一話-7 表舞台へ
もしも一般人が逃げ遅れていて怪我をしていた場合のことを考えて結界内の捜索をしようとしたけど、それはお猿さんら一行に止められた。
そもそも、何故彼らの頭である男が鵺の攻撃を受けて怪我を負ったかと言えば、逃げ遅れた一般市民を守っていたからだという。
お猿さんが結果的に傷を負ってしまったものの、そのお陰で今回の騒ぎでのここの地域の被害者は実質的にはゼロ人らしい。
僕達のところはともかく、ここは鵺二体が大いに暴れたせいで住宅街のあちこちが損壊しているのがこれからの大きな問題だ。僕がやったのは建物の外壁に多少の損傷を与えたくらいで、他の人的破砕痕は大体あの人たちの行いだから補償までは気にしなくていいはずだ。
無事に龍脈の異常も治ったし、これでここでの事件は解決したということになった。
『そう。無事なようで良かったわ。そうそう、そこで寝ているらしい生意気な奴のことだけれど、起きると面倒そうだからグースカ眠っている内にさっさと帰ってらっしゃい。その男が目を覚ましたら多分、簡単には帰してくれないわよ。感謝の言葉やらお祝いとかその他諸々でね』
「うん。僕もそう感じてたから早く帰ることにするよ。そっちは今のところは何事もない感じ?」
『あれからかなり集中して視ていたけれど、特にこれ以上の異変はないようね。……はぁ、一回限りの奇襲なんて厄介なことこの上ないったらありはしないわ。私はともかく、他の探知系の術師は大変でしょうね。どうせ、これから寝ずのぶっ通しでの警戒よ? そこに就職しなくて正解だったわ、本当』
「あはは。まぁ、それも仕事だしね。あぁ、そうだ。今回の件について何か分かったことってあったりしたの? いきなり観測結果以上の妖怪が出たことについてとか」
『それについては公式の見解では龍脈の異常としか発表されていないわね』
「咲夜個人の見解は?」
『龍脈に人為的……いえ、この場合は妖為的とでも呼びましょうか。霊脈の一部に細工が仕掛けられていた形跡を発見したわ。退魔師協会の連中が把握しているか分からないけれど、分かっていたとしても発表は控えるでしょうね。余計な混乱が広がるだけだから。ちなみに、その細工を仕掛けた犯人については追うのは不可能ね。相当の手練れと見ていいでしょう。貴方も用心なさい』
咲夜が分からない以上は僕にも理解することは不可能だろう。この件については昨夜に任せることにして、さっさと帰ることにした。
流石に二匹もの上位妖怪を相手にするのは疲れた。帰ってお風呂に浸かってゆっくりしたい。
「分かった。それじゃあ、僕は帰りは車で帰るから。流石に僕も疲れたしさっさと帰りたい……ふぁ」
『寝るのは帰ってからにしなさい。着替えとかはこっちで用意してすぐに寝られるようにしておくから』
「分かった。ありがと。じゃあ、切るね」
『一応、帰りも気を付けなさいよ。じゃあね』
そう言って通話が切れる。流石にこんな時に僕を狙う奴がいないとは思うけど、いないと断言が出来ない以上は警戒しなければいけない。少なくとも今は疲れて気が緩んでいる状態だ。色々なことを想定して動いていた方がいい。
気付けに自前の水で洗顔をして気を入れ直す。既に部下の人たちには別れを済ませたので後は帰るだけだ。
行きの時のお世話になった運転手さんが車を側まで持ってきてくれたので扉を開いて乗り込む。
その直後に、それは来た。
「おい! ちょっと待てぇ!」
「……もう少し静かに出来ないんですか?」
最後まで喧しい人だな、と思いながら運転手の人に窓を開けて欲しいと願い出る。ついでに扉はロックしておいて貰った。
「お前、挨拶もなしに帰ろうとするなよ!」
「元々お仕事として来ただけですし、終わったから帰るだけですよ。それに、貴方とはそこまでの間柄ではなかったでしょう?」
「なっ」
彼の中では一緒に戦っていたらしい僕は仲間だと勝手に思われていたみたいだ。
実際には別々に戦っていたから本当にそこまで言うほどの仲ではないはずだけれど。
