本章

 ─── 雛


 私は、小5の頃に両親が離婚していた。

 母は、専業主婦で父がIT企業に勤めていたことで、親権は父親になり、私は父に引き取られ二人で暮らす日々を送った。

 小学生までの父は優しく、一緒に遊んでもくれた。

 基本、家で遊ぶことが多かったが、たまに水族館や遊園地にも連れて行ってくれ、何不自由ない生活を送れていた。


 そんな父親が毒父になったのは、私が中学生に上がった時の頃からだった。

 父はIT企業に勤めていたが、子どもの子育てを理由に退社。その後は、いわゆる在宅ワークが中心となった。


 初めは、母と離ればなれになった私に父は、気を遣って少しでも側にいられるようにと思っていたが、実際は違った。私を監視する為だった。


 父は偏差値の高い有名な高校や大学を出ている。それにより、私にも同じような進路を歩むようにと言われ、中学に進学した私は部活に入ることも、友達を作ることも禁止され、ただただ勉強に専念させられた。


 学校の先生からは部活に入るように要求された。

 その事を父に言うと、翌日、授業が終わった時間に父は学校に乗り込み、午後8時くらいに帰ってきた。

 帰ってきた父は、「ちゃんと先生と話し合って、部活をしないで良くなったから、玲子は心配しなくていいぞ」と言った。

 私は、学校で孤立した。


 孤独を紛らわせるために、勉強に励んだ。昼休みも私は、机に向かいただひたすら、がむしゃらに勉強をした。勉強をしていると、周りの声が気にならない。周りの視線も気にならない。私は孤独じゃない。私は独りじゃない。そう思えたのだった。


 学校が終わると父が迎えに来てくれた。これは私が寄り道をしないようにするため。周りの子は、羨ましいと言う。やめて。ずるいと言う。違う。いいなと言う。そんなんじゃない。私は監視されているだけ。私に自由はない。私は鳥籠の中の鳥。


 いつしか私も友達が欲しくなくなった。



 中学3年の頃。周りも私同様、休み時間に勉強をしていた。父はこの時の為に「勉強をしなさい」と言っていたのだと思った。


 周りの子は、塾に通う。私も行きたいと言ったが、「必要ない」と言い返された。家では父が勉強を教えてくれた。でも、ミスをすると叱られた。ミスをすると腹が鳴り止まない。ミスをすると眠れない。ミスをすると痛い、熱い、苦しい、息ができない。私はバカだ。私が悪い。私のせい。そう言い聞かせると、自然とミスが減った。ミスをしないと父は優しかった。笑顔だった。全部、私が悪かったんだと、そう思えた。


 お陰で父が通った高校に進学することが出来た。

 父は、私を抱きしめ「よく頑張った」と言った。父の喜んだ顔を見て、私はこれまでの努力が報われた。


 でも高校に入っても、これまでの生活は変わらなかった。


 高校でも友達を作ることが禁止され、授業が終われば父が迎えに来た。周りは、バイトをして、買い食いをして、カラオケに行って、遊んで、次の日にその話で盛り上がって、次はどこに行こうかと話していた。


「何してた?」「勉強」


「何するの?」「勉強」


「昨日は?」「勉強」


 私は家に帰り勉強をする。勉強以外に何もない。何も出来ない。何もする必要はない。父から教わり、父に叱られ、父に褒められ。そうして人は育っていくと教わった。それでも私はバカで、模試で1位を獲れない。定期テストでも1位が獲れない。


 そんなダメな私に父は言葉をかけてくれた。


『お前はバカだ』、『誰が教えていると思ってんだ』、『お前なんていらない』、『お前なんて死んでしまえ』、『お前なんて生まれてこなければよかったんだ』。


 私が眠るといつもそうやって聞こえてきた。

 私は、謝ることしか出来ない。

 自分を否定すると、その声は聞こえなくなった。

 なんて私は愚かなんだ。

 

 テストの点数が低いと一層その声は大きくなった。


 テストを見せると、父から笑顔が消えた。その場で土下座をさせられ、頭から水をかけられ、寝ている時に聞こえた声が私の心に鳴り響き鳴り止まない。私の腕に火種の灯ったタバコを押し付け罵倒する。体が凍えるような寒さの中、服を脱がされ、外へと放られ、土下座をさせられた。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。…………」


 そんな私に父は、


 そのままの格好で「勉強をするように」と言った。

「姿勢が悪いからだ」と言った。

「頭が冷えて覚えが良くなる」と言った。

「少しはマシになるだろう」と言った。


 私は、そのまま勉強をして、

「これしか出来ない」と言い聞かせた。

「勉強が出来れば、父は笑顔になってくれる」と思った。


「これで勉強ができるようになる」と言い聞かせた。

「勉強が出来ない私が悪い」と思った。


「父の辛さは、今の私よりも辛い」と言い聞かせた。

「私は全然、辛くない」と思った。


「テストの点が低いのが悪い」と言い聞かせた。

「ちゃんと勉強してなかった私が悪い」と思った。


 私がいけない。私のせい。私がダメなんだ。私ならできる。私なんていらない。私が生まれてこなければ。私がちゃんとすればいい。私にならできる。私にしかできない。


 そんな支離滅裂な、呪文のような言葉が私の勉強の邪魔をした。

 私は自分の頭を殴り、地面に頭を叩きつけ、必死に邪魔されないように防衛した。



 ——— きっかけ


 小さい頃、父と母は仲が良かった。その頃の父は、会社へ行き仕事をしていたことで、休みの日にしか遊べなかった。母はその分、遊んでくれた。


「宿題をしなさい」、「遊んでばかりいちゃダメよ」、「宿題をしてから遊ぼうね」


 父と同じく宿題をしないと怒られた。でも、宿題を終えたら遊んでくれたことで、私は母と遊ぶ為に宿題をしていた。


 父は帰りが遅く帰ってこない日もあった。

 母と二人で夕食を食べ。母と一緒にお風呂に入り。母の布団に入った。

 母は、どんな時でも私の側にいてくれた。相談に乗ってくれた。私の味方だった。


 もちろん父は、仕事が忙しかっただけ。私が嫌いだったわけじゃない。

 父が休みの日には、一緒に出掛けて、夕食も一緒だった。

 私は、そんな普通の生活に幸せを感じていた。


 でも、母は違った。父との夕食を済ませ私が部屋で勉強をしていると、リビングから母と父が話をしている声が聞こえてきた。母の声は、父への怒り、苛立ち、憎しみが織りなされた不満の声。父の声からは母を罵り、罵倒し、蔑ました侮蔑語と尊大語を織り交ぜたような見下す声だった。


 いつしか母は私と一緒に食事をしなくなった。いつしか父も私と一緒に食事をしなくなった。いつしか母と父と私は一緒に食事をしなくなった。


 父がいると私は母と食事が出来ない。母がいると父と食事が出来ない。どちらもいると私は食事が出来なくなった。


 私は母と食事がしたい。私は父と食事がしたい。私は母と父と食事がしたい。


 「ごめんなさい、わがままで……」


 もう、それは叶わない。母は私の鳥籠にはいない。母は私を置いて飛び立ってしまった。父は私の鳥籠にいるが、私が好きだった父ではない。私の知っている父もまた、私を置いて飛び立ってしまった。


 私は雛だから飛び立てない。

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