二話-2 譲れないもの
「皆さん、初めまして。大蓮寺清花です。清い花と書いて"せいか"と読みます。苗字の方は長くて呼びにくいと思うので名前で呼んで頂けると嬉しいです」
頭を下げると教室中から拍手喝采が返ってくる。何なら指笛を鳴らした人もいた。凄く賑やかな教室らしい。
挨拶をする前から男子の雄叫びと女子の甲高い歓声が狭い教室内に響いている。教師が何を言っても止まらないので無視して進行したくらいだから、これはもう何を言っても止まらないのだろう。
外ではこちらの教室を覗き見ようとしていた他の教室の生徒が先生に首根っこ掴まれて引き戻されたりと中々に大変なことになっていた。
「大蓮寺清花さんは家庭の事情で今まで学校には通っていなかったそうですが、故あってこの学校にやってくることになりました。皆さんも彼女のことはご存じだとは思いますが、これからは仲間として過ごしていくので有名人だからと過度に干渉し過ぎるような真似はしないであげて下さいね」
先生の言葉を受けて生返事がちらほらと。どうにも真面目に受け止めている生徒はいないようだった。
それを見てか、教壇に立つ先生の目がギラついた。
「聞き分けのなっていない貴方たちに一応ですが言っておきます。彼女に迷惑行為を働いた人は漏れなく厳しい停学処分を下しますのでくれぐれもご注意を。勿論ですが、何度も続けば退学処分になりますし、事と場合によっては一発で退学処分となり得ることを重々承知して下さいね。というか、本気で変なことはしないでね。誇張でも何でもなく、本当に処分が下るからね。ついでに先生の評価も下がるから本気で止めるからね?」
先生の声は本気と書いてマジだった。
その声を聞いて、教室内の温度が十度は下がった気がする。
「……はい。ではこれらを踏まえた上で大蓮寺さんに質問のある方は挙手をお願いします」
先程までの熱量は収まったものの、それでも手を挙げる人が数人。
先生が挙手をした生徒を当て、当てられた生徒が立ち上がって質問を投げかけてくる。
「今、彼氏はいますか!」
「いません。今は作る気もありません」
「好きな食べ物は何ですか?」
「特に好き嫌いはありません。強いて言えば先日食べた鯖の味噌煮が美味しかったですね。脂が乗っていてとても美味しかったです」
「噂の"清姫"と同一人物ってことでいいんですか?」
「姫と呼ばれる程の者ではありませんが。世間ではそう呼ばれていますね。はい、同一人物で間違いありません」
この質問に答えつつ水球を空中に作りだすと教室中が沸き立った。そっくりさんの線を考えて抑えていたけれども、本人が認めたことで正式に"清姫"だと認識したといったところだろうか。
「はい。鵺って強いって聞いたんですけど、実際に戦ってみてどうでした?」
「あの動画を見たという体で話しますが、僕とは相性が良かったというだけで、他の人が戦えばもっと苦戦したと思います。口から吐く呪詛や尻尾にある毒は極めて強力なので。どちらも一度でも当たれば命に危険があるとても厄介な妖怪です。実際に階級で言えば上から数えた方が早い存在ですね」
「普段はどういう修行をされてるんですか?」
「修行方法は秘密です。基礎訓練はしっかりとしていますとだけ」
「どうして今の時期に転入してきたんですか?」
「それについては家庭の事情としか。僕はそれに関してはあまり語れないんです。ごめんなさい」
流石にそんなことまで赤裸々には語れない。なので笑って誤魔化すと質問をした男子生徒に向かってどこからともなく消しゴムが投擲された。
所詮は消しゴムだから怪我なんて心配はいらない。当たった人も反射的に痛いと口にはしているけど、顔は笑っている。
そこそこ答えただろう、そんなところで先生が手を叩いて質問を打ち切らせた。
「色々なことを聞きたいのは分かりますが、あまり一度に聞いてしまうと大蓮寺さんも疲れてしまうので質問はここまでにしましょう。まだ質問がある時は大蓮寺さんの都合が良い時に聞いて下さい。くれぐれも、迷惑の掛からないようにするように」
生徒たちからは不満の声があがるけど、先生はそれを無視してこちらに向いた。
「学校のことで分からないことがあったら宝蔵さんに聞いて下さいね」
早朝から二人並んで歩いているのは目撃されているだろうし、その噂は既に出回っているはずだ。
だから咲夜に校内を教えて貰うのは既定路線というか、自然な流れのはずだった。現に一人以外を除いてそれでいいという雰囲気だった。
その一人である彼は生徒名簿に要注意と書いてあったので覚えている。良く言えば明るく快活な人で、悪く言えば空気の読めない子らしい。
「はい、先生。案内役は自分がやりますよー」
「却下します。宝蔵さんと大蓮寺さんは元々知り合いなのでお願いをしているので、他の人にお願いすることはありません」
「えー、だって宝蔵さんって役立た──」
「咲夜が、何だって?」
いかにこれから共に過ごす学友だろうと、それだけは聞き流せなかった。咲夜から止めろという視線を受けるけれど、こればかりは聞けない。