とはいえ、別に彼の思いを無碍にまでする必要はないかと思い直す。
「……というのは冗談ですよ。貴方が気を失っていたから挨拶する時間がなかっただけです」
可哀想なのでそう返してあげると、お猿さんは心底呆れたように溜息を吐いた。
「俺が起きるのを待つとかは考えないのかよ。浄化使いのくせに薄情じゃねぇの?」
「流石にそこまでの間柄ではないでしょ? それに、僕は自分の持ち場の方が心配なのですぐにでも帰りたいんですよ」
お猿さんとは今日初めて会って、少し一緒に仕事をしただけの関係性だ。今後も付き合いを続ける訳でもないし、寧ろ僕の方が担当地域から出て来ないから関わりなんてないだろう。今回は特に緊急性が高い案件ということで駆り出されたけど、そうでもなければ会うことすらそうそうないはずだ。
それに優先度合いで言えば当然自分の地域なので戻る以外の選択肢なんてないのだけど、彼からしたらそんな事情は知る由もないか。
「……はぁ。まぁ、いい。戦友だと思っていたのは俺だけだったようだな」
「はぁ。そうですね」
「お、おま……っ!」
いい所、仕事仲間だろうか。別に戦友という程ではない気がする。
戦いの時に盛り上がっていたのは彼らだけだったし。
「……ふー。とにかく、今回は助かった。礼を言わなくちゃいけねぇな」
こういった気位の高い人は簡単には頭を下げないと思っていたけど、彼はそれを押してでも下げるべきだと判断したようだ。
これで内面がお猿さんでなければもう少し良い人だという印象があったんだけど……。非常に残念だ。
「お礼なら部下の人たちに散々されましたよ。それこそ、貴方の分までね。だから別に要りません」
「それはそれだ。だからといって世話になったのに頭を下げない道理はねぇ」
「ではお礼を受けましたのでこれでお別れということで」
「何でそんなに帰りたがるんだよ」
「だから向こうが気になるんですよ。それに疲れているんです。気を失うくらい霊力を消費したお猿さんなら分かるでしょう?」
「それは、まぁ。……ったく、それじゃあこれで最後だ。ほれ」
お猿さんが投げたそれが窓枠を越えて手の中に収まる。
「これは?」
それは一冊の本だった。
「昔にここらにいたらしい浄化能力持ちのことが書かれた本だ。古語だから読みにくいし、当然写しにはなるけど、一応世には出回ってないから希少品だぞ。まぁ、門外不出ってほどのもんでもないらしいがな。くれてやる。他所には流すなよ」
「そんなものを僕に?」
「俺らの一族に浄化使いはいないしな。なら、今じゃ数が少なくて実力が確かなお前の役に立った方がいいだろ。ちなみにこれ、俺の独断で家の意向とは全く関係がないからな。だから別に報酬として数えたりしなくていいぞ」
恐らくだけど、彼が何かしらの礼をと掛け合ってくれたのだろうと察した。
ぶきっちょで素直ではないけど、内心での彼の好感度がちょっと上方修正。
「じゃあ、有難く貰っておくよ。ありがとう。家の方たちにもそう言っておいて貰えるかな」
「あいよ。要件はそれだけだ。じゃあな」
「はい。さようなら。お猿さん」
「おう、コラ。降りてこい! お前とは一片そこん所で決着着けねぇといけねぇ!」
急にお猿さんがキーキー言いだしたので僕は運転手さんに車を出すよう合図をした。
「いや、だって本名知らないですし。あっ、もういいので出して下さい。窓も閉めちゃっていいです」
「あっ、おい! 俺の名前は————」
車の速度には流石に勝てないのか、お猿さんは終ぞ名前を語ることはなかった。
後ろの方で何か喚いてはいるけど全ては風に消えていく。
「まぁ、調べておいて覚えていたら次は名前で呼ぶことにするよ」
色々と大変だったけど、何だかんだ悪い出張ではなかった。
態度こそあれだったけれど、名も知らない民間人を庇うというのは性根が優しい証拠だろう。
そのせいで鵺が野放しになり、街の被害が増大したのはいただけないけども。
