二話-3 個性的な人

箸休め回はもう少し続きます



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(何で……どうしてこんなことに……)


 僕は今、人生で初めてに近い窮地に立たされているかもしれない。

 逃げるという選択肢は固く閉められた扉によって閉ざされて、四方八方に行先はない。


(ここで……覚悟を決めるしか……っ)


 もしかすると人生の中でも大きな決断になるかもしれない。

 それでもずっとこのままという訳にもいかない。

 ここは意を決して実行に移すしかない。

 強く強く閉じたままの瞼を開ければ、そこには────


「何をやってるの、この子は。もう皆行っちゃったわよ。全く、恥ずかしがり屋って設定にしておいて正解だったようね」


 呆れた顔で腕を組んでいた咲夜がいた。

 その姿は既に体操服になっていて、着替えが済んでいることが分かる。

 一方、僕はまだ着替えられていないので制服のままだった。

 何でかって、他の女の子の着替えを直視出来なかったからだ。

 お互いに覚悟を決めた咲夜相手ならともかく、全くの赤の他人の下着姿を見るのはまだ抵抗感があるので仕方ない。うん、仕方ない。


「とりあえず早く着替えなさい。もう授業が始まるわ。転入して早々に遅刻なんて恥じもいいところよ」


「わ、分かった。急いで着替えるから先に行ってていいよ!」


「場所はどこか分かっているの?」


「んー……そ、外?」


「外に続く道は覚えているの?」


 分からないので、咲夜の鋭い眼光を受けながらつべこべ言わずになるべく早く着替えることにした。

 着替えたはいいものの、ブラジャーが透けないように薄めのシャツを着て、その上から体操服、更にジャージと着込んでいるせいで暑苦しい。

 季節を考えるとこれからもっと暑くなってくるので何か対策を考えないといけないかもしれない。


「流石にジャージまで着ると暑いね……」


「なら脱げばいいじゃないの。着込み過ぎじゃないの? もう夏も近いというのに」


「そうしたいのは山々なんだけど……」


「けど、何よ」


「た、体操服のサイズが思ったより小さかったみたいで……その、苦しいというか……着ていないと色々と問題が」


 ジャージを着た今でも強調されている胸部が恨めしい。

 白色だから下に着ているものが透けてしまいそうだし、別の色とかでは駄目なのだろうか。


「…………喧嘩を売っているのなら買うわよ」


「別に喧嘩なんか売ってないよ。そんなことより早く行こうよ」


 何故そういうことになるのか理解出来ないけど、嫌な予感がしたのでさっさと逃げることにした。

 

「待ちなさい!」


 そう言われて待つ人はいない。幸い、向かう方向は間違いではないようなので、このまま人気がある方へ向かうとしよう。

 軽く走った結果数分とかからずに目的地である運動場へと辿り着くことができたのだけれども、後ろからやってきた咲夜の方はといえば。


「はぁ……はぁ……っ! この体力馬鹿っ! 少しは……止まり、なさいよ……っ!」


「咲夜? いくら非戦闘員だからといって全く動かないのもどうかと思うよ? 大門先輩に言って修行に混ざる?」


「あいつのは、修行じゃなくて訓練でしょうが……っ! それも、地獄の方が生温いやつ……っ!」


 それはまぁ、そう。同意しかない。軍隊で習いそうな、自らの肉体に負荷を掛け続けていくような修行方法なので、必然的に体力が底をつくまでやらされる。

 僕の場合は体力まで回復させる浄化の力があるお陰で怪我なく惜しみない濃密な修行内容になっていた。それがあったからこそあの鬼の妖怪の攻撃を読みきることが出来たし、冷静かつ安全確実な対応を心掛ける余裕があった。

 師曰く、軍隊の中でも選ばれた人間に対して課されるような訓練内容らしいから、身体能力は一般人の咲夜がやればどうなるかは明白ではあったりする。全力で嫌がるのも当然ではあった。


「体力作りっていう意味ではかなりいいと思うんだけどな」


「あれについて行けるのは貴方みたいな修行馬鹿くらいよ。私を巻き込むのは本当に止めて」


 声が本気だったのでこれ以上は止めておくことにする。


「たたでさえ机作業が多いのに、加えて霊脈観察と並行してなんてやってられないわ。そういうのは戦いが得意な人がしておけばいいの。適材適所って言うでしょ。私は戦いには向いてないの。それでいいのよ」


