一話-4 緊急事態




「鬼が出た?」


「だからそう言ってるじゃん。ほら、証明する写真はこれだよ」


 帰宅後、軽く汚れと汗を洗い流した後に咲夜に報告をすると怪訝な声が返ってきた。

 十等級から五等級までの妖怪ならば特に報告することもないけど、それ以上となると出現数も少なくなり、比例するように実力が上がっていくので退魔師間での情報共有は欠かせない。

 まずは口頭での報告をと、現出した妖怪の名前を出したところでこの反応だ。


「……どうやら本当みたいね」


 退治後に撮った写真を自分の姿の部分だけ隠しながら見せると一応の納得はしたようだけど、怪訝そうな顔は依然としてそのままに眉間の間の皺を更に深くした。


「何か腑に落ちないことでもあるの?」


「あそこの龍脈の異常は私の観測したところだと大きく見積もっても準二等級が精々といった程度のはずなのよ。それが、出てきたのは二等級かそれ以上の鬼だなんて……。はっきり言って何かが不自然だわ。けど、答えが分からなくてモヤモヤするのよ……」


 今まで咲夜は現れるだろう妖怪の等級を一度も間違えたことはない。

 どんな相手だろうと油断せずに挑む心つもりではあるけども、低く見積もっていた等級のはずがそれよりも数段上の等級の妖怪が突然現れたら確かに面食らってしまうかもしれない。それが怪我や重大な事故に繋がらないとも言い切れない。

 だから咲夜は早くから観測を始め、きちんと等級が確定するまでは僕に行ってこいとは言わない。

 今回はたまたまそこまで格差が大きくなかったお陰で意識の切り替えがすぐに出来たけども、これが何回も続くと精神的に疲労が溜まるのは確実ではある。そんな状況になるような情報を、いつも冷静な咲夜が見誤ったとも思えない。


「僕が居合わせると知って誰かが意図的に霊脈に関与したってこと? それか妖怪側が出てくる妖怪を寸前で取り替えた、とか」


「確かにそれらが濃厚だけど、確信に至る証拠は何もないわ。けど、そうだとして私に気取られないでどうやって…………」


 咲夜は独り言を呟きながら思考に耽る。

 暫くは帰って来なさそうだと思い席を立つことにした。

 その場では特に違和感のようなものは感じなかったし、何も気付かなかったので僕からはもう話すことはない。

 何か聞きたいことがあれば彼女の方からやって来るだろう。


「大門先輩、僕は少し疲れたので仮眠を取ります。何かあれば直接起こして下さい。咲夜にもそう伝えておいて下さい」


「畏まりました。今回は本当にお疲れ様でした、清花お嬢様」


「はい。大門先輩もお疲れ様です。あっ、それと……」


「はい。どうかされましたか?」


 鬼との戦いを終えた時から大門先輩には言わなければならないことがあったのを思い出した。

 眠くて閉じそうになる瞼をしっかりと開け、正面を向いて頭を下げる。


「鬼に勝てたのは大門せんぱ……いえ、師匠のお陰です。ありがとうございます」


 近接戦闘をする際の冷静さを身に付けられたのは大門先輩のお陰に他ならない。

 彼に師事する前の僕だったら鬼から感じる圧に負けていたかもしれない。そうなったら今頃どうなっていたか自分でも分からない。

 凄く厳しい訓練だったし、何度も嫌になったけれど、彼に鍛えられていて良かったと心から思った一件だった。

 だから、それを伝えないまま眠ることは出来ない。

 

「顔を上げて下さい」


「……はい」


 僕が見た大門先輩はどういう顔をしているのだろうか。嬉しさは大なりあるものの、その中に僅かばかりの悔しさか後悔の念を感じる。

 きっと、それは勝手に推し量っていいようなものではないのだろう。そこにはこの人の人生が詰まっているのだと僕は感じた。

 するとこちらの考えが伝わってしまったか、自重気味に笑って頭を振った。


「お見苦しい姿をお見せしました。自分には成し得なかったことを清花お嬢様のようなまだ年若い子に押し付けてしまったこと、本当に慚愧の念に堪えません。その上で、私め如きがお嬢様の一助となられたことを大変嬉しく思います」