ああいう退魔師もいるのだと、自分の中の世界が広がったような一件だった。
さて、咲夜には僕の活躍をどう話そうか。
そう考えながら窓の外の景色を楽しむのだった。
「————貴方、それは受け取ったらダメな奴よ」
「えっ」
帰宅後、事後報告をする為に着いた席でお猿さん一家から貰った一冊の本を見て咲夜は苦い顔をして言った。
いきなりコイツやっちゃったという顔をされれば誰だって不安を抱くのは当然だろう。
例外なく、僕も何かマズいことでもやってしまったのかと冷や汗が流れ出てきた。
「そういうのって、自分の流派の者にしか渡さない物なのよ。つまり、それを持っているってことは彼らのお仲間に認定されるってわけ。相手方は"清姫"は自分たちの派閥の所有する書物を読んでいるぞと噂を流すだけで周りに貴方が味方だって思わせられるって考えなんでしょうね」
言われると確かにそうだけど……。
「でも、だからって仲良くするつもりはないし。そんな噂を流されたところで、別に何ともなくない?」
「貴方はまだよく知らないかもしれないけど、退魔師っていうのは特に自分の流派や領地に拘りと執着心があるのよ。それこそ、心底欲しいと思っている貴方が別流派と仲良くしているのならもう自分たちとは絶対に親しくなれないと言い切るくらいには」
「め、面倒くさ……」
「自分もその輪の中にいるっていう自覚は持ちなさい。現在進行形でその派閥争いにはもう巻き込まれているのだから」
「これのせいで?」
貰った本を指し示すと、咲夜は肯定の意味で頷いた。
「そうでなくとも貴方は各方面からお誘いが来ているくらいなのよ? 私……というか宝蔵の名がなかったどんなことになっているか」
政治的な話は咲夜に一任してしまっているので今回の件は僕の軽率な行動で迷惑を掛けてしまったみたいだ。
あのお猿さん、そこまで考えて渡して来たのだとすると中々の策士だ。あの見た目と少し話して感じたお馬鹿さ加減は演技だったのかもしれない。
…………本当かな。
とりあえず浅慮でやってしまったことに謝ることにする。
「ご、ごめん」
「今回は相手が中小程度の勢力だったから結果的には何も影響はないと見ていいでしょうね。寧ろ貴重な本を手に入れられて幸運だったと捉えてもいいくらい。でも、だからといって次もそうとは限らないというのは理解しているわね?」
「う、うん。ちゃんと理解した。とりあえず、外部の人と接する時には咲夜に色々意見を貰うことにするよ」
「そうして貰えると助かるわ。今後はもっと他の人と接する機会が増えるでしょうし」
「……なして?」
ようやく静かな日々が送れると思ったのに。
理由を聞くと、咲夜は凄くうんざりした顔で答える。
「向こうでの戦いの映像がネットに流れているのよ。それはもうバッチリと鮮明にね」
流石にそれには僕も口を大きく開けて驚くしかなかった。
「嘘ぉ……」
その下手人は僕が結界に入ってすぐにいた案内役の人だったらしい。
あの人は確かにお猿さんたちの知り合いで、その派閥に入っていたはずの人だという。あの日までは、という但し書きがあるけれど。
元々あの地域に住んでいたのは真実ではあるものの、その実は他家からの密偵のようなものらしく、今回の僕の戦いの一部始終を撮影しそれを元々の所属する組織に献上するのが今回の仕事だったのだろうと咲夜は推察していた。
こちらが抗議をした時には既に遅し。あのおじさんは派閥を抜けて元の場所へと蜻蛉返りし行方を眩ませて抗議は通らず、まんまとしてやられたという訳だ。しかも雲隠れを決め込んでいるせいで動画の流出元が本来の雇い主だったのかどうかも分からない。そのせいでどこに対しても責めるに責めれない状況にあるという訳らしい。
今回の件であのおじさんを雇い入れていた責任者である地主は咲夜に対して平身低頭で詫びるしかなかったという。わざわざ助けに行ってあげたというのに、恩を仇で返されたようなものだから当然と言えばその通り。
