一話-3 訓練の成果は確実に




 昨日の話だけど、子供がどうのこうのというのは綺麗さっぱりに忘れることにした。

 そもそもそんな関係になるつもりもないし、そんな行為をするつもりもない。なので考えるだけ無駄だという結論に達した。

 そこまでの境地に至るまでに悶々とし過ぎて寝るのが深夜の二時を越えてしまったけれども、今日の妖怪討伐の予定は午後だったのでゆっくり休んで望めばいい。


「……ふぅ」


 鍛錬が終わって


「ねぇ、清花。早速貴方宛てに婚約の申し込みの手紙が届いているのだけど」


「は?」


 昨日の今日という日の昼食の席で突然何を言い出すのだろうか、この意地悪は。

 この話題を出した時はあんなに殊勝な態度だったのに、今ではそれを忘れたようにケロッとした顔で言ってのけた。

 彼女の神経はきっと鋼鉄の鉄線で出来ているに違いない。


「断っておいて」


「はいはい。相手の家が大きいと断るにも手間なのよね」


「そういうのは一切お断りだって僕の名前で声明出してくれてもいいよ」


「それで止めることが出来たら苦労はしないのだけど。……あぁ、貴方が取材カメラの前で宣言する分には構わないわよ」


「そもそも喋ったことがほとんどないのに、やっとまともに喋ったかと思えばそれって僕がヤバい奴だって思われるじゃないか。却下だよ」


「だったらまともなことを喋ってからにすればいいでしょう。浄化能力者相手に無理矢理迫ろうだなんて馬鹿はそうはいないのだし、本人から声明を出せば絶対に効果はあるわよ。ちなみに、私が代理人としている間は貴方の意見は意図的に黙殺されるわ。向こうからすれば、ただ婚約を申し出ているというただそれだけなのだから仕方ないわね」


「……はぁ。何だか咲夜の計画通りに事が進んでいるようで嫌なんだけど」


「ちょっと。私があくどい事でも企んでいるかのようじゃない。ただ私は貴方が世間に露出しまくって寄付金沢山集めたいだけよ」


「それがあくどい事なんだけど!?」


 もう駄目だこの雇い主、早く何とかしないと。

 このままでは僕がアイドル化して露出過多な服装で出させられていいように使われてしまう未来が見える。

 取材には応じずに自分の意見を広く沢山の人に届ける方法は何かないか。


「そうだ。沢山の人が使ってるそーしゃるなんとか?とかいうあぷり?で清花としてのあかうんと?とかいうのを作ればいいんだ! それで僕の個人的な意見を載せていこうそうしよう!」


 天啓を得たかのように閃いた。

 正にそれしかないとばかりに頭の中がそのことのみに占有されていく。


「悪くない意見だけど、使い方は分かるの? 持たせたはずの端末で、通話と電子メール以外で何かしているところを見たことがないのだけれど?」


「うぐっ」


 問題はそこだ。幼少の頃は修行に明け暮れ、病院時代はネットとは無関係の世界だった。

 だからあまりインターネットというものに触れた記憶がない。従って使い方もあまりよく知らない。

 携帯端末をもらった時に最低限の必要なことは教わって理解はしたものの、詳しい使い方などはさっぱりな部分が多いのは紛れもない事実だった。


「当面の間の管理を東治に任せるなら、別にそのくらいはやってもいいわよ」


「本当? でも余計な仕事が増えるんじゃ」


 今でも雑務で忙しそうなのに、私事で新たな仕事をさせるのは申し訳ないという気持ちが勝る。


「そのくらいのことであれば仕事の内に入りませんよ。その代わりと言っては何ですが、指示には必ず従って頂けると嬉しいです」


「うわっ、いつの間に」


「実は俺、応援者数が結構いましてですね」


「そ、そうなんですね。初めて知りました」


 スッと差し出された端末に映る場面には彼を応援する人たちの総数が示されていた。その数が多いのか少ないのか分からないけれど、ここまで自信満々ならそうなのだろう。嘘を吐いている気配は特にない。

