序章-3 無意識ほど難しいものもそうはない
僕の為に用意されたあまりにも女の子らしい部屋は気分的には落ち着かなかったものの、しかし寝具の素材は高級品であった為にすぐに眠りにつくことが出来た。
早朝、起きて着替えようとした時に探した服は全て女性物だと思い出した時の落胆は思い出したくもない。
それでも寝巻きのまま外を出歩く訳にもいかず、陳列されている中から比較的マシと思われる物を着ることに至った訳だ。
とは言っても、下がスカートしかなかったので長めのものを選ぶくらいしか抵抗らしい抵抗なんて出来なかったけども。
「あら、おはよう。その服、よく似合ってるじゃない。気に入ってくれたようで良かったわ」
「おはよう。別に気に入った訳じゃない。これしか着る物がなかっただけだ」
「でも、あの中から選んだのでしょう? きちんと自分に合った服を見繕っている辺りその意識はあったんじゃないの?」
今の僕の見た目は腰まで届く長い青藍色掛かった髪の毛と、比較的落ち着いた人物像を印象付けるような人相をしている。
実はもっと男の子っぽい格好も少しはあったので一度着ては見たのだけど、全く持って似合わなかったので流石に止めた。異なる種類の二つの人形の頭と胴体とを挿げ替えたような感じになってしまうほどにこれじゃない感がありありと出てしまっていたから。
なので仕方なく落ち着いた雰囲気の白を基調とした上下一体型の服を着ている。外への広がりは抑えめなのを選んだのでそこまで違和感は感じずにいられている……気がする。
下半身がスカスカになっている感覚は戦装束の巫女服の時に慣れていて良かった。
「……比較的マシなのを着ただけ。決して他意はない」
「そういうことにしておきましょう。あとはもう少し飾り気があった方がいいけれど、まぁそれは少しずつ矯正していくとしましょうか。それで、清花は朝食は和食派? 洋食派?」
「……咲夜と同じもので。これからもそれで構わない」
「分かったわ。じゃあ、それでお願いね」
「畏まりました」
傍で話を聞いていた大門先輩が一礼してからリビングから去って行く。
「今日の予定は特に何かあるの?」
「特にないわね。だから東治……大門の名前ね。あれに貴方のいつもの一日の大雑把な予定を伝えてもらえるかしら。それで彼も対応出来るはずよ」
「大雑把って言っても、ここ数年は大体病院室で静かにしていたくらいだからなぁ。予定っていうほどのものはないよ?」
「足が不自由な時でも鍛錬は毎日していたのでしょう? それを基本の軸とすればいいでしょう。基本的にはいつもの起床時刻に昼食を摂りたい時間帯、入浴時刻と、それから思いつく限りのその他必要な雑事諸々、最後に就寝の時間辺りを大体でいいから教えておけばいいわ。勿論毎日がそれで回る訳じゃないでしょうけど、執事としてそれくらい知っておいた方が動き易いと思うからね」
「執事ってそんなことまで気にして仕事をするの?」
「さぁ? 私も使用人を見てきた数はそんなに多くないから全部は分からないわ。東治は変わり者だけどそれなりに有能よ。馬車馬の如く使い倒してやりなさいな」
「それを本人の前で言いますかね。どう思います、清花お嬢様?」
いつの間にやら戻ってきていた大門先輩が持ってきた食事を配膳しながら文句を言っている。
それに対して咲夜は特に怒った様子はなく、いつも通りのままだ。ということは、これが彼女たちの関係なのだろうと判断した。
僕が答える前に咲夜と大門先輩の軽口が飛び交う。その間に出てきた朝食を見ているけど、どれも手の込んでいる物が多く、どう考えても和食か洋食かを注文してからの作り込みではない。おそらくはどちらを選ばれてもいいようにしていたのかもしれないと思った。
「お飲み物は如何なさいますか? ご要望がなければこちらで選ばさせて頂きますが」
「では、すみませんがそれでお願いします」
「畏まりました。ではすぐにお持ち致しますので」
「全く……とりあえず、ご飯が冷めてしまうからまずはいただきましょう」
再び去って行く大門先輩を薄目で睨んだ後、嘆息して肩を竦めた咲夜と朝食を摂り始める。