それはもう僕にはどうしようないので咲夜に対応は任せるとして、見せられた画面には拡大されているはずなのにくっきりと僕と鵺が戦っているところが写し出されていた。
「結構画質も綺麗だね。ここなんか、結構いい感じの画になってない?」
動画では一匹目の鵺を罠に嵌め、滅多ぎりにしているところだ。
少し猟奇的ではあるけれど、体格差のせいでそれも抑え気味に感じる。大型の獣に挑む勇敢な女の子と言った絵面に見えると思う。
「貴方の戦いって初めて見たけど、想像よりも強いのね。この鵺って妖怪、危険度は高いでしょうに。全く引けを取っていないじゃない」
「でしょ? まぁ、浄化に頼ってる部分があるのは認めるけど、それだけで勝てるほど中位から高位の妖怪は甘くはないからね」
公開された動画の感想の中に、ただ単に浄化の力が強いだけだという意見があったりする。それは単なる事実なので文句は言えない。
実際、浄化の力なしにただの刀一本で戦えと言われたら鵺相手には勝つのは無理だと思うから。
「力なんて使ってこそでしょう。貴方の場合、血の滲むほどの努力した結果なのだから胸を張っていればいいのよ。有象無象のことなんて無視でいいわ」
「ありがとう。コレに関しては使わないって選択肢はないから、そこは別に気にしてないんだけどね」
同意しつつ動画を見ていた咲夜が反応の一つを指差して不満気に呟いた。
「それにしても、楽勝そうだなんて。これのどこを見て思うのか分からないわ。頭でも沸いているのかしら」
「咲夜、言葉遣いが汚い。また倉橋さんに怒られるよ?」
「あら、失礼。ごめんあそばせ」
あっけらかんとしているので多分反省はしていないと思われる。
「それはそれとして、清花の戦いぶりよりも容姿に対する反応が多いのが気になるわね」
「傷一つないから安心して見れるから何じゃないかな。そもそも戦いなんて素人から何だか凄い程度にしか感じてないと思うよ」
「そんなものかしらね。あぁ、それで言うと貴方、また強くなったんじゃない?」
「またいきなりどうしたの? 強くなったってどういうこと?」
動画を止めて、咲夜はじっとこちらを見る。その眼には僕には見えないものが見えているのかもしれない。
僕の全てを見逃さないというように観察し終えた彼女は目を瞑って目頭を抑えて語り出す。
「私の見立てだと、以前の貴方ではあそこまで鵺を一方的に倒せなかったと思うのよね。そこについては貴方も同意する部分があるんじゃない? 霊力総量もそうだし、質も何だか上がっている気がするのは気のせいかしら?」
「……まぁ、確かに。大門先輩の訓練だけじゃない何かを感じてはいるよ。訓練してるのは肉弾戦についてだけで、霊力関係のことについては何も教わっていないのにね」
「でしょう? それが何なのかが分かれば貴方はもっと強くなれるのだけど……」
「そんな方法があるなら僕も知りたいよ。うーん……自分でも何か分かったら知らせるってことでいい?」
問いかけるように僕を見てくるけれど、生憎とその答えは僕には分からない。……ということにしておく。
咲夜はあまり深掘りをするつもりはないようで、動画の方に視線を移した。
「そうして頂戴。……あら、これなら貴方一人で退治して回った方がいいんじゃないか、だって。やっぱり総数が多いとおかしな言葉も目立つわね」
鵺の成体は準二級から二級の間くらいの強さを持っている。その相手を無傷で勝てたとすればそんな意見が出てしまうのも無理はないところはある。けれど、例えこの世で最強の人がいるとしたって全ての妖魔を相手には出来ない。出来ていたら今の世の中はこんなことにはなっていない。逆説的に不可能であると実証されているようなものだ。
そんな意見に反対表明する反応もちらほらとある。けれど、それに対して僕が傷ひとつ負っていないことと死人が出ていることを挙げて更に反論と、なかなかに動画内で議論は燃え上がっていた。
所詮、苦労なんて本人以外には分からないものだ。特にこうして文字や映像だけの世界では情報が圧倒的に不足している。