 深々と、まるで謝罪でもするかのように頭を下げた大門先輩にどう答えたらいいのか。


「東司はね、本当は退魔師になりたかったのよ。貴方みたいに妖怪を倒して、多くの人を救いたかったの」


「そうなんだ……」


 咲耶の一言で今の大門先輩の心情が分かってきた。

 僕が彼の立場だったら、どんなに自分を責めるか。しかし、残酷なまでの血と実力社会の退魔師はどこまでも現実を突きつけてくる。

 でも、だからこそ、自分にとって必要なものを持っていて、それを惜しげもなく伝えてくれる大門先輩の存在がどんなに有難いか。


「戦いたいと思っているのに戦えない気持ちは痛いほど分かります。大門先輩からしたら分からないと思われるかもしれませんが……」


「いえ、お嬢様のご苦労に比べれば私めの思いなど取るに足らない価値でしかありません」


「そんなことを言わないで下さい。その先輩の思いのお陰で、僕は自分の中での鬼門を突破することが出来たんですから」


 近接戦が気掛かりだった僕にとって彼の教えがどれだけ心強かったか。

 鬼と相対した時だって、彼よりも闘いやすいことにどれだけ安心出来たかわからない。大門先輩という大きな壁があったからこそ、鬼の動きに対して常に冷静でいられたのだ。申し訳なく思うなんて、そんな必要は決してない。


「そう言って頂けるだけで報われた思いです。改めて、清花お嬢様、本日はお疲れ様でした」


「はい。まだまだ未熟な自分なので、これからもご指導のほどよろしくお願いします」


 深く礼をした後に自室へと戻る。背後ではずっと大門先輩が頭を下げ続けていたけれど、それを気にしないようにして去ることにする。

 瞼は重いし、軽く汗は流しているものの、肉体的には既に疲労感で一杯だ。敷布団の上に寝転がると、もう身体を起こす気力は空っぽになってしまった。


(そういえば、ネットはどうなってるかな……)


 意気揚々とこれから頑張りますと投稿していたのに、帰りは顔も見せずに退散してしまったから、果たしてどんな反応をされているのか気になる。

 少しだけ気になったので端末を開いて見てみる。


(あぁ、やっぱり心配させちゃってたかー)


 いつもなら手傷を負うことなく快勝してその写真を投稿していたし、退治にそれほどの時間も掛からなかったから余計にだろう。

 戦う前に投稿した呟きには今もなお安否を確認するように反応が多数見受けられた。


(大丈夫だよって言いたいけど……駄目だ眠い)


 上げていた腕が下りると同時に意識が真っ白になって消えた。

 次に目を覚ました時には既に夕暮れ時だった。鬼と戦ったのが昼頃なので良く寝た方だろう。

 お陰で目も冴えているし、体力と霊力も完全に回復していた。完全復活と言っていい。


「ふわぁ……着替えなきゃ」


 そういえば今着ているのはパジャマではなかったなと思い出しつつ、そのまま寝てしまった為に皺だらけになってしまったのでとりあえず着替えようと服を脱いで下着も脱いで、パンツを履いてからブラジャーを装着して────


「あれ? 何で僕、自然に付け外し出来てるんだろう……」


 思い至ったと同時に後ろでホックが繋がった。何度もやり方は教わってはいるものの、ここまで滑らかに出来ていただろうか。

 まだ付けただけなのではみ出している肉を寄せていくのだけども、何とも筆舌に尽くし難いような思いだ。

 転身をした時には来ている服は自動で霊服に置き変わってくれるけど、常に転身した状態でいると着替えもしなければいけない。面倒だとは思いつつも、いつも同じ服を着ている訳にもいかない。