今まで朝食と言えば惣菜パンや病院食でしかなかったので、こうして人の手によって作られている物は殆ど初めてと言っていい。
新鮮な光景に驚きと感動を覚えていると、一足先に食事を始めていたらしい咲夜から問いが投げかけられる。
「それで、どう? ここの生活には慣れそう? 不便なことはあったりしたかしら?」
「まだ数日しか経っていないから何とも言えないけど、便利過ぎてちょっと慣れないっていうのが感想かな。不便なところは今のところないよ。満足してる」
「まぁ、あんな病室暮らしだったから無理もないわね。あそこには最新の家電なんて物はなかったのだし」
あそこは食べる、寝る以外のことが何もない場所だったから。それに比べたら天国と地獄くらいの隔たりがあるかもしれない。
それに、僕の部屋は部屋というにはあまりにも広すぎる。高級集合住宅の一室を与えられているのだから当たり前と言えば当たり前なんだけども。
もはや家を与えられたようなものだった。
「病院暮らしも、あれはあれで自由な時間が持てて有意義ではあったけどね」
「そのお陰で独自の化装術が完成したようなものだから、人生何があるか分からないものね」
あの時間がなければきっと僕は車椅子生活を今もしていただろうし、当然転身を使えない僕は役立たずでしかない。
ともすればこんな生活を送ることはなかっただろう。咲夜も必要な戦力が揃えられずにいたはずだ。
「一族の落ちこぼれ……貴方の場合は脱落組だけど、そんな二人が手を組むだなんて大人たちは思いもしていないでしょうね」
「別に、咲夜は落ちこぼれじゃないだろ。そう自分を卑下することはないと思うけど」
「戦う力がないと意味では今でも落ちこぼれよ。よく視えるなんていう程度じゃ妖怪は死んでくれないんだから自分でも否定をする気はないしね」
言葉だけは自虐的に聞こえるかもしれないけど、咲夜の場合はそんなことは微塵も思っていないに違いない。
使えるものは何でも利用して成り上がろうとする彼女がたかだかそんな程度のことでしおらしくなるはずがない。
単純にそれを事実として受け止めているだけだろうと、とりあえずこの話は終わりにすることにした。
「それで? 明日以降の予定はあったりするの? ないなら自己鍛錬に時間を充てようと思ってるんだけど」
「それなんだけど、とりあえずこの辺り一帯の異常は粗方把握したわ。観測したところ、暫くの間は退屈しなさそうよ。そんな訳で清花には暫くは毎日妖怪を斬って斬って斬りまくってもらうけどいいかしら?」
「それはいいけど、退魔師協会には連絡はしてるの? 前に、教会側が観測する前に討伐するのは止めてって言われてなかった?」
「全て事後で構わないわ。だってあいつら、毎度の如く後手後手なんだもの。被害が出てから被害に応じた報奨金を出すだなんて、底抜けの間抜けの所業よ。そこらの野良退魔師は騙せても私は騙せないわ。討伐報奨金は推定霊災規模……つまり観測された妖力自体が重要だから、別に実際の被害規模は関係ないしね。だったら出現したらすぐに退治して被害を抑えた方が効率が良いってものじゃない」
こちらは出来るだけ金銭を得たいし、向こうは出来るだけ出し渋りたい。
だから被害規模が少ないことをあげつらって『実は大した敵ではなかったのでは』と食ってかかり、こちらに払う報奨金を下げようという腹積りらしい。
このような駆け引きは退魔師では日常茶飯事らしいけれど、僕の名が売れると共に少なくなっていくだろうと咲夜は見ている。
つまり、実力の伴わない無名の退魔師は足元を見られても仕方がないという訳だ。
「どうせその方が退魔師協会の鼻っ柱を折れるって考えてるんでしょ?」
「当然。そんな奴らに居処を教えて貰わなきゃ動けないような情けない退魔師連中のもね」
他人に教えて場所を教えて貰って討伐に向かっているのは僕も該当しているんだけど、これはあえて言わなかった。
「それで知名度を高めたら貴方を昇格試験に送りつけて目にもの見せてやるのよ。今からでもその光景が目に浮かぶようで胸が空くような思いだわ」
