第10話

「きみ、君高校生?可愛いね」

楓は防犯ブザーを鳴らそうとカバンに手をかける。しかしおじさんに防犯ブザーを引きちぎられて踏み壊された。

「怖いことしないよ、ちょっと可愛い君とお話したいだけで」

「あの、僕、男です」

「制服見ればわかるよぉ男の子だからいいんじゃないか」

おじさんがニチャリと笑った。可愛いに引っかかっていたが、女子と間違えたわけではないようだ。楓は恐怖と嫌悪感で体の震えが止まらなくなった。昔からこの手の輩にはよく目をつけられた。楓が男とわかると怒って逆ギレしてくる人もいれば余計に興奮する人もいる。どちらも楓にとって恐怖の対象だが、後者のほうがより嫌悪感が強かった。

興奮したおじさんの手が、楓の体を這っていく。

「や、いやだっ、梅ちゃん!!」

「何してんの?」

楓は自分でも驚くほどの大声を喉から絞り出した。おじさんと楓の間に大きな人影が割って入る。楓が顔を上げると梅寿の兄の松寿がいた。松寿はおじさんの腕をねじり上げる。

「嫌がってんじゃん。警察行こうか」

警察と言う言葉におじさんは大きく抵抗した。おじさんは松寿の腕を振りほどいて走り去っていった。

「大丈夫?て、防犯ブザー粉々じゃん!やば、パワー系おじさんだったんか」

こわーと軽口を叩きながら、松寿は楓を支えて移動しつつ警察に電話していた。楓は震える足を叱咤しながら松寿に支えられて歩いた。

「うちで休んでから帰んな。後で送ってくから」

松寿に勧められて、楓は梅寿と松寿の家に入れてもらった。梅寿と松寿の母が驚いている。今日、二人の母は休みだったようだ。

「あら楓ちゃん、大丈夫?どうしたの!?」

「変質者出て通報した。警察来たら呼んで、俺の部屋で休ませるから」

「わかった、楓ちゃんのお母さんにも連絡するわ。楓ちゃん、ゆっくり休んでてね。大丈夫よ、松お兄ちゃんがいるからね」

楓は頷き、松寿に連れられて部屋に入った。促されるままベッドに腰かける。楓は震えが止まらなかった。

「楓、今日梅は?」

「梅ちゃ…まだ、学校、で、」

「喧嘩でもした?あいつ、肝心な時にいねぇのな」

「僕、先に帰っちゃって」

いつも梅寿と一緒に登下校していて、変質者に会ったのは久しぶりだった。女の子だと思ったという人もいれば、今日のように男の子だから襲ったという人もいる。楓は吐きそうだった。

いっそ女の子になってしまえば、今日のような変態には出会わずに済むだろうか。楓にとって、まだ女の子と間違われたほうがマシだった。男の楓に襲い掛かる人間の心理が理解できない。

「俺だったら、楓を一人にしないのに」

楓は松寿に肩を抱かれる。楓はびくっと体を揺らしてしまった。松寿の手はすぐに離れていった。昔から梅寿と同じく、慣れた相手だ。それでも今は体に触れられることが怖かった。

「怖かったよな。もう大丈夫だから」

松寿は優しく笑いかけてくれる。楓が頷いたその時、ドアの外からドタバタと足音が聞こえた。

「楓っ…兄ちゃん、やりやがったな!」

ドアが勢いよく開いた。と思ったら梅寿が松寿に突っ込んでいった。タックルされた松寿は壁に体を打ち付けてベッドに倒れ込んだ。

「大丈夫か楓!」

「う、梅ちゃん?どうして、」

「うそ、肋骨…息できね…」

松寿は胸を抑えて喉からヒューヒュー変な音を出している。

「楓が襲われたって、母ちゃんからメッセージが…兄ちゃんに、だろ?」

「違うよ、松兄ちゃんが助けてくれたんだよ、変な人に捕まって…梅ちゃん、怖かったよ、僕、怖かった、一人で、帰んなきゃ良かった、」

楓は梅寿にしがみついて泣いた。梅寿を見て、我慢していたものが込み上げて止まらなかった。

「僕、男の子だからって…女の子に、なっちゃえばいいの?このまま、女の子になれば、あんな気持ち悪い人に会わなくて済むの?僕、男なのに。男なのがいけなかったの?」

楓は梅寿に会えた安堵感と変質者に会った恐怖心がごちゃまぜになって混乱していた。こんなことを聞かれても答えようがないだろう。冷静になればわかるのに、楓は子供が駄々をこねるように泣いた。梅寿の腕が楓の背中にまわる。