 彼が投稿する内容としては主に家事や料理のことについてだ。

 こうしたら時短になるとか、もっと綺麗になるだとか、豆知識のようなことが何度か反響を呼んでいるみたいだった。

 時々投稿される筋肉の画像が一番伸びているのは気のせいだと信じている。


「……ん? あんなに忙しそうなのに、いつこんな暇が?」


「そこは秘密です。とりあえず、俺が手取り足取りインターネットの恐ろしさを教えて差し上げますので、覚悟しておいて下さいね」


「恐ろしさ……とは?」


「所謂はっちゃけと言いますか、世間からの興味関心を引きたい人が大胆なことをしようとして人としての道徳を無視した行いをすることが度々あるんですよ。言葉だけでは想像出来ないと思うので、実際に起きた事例を元に説明しましょうか」


 言いつつ、大門先輩は大型携帯端末を持ってきて色々と検索をして記事を見せてくれる。

 見た感想としては、正直凄く馬鹿だなと感想を持つものが大半を占めている。たかだか少し人気者になるためだけのことで人生を棒に振っているのだから、それ以外の感想を抱けと言われても難しい。

 誰かに認められたいという承認欲求は誰にでもあるものだし、それは僕にだって多少はある。人間誰しもそこに違いはないはずだ。

 しかし、それが少しずつ肥大化していって、より過激に、より独自性を、と求めた末路がこれだと大門先輩は語った。


「こういったやり過ぎた事案を戒めとしつつ、自制しながら扱う分には多くの人たちと繋がれる有用な道具ではあります。"清姫"として世間に認知してもらい、その思想を受け入れてもらうにも一役買ってくれると思いますよ」


「そのご自慢の無駄にでかい胸を露出した写真を載せれば一発で東治のフォロワーは越えるわよ」


 光明が見えたと途端に白い光に紛れて棘が飛んでくる。


「お嬢様。そのような下品な物言いは感心しません」


「まずは見てくれる人を集めないと意味がないでしょう? 本物の清姫だって証明するのは大切よ?」


「集めるのも証明するのも結構ですが、色気で釣るとなると子供や主婦の支持層が薄れてしまいます。清花お嬢様のお顔は清楚系に寄っていますから、あまりに自己主張の激しいものは返って人気を損なう可能性があるかと。寧ろ露出は少ないほど良いと思われます」


「ちっ……一理あるわね」


「お嬢様?」


 大門先輩の圧が強くなる。こういう、大人が真剣に怒る姿を見せると大抵の子供は萎縮してしまうもので。

 それは咲夜であっても例外ではなかった。


「わ、分かってるわよ。私だって清花の人気が出ることには異論はないんだから。別に反対してる訳じゃないでしょ」


 二人は何やら初登場時の僕の衣装についてあれこれと語り合っているようだ。本人の意思を無視して。


「というか、これを載せたところでそんなに反響があるとは思えないけど」


 手の平に乗せても零れ落ちそうな胸の贅肉に溜息が出る。これのせいで激し目に動けないところもあるし、出来ることなら小さくあって欲しかった。

 こんなものはあっても本当に邪魔でしかないというのに、この話題が上がる毎に咲夜からの視線は鋭さを増すばかりだし。あまり有りがたみはない。

 僕の呟きを聞き漏らさなかったらしいそんな彼女が纏う闇は更に濃く、より邪悪なものになりつつあった。


「清花お嬢様の体型は正に理想そのもの、ですからね。同性からの羨望を集めてしまうのも無理はありません」


「せんぼう……? 僕には殺気しか感じられないんですけど。ていうか、元が男と分かっている相手に向けるものじゃないでしょ、あれは」


「千洋さんの教育もあって日に日に清花お嬢様の女性度合いは上がってきていますので、最早同じ女として認識されるのは致し方なきことかと」


「えぇ……」


 その論理には同意出来ないけど、とりあえず一応の納得はしておいた。

 倉橋さんの教育は徹底的というか、少しの間違いも許さない完璧主義者だ。だからこそ僕の成長速度も早いのだと思う。

 その教育のお陰で短期的に成長出来ているのでそこに文句はないのだけど、そのせいで咲夜に睨まれるのは納得いかない。寧ろ率先して教育していこうとしていたのは他ならぬ彼女の方だというのに。

