第2話 よく揺れる乙女心
「何だ、あいつ」
明らかな動揺を隠そうと、菊池は素っ気なく言った。千紗は、そんな菊池を横目で見ながら、ふうん、地黒の男子が赤面すると、赤黒くなるんだね、と思った。新発見だ。面白くも何ともないけれど。
「少なくとも、一つは貰えそうだね、バレンタイン」
千紗がからかうと、
「うるせぇ」
と、一言。まだ顔が赤黒い。本当に面白くない。
「はい、ノート渡しておくから、明日の朝はこれ見て報告して」
「おお、サンキュー」
菊池は、千紗からノートを受け取りながら、ふと、聞いてきた。
「ゴリエは誰かにチョコをあげたりするの」
「まさか」
千紗は、反射的に言い放った。
「あたしは、そう言うのには参加しない主義」
何だか、自分で思っている以上に、堅苦しくて冷ややかな言い方になってしまった。
「ははぁ、なるほどねぇ」
菊池は、毒気が抜かれたような顔で言った。
「ゴリエには、そんなの関係ねぇか」
そう言う菊池の顔は、先ほどさやかを見ていた時とは違って、いつものただの地黒の菊池だった。
「関係ないとか、そう言うんじゃないんだけど」
千紗は、さっきの言葉の意味をきちんと説明しようと試みた。だが、
「いやいや、ゴリエさんには、下らない行事だよな。ゴリエ、硬派だもんな」
と、菊池に言われ、その先を続けることが、できなくなってしまった。
「じゃ、俺、先行くわ。ノートは明日まで貸してな」
「あ、うん。じゃあ、明日の報告、よろしく」
「オッケー」
菊池は、受け取ったノートを振って見せると、廊下を軽やかに走り去った。
後には千紗が、棒の様に立ち尽くすばかりだった。
帰り道、千紗は珍しくうつむき加減で歩いていた。
どうしてだろう、と、千紗は考えた。どうして菊池には、上手く話せないんだろう。自分は、決して口下手なタイプではないのに。
今だって、菜緒がいたら、今日は学級委員会があるから先に帰って貰った山田菜緒がいたら、さっきの出来事に加えて、菊池に話したかった事を、余すことなく語ることができただろうに。
千紗が、バレンタインに参加しないのには、訳がある。
それは千紗が小六の時だ。波坂という、自分はスクールカーストの上位だと思っている、いけ好かない男子が、クラスの女子の人気投票をやろうと言い出したのだ。男子どもは、わっと盛り上がったが、千紗は内心、震え上がった。
普段、出しゃばって学級委員なんかやっているけど、自分の女子としての評価がどの程度なのか、大体の予想がついている千紗だ。でも、予想することと、実際に結果を突きつけられることは、まったく違う。
千紗には、それは耐えられなかった。だから、誰がなんと言おうと、必死でこのイベントを潰しにかかった。卑怯らっきょう、あらゆる手を尽くして(最後は先生に言いつけるという、一番卑怯な手を使った)、このイベントを潰したのだ。その時の、千紗を小馬鹿にしたような波坂の顔は、今思い出しても腹が立つが、つまりはバレンタインって、人気投票をやることと、ほぼ同じではないだろうか。
しかも、大人達が商売がらみで全国的にあおっているから、たかだか中坊風情が、千紗がやったように、行事を潰すこともできない。随分と理不尽な話ではないか。だから、自分だけでも不参加を決めている千紗なのだ。
だけど、だけどさ、と、千紗は思う。本当のことを言えば、バレンタインに憧れている自分もいるのだ。我ながら本当にぶれぶれだけど、あたしだって、一度くらいは好きな男の子にチョコレートを渡してみたい。
もし自分がチョコを渡しに行ったら、菊池はどんな顔をするのだろう。きっと物凄くびっくりするだろう。だってあいつ、あたしのこと女子だと思ってないもん。
でも、そうか、ゴリエも女子だったかってなって、その後はどうなるだろう。さすがに、少しは喜んでみせるだろう。でも、内心は困るんじゃないかな。それで、結構丁寧なトーンで「ありがとう」とか言うんだろう。今まで散々ノートを貸してやって、一度も言われたことのない「ありがとう」を。
そこまで妄想して、千紗は頭を振った。もうやめやめ。やっぱりあたしには、バレンタインなんて関係ない。大体、あいつに気を遣われるなんて、最悪だ。
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