「体を動かすことも出来ないくらいそこまで時間がないの? 僕の代わりの人たちよりそっちの方が欲しかったんじゃない?」


「嫌よ。単純労働の妖怪退治ならともかく、私の分野は下手に人を入れると余計な手出しをしてくることは間違いないのだから」


 その辺りはよくは分からないけれど、何となく想像は出来るような気がする。

 咲夜のしていることは金銭面のことだったりが多いので、そちらに首を突っ込まれると面倒ではあるから人を雇うのは難しい。


「もっと信頼出来る人が増えればいいんだけど、世の中ままならないものだね」


「世間から見れば私たちの方が言うことを聞かないじゃじゃ馬扱いされているでしょうけどね」


 本来なら、恥ずかしがり屋だとかいう設定に関係なく術師、それとそれらを纏める家や組織は僕を取り込みに来る予定だったらしい。

 しかし予想以上に僕の力が強いせいで実力行使は返って裏目に出る可能性が高くなってしまった。浄化の力の弱体化は悪人であれば人間にも適応されるからだ。人を無理矢理攫ったり暴力で言うことを聞かせる行為をする人間が悪でなくて何だというのかという話で、浄化の力はそんな人たちに思い留まらせるだけの力がある。

 だからこそ、唯一の繋がりである咲夜に対して繋がりを持とうと積極的に対話を試みるも、本人は宝蔵家という名家出身で家格の低い相手は咲夜に対して強くは出られず、しかしその当人は実家にはほぼ放逐された身の上であるから強い反発をしている。そのせいで僕自身に辿り着けている人は今のところ一人もいないのが実情だ。