彼女の普段の姿を、学業を疎かにしてでも身を粉にして自分の担当地域について考えている姿を知っている身からすれば、同級生同士の軽いノリだったとしてもそれを容認する状況は看過出来ないし、そんなことを平然と言っていい空気の教室なんて願い下げだ。
自分たちは戦いもせず、安全圏から好き勝手宣うその姿勢には嫌悪感すら——
「清花。そのくらいにしてあげて頂戴。怯えてしまっているわ」
「咲夜……」
一般人にとって、退魔師の霊力は直接的には害にはなり得ないけど、発する霊力がそのまま威圧感として感じられる場合もあるという。
本当に軽口のつもりで言ったのだろう。彼から感じる悪意はそれほど大きな物ではなかった。
しかし、裏を返せば多少の悪意はあったということ。それに見合うだけの恐怖感は味わったものだと思うことにした。
「…………。念の為に明言しておくと、咲夜を侮辱するような発言はそのまま僕にも言っていると同じだと思って欲しい。彼女の頑張りを身近で知っている身としてはそれを看過することは出来ないから。別に悪口を言ったからといって何をする訳でもないけどね。精々、僕からの心象が悪くなる程度だけどしっかりと覚えておいてね」
教室の中から声は上がらない。すっかり怯えられてしまったようだ。鵺との戦いを見られた後なら僕の身体能力が並のそれではないことくらいは知っているだろうし、その力でもって脅されでもしたら一般人には逆らうことは出来ない。
そうだとしても、この程度で避けられるような人間関係なら最初からいらないと思った。
内心では今の空気感に落胆している自分がいる。
もしかしたら、この学校生活が楽しいものになると少しだけ期待していたのかもしれない。
「す、すみませんでしたぁ!」
冷めた目で教室全体を見渡していると、先程失言をしかけた生徒が顔を青くし、立ち上がって勢いよく頭を振り下げた。
反省はしているようだけど、それだって僕という存在がいなければ省みることはなかっただろう。その内容も咲夜に対して申し訳ないと思っている訳ではない。それは彼の頭を下げる方向でもよく分かる。
「僕に謝られても意味はないよ」
許しを与えられるのは僕じゃないから。突き放すようで悪いけど、このことに関してはだからといってなぁなぁには決して出来ない。
例え教室中から反感を買われようとも、これから。
謝っているのは確か、橋本君。お茶目な性格でクラスの盛り上げ役と書いてあった。軽口を叩く感じで悪態をついてしまったといった感じだろうか。
他人の悪口なんかで盛り上げようとするのは全くもって感心しないけど。
その彼は指摘を受けて泣きそうな顔になりながら咲夜の方へと身体を向けた。
「ご、ごごごごめんなさい! 宝蔵さん! もう二度と言いませんので何卒! 何卒!」
ついさっき先生に言われたばかりだというのにかなりの失言をしてしまったからか、きっと頭の中には退学の二文字が過っていることだろう。
許しを請われた彼女だけど、何となく咲夜の発言は読める気がする。
「私は別に何とも思っていないわ。同じクラスメイトなのだから、謝ってくれたのなら許しましょう。清花、貴方もそれで納得しなさい」
橋本君が僕の方を見る。これならもう余計な口を出すような真似はしなくなるだろうと判断した。
「僕は咲夜がそれでいいなら構わないよ。僕もこの件に関してはこれ以上は何も言わないし、解決したものだと認識することにする。退学だとか要求することはないから安心していいよ。ただ、一つだけ言わせて貰うと、君が内心で何をどう思っていたとしても自由だけど、それを他の人がいる前で口には出してはいけないよ。きっと、それは君自身の価値を貶めることになるのだから。上から目線のようで申し訳ないけどね」
「き、肝に銘じます……」
言霊という言葉があるように、感情の籠った言葉は例え霊力や呪力を持っていなくとも簡単に人を傷つけることが出来る。
吐いた唾は飲み込めないように、言葉もまた口にした瞬間から自分の手を離れてしまう。だから安易な気持ちで人を傷つけるような言葉は言うべきではない。
話は終わったかと先生が視線で聞いてきたので頷いて返す。先生は軽く溜息を吐いてから橋本君に視線を向けた。
「……こほん。橋本君は後で職員室に来なさい。別に即停学や退学をしたりはしないけど、とりあえずは今回の件で指導は受けて貰うからね。そこでみっちり反省してもらいますからね」
「ひぇ……。は、はいぃ……」
まさかいきなりこんなことになるだなんて思いもしなかったけど、それだけ咲夜の問題も根が深いということか。
咲夜が退魔師として名家である宝蔵家の子で、退魔師の血筋なのに戦う力を持たないのは知っている人は知っている。噂好きの中高生なんかは結構広まってしまっていて、特に自分の生活に直結する大人たち間では殆ど周知の事実とも言えた。
嘆かわしいことに、自分たちだって満足に戦えやしないのに力がないというだけで蔑みの対象に入れて、どうやって自分を守ってくれるんだとまだ子供の咲夜に対して非難を浴びせかけるような人がいる。そのことが我が身のことのように、ただただ悲しく思う。