 それでも彼女が怒る気持ちが何となく、他の微量ではあるけれど分かるので歩み寄ろうと思う。


「……咲夜は成長期なんだから気にし過ぎだよ。きっとこれから大きくなるはずだって」


「ブッコ●スわよ」


 理不尽が過ぎる。咲夜が怒りの対象にしている僕の身体は所詮は化装術で出来た紛い物なのに、どうして怒るのか全く分からない。


「別にたかだか胸の大きさ程度で女の子の価値は決まるものじゃないだろうに。気にし過ぎなんじゃない?」


「チッ」


 罵声でもないただの舌打ち。それに目が据わっていて怖い。今にも人を殺しそうな勢いだ。


「こういうのは理屈じゃないんですよ」


 大門先輩がしみじみと、一見深そうであまり深くないことを言い出した。


「とりあえず、今の咲夜に対して出来ることはなさそうなので僕は退散してもいいですか?」


「咲夜お嬢様のことはお任せを。適当に飴玉でも与えておけば機嫌も治るでしょう」


「聞こえているわよ、そこ。清花はさっさと妖怪退治に行きなさい。東司は後で覚えておきなさい」


 言い切った後、ぶすっとした顔で目を瞑って黙ってしまったので僕と大門先輩は目を合わせた後に軽く溜息を吐いた。

 その後、大門先輩からは一通りの端末の扱いとネットの常識、やってはいけないことを聞いてきた。

 今使っているのはただの標準搭載機能のカメラ機能だ。もっと詳しくなれば色々と設定を弄れるそうだけど、それはまたの機会に。

 先輩は補正が何だのと言っていたけれど、写真というのはありのままを撮るものではないかと聞いたら黙ってしまった。

 そうしたら神妙な顔をして『そのままのお嬢様でいて下さい』などと意味不明なことを言われたという経緯があったり。

 今は教えて貰ったことを早速実践している最中だ。


「えーと、この角度で、指をこうして撮る……と。おぉ、出来た出来た。いい感じじゃないかな?」


 女性がよく行うという自撮りとかいう写真の撮り方を聞いて実践してみたけども、割とあっさり良い感じのものが撮れた気がする。

 これをコメントと一緒に投稿すればいいらしい。簡単な操作だから間違えはしないはずだ。

 恥ずかしがり屋という設定でいる僕だけど、それはそれとして承認欲求は人並みにあるということになっている。

 人前には姿を現せないけれど、こうして画像を投稿するくらいならばまだ大丈夫だと言い訳の余地はあるからだ。

 だって女の子だから、と。

 出来た写真を先輩に送ってみて、これを投稿していいか聞いてみるとすぐに許可の返事が返ってきた。


「妖怪退治してます。応援よろしくお願いします、と」


 本人だという証拠として

 妖怪の現出にはまだ少しだけ時間は掛かるけど、既に人払いの結界は展開されているのでこちらに一般人がやって来ることはない。

 閑散とした風景なのが寂しいけども、それが逆に結界内だということを証明しているので良しとしよう。


「おぉ、初めての投稿なのにもう見つかったのか」


 写真付きだから本人だと判断するには容易だったのか、最初の数人によって拡散されたものが更にネズミ算式に増えていっている。

 目についた投稿に対するコメントには少し想像した性格と違ったかもというものがあった。このピースの仕草がどうにも見た目からかけ離れた行動だったらしい。それについては、僕も少し同意見かもしれない。素の自分では絶対にやらなかっただろうから。

