっぱり好きだと改めて思った。
「男に戻ってよかったなぁ。男のままだといいけど」
「…本当は、私は女性の方がいいんです。実家が、曾祖母の代から会社を経営していて、代々女性が社長を務めています。両親は中々子供ができなくて、やっとできた私は男で…家のために、私は、女性のままの方が良いんです」
「へぇ…」
「でも、今朝男に戻った体を見て、安心したんです。あんなに、女性になりたかったのに」
紅葉は自分の胸を見つめる。ぺたんこになってしまった、見慣れた胸だ。女性になりたかったあの気持ちはどこへ行ってしまったのか。男に戻った紅葉が感じたのは落胆よりも安堵だった。
「金持ちには金持ちの大変さがあるんだなぁ。いいじゃん、男で。俺、正直ほっとしたよ。個人的には、男のままでいて欲しい」
「えっ…」
松寿はいつになく真剣な眼差しで紅葉を見た。
「性別安定しない説の責任が重すぎる」
なるほど、と紅葉は納得した。松寿は『どっちでもいい』発言をしっかり受け止めて、責任を感じてくれているようだ。紅葉は変な所で真面目な松寿に笑ってしまった。
「そうですね…ふふ。私も、男のままで、いたいです」
もしかしたら、もしかしたら奇跡が起こって、男の紅葉を松寿は好きになってくれるかもしれない。それならこのまま、男に戻ったほうがいい。
紅葉のスマホがメッセージを受信した。運転手からだ。今日は男に戻ったので病院へ行くつもりだった。もう出発しないと、診察に間に合わなくなってしまう。
「すみません、病院に行くので失礼しま」
紅葉が立ち上がろうとすると、松寿に腕を掴まれた。松寿は紅葉を見つめている。
「あの、木村さん?」
「あ、ごめん…あの、連絡先、教えといて」
そういえば、さっき黒木が交換しろと声をかけていた。紅葉は松寿とスマホを操作してお互いの連絡先を登録した。
「じゃあ、また明日」
「はい。失礼します」
紅葉は礼をしてから門に向かった。
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