聖人君子の顔をした大悪党
第41話
「そういえば、血液はどうした?」
領主邸へと向かう道すがら、ユーゴは莉々子に問いかけた。
「はい……?」
何も考えずにぼんやり歩いていたため、一瞬何を訊かれたのかがわからず、思わず聞き返す。
「……血液、ですか?」
「貴様が俺に提供させた血液だ。何か調べたいことがあったんだろう」
「ああ、あれ……」
斜め上方を眺めやり、しばしの間記憶を反芻してやっと心当たりに思い至った。
莉々子はすっかり忘れてしまっていたが、そういえば、ユーゴに提供させた血液があった。
そんな簡単に忘れるものかと言うなかれ。これには歴とした理由があるのだ。
それというのも……
「特に何もわかりませんでした」
だから、すっかり忘れていたのだ。
「はぁ?」
ユーゴがユーゴらしからぬ、無粋な声を上げる。
その口はぽかんと開けられていて少し間抜けだ。
「あれだけ無理矢理提供させておいて、何もわからんとは何事だ!」
「はぁ……」
そんなことを言われても、困ってしまう。
莉々子は臨床検査技師でもなければ、医者でも研究者でもないのだ。
あの時、ユーゴの血液を求めたのは、ただ単純に血液型が知りたかったからだ。
しかし、それを調べることは叶わなかった。
血液というのは通常、異なる血液型と混ぜると凝固する。それを利用してどの血液型と混ぜると凝固反応が起こるのかによって血液型を調べるのだ。
しかし、この世界で血液型が何型なのかがはっきりしているのは莉々子の血液だけであった。
莉々子はO型だ。
莉々子とユーゴの血を混ぜると凝固反応が起きた。
つまり、O型でないことだけが判明したということだ。
そしてそれだけで終了した。
まぁ、正直知りたかった所は同じ人間としての仕組みを持っているのかという点だったため、それだけ確認できただけでも莉々子的には収穫なのだが。
はたしてこの世界の人間の血液は、同じ色をしているのか、同じ匂いをしているのか、違う血液型の血を混ぜることで凝固が起こるなどの、地球の常識と同じ性質を持っている同じ物質なのかを知りたかった。
少なくとも凝固反応や見た目は莉々子の血液とは変わりないように見えた。
そしてそれ以上は、そもそも顕微鏡も何もないので調べようがなかった。
(いや、専用の道具があっても、私じゃ調べようがないんだけど!)
そして大変残念なことに、この世界には血液を新鮮なまま保護できるような密閉性の高い入れ物も存在しなかった。
――ので、とっくに血液は破棄してしまっている。
「貴様のことだから、何か当てがあるのかと思っていたら……」
はぁ、とユーゴは眉間に手を当てて肩を落とす。
そんな過大な期待をされても困ってしまう。莉々子が現状でやっていることなど、だいたいがすべてその場の思いつきの、ただの悪あがきだ。
試せることはすべてやる。
そのうち一つが当たればラッキーだと思っている。
非常に頭の悪い考え方なのはわかっているが、それ以外に出来ることが思いつかないのだ。
がむしゃらな悪あがきさえ出来なくなってしまったなら、こんな意味のわからない世界に一人ぼっちで、莉々子の精神は到底正気を保ったままで居られるとは思えなかった。
例え無意味な行動でも、何かをやっている間は目先の恐怖から気を紛らわすことができる。
「そういえば、ユーゴ様の血は“約束の血族”のものなんですよね。何か他の人とは違う特殊なあれとかあるんですか? 中二病的な」
これ以上の思考は考えれば考えるだけどつぼにはまりそうな気がして、莉々子は頭を振って、思考を切り替えた。
それに、下手にそのようなことを考えていて、ユーゴに察せられてはたまらない。
自分の心の内の一番深いところを、覗かれるなんておぞまし過ぎる。
やぶへびにならないように、莉々子は話題をそらした。
とはいえ、全く興味のない話題を振ったわけではない。
『死よ来たれ』なんていう中二病まっさかりなかけ声をかける御仁だから、何か面白い返答をしてくれるのではないかと期待に胸が膨らんだのだ。
何か中二病的な発言が飛び出したら、ぜひとも指をさして大笑いをしてやりたい。
もちろん、本人を前にしてやる度胸はないので、心の中でだけだが。
「“チューニビョウ”? とやらは知らんが、さてな、伝説に関する類いの書物はすべて国で管理されているし、さして興味もないから調べてもいない。前にどこかの場所に至るには約束の血族の血が必要とかなんとか聞いた気もするが、どうだったか」
「あんまり、興味なさげですね」
投げやりな話し方のつまらない返答にがっかりする。
せっかくユーゴの恥ずかしい所が見れると思ったのに、心底がっかりだ。
「ん、ああ、まぁ、あまり役に立ちそうにない情報だったからな。領主になるには血族であることが前提条件で、むしろ本筋ではない俺にとって有利な情報があるとも思えなかったのでな」
なるほど、リアリストめ。思いっきり馬鹿にしてやろうとしたのに全く隙がない。
「ところで、“チューニビョウ”とはなんだ」
ぎくり、と肩が揺れる。
翻って、返事に窮する羽目になったのは、莉々子のほうだった。
「ええーと、なんていうか、私の国の言葉で、“格好いい”とか、“素敵”とかって意味です」
もぞもぞと話す莉々子の様子に、得意のテレパスで悟ったのか、ユーゴはしたり顔で頷いた。
「なるほど、どうやら馬鹿にする類いの言葉らしいということは理解した」
「いやいやいやいや、滅相もない」
莉々子はぶんぶんと慌てて首を振ったが、ユーゴの視線はじっとりと絡みつき、見逃してくれそうにはない。
「あ、あれ、なんでしょう! 二重丸!!」
「露骨だな! 全く誤魔化せてないぞ」
まったく、とぼやきながらもそれ以上追求する気はないのか、ユーゴは指さした方へと視線を移してくれる。
そこには、鉛筆のようにとんがった屋根とそこに掲げられた大きな二重丸のシンボルが印象的なそこそこの大きさの建物があった。
「あれは……、教会だ。精霊様を信仰している」
教会なのに、そこは神じゃないのか、とこの世界の精霊様特製の翻訳機能の性能について疑問を抱き内心で頭をひねる。
もしも、概念上の翻訳がなされているというならば、“精霊様”は“神様”と翻訳されてもおかしくない役回りなのではないだろうか?
“英語”が“アルカラナ語”と翻訳されずに音の響きをそのままにユーゴに伝わったことと言い、この翻訳機能にも莉々子には理解しがたい法則性のようなものがあるのかも知れなかった。
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