序章-2 拠点は高級マンション




 宝蔵咲夜は僕の雇用主だ。お互い未成年ではあるものの、特殊な立場ということもあって既に仕事で収入を得ている。その金銭は一度咲夜の元へと入り、そこから僕へと分配されるのだから雇用関係というのが僕たちの正しい関係性だ。

 数年前、病院で密かに化装術の開発をしていた僕は年単位の時間を掛けて遂に術式を完成させ、再び走ることの出来る体を手に入れたあの時の僕は隠れて外の街へと足を延ばしていた。

 そこで色々あって成り行きで妖怪を退治なんてことしていたら、討伐時の写真をたまたま撮られてしまったせいで一躍有名となってしまい、その噂を聞きつけた咲夜が独自の調査でもって探し当てたのが僕の病室だという訳だった。

 誰もが辿り着かなかった答えに早々に辿り着いた彼女は、最初から僕と噂の"清姫"が同一の存在だと確信していた。

 だからこそあの日、僕を勧誘しに来た。


『ねぇ……私たち、協力しない?』


 そう言った咲夜は有力な宝蔵家という退魔師家系の一族の生まれだった。

 苗字を聞けば誰だってどんな家か理解出来るくらいには世間的にも一般常識として広く知られている。

 退魔師家業だけではなく、一般人向けの商売にも力を入れているからだ。まさに名家の生まれと言っていい。

 当然、宝蔵家の退魔師としての血も力も並みのそれではない。代々輩出してきた一族は常に優秀な成績を残し続けてきた。

 今では新興の家系としては有数の有力な血筋としての仲間入りを果たしている。

 そんな家の生まれである咲夜だけど、その血筋の影響は限りなくないに等しく、本人には戦う力はほとんどない。

 彼女が持つのは僕を探し当てたような特殊な力を持つのみで、今のこの混乱の時代に必要とされている戦うことに関係する力がなかった。

 だから有名な実家の人間からは疎まれているし、何なら蔑まれている。僻地へと追いやり、無理難題を課して一族から追い出そうとするくらいには。

 そうして一度は役立たずの烙印を押された者同士、これからは一蓮托生として手を取り、これから共に戦っていこうと約束をした。

 ……した、はずなんだけど。


「どうして顔を隠すような真似をしたのよ」


 等級としては四級。決して容易い相手ではない相手を倒してきた僕を待ち受けていたのはぶすっとした顔をして腕を組む咲夜だった。

 確かに傷一つ負うことなく終わったけれど、労いの言葉もないのは信頼の証と言っていいのか分からないところだ。


「どうしてって、見られたくないからだけど」


「いいじゃない。別に見られたって減るものではないのだから。その無駄に整った顔で名を売りなさいよ」


 前言撤回、やはり一蓮托生は無理かも知れない。

 思わず迫り上がってくるため息をそのまま吐き出して。


「僕の気力が減るんだ。やる気とか、元気とか、そういうのが色々と減るんだよ。あんまりそういうのには慣れてないし……」


 一目でも顔を見ようと我先にと殺到する人々はまるで妖怪のようで怖い。

 ネット上にはたったの数枚しか僕の写真は出回っていないはずなんだけど、それが物凄い評価されているみたいだ。だから実際の僕という存在が気になる人がいるということくらいは理解はしているけども、あの怒涛の勢いで迫って来るほどのものかとは疑問に思ってしまう。


「はぁ……。これじゃあ清姫アイドル計画が進まないじゃない。私の寄付金ガッポガッポ計画をどうしてくれるのよ」


「そんな計画に乗った記憶はないから。僕は知らないしどうでもいいよ、そんな計画は」


「顔を売るくらい別にいいじゃない。というか、やりなさいよ。その無駄に綺麗な顔を使わずしていつ使うのよ」


「誰が好き好んで見世物になるんだよ。僕にそういう趣味はないって言ってるだろ」


 一仕事をして帰って来た僕を出迎えたのはぶーぶーと文句を垂れる咲夜だった。


「もしもそれのせいで僕の正体がバレたらどうするのさ? そうなったらここで活動出来なくなって咲夜だって困るでしょ」


「それはそうだけど、有名な退魔師……いえ、美少女退魔師がいるといないとでは寄付金に差が凄いのよ。もう本当に、馬鹿に出来ないくらい凄いんだから」


 裕福な家で育ってきた彼女が言う凄いがどれくらいの額になるのかは気になる。喉元まで疑問が出掛けるけども、それを聞いたら後に戻れなくなりそうなので聞かないことにした。