「気分が良くなるのは構わないけど、それ、僕の頑張りが大きくない? 咲夜の頑張りは否定しないけどさ」
「多少苦労は掛けるけど、その分の見返りは既に受けているでしょう?」
何のことかと思っていると、咲夜の視線が目の前にある料理に向けられる。
まさかと思って彼女を見ると。
「それ、高級料理店のオーナー直々の手料理だから。軽い朝食とは言え、出張費と合わせてお値段で言えば……これくらい?」
示された指の本数と、そこから推定される金額を想定して気が遠くなりそうな勢いだった。
「そんな金を使う余裕がどこにあるんだ……」
「あら、つい先日にガッポリと稼いできてくれたじゃない。準三等級だけれど、あれだけでも報酬としては相当な額になるのよ? しかも今回は被害がゼロだから査定に本来引かれるはずの被害補償費のプラス付き。つまり、これを三食一月間注文してもまだお釣りがあるくらいの報酬だった訳よ」
分かっていた。彼女が被害をゼロに収めようとするのが善意でもただの当てつけなんかではないことくらい。
ただ、同時に無駄遣いをするような質でもないことは知っているので、これは頑張った僕に対するご褒美でもあるのだろう。
あえて口にしないところが彼女らしい。これを直接言っても意地でも認めないので言わないことにしておく。
「今日、これだけ奮発したのは貴方にはそれだけの価値があるってことを知ってもらうため。これで自分がいかに有用な存在か理解出来るでしょう? 自分の価値を知れば他の奴らが金銭で貴方を釣ろうとしても無駄に終わるでしょうしね」
「うん……まぁ、そうだね」
色々と言ってはいるけれど、本音のところが透けて見えているので少し微笑ましい。どの道、僕の事情からして他の人と協力なんてことは出来ないのだから、あまりそこを心配する必要はない。
なので僕からこのことにとやかく言うつもりはない。その分野のことに関しては咲夜に一任すると話し合った末に決めている。
「という訳で、暫くは忙しくなるだろうけど頑張ってね」
「それが僕の役割だからね」
退魔師として、本来なら幼少期から少しずつ技術や経験を培い、大人として成熟してから妖怪退治の本番に臨むのが無難かつ極一般的な流れではある。
けれども僕の場合は違う。転身を使えるようになったのが約一年前で、そこから戦いもそう多くした訳ではなく、経験らしい経験なんて他と比べればないに等しいと言っていい。それでも、僕はやらなければならない。
「幸いにして、暫くの間は昨日の準三等級のような相手は出て来ないはずよ。清花にとっては戦いに慣れるには程良い相手なんじゃないかしら?」
「……そうだね。まぁ、アレだね。うん。格下と侮って怪我をしないようにするよ」
「それがいいでしょうね。私も早々に貴方を失いたくはないし、あくまでも安全を第一にやって頂戴。危ないようならすぐに逃げてもいいわよ? 汚名を返上する機会なんて幾らでもあるのだしね」
「心配しなくても線引きはしっかりしているつもりだし、やると決めたからには絶対完璧にこなしてみせるよ」
「それは結構なことね。……あぁ、そうだった」
咲夜が思い出したように呟き手を叩いた。
「明日からの妖怪討伐では顔は隠さないでね」
「嫌なんだけど?」
脊髄反射的に拒否すると咲夜は呆れ顔を隠そうともせず溜め息を吐いた。
「民間人や記者が寄って来る前に逃げるのはいいけれど、遠巻きに撮られることくらいは許容しなさい。そこまで頑なに写真を撮られることを嫌がると、相手に何か後ろめたいことがあるかもと邪推させてしまうかもしれないじゃないの」
「……本当の理由は?」
「お金よ。言ったでしょ? "清姫"の顔は売れるのよ。そんじょそこらのアイドルよりも可愛い子がここの地域に定住していると分かれば寄付金がたんまりとやって来るの。いずれ来る私の実家への対抗策に少なくない金銭は必要になるわ。それが、たった顔を見せるだけで集まるのなら許容すべきよ。これも契約の範囲内ってことでさっさと諦めなさい。いいわね?」
「……はぁ。咲夜には口では勝てそうもないし、分かったよ。確認だけど、別に愛想を振りまけってことじゃないんだよね?」