「お、俺は…男でも女でもどっちでもいい、どっちの楓も好きだ!」

梅寿が叫ぶ。楓は何を言われたのか理解できなかった。

「へ?」

「ごめん、楓、俺はもう、楓のことを友達として見れない。俺は楓が、ずっと前から、好きなんだ。男でも女でも、…楓は、俺が守るから」

「は、はぇえ?」

楓の涙が止まった。梅寿の言う好きは、友情としての好きではない。梅寿の顔を見ればわかる。わかるが楓の頭は真っ白になった。

(う、梅ちゃんが、僕のこと…?)

ずっと前、とはいつからなのだろうか。女の子になってしまった楓に気の迷いで告白をしているわけではないようだ。楓が男の時から、梅寿は楓を恋愛対象として見ていたらしい。

今まで梅寿は男の楓をそういう目で見ていたことになる。今日の変質者と同だ。同じはずだ。梅寿が楓にとって恐怖の対象になってしまう。

楓は顔が熱くなった。梅寿の真剣な顔に、胸の高鳴りが抑えきれない。

(どうしよ…僕、なんか、変…)

楓は胸元を強く握りしめた。恥ずかしいのに、梅寿から目が離せない。気持ちが悪いと思うはずなのに、楓の体に熱がこもっていく。

「楓…」

「う、梅ちゃ…僕…」

「…なんでお前ら、俺の部屋でそんなことすんの?」

「「!!!」」

楓と梅寿は勢いよく離れた。松寿の存在を忘れていた。

「あの、お取り込み中ごめんね二人とも、警察の方がお見えなんだけど」

そして開いたままだった扉の向こうに、いつからいたのか木村家の母が立っていた。松寿が立ち上がる。パガンと変な音がした。梅寿は頭を抱えて転がる。松寿が梅寿の頭をグーでひっぱたいた音だった。

「い“っっっっで」

「てんめぇクソガキ、俺の顔に傷がついたらどうしてくれんだ!楓、行くよ」

楓が松寿と玄関に行くと、二人の警察官が立っていた。事情を説明し、壊された防犯ブザーも提出した。ほとんど松寿が話してくれて、楓は上の空だった。さっきの恐怖も嫌悪感もどこかにいってしまった。

警察官に話しをしている途中、楓の母もやってきた。警察が家まで送ってくれるそうだ。

「楓、大丈夫だった?」

「偶然、うちのお兄ちゃんが通りかかったみたいで」

「ありがとう松寿君、いつもごめんね、梅寿君にも頼りっきりで…」

「いいのよ!うちの子達、大きいから大丈夫よ~」

大きいから何が大丈夫なのか。楓がぼんやり聞いていると、梅寿が階段を降りてきた。楓は一気に顔が熱くなった。楓は母の腕を引く。

「お、お母さん、帰ろ、」

「あの、楓…」

「あ、梅ちゃん、また、明日、ね?松兄ちゃん、今日はありがとう、本当に。さ、お母さん、行こ。おかあさん!」

「え?そうね、今日は本当に、ありがとうございました」

楓の母が深々と頭を下げる。楓と母は警察と連れ立って歩き出す。

「はい、フラれた~」

「ちょ、お兄ちゃん、やめたげなさい!」

松寿と木村家の母の声が聞こえたが、楓は振り返らずに歩いた。




家についた楓は母に体のことを伝えた。恥ずかしかったが、そのまま病院に行くことになった。病院ではとても驚かれたが、守秘義務があり詳しくは言えないが同じような人がいるという話だった。その人は男に戻ったり女の体になったり安定せず、楓もそうなるのではないかという話だった。もしかしたら都会の流行り病とは少し違うかもしれない、と。

父にも伝えると大変ショックを受けていたが、父も楓の体を理解してくれた。

楓の母は学校に連絡を入れて、翌日一緒に行くことになった。梅寿にもその旨を連絡して、両親と学校へ向かう。校長や担任を交えた面談で、生徒に公表した上で配慮してもらえることになった。楓は隠すよりも、公表することを選んだ。好奇の目で見られることもあるだろうが、周りに知ってもらったほうが今後、学校生活を送りやすいと思ったからだ。梅寿に頼らなくても済むことが増えるだろう。楓はそう考えた。

その日は授業に参加せず両親と帰宅した。

そしてその翌日。楓は男の体に戻っていた。

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