「簡単だなんて、そんなこと全くなかったんだけどなぁ」
「その傷一つ負わないことが尋常ではないことは分かる人には分かるみたいだけれどね」
見せてくれた中には「この戦いは紙一重の連続だが本人の技量なしには為しえない偉業だ」だなんて言ってくれている人もいる。
同時にもっとこうしたらという意見も付け加えている辺り、そういった戦いに精通している職業の人なのかもしれない。
「退魔師かそれに近い職業の人なのかな」
「さぁ? ネットは匿名なのだから想像でいくらでも言えるわ。どちらにしても、あまり重く受け止める必要はないでしょう。でもね、今回の話の重要なところはそこじゃないのよ。すぅぅぅ…………はぁぁぁぁぁぁぁーーーーー」
「咲夜? 何をそんなに溜息を吐いてるのさ。しかも、物凄い重くて長い溜息を……何だか怖いよ?」
咲夜は心底、それこそ腹の奥底で煮込まれていた悪性のナニカを吐き出すように低く唸った。
一気に気分が悪くなったらしい咲夜は行儀が悪いというのに頬杖をついて気怠げに目を細める。言葉を発するのすら億劫そうである。
「これ以上は咲夜お嬢様の頭痛が悪化しそうなので、代わりに私めが説明致します」
「あっ、はい。お願いします。大門先輩」
この話題に関しては触れるのも嫌なのか、一度に大量の苦虫をかみ潰したようような顔をして黙ってしまったので代わりに大門先輩が引き継いだ。
「まず、今回の動画の件でこれまでは妖穴発生の解決後でしか判断出来なかった清花お嬢様の本当の実力が正しく世に広まる結果となりました。救援依頼を出したのが退魔師協会でありこの動画が偽物ではないことが動画の投稿時間が解決直後であることからして偽物ではないと確信に至りました。またそれに伴って清花お嬢様が今回の戦いで殆ど誰の助けもないまま戦っていたことが知れ渡ったとお考え下さい。詰まるところ、誰も否定出来ない形で清花お嬢様のお力が世に証明されたのです」
「な、なるほど……?」
「そのこと自体は良いのですが、そのせいでお嬢様の実力に懐疑的だった勢力までもが挙って手の平を返したようにそのお力を認められたのです。そこが問題でした」
そこまでは別に悪い話ではないように聞こえる。
けど、段々と咲夜の顔が凄いことになっているのでやはりこのことは悪い方に向かっているのだろうことは理解出来る。
「とある人物はこう言いました。あの"清姫"なる人物は一体どこの誰なのかと。しかし探せど探せど清花というような人物が過去にどの学校に在籍していた形跡はなかった。なので清花なる人物が一体全体どこの誰かなのかが分からない。そんな折、どこの誰かがこう囁きました。もしかすると、今まで彼女のことを誰も知らなかったのは誰かが不当に彼女を扱っていたからではないかと」
それは違うと言いたい。実際に違うし、そんなことはないと断言出来る。
けれど、恐らく僕がそう思っていても意味はないのだと思う。事実を無視しでもそういったように仕向けたい人がいるのだということは何となく察せた。
「そこで疑惑の目を向けられたのは、現在"清姫"を都合のいいように使っているのは人物。そう、咲夜お嬢様です。ここはあながち間違いではありませんが」
「東治?」
咲夜から鋭い視線を向けられた先輩は冷や汗を拭う。
「……こほん。ともあれ、まるで最初からその流れが決まっていたかのようにさるお方から連絡が来まして」
あえて名前を出さないところ、それほどの重要人物なのか。
口調を変えて、神妙な様子で大門先輩は言葉を発する。
「もしも後ろめたいことがないのならば"清姫"を表に出すべし。さもなければ保護すべき才ある清花お嬢様を不当に扱っているということで退魔師協会から永久除名する、と。それから紆余曲折ありましたが、咲夜お嬢様もそこまで言うのならと清花お嬢様を正式に世にお披露目すると宣言されました」
