第19話

 そうして、あっという間に一月ほどの時間が過ぎ去った。

 一月も経つと莉々子の警戒心も徐々に緩んできて、最初ほど気疲れもしなくなってきていた。

 警戒心は大事だが、1ヶ月もそれを維持し続けるのは非常に難しい。

 少なくとも莉々子には無理だった。

 最初はその都度気を引き締め直していたが、ここ最近は諦め気味だ。


 窓から差し込む光が視界に入ってきて、それに目を細める。

 莉々子は与えられた部屋で、右手にガーベラに似た淡いピンクの花を、左手に金色の懐中時計を持ち、目の前にかざして、唸っていた。


 そこは最初に与えられた窓のない部屋ではなく、庭に面した明るい部屋だ。

 日の光がふんだんに入り込むような作りの広い窓があり、その窓沿いに大きな机がどん、と鎮座している。

 その上には透明なガラスでできた花瓶に、今手に持っているものと同じガーベラが5本ほど刺さっており、その脇にはネズミが数匹入った籠、水の入った器、大小様々なグラスなどが並んでいた。

 それらはあの後、莉々子が魔法の勉強のためにユーゴに頼んで手に入れたものだ。


 机の隅に置かれたノートに莉々子はさらさらとデータを書き込む。

 その隣には莉々子の体調管理ノートが置かれていて、脈拍と体温、その日の自覚的な体調の変化などが事細かに記載されていた。

 莉々子の体調は、いずれも正常範囲内の変化しかなく、体感的にも変調は見られない。

 このことから、脳卒中や耳、自律神経への“呪い”という説は否定されたな、と結論を出す。

 もしもそれらに魔法による攻撃、ないし損傷を与えられていたならば、莉々子は今、こうして健康体で過ごすことは出来ていないはずだ。なんらかの後遺症が起こるはずである。


 それがない、ということは、おそらく一番“貧血”が疑わしい。

 貧血を疑う理由はもちろんそれだけではない。


 “召還”との共通項が原因である。

 “召還”も“貧血”も、どちらも『物質の移動』で説明がつくのである。

 “召還”は言わずもがな、人や物が異なる所から異なる場所へ移動する現象である。

 そして“貧血”は、血液を肉体の外に多量に移動することで、引き起こすことができる事態である。

 つまり、ユーゴの闇魔法というやつは、“物質を移動させる魔法”なのではないかと思うのだ。


 しかし、疑問点はまだ解消されたわけではない。現時点での一番気になる疑問点は、奪った血液はどこに行っているのか、ということだ。

 莉々子自身がこうして呼び寄せられて五体満足で存在している以上、ユーゴの魔法は物質を消失させたり、変質させたりする類のものではないと思われる。

 まさか、相手から奪った血液が、ユーゴの中に行くわけではあるまい、血液型が違ったら、凝固して死んでしまう。

 いや、それすらも魔法で防ぐ手立てがあるのだろうか。


(いや、この考え方はまずいか?)


 莉々子は首をひねる。

 ふと、いやいや、そもそも、奪われているのは赤血球なのだろうか、という点に気づいた。

 血液の成分は多岐にわたる。そのうちの一つを除くだけでも、人体は機能に支障をきたすのではないだろうか。


(……そういえば、脱水症状もあったな)


 あれも、めまいを起こすし、ひどくなれば死に至る。

 今は思いつかないだけで、他にもめまいや失神を起こす症状はきっとあるだろう。


(けど、良い線はいっている気がする)


 共通項が段々と見えてきた。

 とりあえずは、水分を相手から奪う、という仮定が最も可能性が高そうだ。

 それならば、ユーゴの体内にそれが移動したとしても、その身体に支障をきたす可能性は低い。

 まぁ、あまり大量に水分を体内に入れすぎると、処理能力の限界を超えてしまって浮腫などは起こすかも知れないが。


 そこでまた、自分が勝手な思い込みをしていることに莉々子は気づく。

 移動した物質が莉々子の知る範囲内に存在しなかったから、てっきり体内に移動させたのかと仮定していたが、水分ならば空気中に水蒸気として発散させている可能性もあるかもしれない。

 今度、ユーゴに魔法を使うようにねだってから、その場所の湿度の変化でも見てみるか、とそれもノートに書き加えて、莉々子はそこでやっと手を休めてペンを置いた。

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