 ピースの仕草については知人からの勧めでやってみたと言ったところ、納得の反応がちらほらと。

 もうやらないかもと続けると、引き留めるような声が多数。案外、外見に見合った仕草や格好をするのを求めてはいないのかもしれない。

 気付けばフォロワー数が物凄いことになっているけど、そのことについて感謝の言葉を述べようとした時。


「あっ、もうそんな時間だったか」


 時を忘れて没頭しないようにと事前に設定しておいた目覚まし機能が喧しいほどに鳴り出した。

 妖怪現出の十分前、これから先は前倒しで現れてもおかしくない頃合いになるので油断は決してしてはいけない。

 端末を壊さないように離れた位置に荷物と共に置き、現出するだろう指定された位置を正面にて待つ。

 時間と共に出てきたのは大き過ぎる体躯、全身のあちこちが膨張したように隆起する筋肉、黒い肌に額には一本の角。


「鬼かぁ……相性が悪いのが来ちゃったな、流石は三等級、出て来る相手も段違いだ。……ん? 三等級、これが? いや、絶対嘘でしょ……」


 鬼は基本的に強い。弱い種類の鬼はいるけれど、筋骨隆々の大男を想像させるような体躯の鬼は総じて強い。

 どれくらいの強さかと言えば、最低でも二級相当が鬼という妖怪だということだ。そもそもの妖怪としての格が違う。

 断じて三等級に分類されるような相手ではない。

 おかしなことが起こる何かしらの予兆のようなものはあっただろうか。しかし考えても考えても理由になるようなものは思い当たらない。

 咲夜が観測を見誤ったとも考えられないし、これは——


「異常事態発生、かなぁ」


 咲夜でも分からなかったのなら仕方ない。とはいえ、だからって今から文句を言う訳にもいかないしさせてくれる相手ではない。

 僕が一番相性が良い相手は非物理攻撃を主とするような奴だ。遠距離攻撃は威力が減衰し、毒や麻痺、幻覚に催眠などの異常をきたすような力は全て浄化の力によって掻き消される為だ。高位の妖怪がさらにその力に特化でもしない限りは実質的にただの無害な相手になると言っていい。

 反対に苦手なのが能力に頼らない肉体戦を主体とした妖怪になる。こちらの水刀で斬りつけた切り傷から浄化の水を送りつけて弱らせるという方法は、そもそも相手に当たらなければ、そして相手が傷そのものを負わなければ意味がない。

 術のようなものを一切使わず、ただ純粋に肉体が限界まで強化されている鬼という種が相手であれば、今まで通りとはいかず何かしらの手立てが必要になる。

 鬼が三等級として現れることに疑問は残るものの、こうして相対した以上は本気で掛からなければ命がないものと思った方がいい。逃げることは彼我の能力差からして不可能だと判断する他ないだろう。


「……ふぅ。やるしか、ないか……」


 それでも、負ける気はしない。

 例え全身が筋肉で出来ていても、全身どこにもまるで弱点がない訳ではない。

 目、鼻、口等の水が数滴入り込む余地さえあれば浄化の力で確実な弱体化は出来るし、何ならそのまま討伐だって出来る。

 流石に鬼を想定はしていなかったけれど、辺りにはしっかりと浄化の水を振り撒いて一帯を聖なる土地に変えている。ただいるというだけで妖怪には少なからずの損害を与えられているはずだ。

 相手は近接戦闘最強格の妖怪。こちらは近接戦闘能力では劣るものの、死ななければ怪我を回復することだって出来るし、霊力は短時間ですぐに回復するから長期戦だっていける。今こそ大門先輩の訓練の成果を出す時が来たと思えばいい。