「退魔師協会ってそんなに横暴なんですね。僕はあまり好きになれそうにないです。浄化の雨でも降らせましょうか」
「それはお止め下さい。死人が出てしまいます」
意図的に人の意思を捻じ曲げて誤まった情報を流すのではあれば、それは悪だ。浄化の力の粛清対象に入るかもしれない。
大門先輩はやや焦ったように手で制した後、咳払いをして語る。
「ですが、清花お嬢様との直接的な関わりは他ならぬ咲夜お嬢様が絶っているということで、疑いの目を向けられる理由はあるのです」
「あぁ、そこでそれが響いてくるんですか」
そうなると咲夜の口からいくら弁明しようとも無駄ということか。本人が直接事情を説明しない限りは納得しないということだろう。
「……これが理由で咲夜は怒っているんですか?」
言ってしまえば、ここまでの一連の流れは全て予想されていたことだ。多少の時期は違えど、咲夜はあらかじめこの事態はしっかりと予期していた。
ならばどうして彼女が憤りを感じているのか。それが分からない。
「してやられたというのが強いのかと。咲夜お嬢様は自分の段取りというものを邪魔されるのがお嫌いですから。今回の件も事前に対策はしていたものの、相手の方が早く動いたことが悔しいのだと思います」
「なるほど。相手はこちらの意向をある程度無視できる権力がありますからね。多少は強引な手を打っても問題はないということですか」
それは確かに咲夜が嫌いそうなことだと思った。彼女の方を見ると、先程よりも怒りは大分落ち着いてきたのか落ち着いた様子だ。
「私のお願いという形で清花には表舞台に上がってもらう予定だったのに、これじゃ世間に与える印象がまるで逆よ。本当にもう、面倒くさいったら……」
また機嫌が悪い方に行きかけたので、慌てて軌道修正をする。
「さっきから言ってる表舞台ってどういう意味なの?」
世間への露出を増やすという意味であることは理解しているけど、予定が先過ぎるということでどのようにしてかはまだ詳しい話を聞いていなかった。
この説明は流石に自分がするべきと思ったらしい咲夜が指を二本立てた。
「この場合、二通りの選択肢があるの。だけど、実質的に選べるのは一つね。一つは退魔師協会に貴方が個人的に戸籍登録をすることだけど、これをするには両親等のしっかりとした身元保証人が必要だし、配属先を協会に勝手に決められる恐れがあるの。ここから離される可能性は極めて大きいわね。だからこの選択肢はないに等しいと思って頂戴」
「うん。それは困るね。それはなしってことで。あともう一つは?」
「以前に言ったことがあるでしょう? 学校に行くのよ。公共機関の学校なら自分の手の者が接触しても学生同士としてだから何ら問題ではないって考えなんじゃない? 子供しか会えないっていう欠点もあるけれど、子供同士だからこそというのも狙っているのでしょうね」
「学校、か。……でもさ、そっちでも身元がしっかりしていないといけないんじゃないの? 書類とか必要なのが色々あるでしょ?」
「学校程度なら適当な身分を詐称して通うことくらい造作ないわよ。それに、両親の存在を下手に追求し続けてそれを嫌がった貴方に雲隠れされたら相手も困るから、変に手を出しては来ないでしょう」
色々と偉い人が関わっているんだろうなとは想像出来る。
そういう人たちが寄ってたかって咲夜に圧力を掛ける姿を思うと腹が立つけど、直接姿を見せない相手には浄化の力はその効力が及ばないのがもどかしい。だからといって僕が下手に首を突っ込める問題でもないのは確かだ。こういったことは咲夜に任せておく方がいい。
「でもさ、僕が学校に行ったたとしてだよ? その間の妖怪退治と霊脈管理はどうするの? 僕は別に途中で抜け出しても行っても構わないけど。それとも在籍するだけで通わなくていいとか?」
僕の身体能力を考えれば多少離れたところでもすぐに駆けつけることは出来る。
相手によってはそのまま戻って授業を受けるなんてことも出来るかもしれない。