 前かがみになりながら肉を寄せ集めていると、どこかから声が聞こえた。


「清花? 起きているの? 入るわよ」


「えっ?」


「まだ寝ているの? 仕方ないわね……」


 扉が開き、咲夜と目が合った。


「「あっ」」


 そして、沈黙。

 気まずい。

 咲夜は何も言わないで視線を逸らしてくれたので、黙ってさっさと着替えを完了させる。


「そ、それで? もしかしてわざわざ起こしに来てくれた感じかな?」


「ソーヨ。必要ナイミタイダッタケド」


 言葉に随分と鋭い棘を感じる。しかし、こういう時は変に寄り添おうとすると逆にキレられるのを学習している。さっさと話題を変えるのが吉だ。


「と、とりあえず居間に行かない? 時間も経ったみたいだし、咲夜も考えていたことを整理出来たんでしょ?」


 暫くジッと三白眼をこちらに向けた後。鼻を一度鳴らしてから話し出した。


「まぁ、ね。そのことで清花に言わなきゃいけないこともあるし、さっさと向かいましょうか」


 機嫌が治ったとは言い難いものの、会話をしてくれる程度にはなってくれたらしい。

 ほっとしつつも端末を懐に入れて部屋を出て行った咲夜の後を追う。そこでは倉橋さんと大門先輩もいる。

 倉橋さんは僕の姿を確認した後に厨房の方へ入って行った。音からして飲み物を用意してくれているのだろう。

 居間にある机に向かい合うようにして僕と咲夜が座り、飲み物を待たずして咲夜が話を切り出した。


「取り急ぎ、簡潔にこの数時間で起きたことを伝えるわ」


「何か変わったことでも起きたの?」


 咲夜が怖い顔をしながら語る。


「貴方が鬼と遭遇した時とほぼ同時刻に、他の地域でも同様の奇妙な事例が多発していたわ。予想していた等級よりも強い妖怪が出て来たり、想定では一体だけのはずが二、三体と同時に現出したりね。退魔師たちとしては多少不意を突かれたとはいえ、大体の対処は完了しているという報告よ」


「そんなことがあったなんて……」


「それでも、予想外のことが起こったせいで残念な結果となってしまった地域もいくつかあると報告で聞いているわ。特に、鬼が出た地域の話は悲惨の一言ね。人も街もその場所だけは壊滅的な被害を受けたと聞いているわ」


 ここの地域を担当しているのが僕だったから良かったものの、他の退魔師であれば最悪の結果は有り得た。

 鬼というのは退魔師にとっては鬼門中の鬼門。少し腕に自信のある人が次へと駒を進めようとして鬼と戦いあっさりと死んだ、なんてことはままあること。

 退魔師の多くは肉弾戦よりも術を行使する遠距離戦の方が得意なことが多い。故、殆どの退魔師にとっての天敵が鬼になる。

 その彼らだって決して死にたくて戦いに行った訳ではない。その時に全力を出しつつも鬼には敵わなかった。ただそれだけのことだ。

 亡くなってしまった人たちに心の中で黙祷を捧げていると、ふと気づいたことがある。


「さっき、大体の場所はって言ってたけど……ひょっとして、今ってかなりの非常事態?」


 まだ寝起きで現実感の乏しい僕に、咲夜は機械的に淡々と告げる。


「そうよ。妖怪が復活して以来、数十年振りの最大級の事件と言って差し支えない程のね。既に非常事態宣言が国から発令されているし、全退魔師は日本全国で総動員で動いているわ。お陰でこっちは情報収集で大忙しって訳。幸いにも貴方のお陰でこっちに情報を回してくれる情報通がいて助かったわ。やはり顔を売っておいて正解ね」


 こうして話している今も咲夜は端末から手を離してはいない。きっと今も頭を最大限に行使して情報をかき集めているのだろう。

 それにしても、疲れていたとはいえ寝ている間にそこまで事態が深刻になっているとは思わなかった。

 これなら寝ないでいた方が良かったかと考えていると、咲夜が端末から目を離してこちらを見ていた。


「貴方を起こさなかったのは起きていても無駄だったからよ。私たちの管轄地域にはこれ以上出現はしなかったし、他所へ送ろうにも情報が錯綜し過ぎてどこに送ればいいのか分からない状況だったからね。起きていても待機する時間が無駄になっていたはず。なら十分に休息を取って貰って次に備えた方がいいでしょう。その判断をしたのは私だし、そのことで貴方を責める人がいたら私がぶっ飛ばしてやるから気になんてする必要はないわよ」