「名乗りをする気はあるかな?」


 水刀を作った余りの水を後方に待機させて、いつでも対応出来るようにさせる。

 投げかけた問いの応えとばかりに鬼は雄叫びを上げた。


「ガァァァァァァァァァァァァァァァ」


「まぁ、だよね。やっぱり乗ってはくれないか————って早っ⁉︎」


 問いかけつつ準備が完了させようと思ったら、思惑に気付いてか鬼が瞬時にこちら目掛けて突進、僕の元いた地面を殴打した。

 そのたった一撃で地面が陥没し、大量の粉塵が舞い散り瓦礫があちこちに飛散する。食らったらタダでは済まない一撃だと脳より先に魂が理解した。

 避ける時のすれ違い様に後方に待機中の水球から水弾を射出させたけど、硬い筋肉の前には毛ほども意味はなかった。

 けれど、意味はあった。


「顔を庇ったな」


 出会い頭のいきなりにこれほど全力で攻撃してくるのは僕の力を本能的に恐れているから。

 高位の妖怪ほど、浄化の力が何たるかを理解しているらしい。だから三級以上の奴らはいつもいつも僕を見つけた瞬間に即時抹殺対象として認識してくる。正に問答無用というやつだ。会話なんてそもそもしたことないけど。

 つまりはそれほど僕という存在を天敵として脅威と感じているということ。

 歯牙にも掛けないような相手ならばこんなことにはならない、と考えると幸いと取るべきか不幸ととるべきか悩むところではある。

 ひとまずは相手の動きを見切れていることに安堵と言ったところ。早過ぎる動きに対応出来ないことはない。


「生憎と、ただの浄化使いじゃないんでね。鬼相手でも負ける気はないんだ」


 水弾を顔面目掛けて連射しつつ距離を取って、水刀を構え直す。

 今までの、大門先輩に師事する前の僕だったらかなり危険な相手だった。あの頃の体捌きが未熟な僕ではこの鬼の攻撃を避け切ることは難しかっただろう。


「確かに、直情的な攻撃ほど避けやすいものはないね」


「グゥ……」


 相手も初撃での全力の一撃を余裕で躱されたからか、警戒を強めているようだ。

 向こうの追撃の勢いは殺せたので仕切り直しになり、こちらは牽制用の水弾を作りつつ仕掛けを施す為に地面には水溜りを量産していく。


「ゴォォォ……」


「今更改めて口上はいらないだろ。さっさと殺し合おう────いざ、参る」


 既に仕掛けは終わったので、今度はこちらから切り込む番だ。

 相対する鬼のする行動は全力の一撃を叩き込む、ただそれだけだ。それだけでいいとも言える。

 敵の攻撃を全て受けてでも自らの渾身の一撃さえ与えられれば鬼にとっては五分五分以上の価値がある。ただの殴打の一撃で車一台を何十メートルも弾き飛ばすその膂力で以ての攻撃をまともに食らえば、いかに僕だって相当な痛手を負うことは免れない。