 いつの世もお金というのは身を滅ぼす切っ掛けになり得る。その誘惑に勝つ自信がないのであれば安易に手出しはしない方がいい。


「それでも活動出来なくなるよりはマシだよ。それに僕がこの辺りで活動しているって噂はもう回っているんでしょ?」


「まぁね……」


 僕がここに、咲夜の管理する区域に来るに当たって"清姫"の正体が僕だということを知られない為の作戦は立てていた。

 数か月前、前の地域からこちらを主な活動場所にを変えることにして、変身前の僕が移動した時期と"変身後の清姫"としての僕が活動地域を変えた時期とを不自然ではないように空けた形だ。これで少なくともこの情報単体だけでは正体が男だとは結びつかないだろう。

 幸いにしてというべきか、僕は自力では満足に移動が出来ないので外に出歩くことは滅多にない。出歩くにしても、専らが清姫としてになるだろう。だから慣れの為と周知の為に転身したまま私服でこっちで生活をしたこともある。

 そのお陰でネットでは僕が活動地域を変え始めたのは噂になっていたはずだ。

 咲夜の言う寄付金だって、すでに出ていてもおかしくはない。


「噂は所詮噂というだけよ。それに貴方、現場が片付いたらすぐにその場を離れちゃうし身を隠すじゃない。目撃情報はあっても自分の目で見ない限り信じない人って結構いるのよ。それでも多少の寄付は集まっているけれど、もう少し安定させたいのよね」


「そんなものかな? まぁ、寄付金頼りで生活する訳にもいかないし、あったらいいな程度に考えておけばいいじゃない? 別に僕の報酬で足りない訳じゃないんでしょ?」


「……以前からの負債が少しずつ精算してきて、今回の成功報酬でようやく黒字が見えてきたといったところかしら。人払い用の人件費も馬鹿に出来ないのよね。特に貴方の正体を隠す為にそこにお金を掛けているし。だから出来ることなら貰えるものは貰っておきたいところね」


「でもバレた時のリスクと見合ってないし、稼ぐのは別の方法を考えた方が良くない?」


 僕自身もどこでボロを出すか分かったものではないし、なるべく人目につくような真似は避けたい。

 こちらの意思が硬いのを理解してか、咲夜は心底残念そうに溜息を吐いた。


「別の方法も考えてない訳ではないのよ。ただ、そうね……そこまで言うのなら仕方ないわ。清姫アイドル計画は諦めましょう」


「なんてものを考えているんだ。そんなものはさっさと破棄しろ」


 男の僕がそんな真似をするという想像をするだけで気が滅入りそうだ。とりあえずそれを阻止出来たということに胸を撫で下ろした。

 咲夜は自分で言った言葉をそう簡単には覆したりはしない。こうしてわざわざ宣言をしたということはそういうことの…………はずだ。

 考えが急に変わったりしないか怪しんでいると、彼女は思いついたように手を叩いた。


「代わりと言ってはあれだけど。ねぇ清花、学校に行ってみない?」


「学校? 今更になって?」


「確か貴方は中学校に在籍した期間は一年と少しくらいだけだったでしょう? 入院中に形だけでも卒業はしたみたいだけれど、今は足も動くようになったのだし、高校生としてデビューしてみるのはどうかしら?」


 ニッコリと口角をあげて微笑む咲夜。こういう時、彼女は良からぬことを企んでいることが多い。警戒心が否応なしに増していく。

 その理由を探っていくと、およそ考えていなかった答えに辿り着いてしまった。


「足が動くからって…………まさかっ、変身した状態で学校に通えってこと!?」


「前に残念そうに言ってたじゃない。『足が動けていたら学校にも行けたのに』って。それって学校自体には行きたい願望があるってことでしょう? なら動く足の方で行けばいいじゃない。通っている間のサポートくらいは私が万全にこなしてあげられるしね」


 確かに言ったことはあるし、それは何度も思ったことだ。

 転身した肉体が男のままだったならば何の気兼ねもなく元の生活に戻っていただろうことは確実で、だからこそあの出来事の後に鏡で自分の姿を見た時には肩を落とした。

 今でも学校に通いたいという気持ちに変わりはない。しかし、通う為にはどうしたって保護者が必要だ。今の状況を家族にも打ち明けられず、何年も二の足を踏んでいるのも確かで。