「……分かった。ありがとう。それで、今は僕に出来ることはあるの?」


 霊力も気力も完全に回復をした今、まだするべきことがあるのならばしていきたい。

 全国で異常が発生しているのならまだ解決出来ていない場所もあるだろう。咲夜の許しさえあればすぐにでも行くつもりだ。

 問いかけられた咲夜は「待ちなさい」と言って端末に目を向ける。


「……まだ未解決となっている地域での周囲の被害は尋常じゃなく、解決に至っているとしても復興には時間が掛かると言われているわ。そんな中で二級以上の相手である鬼が出てきて物理的被害、人的被害がほぼゼロなのは私たちと、五家やそれに準ずる家くらいのものよ。貴方はまず、それだけのことしたのだと自分の功績に胸を張りなさい。本当によくやってくれたわ。流石は私の見込んだ子なだけはあるわね」


「それは、うん。ありがとうって言っておく」


 思いがけず咲夜の素直な感謝の気持ちを聞いて、そのことが掛け値なしにただただ嬉しく感じる。

 まだ少し咲夜の顔色が良くないのが気になるけれど。


「こっちが感謝している側なのに変な子ね。……とはいえ、よ。ここまで完璧に対処してしまうと、その次もと求められるのが世の常というもの。ということで清花、貴方には退魔師協会から直々に指名依頼が届いているわ」


「退魔師協会から? それに指名依頼って? 初耳なんだけど」


 あまり聞きなれない単語に聞き返すと、咲夜は指を立てて丁寧に説明をしてくれた。


「指名依頼とは呼んで字の如く、退魔師個人に対して指名をし、協会の出す依頼への出動を要請する数少ない退魔師協会の権利よ。見返りの少ない面倒事と言い換えて呼ばれるらしいけれどね。これを受けたくないが為に、他のところはほどほどに街の被害を出して逆に支援を要請したり、大人数で組んで他所に回す人員が足りないと断るっていう裏事情があったりするくらいなのよね」


「えぇ……と、断りたい事情でもあるの?」


「自分の術を見られたくないだとか、術の性質的に他所では本領を発揮出来ないとか……まぁ理由は色々あるけど、退魔師協会直々の依頼は何と言っても旨味がないからでしょうね。精々あって名前と恩を売りつけられるってところかしら。あぁ、一度受けてしまうと次も受けてくれると勘違いする頭がお花畑具合も嫌われている要因ではあるわね」


「そんな明け透けに身も蓋もないことを……。それで、僕はその指名依頼っていうのを断れるの?」


「無理ね。貴方が無傷で生還したのは既に広まってしまっているもの。帰宅時の姿を目撃してしまった人がいるからそこは仕方ないと割り切るしかないわ。そういうこともあって正当な断る理由がないのよね。正当な理由なく拒否をすれば、有事に際して非協力的と看做されて将来的に不遇な扱いを受ける可能性が高いわ。何よりも、世間からの印象が悪くなる。こっちの方が私たちにとっては大事なところになるわね」


「うーん。どこか他のところからの応援とかは無理なの? こっちは主要退魔師が一人の零細地域なんだけど。普通はまだ予備戦力のあるところに協力要請するものじゃないの?」


「宝蔵や前園みたいな名家のような大規模な集団になれば当然人員は余っているし、上位妖怪の討伐修行にもなるから救援依頼が出れば駆り出されることもしばしばあると聞いたことがあるわね」


「じゃあそっちから応援を呼べばいいんじゃないの?」


「それが出来たらこっちに話が回って来ないのよ。貴方、ついさっき自分が相手をした妖怪がどんなのだったか忘れたの?」


「あぁ、そういえばそうだったね……」


 自分でも倒すのに苦労した相手を思い出す。あれを知らない他の人に任せるのは酷というものだろう。


「出てくる相手が軒並み上位の妖怪な以上、下手に弱小戦力を送ったところで焼け石に水なのは明白でしょう。無理に行かせて死なれでもしたらその家の評判はだだ下がりだし、今後の活動にも差し障りがあるから人海戦術は期待出来ないと見た方がいいわ」


「それは……うん、仕方ないね。それでもやれとは僕も言えないし、仕方ないか」


 鬼という妖怪は現れれば最低でも二等級が多く、場合によっては出てくるのはその上の準一級、一級、更にその頭とも言うべき相手になれば特級と呼ばれる規格外な力を持つ相手になる。僕でも一級ほどの相手となれば勝てるかどうかといった次元になってしまうほどだ。そんな鬼と同格の妖怪が同時に何か所にも出現したとなれば腕の立つ退魔師たちの手が回らないのも無理はない。