 清光としての僕は度々顔を出してはいるものの、それが清花という人物と繋がった人は誰一人としていない。

 そんな訳もあり、どんな相手だろうが要求を全て跳ね除ける咲夜は跳ねっ返りと言われていたりするのは間違いではない。

 そこに僕まで含まれるのはどういう理由なのか問い詰めたいところではあるけれど。


「そういえば、ここ最近は大人しいよね」


 今の時間は体育ということで最初の準備体操として前屈をする為に咲夜の背中を押している。


「何が? ってちょっと、あんまり強く押さないでよ。私はあまり運動していないのは知っているでしょう」


「いや、ほら……ここ最近は押しかけのようなことも少なくなってきたじゃないか」


「それね……まぁ大体は予想出来て……あいたたたた! ちょっと! 痛いってば!」


「えっ? まだ全然力を入れてないのに。流石に運動不足すぎじゃない?」


「貴方基準で言わないでくれる? ……この、次はそっちの番よ。覚悟なさい」


「別にいいけど……」


 準備体操は非常に大切だからしっかりやっていたというのに、何故だか恨まれるこの始末。

 しかし逆の立場になってやってみても別に何ともなりはしない。普段から柔軟体操をしている身からすれば当然だ。

 次に、今やっているのは背中同士をくっつけて相手の背中を仰け反らせるというものだけど、別にそれくらいでは痛くも痒くもない。

 柔軟体操はしっかりとしているし、何ならもっとやられても——


「ふんーっ!」


「あっ、ちょっ」


 止める間もなく咲夜が思い切り深く腰を折ると同時に着ていたジャージのファスナー部分が思い切りズレてしまった。

 嫌な予感がしたと思ったらすぐにそれが的中した形だ。

 張り出す体制になったせいで一番負荷がかかっていた部分である胸がそのまま曝け出した。

 下に体操服を着ているから見えてはいけないものが見えてしまった訳ではないものの、視線が集まっていることには違いない。


「…………早く降ろしてくれない?」


 ファスナーが勢いよく動いた音は彼女も聞こえたのか、その瞬間からピタりと動きを止めていた。

 少しずつ体勢を戻し、僕を地面へと降ろしはしたけれど。


「さっさと次やるわよ」


 咲夜はあえて気にしない方向に切り替えたようだ。

 こちらとしてもわざわざ口論に発展させて変な注目を浴びるのは避けたいのでそれに乗っかることにした。

 その前に飛び出た形になっている胸部をジャージの中にしまうと、同時にそれまでこちらに向けられていた視線が散っていった気がした。


「えっと……」


「はぁ。そんなに邪魔なら脂肪、私が取ってあげましょうか?」


 伸びてきた手をはたき落とす。


「咲夜? 顔が怖いよ? っていうか、こんなところで変なことしないでよ」


 更に増えたもう一つの腕をはたき落とす。

 ここが学校で、しかも周りに生徒たちがいる授業中だってことを忘れていないか心配になる。

 周りの視線もどことなくこちらに向けられている気がするし。

 反射神経と身体能力に圧倒的差があるので、何度手を伸ばしても反射神経で僕が上回っているので決して届くことはない。

 その度に周りの生徒たちが感心の声を上げているけれど、咲夜はムキになって全力で手伸ばすけれど、やはり届かずに遂には力尽きた。


「はぁ……はぁ……っ! 無駄に、技術だけは……はぁ……高いんだからっ」


「体の一部を掴まれるのは絶対にさせないように師匠に言われてるからね」


 大門先輩からはその辺りのことはみっちりと仕込まれている。自分より腕力の強い相手に捕まれた場合、そこから脱出する手段に乏しい僕は最初から捕まってはいけない。距離を取って戦うことと、近づかれた場合の対処を方法の多くを学ばされた。なのでもし仮に身体能力の差がなくてもこの結果は必然とも言える。


「おーい、そこ! そろそろ授業を始めるぞ! 俺は退魔師だからって特別扱いはしないからな! 授業なんだから真面目にやれ!」


「はーい。ほら、咲夜のせいで怒られちゃったじゃないか」


「……ふんっ」


 咲夜は鼻を鳴らしてそっぼを向いてしまった。

 それから授業が始まり、男女に分かれて運動をしていくことになる。

 男子は野球、女子はテニスとなってそれぞれの場所に向かう。

 テニスラケットを持つのは初めてになるけど、少し試してみれば大抵のことは理解出来た。

 あとは退魔師ではない人を相手にするということで全力ではやらないように気をつければ他だろう。


「いくよーっ!」


「どうぞー!」


 身体能力の差から僕の相手には経験者の子が選ばれ、初めてなのでコツなどを教えてもらい、次第に距離を取って打ち返していく。

 これでも運動神経は大門先輩にも褒められるくらいには高いので初めてであってもそこそこ打ち返せるようになっていった。

 その過程も楽しかったけれど、やはり本番あってこそだろう。


「本気で行くから、ねっ‼︎」


 練習の時のような下から打ち上げるようなものではなく、下へと重力も利用しての鋭い球が放たれる。

 本来は初心者にするべきではないような打ち方でも、手加減具合を覚えた今なら打ち返すくらいのことは可能だ。


「もっと強くてもいいですよっ」


 ボールの入射角とラケットの角度、速度と打ち返す強さを頭で計算しながら体を動かす。

 体の捻り具合から威力をもっと出すことは出来るけれど、それをすると強くなり過ぎて得点になる範囲外に出てしまうので殆ど腕の力だけで打ち返すことにする。


「流石は期待の凄腕退魔師! 初めてでもこれなんて嫉妬しちゃうなっ」


 何度も打ち返す度に次第にタガが外れていったのか、打つ度に左右に着弾点がズレるようになってきている。

 これではあちこち移動をしなければいけない為に体力を余計に使ってしまい、丁寧に打ち返す余裕も無くなってくる。


「初心者に打つ球じゃなくなってきてませんか?」


「初心者はこんな鋭い球を返したりしてこないから! 実はどこかでやってたりしない⁉︎」


「いえいえ、本当に一度も触ったことはないので」


「この、才能の塊ーっ!」


 そう言われるけれど、こちらの返す球は少し強いだけの工夫のくの字もない、ただ返しただけの球だ。それを経験者の彼女が返せないはずもなく、お互いにただ球を打ち返すだけの時間が流れるのは当然のことで。

