第3話 千紗の作戦

 さて、その週の日曜日の午後のこと。千紗は一人、駅前のスーパーにいた。別に母に買い物を頼まれた訳ではない。自分の用で来た。

 いつもは行かないコーナーを探してうろうろしながら、千紗は不気味なニヤニヤ笑いを浮かべている。昨日、いいことを思いついたのだ。


 あの日、さやかが軽やかに走り去った後に残った、花の香り。それが、いつまでも千紗の心に残った。あんな風に、すれ違ったときに、ほんのり良い香りが残るような、そんな女の子になりたい。でもそれは、母親が使っているような、香水を振りかけることではない。そうではなくて、何かもっと自然な香りだ。


 そんなことを思いながら、どうすれば良いのかわからずに、数日が過ぎた。そして昨日の夜だ。風呂上がりに、濡れた髪をタオルでゴシゴシやっていた時、突然、閃いたのだ。

 それは、以前読んだ本にあった、エピソードがヒントとなった。その人は、少女の頃、香水の代わりに、バニラエッセンスをつけて女学校に通っていた、と言う話だった。


 これだ、と、千紗は思った。でも、あたしはバニラじゃなくて、そう、レモンだ。レモンエッセンス。これこそ、香水とは違って、中二女子でもおかしくない、自然な香りってもんだ。それに、レモンエッセンスなら、お小遣いで買える。千紗は自分の思いつきに興奮して、昨夜は、あまり眠れなかった。


 そんな訳で、日曜の午後に、なけなしのお小遣いを握り、こうして駅前のスーパーまでやってきたという訳なのだった。

 明日はバレンタインデーだから、あちこちの店で、最後の頑張りとばかりに、チョコレートを売っていた。それはこのスーパーも例外ではなく、いつもと違って、仰々しくレイアウトされたチョコレートのコーナーには、まだ人だかりがしている。


 しかし千紗は、チョコレートのコーナーには見向きもせずに、目的のコーナーにやってきた。ここもまた、手作り用のチョコレートキットや、飾り用の銀色のアザランやカラースプレーが並んでいたが、千紗の目的は、それらに隠れるように、ひっそりと並んでいる香料が並ぶコーナーだ。


 あるある。バニラと並んで、レモンエッセンス、オレンジエッセンスもある。一つ手に取って値段を見る。300円ちょっとだ。安い。これならオレンジエッセンスも買っちゃえ。千紗はおそろいの小瓶を二つ手にすると、意気揚々とレジに向かった。


 家に帰ると、早速その小瓶を開けて、香りを嗅いでみる。それはまさに、千紗の望んでいた香りだった。明日は、これを振りかけて学校にいこう。レモンの香りをさせた自分なら、チョコレートを持ったさやかを前にしても、それを受け取った菊池を前にしても、俯いたりせずに、真っ直ぐに前を見られる気がした。





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