本人が平気そうな顔をしていて、でも本当は少しずつ傷ついていることに憤りを感じる。
経緯こそ違えど挫折を経験した者として、咲夜に対しての誹謗中傷は自分に向けたものと同義とすることにした。
咲夜は止めろだなんて言うけど、これは決して曲げたくない僕なりの意地だ。
「変な空気にしてすみませんでした。退魔師稼業もあるので共に生活する時間は短いかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
最後の挨拶として頭を下げる。
もう、拍手は起こらなかった。
「では大蓮寺さんの席は宝蔵さんの隣でお願いしますね」
「はい」
僕がやって来るからと開けられていた席に座る。場所は一番後ろの窓際にいる咲夜の横隣だ。座るなり、ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて内緒話を持ちかけてくる。
「初っ端からやるじゃない。貴方のことを舐めてた連中、鼻っ柱を圧し折られて意気消沈って感じだわ」
役立たずと罵られて尚、いい気味ねと底意地の悪い笑みをして咲夜はほくそ笑んでいた。
こんな環境に居続ければそれは性格だって歪むというものか。いや、これは生来のものだったのかもと思い直す。
「それでは授業を始めます。大蓮寺さんは宝蔵さんに教科書を見せてもらって下さいね」
本来なら転入生を迎える為の懇談会のようなものを一時間やるらしい。けど、僕がどれだけ学校にやって来るか分からないし、やって来ると分かったのもつい先日ということで授業内容に変更はなしということらしい。
僕としても、さっきのことがあった後でさぁ仲良くお話ししましょうと言われても困るのでその方が有難いと思ったりして。
「では、この部分を……大蓮寺さん、分かりますか?」
「はい」
授業の中盤以降になってからは指名されたりすることもあったけど、それらには全て難なく答えることが出来た。
ここ最近は疎かになっていたけれど、勉強自体は病院にいた頃から今の住む場所になっても空き時間にしていたし、咲夜のところに来てからは大門先輩や倉橋さんが勉強を見てくれる機会もあったりしたので学力自体に特に問題はないはずだ。
なので授業に取り残されるということもなく、恙なく一時限目を負えることが出来た。
次の授業が始まるまでのその合間に、僕が席を立つ間もなくあっという間に壁が形成された。
「さっきのすっごい格好良かったよ! 何だか、姫っていうより騎士って感じでさ!」
「は、はぁ……」
「何て言うか、迫力? っていうのがあったよね。歴戦の猛者が持つ凄みってやつ?」
「そうそう! あんなライオンより大きくて強そうなのと戦っちゃうくらいだもんね! そりゃあ度胸も半端ないよねぇ!」
「ホント、肝心なところで役に立たない男子たちなんかよりよっほど王子様って感じだった!」
早々に女の子たちが大挙として押し寄せてきて、僕の机の周りは人だかりで一杯になってしまった。
その早さたるや、運動が得意そうな男子生徒すら置いて行かれてしまったほどだ。
初対面であんな態度を見せたら引かれて話しかけられないものだと思っていたのに、これはやや予想外だった。
女の子たちは僕の体には触れないようにしながら器用に隙間なく取り囲み、一斉に黄色い声をあげ始める。
「ていうか肌白! 染み一つない! そして綺麗! やっばぁっ!」
「す、少し触ってみてもいいですか? 少しっ、ほんの少しでいいので!」
「ごめんなさい。そういうのはちょっと……」
「あぁぁぁ! す、すみませんそうですよね! 調子に乗ってすみません!」
「じゃあ髪は? 少しだけでいいんで! 一房でいいんで!」
「それなら。……ど、どうぞ」
あまりの勢いに思わず許可をしてしまうと、女の子たちの数人が後ろから髪の毛を触り始めた。
自分で言うのもあれだけど、転身した僕の髪はかなりサラサラで触り心地が良い。半霊体ということであまり身体に汚れが浮き出ない体質だからかもしれない。男に戻ったら今までの分の代謝が跳ね返ってくるようなことにならなくて良かったと心から思う。
女の子たちは各々が誉め言葉を口にしながら、どんな美容品を使っているかを聞いてくる。
ここで予め決めておいた僕が使用しているということになっている品名を口に出す。すると、当然のように女の子たちは自分も知っているという流れになっていく。
あそこのは良いよねとか、他にはどんなのを使っているのかという質問に答えていると鐘が鳴ってしまった。
生徒たちはこちらを気にしつつもそれぞれの席に戻っていく。
「……ふぅ」
「お疲れ様。とりあえずは及第点といったところね。これなら問題は特にないでしょう。になっていたわよ」
その顔はとても楽しげではあった。僕が困惑しているのがとても楽しいと顔が語っていた。
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