 こうなったら体力勝負となって僕が有利になるのは明らかだった。

 最後まで続けてもいいけれど、それでは彼女のこの後の授業に差し障りがある。ということで、適当なところで止めておく。


「ふぅ……いい汗かいたぁ! ねぇねぇ、だいれ……あー、清花さんさえ良ければこのままテニス部に入らない? 退魔師だから一般部門の大会には出られないけど、今のテニスには退魔師部門もあるからそっちで出れば優勝間違いなしだよ!」


「嬉しい誘いですが、仕事が忙しいのでお断りさせてください」


「じゃあじゃあ、偶に助っ人をするっていうのはどう? 放課後、時間のある時でいいからさ! ねっ⁉︎」


「え、えっと……」


 ここまで強引に誘ってくれるのは初めての試みでここまで出来たからか。才能の欠片でも感じてくれたのかも──


「清花さんなら広告塔としても…………ぐへっ」


 違った。単なる下心だった。僕を使ってお金稼ぎをする算段をしている顔だった。

 咲夜の悪巧みをしている顔とは違う、煩悩という欲に塗れた良くないものだ。

 これはしっかり断らないと後が面倒そうだなと思って口を開いた、その時。


「ちょーーーっと待ったぁ! 清花さんは私たちソフトボール部が貰うんだから!」


「そっちこそ待ちなさい! 彼女は華道部こそ相応しいわ!」


 その他、続々と我こそはと名乗る色々な部活動に所属する人たちが僕の所有権を宣言する。

 本人の意向を聞かないままに白熱する討論にどうしたものかと思うのだけど、今の彼女たちは気づかないのか、あえて聞かないようにしているのか。

 何はともあれ、この状況が続くと授業がままならないので止める必要がありそうだ。


「はいはい。清花は仕事で忙しいから部活動をしている暇はないのよ。それでも彼女に入って欲しいと言うのなら彼女の仕事を少しくらい受け持ってあげたらどうかしら? それなら清花も自由な時間が出来るから部活動を出来るかもしれないわ」


 手を叩きながら割って入った咲夜に女の子たちは押し黙る。流石に妖怪退治を代われと言われて快諾出来る人がいる訳がない。


「理解したなら彼女を誘うようなことは諦めて頂戴ね」


 散れとばかりに手で女子生徒たちを追い払う咲夜。あまり良い感情を向けられていないようだけれど、当の本人はどこ吹く風だった。


「別に咲夜がやらなくても。自分でやったのに」


「貴方って押せばイけるっていうか、案外何とかなりそうって思わせる顔をしているのよね。だからちょっとやそっとじゃ意見を聞いてくれなさそうだから、じゃあ私が行くしかないかって来た訳。私の勘だけど、まだ諦めてない子はいるだろうから次に勧誘されたらきちんと断りなさい」


「分かってる。僕だって在籍だけして碌に顔も出さないような部員にはなりたくないしね」


「分かってるならいいの。全く、自分勝手な子の多いこと多いこと」


 言いながら咲夜は元の場所に戻っていく。

 どうせなら一緒にやろうと言おうとしたのだけど、あの足の速さはおそらく逃げたみたいだ。

 彼女の視界にはどうしたってさっきの打ち合いが見えていただろうし、当然の帰結ではある。


「いやぁ、ごめんごめん。ちょっと欲望が抑えられなくてさ。お仕事が忙しいって分かってたのに無理に誘ったみたいになっちゃって、ほんと、ごめん!」


 先ほどまで一緒に打ち合っていた子は目の前までやってきて頭を下げる。

 確かに、この子が言い出さなければあの騒ぎは起こらなかっただろう。それでも、彼女のみの責任にするのはどうかと思う。


「部活動の件についてはいずれ起きていたことですからあまり気にしないで下さい。寧ろ今の内に宣言出来て良かったです」


「あぁっ、そんな! そんな顔で優しくされたら、私……っ!」


 貧血を起こしたかのようにふらりと体をよろめかせて地面に手をついた。

 この教室の生徒には個性的な人が多いのか、この人が特になのかは分からないけれど、この教室で暮らすのは退屈しなさそうだなと思った。

 余談だけど、男子生徒はなぜか女子たちに怒られていた。

 何でも野球をろくにせずに女子たちがテニスをしている姿を見ていたからだとか。


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