「出来ればして欲しいけれど、深みにはまってボロが出ないとも限らないし、どの程度まで露出するかは任せるわ。今の段階の要求としては、遠巻きに少し写真に撮られる程度でいいから」
まだ僕をアイドルとやらにする算段は残しているようだけど、一先ずは保留となったみたいで一安心か。
ひとしきり話をし終える頃には食器も空になっていた。
そしてまた大門先輩が頃合いを見計らったように現れて空の皿を下げていく。食事中はここにはいなかったはずなのに。本当はどこかで見ているのだろうかと疑わずにはいられない。
彼が食器を持って去った後、立ち上がった咲夜が語り掛けてくる。
「あと、今日の予定がないなら貴方さえ良ければ今日は特別授業を儲けたいと思うのだけれど、どうする?」
「その特別授業って?」
「今までは偽装工作もあってあまり頻繁には会えなかったでしょう? だから放置気味だったのだけど、実際に貴方と生活をしてみて気付いたことがいくつかあるのよ」
「……と、いうと?」
「貴方って、見た目は完全に女の子なのだけど、ところどころに男の子のような仕草があるのよね。顔に視線がいくせいで気が付きにくいけど、それは倉橋さんとも話し合った結果だから確実なはずよ」
「僕は男なんだけど?」
「お馬鹿。今は女の子でしょうが。それを忘れるなって言ってるの」
ダメな子を見るような目で見られてしまった。
「……それで? どこが男の子っぽいって?」
「まず立った時の足を広げてる時の間隔、爪先の角度ね。それに立つ時と座った時の一連の仕草、座る際に手を置く位置と足の開いた間隔、胸の張り方、顎の角度……他にもまだまだあるけれど、とりあえずはこれくらいだったかしら」
「いや、いっぱいあるね!?」
こんな見た目でもきっちり男としての部分があるということはある意味では喜ばしいことなのだけども、今はそれを矯正しろということだから複雑な気持ちになる。今挙げられた項目をこれから直していかなければいけないということでもあるのだから。
「今までは人目に触れる時間が少ないから発覚していなかったかも知れないけれど、長く見続ければ私以外の目から見ても不自然なところは多いはずよ。将来的にする予定の本格的なお披露目までには絶対に修正したいところね」
語る咲夜の目は本気だった。冗談や意地悪ではなく、すでに絶対に達成する目標に位置づけている。
こんな時ほど、彼女の有言実行力が恨めしいと思ったことはない。
「確かに僕の目から見たら咲夜は本物のお嬢様って感じはするし、違和感を感じる部分は多いかもだけど。そこまで気にする程のものかな。それに、今からそういうのを習っても付け焼刃にしかならないんじゃないかな?」
「付け焼刃でも立派な刃よ。要はそれをどれだけ本物に近づけるかは本人次第ってこと」
「まぁ、それは、確かに……」
人は本気で臨めば出来ないことはあまりない。本当に、本人のやる気次第なんだ。
それは出来ないとされていたことをやろうとして、出来た実績のある僕自身がよく分かっている。
「ちなみに、今指摘したところを私が再現すると────こうよ」
「…………うわぁ」
清廉で麗しいお嬢様が台無しだった。全く似合っていないどころか違和感が凄過ぎて脳が不具合を起こしそうだ。
何というか、たった一つの立ち姿だけでも印象は大きく変わったということが驚きではある。
これが男の子ならば問題はないだろうけれど、そこにいるのは見目麗しい宝蔵家の正真正銘のご令嬢。立ち姿すら教育されてきただろう彼女に異性の立ち振る舞いが似合うはずもなくて。
多少の違いはあれど、咲夜から見た僕があれだということらしい。
「これが私から見た貴方の印象よ。どう? 直す気になった?」
「え、鋭意努力します……」
相手から見た自分がアレなら、確かに矯正されて然るべきだと自分でも理解してしまったから。
最後に残った飲み物を飲み干したけれど、味がしなかったのは気のせいではないと思う。
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