そして事件はフィナーレに向かう ⑴


 その晩は、この冬一番の冷え込みだった。


 いつものように優しげな笑みを浮かべて、テオ=モローはティーポットからお茶を注ぐ。


 大事なダイジな妻のために。


「ロラ、どうぞ。いつものカモミールティーだよ」


 丁度夕食の片付けを終えたロラは、テオの待つテーブルへと戻って来た。


「いつもありがとう」


「どう致しまして。最近よく眠れてないでしょう? 温かいうちに召し上がれ」


 そう言って、テオは向かいの席でにっこりと微笑む。


 ロラは幸せそうに微笑んで、両手を温めるようにカップを持った。


「良い香り。頂きます」


 そう言って、ロラがカップに口をつけたとき、来客を知らせる呼び鈴が鳴った。


「あら。こんな時間に誰かしら?」


 ロラは席を立つ。


 テオも席を立つと、小さく舌打ちを一つ。部屋の奥で荷物をまとめはじめた。


 直ぐにロラが戻って来たので、テオは笑顔を向ける。


「誰だった?」


「大家さん。こちらは一人住まいかって。

 一応、今後二人になる予定と伝えたわ」


「なんで?」


「さぁ。契約上必要なのかしら? ここは確か、夫婦で入れることになっていたと思うけど……契約書、後で確認しておくわね」


「うん。お願い。因みに、今、僕の名前いった?」


「え? いいえ。そこまでは、聞かれなかったから?」


 ロラは嘘をついた。


 テオは、再び笑みを浮かべてうなずくと、荷物を持って立ち上がった。


「それじゃ、仕事に行ってくるね。

 あ、折角淹れたんだから、ちゃんと飲んでよ? カモミールティー」


 そう言って、ロラの頬にキスをすると、返事を待たずに家の外に出た。

 そして、一度その場で立ち止まり、周辺をぐるりと見まわしてから、息をおとす。


(気のせい……か。でも、そろそろ ここも、潮時かな? あとは、ダイジなあの娘に罪を被って貰って……)


 テオは歪んだ笑みを浮かべると、ロラに伝えてある職場の方向へ足を向けた。





 一方、家の中で、ロラは、えも言われぬ不安に苛まれていた。


(私、テオに嘘をついてしまった。

 でも、どうして?

 名前を言ったらいけなかった?

 私たち、事実婚だけど、夫婦よね?)


 気持ちを落ち着けるために、震える手でティーカップを手に取るが、中のお茶が指にかかり、熱さから思わず、取り落としてしまった。


「いけないっ!」


 慌ててテーブルの上を拭き、頼りない気持ちで、テオが出ていった戸口を見る。


 そこで、既視感を覚えた。


(あら? 何かしら。以前似たようなことが……あの時は、確か……)


 突如、急な頭痛に見舞われて、ロラは頭を抱えた。


(何か思い出しそうな、でも、思い出したくない様な……これは、何?)


 あまりの痛みに、目を瞑った時。今まで忘れていた記憶が、目の前にうつしだされた。


 外泊も夜勤も多いテオに、寂しさを感じていたロラ。

 その晩は、偶々アルコールが入っており、酔った勢いで、テオの後をつけた。


 そこで、浮気相手とホテルに入るテオを見てしまう。

 ロラは信じられず、二人が出てくるのを待って声をかけようとした。


 二人が人通りの少ない裏路地に入ったので、近寄ると……。


 一瞬、目の前が赤く染まった錯覚を覚える。


「ああ……テオ。どうして?」


 ロラは立ち上がると、急いでコートをはおり、テオを追って底冷えする夜に飛び出した。

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