でも、そんなことを続けていれば疲れは出るだろうし、それを理由に学校には行かない理由が出来るかもと考えた。
「それについてだけど、清花には学校に多くて週四、最低でも週二くらいの頻度で通っては貰いたいの。相手方は貴方との直接の接点を持ちたいだけだから登校頻度に関して一々文句を言ってくることはないでしょう。だから、近日中に貴方の代わりを務める追加の人員をここへ寄越してくるでしょうね。悪くて五級、良ければ三等級術士ってところかしら。それくらいであれば多少の融通は効くでしょうし」
「ここは宝蔵家の管轄だよね? 咲夜を蹴落としたいのにそんなことさせるかな?」
「そんな些末なことよりも重大な案件ということよ。私を蹴落とした結果、唯一繋がりがある私がいなくなったせいで貴方に雲隠れをされたら元も子もないでしょ? 私を安易に切り離せばどうなるか分からないと散々ぱら脅しておいたから、それだけは例えどんなにおつむが足りなくともやらないはずよ」
雲隠れという選択肢は僕に常についてまわっているのは確かだ。咲夜や大門先輩、倉橋さんの為にもそうならないことを願いたいものではあるけれど、こればかりは相手の出方に合わせる意外になく、未来がどうなっているのかは想像ですら難しい。
だからこそしっかりと咲夜に頼るだけではなく、自分でもよく考えて行動しなければと心に決める。
「以前は決めさせてあげるような言い方をしたから、貴方には悪いけれど少し時期が早まったと思って頂戴」
「悪いとか思わなくていいよ。撮影に気づけなかった僕の不注意もあるし。……それに、やられてばかりの咲夜でもないんでしょ?」
「……そうね」
彼女は軽く笑った後に。
「ってことで、じゃあ、はいこれ」
机の上に一冊の本が置かれ、その後も続々と色々な本が重ねられていく。
そこには咲夜が通うとされる学校名の書かれた冊子と、何かの紙の束、それから各種教科書の類がずらりと並んだ。
「転入先の学校とその校則についてが記載されているわ。それから、まずは同学年の生徒一覧の名簿ね。とりあえず三日以内にこれを頭に叩き込んでおいてくれると助かるわ。他は教科書だから見なくてもいいけれど、今の授業がどこまで進んでいるか付箋を貼ってあるから確認はしておいてね」
「えっ、えっと……ぼ、僕……改めて勉強もしないと……だから……さ?」
学校となると予習復習は大事だろう。戦闘訓練はまだしも、学校生活となれば倉橋さんの授業は必須だ。加えて追加で何かを覚えると言うのは、しかもそれの期限が三日以内というのは流石に無理がある。
特にここ最近は学校で習うような勉強からは遠ざかっていたから、果たしてどれだけ覚えているか。考えただけでも頭が痛くなりそうだ。
「学校でする勉強の復習はとりあえず後でいいから、まずは今渡した物を覚えるのだけをやりなさい。それと千洋さんの淑女教育はしっかり受けること。ちょっとした仕草でバレたりしたら意味がないのだからそこのところはしっかりしなさい」
「……はい」
僕の転入手続きや諸々の根回しなどはやってくれるのだろう。ならば四の五の言わずに自分のやるべきことはやらなければならない。
断じて、咲夜の圧が怖くて頷いた訳ではない。
その後は僕の疲れもあって解散となり、お風呂に浸かってからは更に疲労感が出てきて眠気が一気に襲ってくる。
最後の気力を振り絞って寝巻きを着てベッドに横になったのを最後に、もう体を起こす気にすらならなくなってしまって。
(……疲れたな。流石に一日に上位妖怪三体はキツいか)
今日は予想外の連続で慌ただしくはあったものの、無事にやり遂げることは出来た。
その予想外のせいでこれからは少し忙しくはなるけれど、咲夜と同じ学校で新しい友達でも出来たらもっと楽しい日々になるかもしれない。
戦いの興奮とこれからの期待感に包まれながら、充足感に満ちた眠りについた。
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