そのシスターは、丘の上の教会にいる


 教会の鐘が鳴り響いている。


 墓所に向かって伸びる、故人を偲ぶ葬送の列。

 もの寂しげなその情景を横目に、二人の男は教会の扉口へと向かっていた。


 歳の頃二十代後半。

 柔らかにカールした栗色の髪を掻きながら、長身の男はどこか不満気に、右前を歩く上司に声をかける。


「あの……ヴィクトー係長」


「何ですか?ニコラ君」


 銀縁メガネの奥から、凍てつくようなアイスブルーの視線が、長身の部下、ニコラ巡査に向けられた。

 ニコラは、苦笑いを浮かべる。


「そんな、おっかない目で見ないで下さいよ」


「いきなり悪口ですか。良い度胸です。

 目の鋭さは生まれつきですので、慣れて下さい。

 それで?」


「え? ああ。その、今日は連続殺人の聞き込みでしたよね?

 何故こんなところに?」


「疑問を持つことは良いことです。その答えを自身で考えるようにすれば、『考えが浅い』と言われることも減るでしょう」

 

「はっ? いや、考えたけど分からないから聞いて……」


「行きますよ」


 言い募るニコラを置いてけぼりに、ヴィクトー警部補は、吹き付ける木枯らしで乱れた銀糸の髪を撫で付けながら、礼拝堂前室に入っていく。

 ニコラはため息を一つ、首の後ろを掻きながら、ヴィクトーの後に続いた。


 

「へぇ。簡素な作りですが、調度品なんかは物が良さそうだ」


「ほう。目は良いようですね?」


「貶してます?」


「この上なく褒めています」


 軽口を叩いている二人を、老齢のシスターが出迎えた。


「あらまぁ、ヴィクトー刑事。いつもお世話様です。

 用事は……聞くまでも無いわねぇ。

 ほほっ。礼拝堂の中で少しお待ちくださいな」


 頬を紅潮させつつ口元を押さえて、シスターは教会に併設されている修道院へと向かうようだった。

 ニコラは、訝し気に口を開く。


「お祈りでも、しに来たんですか?」


「生憎、無神論者です」


 あっさりとした口調でそれに応じると、ヴィクトーは開け放たれていた礼拝堂に入り、一番後方の席に腰を下ろした。

 ニコラもそれに倣い、上司の横に腰掛ける。

 


 礼拝堂の中には、数人の人がいた。


 静かに祈りを捧げる若い男性。

 寄り添うように椅子にかけ、祭壇を見上げている老夫婦。

 俯き背中を丸めて、熱心に祈りを捧げているメガネの若い女性。


 ニコラはぼんやりと、ヴィクトーは目を細めて、その光景を眺めながら待つ。



 それから程なくして、一人のシスターが静々と礼拝堂に入って来た。


 彼女を一目見て、ニコラは思わず唾を飲み下す。


 色素が抜け落ちてしまったかのような真っ白な肌に、淡くピンクがかったルビー色の瞳がよく映える。

 純白のウィンプルの上に黒のベールを被っているため、髪の色は定かではないが、眉の色は白い。


 その神聖で無垢な顔周りの印象とは裏腹に、彼女の肢体は、修道服で隠されていてもなお、妖艶。


 そのシスターは、控えめに言って、とても魅力的であった。


(綺麗な人だな。二十代後半くらいだろうか?

 ははーん。さては係長……)


 ニコラが内心ほくそ笑んでいると、隣でヴィクトーが立ち上がり彼女に会釈したので、それに倣う。


「お呼び立てして、申し訳ないです。シスター ブロンシュ」


「いえ。本日は、どういった御用向きでしょう?」


 鈴を転がしたような可憐な声音が響き、密かに胸の鼓動を速めるニコラ。

 その横で、ヴィクトーは普段と変わらぬ落ち着いた口調で、会話を続ける。


「ええ。

 ご存知かと思いますが、ここのところ、女性ばかりを狙った凄惨な事件が続いておりましてね。

 こちらは女性ばかりですから、ご注意頂くようにと、念のため」


「それは、ご心配頂きありがとうございます」


「いえ。それから、何か気になること、犯人につながる情報がございましたら、いつでもお気軽にお知らせ下さい」


 そう言いながら、ヴィクトーは、チラリと礼拝堂の外にある一室に視線を投げる。


「ああ。守秘義務も有りましょうから、無理にとは申しませんがね」


「承りました。他のシスターにも伝えます」


 丁寧に返される返事に、ヴィクトーは目を細めた。


「それでは、私どもはこれで。わざわざご足労頂き、ありがとうございます」


「構いません。私もこの後、こちらでお仕事がありますので」


 薄く微笑むシスターに会釈して、刑事二人は教会を出た。



 先を歩くヴィクトーに、ニヤニヤしながらニコラは声をかける。


「彼女が心配で、気をつけるよう注意しに来たんですか?

 随分とご執心だ」


「想像は自由ですが、少々思考が低俗ですよ? ニコラ君」


「だって、わざわざこんな辺鄙な場所まで? 仕事中に?

 シスター ブロンシュでしたっけ。

 驚くほど綺麗な方ですよね?」


「私達の関係は、君が考えているものとは違いますよ?」


「ふーん。それなら、俺、狙っちゃおうかな?」


「聖職者ですよ?」


「ほら~。やっぱり、気があるんでしょう?」


 ヴィクトーは深くため息を落とし、右手の人差し指と中指で眼鏡のブリッジを押し上げて、位置を直した。


「君の女性関係に、口出しする気はないですがね。

 彼女には、あまり近付かない方が良いですよ」



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