「この辺りには貴方を知る人間は誰もいないし、ちょっとした仕草や言動程度で正体には繋がらないはずよ」


「それについては……ちょっと考えさせて。学校に行くことが嫌な訳じゃないけど、ちょっと即決は出来ない」


「それは構わないわ。私としてはこのまま家に居て貰った方が緊急時に自由に動けるから助かるけど、学校にいたら話し相手になるし報連相がすぐに出来る。だから私としてはどちらにしても文句はないの。本当に、このことについては貴方の好きにして頂戴」


 どうやら本当にどっちでもいいらしい。そのことに少しだけ心が軽くなったようになった気がした。

 わざわざこうして言ってくるあたり彼女にしてはこちらを気遣っているというのが感じられる。


「分かった。しっかりと考えてみるよ。ありがとう、咲夜」


「別に。それくらい、ここで暮らしてもらうのだから配慮して当然よ」


 目線を逸らしてはいるものの、慣れていないことをしたせいで耳が少し赤いのが丸見えだった。


「ちなみに咲夜の通う学校ってどういうところなの? やっぱり退魔師関係?」


「普通の……退魔師とか関係のないただの一般校よ。退魔師の血なんて入ってないような子たちのいる極々普通の学校ね」


「へぇ。普通の高校ってどういうことをしたりするの?」


「それこそ普通よ。妖怪との戦いなんて関係がないような、将来の為になるか分からないことを学ぶ、まさに平和そのものよ。時々、自分が立っている場所が分からなくなるくらいには平和ね。妖怪の話題なんて事件が起きた時にしか聞かないくらいには」


「今度、そういう普通の話をもっと聞いてみたいな。いざ通うとなったらそういうことも知っておかないとだし」


「正直面倒だしそう多く語ることもないけど……まぁ、歩いている間の暇な時間に話すとするわ。残りは時間がある時にね」


 建物内を歩いて話を聞きながら建物の中を見ているけども、咲夜が活動する為に与えられたという家屋は相当な立派な代物だった。

 一族として不当な扱いを受けているにしては過分な程の好待遇にも見受けられる。

 或いはこれが宝蔵家として最低限の施しとでもいうのだろうか。それとも単なる見栄か。

 それにしたって、最新式のマンション一棟はやりすぎではなかろうか。そのお陰で"清光"としての部屋と"清花"としての部屋の二部屋を借りられた訳だけども。


「──ちょっと、聞いてるの?」


「ごめん。ちょっと色々と圧倒されてて聞いてなかった」


 中学生の途中からは狭くてただただ白いだけの部屋に押し込められていたからか、価値観が百八十度変わるような部屋は少し落ち着かない。


「そうなの? 貴方の実家だってあまり変わらないでしょう?」


「僕は本邸で暮らしたことはないからね。だから贅沢とはあまり無縁だったんだ。貧相というほどでもなかったと思うけど、質素ではあったよ」


「ふーん。じゃあ、この際だから一生分の贅沢を味わいなさい。今の貴方の力ならその程度のことは当たり前に享受して当たり前のことなんだから」


「そんなものなのかな? そこのところの金銭感覚についてはハッキリ言って全く分からないんだけど」


 病院に行く前、まだ家族と一緒にいた頃は金銭の関わるような妖怪退治なんてしたことがないし、やり始めた頃はこの体で既に独りぼっちで誰にもバレる訳にもいかないので金銭の類は受け取ったりはしなかった。

 転身の状態に慣れるという目的だったから別にお金が欲しいという訳じゃないけれども、今になって思えば僕が無断で倒してきた妖怪たちは相当の金銭になっていただろうことくらいは分かる。

 しかしながら、それだって本来ならば然るべき人が対処をして然るべき成功報酬を貰う予定だったのだとすれば、横取り行為をしていた僕の行為はあまり褒められたものではなかったのかもしれない。


「これからは正式に貴方の活動内容に応じて随時金銭を支給する予定よ。公的機関を通しての正式な依頼の仕事ではないから、代理で私が受けた依頼の報酬から諸々の費用を差し引いての金額を渡すことになるわね。その辺りに関しては書面にして残すつもりだからしっかりと目を通しておいて頂戴」


「そこのところに関しては僕も一応は目を通すけど、基本的には咲夜に任せるよ。僕としては生活が出来るお金さえあればいいし」


「またそんないい加減なことを……。私じゃない人だったらいいように扱われるだけだからそのいい加減さは直しなさいよ。……全く、言っておくけどこれは信頼関係に直接繋がることだから、金銭関係に関してはきちんとするつもり。具体的に言えば、ここの来る前の活動で得た金銭を今後の報酬に分割して上乗せしていく方向でまとめているの。清花程の術者を専属で雇用出来るのだから、これくらいはしないと私の品格を疑われてしまうからね。だから拒否権は認めないわ。ということで、はいこれ」