 回復する間も無く追撃を貰えばそのまま劣勢に追い込まれるだろうことは容易に想像がつく。だからそれだけは避けなければならない。

 時間が味方をするこちらとしては、戦いはまずは様子見から入ることになる。


「はぁっ!」


 空中に幾つもの水球を待機させ、そこから相手の動き出しに合わせて水弾を放ち続ける。

 こちらに前進しようとしていた鬼は広範囲に展開した水弾を回避しきれずに直撃する。隙間から顔面にも直撃はしていた。


「グ、ァ! オ、オオオォォォーーーッ‼︎」


 それでも構わずに突っ込んでくる辺り、鬼は自分の長所を理解していると言っていい。

 多少の被弾を許容してでも肉弾戦に持ち込めば勝てると思っているのだ。それは正しい。事実として僕はあの膂力を発揮する腕に掴まれれば一巻の終わりなのは間違いない。


「けど、甘い!」


 水弾は基本的に顔面を狙って視界を奪う。同時に足元にも撃っているけれど、鬼は特に回避行動をしないので難なく当てることが出来る。

 視界がなくなり、足元が崩れ、踏み出した勢いをそのままに倒れ込む鬼にこちらから接近して一太刀入れ、すぐにその場から離脱していく。

 思い切り斬りつけたはずだけれど、柔肌ひとつ傷つけられてはいなかった。


「やっぱり硬いな……」


 離れながらも水弾を撃つことは忘れずに絶え間なく続ける。

 刀による有効打を与えられなくとも、鬼の身体を濡らす水がじわじわと相手の余力を削っていくはずだ。

 どうにか明らかな弱点部位である眼に直撃させられないか試してはいるものの、鬼だって馬鹿ではないのでそれだけは絶対に食わらないように避けて動いていた。近づけば遠距離で狙うよりは可能性はあるものの、相手の攻撃が直撃してはならないこの状況での狙った部分への攻撃は至難の技だ。

 しかしながら、浄化の力の真に強いところは弱点への直撃でなくとも地肌に触れているだけで効果があるということ。

 今だって大量に掛けられた浄化の力によって鬼の肌は痛みに苛まれているだろう。

 意地で耐えてはいるものの、当たる度に痛みを堪えているのがその証拠。


「地道にやるしかない、よなぁ」


「グゥ……ウウウゥアアアアアッ!」


 相手は素手、こちらは武器を持っている。間合いでは確かにこちらが勝ってはいるものの、鬼が手傷を負うのを承知で無理矢理間合いに入って来るから必要以上の距離を取らされている。そのせいで思うように攻撃が当たらないでいた。

 攻撃を貰わない為に大振りの隙が大きい攻撃は最小限にして、もしもの時の為に極力次の行動への最適化が出来るように常に構えている。そのお陰で鬼が見せた隙に対してこちらが何度か攻撃を加えることも出来た。

 切り傷による損傷は雀の涙といったところ、しかし同時に与えられる浄化の力によって確実に鬼の身体は弱ってきている。

 幸いなのは僕が大門先輩との訓練で徹底的に近接戦における知識を体に叩き込まれたことだ。

 冷静に相手の行動を読み取れば例え速度で相手が上回っていたとしてもいなすことは出来る。それも鬼のように単調かつ直接的な攻撃なら、その難易度は劇的に下がっていく。自分が大門先輩にしてやられたことをそのまま鬼にしてあげる。

 こちらは浄化の力が相手を弱らせていくのを待てばいい。焦らず、じっくりと、確実に。その時をただ待てばいい。

 攻防をやり取りすること、体感では十数分。実時間では五分とも経っていないだろう戦局に変化が起きた。


「ハッ! そして、水弾!」


 鬼の攻撃の合間を塗ってわき腹を一閃。更に傷口に追撃を入れる。

 皮膚の薄皮一枚を斬りつけた程度だけど、それだけで妖怪にとっては大きな痛みになる。

 追撃の水弾が傷口から入り込み続けているから痛みが尽きることはないだろう。そんな中、突然鬼は動きを止めた。


「グゥッ、ウゥ……ウ、オオオォォォォォッッ!!」


 全身の血管が浮き上がり、元々隆起していた筋肉は更に肥大化する。

 体から滲み出る妖力だけで地面のコンクリートがひび割れていく。


「あちゃ~……とうとうキレちゃったか」


 こちらには攻撃が当たらず、自分は地道に肉体への痛みが蓄積していっているのを実感じしてか、ついに鬼は本気で怒り出したらしい。


「短気は損気って言葉を知らないのかな? いや、この場合そっちとっては善は急げか。格言って意味が反対のようなものがあるから困るよね。あぁ、そもそも言葉は伝わってないか」