 現状、実力のある退魔師を総動員して事に当たっている緊急事態ということらしい。


「それで、体調の方はどう? 少しでも無理そうだったならちゃんと言って頂戴。何と言われようと私の方から出撃は無理だと断るから」


 嘘は許さないという目で咲夜が僕を見る。

 彼女にとって、僕は切り札であると同時にたった一枚しかない戦力のカード。

 やっぱり無理でしたとなって無意味に失ってしまうよりは、他所の恨みを買ってでも僕を止めに掛かるだろう。

 僕だって、死にに行きたい訳ではない。だからこちらも嘘は吐かない。


「僕は鬼の攻撃は一度も受けてないからね。怪我もなければ霊力ももう全回復しているから。……うん。体調は万全だよ」


「それでも相当の霊力を使ったでしょうに……。全く、呆れた回復力ね」


「そういう血、だからね」


 ふっと笑うと、釣られたように咲夜も軽く笑った。


「それなら精々恩を高値で売って来なさい。何なら、おまけに怪我人を治して来てもいいわよ。笑顔で治療をすれば人気も鰻登り確実だわ」


「時と場合にもよるけど、余力があればそうするよ。怪我人を見て見ぬふりは出来ないしね」


 その人が根っからの悪人でなければだけど、浄化の水は妖怪に対してのものとは逆に癒しそのものとなる。

 死んでさえいなければ病院に着くまで生き延びさせることくらいは出来るだろう。

 咲夜が手を挙げると、厨房に入って行った倉橋さんが料理を持って来てくれる。どうやら飲み物ではなく料理を温めていたらしい。


「さぁ、先にご飯にしましょうか」


「……緊急事態なんじゃ?」


 色々と危機感を煽るような事を言われたからか、僕はすぐにでも出発する気でいた。

 そのせいで咲夜の発言に前のめりに崩れ落ちそうになっている。

 すると倉橋さんがお茶を手渡してくれるのでそれを飲んで落ち着くことにする。


「腹が減っては戦は出来ぬって言うでしょ。食事をしたところでどうせ変わるのは精々三十分程度。向こうが車を寄越す時間もあるし、それくらいは現地の奴らが頑張って持たせればいいのよ。その責任までこちらが持っていたら身が持たないでしょ」


 言いつつ、咲夜は電話をかけ始めた。


「こちら宝蔵咲夜です。……えぇ、そのように決まりました。分かっています。では、事前の取り決め通りで。えぇ、現地入りの時刻はこちらで決めさせて貰います。いいえ、それほど時間は掛かりませんのでご安心下さい。それではまた後ほど」


 向こうからは切羽詰まったような声が聞こえたけれども、打って変わって、咲夜はにこやかに笑顔だった。


「現地には清花が来ることは直前まで秘密にしてもらっておいたわ。もし情報漏れが起きていたら即刻帰らせると言っておいたからその通りにね」


「到着直前で帰るほど僕は鬼じゃないんだけど?」


「それくらいの脅しをしておかないと士気向上とかに貴方が使われかねないからよ。そうなったら現地の人が"清姫"が来るぞって騒ぎ出していらぬ騒動が起こるし、いざという時に即座にこちらに帰って来られないでしょ? きちんと明言しておかないとこちらに迷惑が掛かると知っててもやりかねないのよ。だから念を押して脅しておいたって訳」


 咲夜の言うことも確かに一理あった。あともう少しで応援が来ると分かれば多少は希望が持てるだろうと、それは人の心理として至極自然なものだから。駄目だと言われていなければ僕だってそうしていたかもしれない。

 だったら早く行ってあげないと、という内心を悟ってか。


「それでも早く行きたいのなら、まずはきちんと食べて、栄養をきちんと取り入れてからにしなさい。着替えの方は千洋さんに取りに行かせているから」


「……了解。それじゃあ、いただきます」


 色々とこちらのことは筒抜けらしい咲夜に応えつつ、まずは目の前にあるご飯に手を付けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る