「これは?」


 一枚の黒いカードと何桁かの番号が書かれた紙切れが差し出される。そこには女としての僕の名前が記載されていた。

 何がなんだか分からないままとりあえず受け取ったはいいものの、これが一体何なのかを視線で問うてみた。


「貴方用のカードよ。それと紙の暗証番号だから、覚えたら再生不可能なように処分しなさい。カードの使い方は後で別の人から伝えさせるけど、当面はそれを使って身の回りの物を用意してくれると助かるわ。そのカードが何かって言うと、簡単に言えばそれに今まで稼いだ分のお金がそっくりそのまま入っているということだけ覚えていればいいわ。大金だしもし失くしたら悪用されないようにしなきゃいけないからすぐに誰かに言うのよ?」


 そんな風に言われると、たった一枚のカードが凄く大事な物のように思えてくる。

 お金なんて最後に触ったのは入院する前くらいで、それも子供がお小遣いに貰うような程度の額でしかないけれども。


「う、うん、分かった。ちなみにいくらぐらい入ってるの、これ」


「確か、軽く五百万くらいは入っているはずよ。馬鹿みたいに散財しない限りはそうそうなくならない金額のはずだけど、足りなくなりそうだったら言って頂戴。貴方のお陰でそれなりに蓄えは出来たから多少は都合出来るはずだから」


「いや、いやいやいや、多すぎるって! 寧ろこんなに貰っても使うところがないよ!」


 流石に外に出て買い物をしたことが一度もないということはない。寧ろ自分のご飯を買いに行くことが多かったから庶民的な金銭感覚は持っているはずだ。一食に掛かる値段を抑えれば何年持つか分からないくらいの大金だ。


「そう? でも、これは活躍に見合った適正価格の範囲内よ。だから返すと言われてもこっちが困るの。寧ろ諸々の費用に大分使わせて貰っているから申し訳ないくらいよ。……っていうか、準三等級の妖怪を傷ひとつなく短時間で容易く蹴散らすような術者がその辺にゴロゴロいる訳がないでしょう。報酬関係とか、退魔師事情については後できちんとした教師を就かせるから、そこで改めて退魔師についての基礎知識を身に付けなさいな。それでも多過ぎるって言うなら私が幾らか預かってあげるから」


 そう言って次の用事があるからと咲夜は去って行ってしまった。

 残されたのはこれから過ごすことになる自分の部屋の鍵。内装は既に整えてあるらしいので、

 さて、どうやってその場所まで行こうかと考えていると……。


「宜しければ鞄をお持ちしましょうか、お嬢様?」


「えっ? お嬢……? あっ、はい。お願いします?」


 突然に現れた黒を基調とした燕尾服を来た男が立っていた。

 知らない内にそこにいて、まるで旧知の間柄のように自然に話しかけられ、気付けば伸ばされていた手に手荷物を渡してしまっていた。

 それに気付いて取り返そうとした時には既に遠くなっていて。

 誰だこの人、と記憶から探り出そうとしたけど、どう考えても初対面だった。


「私、大門東治と申します。咲夜お嬢様の執事などを務めております。以後、お見知りおき下さい」


 礼をする身のこなしは洗練されたものだった。

 かつて見た使用人でもここまで完璧な所作を身につけた人がいただろうかと記憶を掘り返すものの、やはりいないという結論に至る。


「使用人の方がいるとは聞いていましたが、男の人だったんですね」


「おや、聞いておられなかったのですか? では、きっとお嬢様が意地悪で困らせようとしたのでしょう。そういう方ですので」


 なるほどと納得した。咲夜は女性だし、なんとなく使用人も女性が多いと勝手に想像していただけだ。仕事上どうしたって男手が必要になることもあるだろう。その時は率先して手伝おうという考えは杞憂だったようだ。