「ギッ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」


「そんな単調な動きで捕まる訳にはいかないよ。もっと裏をかかないと僕は捕まえられないかな」


 鬼は言葉を理解していない。雄叫びをあげると共に防御のことなんて忘れたかのように腕を振りながらマラソン選手さながらの格好で突進をしてくる。

 中々の速度ではあるけれど、それは返って避けやすくなっていることに鬼は気付いてはいない。寧ろ突進した後は自ら距離を取ってくれるのでこちらとしてはやり易くなってすらいる。

 見たまんまの鬼の形相には絶対に捕まえてやるという執念をひしひしと感じる。正に鬼気迫るという表現に近い。

 あの速度に合わせて斬るというのは流石に無謀もいいところなので、僕は水刀を変形させて水球へと形を戻す。ついでに更なる仕掛けも施しておくことにした。

 突進を後ろに跳びながら避けざまに高圧力の水弾を射出し、既に傷を負っていた箇所に的確に水を当てていく。

 これも直進しかしないお陰で当てられているのだけど、鬼は自分を焼く痛みに悶えながらも突進を決して止めない。

 最初に比べて鬼の動きは明らかに鈍くなっており、次第に速力は低下してきている。そのまま避け続けて三分も経った頃には特に危険を感じることもなく難なく避けることが出来ていた。

 突進を終えた振り向き様に、鬼は再度突進を敢行しようとするけど──


「いいのかな? 後ろに注意をしなくて」


 流石にここまで弱らせることが出来れば自分が罠を張った場所へ誘導するのは簡単だった。

 移動する際に宙に残しておいた水球を使い、弱り切って無防備となった鬼の首筋目掛けて全力射出する。


「ボッ、オ゛ッ!」


「汚い悲鳴だね」


「ギッ、ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛!!??」


 たったの手の平一杯程度の水が首裏から頸椎へと侵入し脳まで到達。浄化の水に効力によって鬼の動きを完全に止めた。

 そのまま首の傷から水を送り込み続け、鬼の全身に水を浸透させる。人間ならこれだけでも死んでしまうほどの危険な技ではあるけれど、これだけで鬼を倒すには至らない。

 しかし、体外と体内では浄化の力の効き目は圧倒的に違う。それを鬼は身を以て知った。

 最後の抵抗とばかりに僕へと掴みかかってくるけれど、それをいなして地面に投げる。

 正面から地面に激突した鬼は反射的に腕を振るも、そこにはすでに僕はいない。


「終わりだよ」


 飛びながら体を捻り、その慣性を利用して全力で水刀を振り抜いた。

 首の後ろに一筋の傷を作った鬼の身体が一度だけ痙攣し、直後にうつ伏せに倒れた。

 全身に回った浄化の水のせいで妖怪としての力は根こそぎ削ぎ落されているので完全に無力化は出来ている。念の為に警戒はしているけれど、そのうちに次第に心拍数を弱めていった鬼は、ついには一切の動きを止めた。

 そこまで確認したところで、やっと一息吐くことが出来た。

 終わってみれば無傷での勝利にはなるものの、避けたかった近接戦闘には持っていかれるしで課題の残る一戦ではあった。

 もしかしたら、何か一つ掛け違えば負けていたのは自分だっただろうという確信がある。それ程の力を持った相手だった。


「……ふぅ。任務完了、と。あっ、討伐を報告しておかなきゃ」


 今回は大物が発生するということで、万が一のことを考えてこちらからの終了報告がない限りは結界を解かないということになっている。

 まずは咲夜に討伐完了の簡易的な報告をし、次に結界班の人へ連絡する。


「それと、妖怪退治終了しましたっと」


 遠くにある鬼の死骸を枠内に収めつつ自撮り写真を一枚を撮ってみたはいいものの、それは投稿はせずにおいた。

 あまりにも高速で動き回ったせいで泥水が跳ね、衣服のところどころが着崩れていたり汚れたりしていたからだ。

 というか、よく見れば汗や自分が辺りに散らせた水のせいで白い巫女服に薄らと下着が透けてしまっている。

 流石にこんな姿では人前には出たくはないので今日のところはさっさと退散することにした。

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