第15話
結論から言うのならば、花の治癒はあっさりと成功した。
莉々子の手の中で、手折られた花はみるみる息を吹き返し、折れていた茎は真っ直ぐに戻る。
結合した痕こそわずかに残っているものの、直前まで2つにへし折られていたとはとても思えないその真っ直ぐな茎の姿に、思わず感嘆の息がもれた。
莉々子はそれを、再び二つに折る。
治す。
二つに折る。
治す。
エプロンドレスに土がつくのも厭わずに、その場に座り込むと、ひたすらにその作業を繰り返した。
目の前で起っていることが、不思議で仕方がない。
これは、どういう理屈なのだろう。
仮定だ。
『傷が素早く治る』というのは、どういうことだろう。
傷が治るためには、体力や生まれ持った治癒能力が必要になる。
それは例えば血が固まって傷口を塞ぐ能力であり、新しい細胞を作り出す能力であり、入ったばい菌を追い出す能力などだ。
それを、魔法で無理矢理促進させる。
それは生物の持つ能力を強化し、治癒過程を急速に早送りしているということだろうか。
それとも、怪我を負う前の状態に時間を巻き戻しているのだろうか。
否、時間を早送りしている可能性もある。
一見、治癒過程の早送りと時間の早送りは同一のものに思える。
実際、目に見える現象としては同じことだろう。
しかし、メカニズムとしての相違がある。
治癒過程を急速に早送りする、ということは機能の強化であり、一時的に代謝などの能力を増強するということだ。
一方で、時間の早送りの場合は、今後起こるであろう事象を一足飛びに得るということだ。
同じ現象が起こっていても、メカニズムが違えば、適応範囲が異なってくる。
これは医療でいうところの症状の考え方に似ている。
熱を出した、という症状に対し、その原因はウイルスであったり、菌であったり、その侵入経路も誤嚥によるものや傷口からであったりとバリエーションがあるわけだ。
医療ではこれに対し、対症療法で熱を収めるのと同時に、直接的な原因である侵入経路に対してもアプローチを行うことになる。そうでなければ、いかに対症療法を実施しても、原因が収まらない限り、症状は何度でも再発してしまうからだ。
今回の場合は、過程に何が起こっているのかを知ることによって、魔法の適応範囲と使用方法を検討する上での参考になると考えられた。
さて、ここで、検証だ。
上記の仮定したメカニズムのうち、どれが現状でもっとも適切なものであろうか、絞る必要がある。
まずは『時間巻き戻し説』。
もしも、時間、及び治癒過程を巻き戻しているのならば、消し炭になった花が元に戻らないのはおかしい。
単純に莉々子の力量不足の可能性は否めないが、しかし、折れただけの花は治った。
時間を巻き戻していると仮定するのならば、力量による差は損害状態ではなく、経過した時間で見た方が妥当な気がする。
消し炭になってからと折れてから、どちらも数分も経たずに治療を開始しており、時間経過の量としての差は大きくは存在しないはずである。
そのため、この仮定は一端脇へと避けておく。
次に『治癒能力強化説』。
この場合は消し炭が戻らなかったことには説明がつく。
消し炭には傷を治すための機能がそもそも存在しない。
あくまでも、花としての自己修復能力が機能する程度の損傷でなくては、いくら機能を強化しても無駄なのである。
0を何倍に強化したところで0のまま。そういうことだ。
それと、もう一つ繰り返し治癒することで莉々子には気づいた点があった。
心なしか、治し続けるに従って、花のみずみずしさが失われ、しおれてきているように見えることに気づいたのだ。
同じ強化にしても、その強化のためのエネルギーは花自体から供給されているのか、それともその分をも莉々子がまかなっているのか、という疑問点があったのだが、治癒を繰り返すことによって花自身に消耗が見られるということは、花自身のエネルギーを使用している可能性が高いと考えられた。
つまり、機能の促進には莉々子のエネルギーが使われているが、単純な治癒能力には花自身のエネルギーが使用されているとこのことからは推察できるのである。
この仮定はあり得なくはない。
よって、この説は保留にしたまま、次の仮定へと移る。
最後に、『時間早送り説』。
この場合、消し炭はいくら時間を早送りにしても消し炭のままであるため、治らなかったことに説明がつく。
そして、繰り返すごとに生気を失っていくという事象に関しても、時間を早送りするのに莉々子のエネルギーを使用しているのならば、強化説と同様に再生に必要なエネルギーは花自体から得ていることになるため、矛盾は生じない。
つまり、今、莉々子に想定できる説は『強化説』と『早送り説』の二つだ。
もちろん、それ以外のメカニズムの可能性は莉々子に思いつかないだけでいくらでもあることだろう。
しかし、今はとりあえずの足がかりとして、その2点の仮説に絞って、検証していくしかない。
(検証を進めるうちに、また、新たな仮説も生まれるかも知れない)
「楽しいか?」
ひたすらに同じ単調作業を繰り返す莉々子を止めることは放棄して、実は近くに置いてあったテーブルと椅子に腰掛け、自身で入れた紅茶を飲みながらユーゴは呆れた声で尋ねた。
「それなりに」
莉々子は顔も上げずに返事を返す。
楽しいに決まっている。
莉々子がここに来たのは魔法によるものだ。
つまり、魔法を分析することは、必ず莉々子が元の世界に戻るための足がかりになる。
手がかりを掴んで、嬉しくないわけがない。
原理をすべて解き明かす必要などはないし、そのつもりもない。
必要なのは、この魔法という便利な道具をどのように有効活用できるかを考えるための手がかりだ。
ユーゴは莉々子をしばらく放し飼いにするつもりなのか、ため息をついて「そうか」と頷くだけだった。
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