「咲夜のしそうなことですね……っと、僕は……」


 そういえばと思い出す。咲夜と契約するに当たって、信用出来る部下数名には僕が元々は男だということを知らせて良いかという打診だ。

 でなければ"清姫"として活動するに当たって支障が出るし、いざという時の手助けも期待出来なくなってしまう。

 それならばいっそ先にバラしておいた方が後々を考えても得策だということだ。

 幸いにしてと言うべきか、咲夜の根城に住まう使用人は数は多くない。信頼出来る身内しかここにはいないので話が漏れる心配はないと聞いている。

 その事情を踏まえた上で、何と名乗るべきか。こちらを見る執事が訳知り顔で頷いた。

 ならば、と咲夜を信用して意を決することにした。


「葛木清光です。よろしくお願いします。今は清花と名乗っているのでこの姿の時はそちらで呼んで頂ければ助かります」


「清花お嬢様ですね。畏まりました。至らぬ身ではございますが、お嬢様共々今後とも宜しくお願いします」


「……変だな、とか思わないんですか?」


「多少は変装していましたが、車からお姿は拝見させて頂いていたので。お嬢様の事情も聞き及んでおりましたから、ご心配されるようなものは特に感じたりはしていません。それはもう一人いる方も同じなのでご安心下さいますよう」


「な、なるほど……」


 その時から見ていたなら確かになんとも思っていないのは確実だろう。少なくとも、彼からは嫌悪感や忌避感などの感情は伝わっては来ない。

 もっと気持ち悪がられるような反応を想像していただけにちょっと拍子抜けではあったりして。

 自分で考えるよりもそこまで深刻ではないのかと考えるものの、考えたところで周囲に暴露するような話でもないので咲夜やこの人が特別なのだと言うことにして理解することにした。

 そんな大門先輩は立場上は僕と同じ従業員となっている。けれど、咲夜に仕えている年数で言えば彼の方が多いことは間違いない。


「はい。よろしくお願いします。大門先輩と呼んだ方がいいですか?」


「いえいえそんな、お嬢様は咲夜お嬢様や私共にとっても救世主のようなお方。ですから、そのような畏まった態度でいる必要はありません。どうぞ、大門でも東治でもお好きなように呼んで下さいませ。何なら犬とでも」


「えっ……と、それは止めておきます。年上の方に呼び捨てとか出来ませんし、それに救世主だとかあまり思わないで下さい。僕と咲夜はお互いに利益を得る為の協力関係に過ぎないんですから。形の上では僕は同じく彼女に雇われている身ですし、そんな風に畏まる必要はないかと思います。あと、出来ればそのお嬢様呼びは止めて欲しいんですけど。それと敬語も必要はないですよ」


 見るからに大門先輩は僕よりも年上の人だ。そんな相手に不躾な態度は取りにくいし、恭しい態度を取られるのも落ち着かない気分になる。

 それに加えてのお嬢様呼び。これは何というか、恥ずかしい思いしかない。

 転身した状態であっても、ここまでの露骨な女の子扱いをされたのは初めてなせいで非常に反応に困る。

 咲夜の奴は可愛いと言いつつも弄り成分が多めだから反抗意識の方が前に出てしまうので気にせずに済んでいるのだけども。

 そんな僕の内心を知ってか知らずか、大門先輩は爽やかな笑みを浮かべる。


「分かりましたと言いたいところですが、その前に一つご質問をさせて下さい。これからの生活で清花お嬢様はそのお姿の方で過ごすことが多いのではないでしょうか? 一日の活動時間を睡眠時間を除いてどの程度そのお姿でいられるつもりですか?」


「……そうですね。流石に車椅子生活だと不便なことも多いですし、何かあった時に動き易いのでこちらが主になるかと。こちらに変わると言うよりは、あちらに戻るという意識の方が強いです」


「では必然として一日の間で女性として過ごされる時間が多いのではと考えますが如何でしょうか?」


「……その通りですね。女として過ごす時間の方が多くなるかと思います」


「なるほど、了解いたしました。ちなみにこの大門、咲夜お嬢様からは清花お嬢様に対して自分が女性であるという自覚を持たせるようにと強く仰せつかっております。聞けば、まだ女性としての名で呼ばれることに慣れきっていないのだとか。加えて自らの肉体が女性であることの自覚もまだまだ薄いとも伺いました。いざという時の為を思えば日頃から自らが女性であるという意識を作り出して行かなければ難しいでしょう。それでも呼び方を変えた方が宜しいですか?」


 僕がこれに対する反論で頭に思い浮かんだのは単なる感情論でしかなかった。


「お、お嬢様呼びについては頑張って慣れるようにします」


「その方がよろしいでしょう」


 この体で長く生活する以上、いつまでも男の気分でいると不都合が生じるのは自分でも分かってはいた。

 だからこそこういった日常で少しずつ自らの意識を改革していかなければいけないことも。頭では分かってはいる。分かっては。

 ただ、今の自意識としては男に寄っているのは明白で、そんな自分がお嬢様と呼ばれる違和感は決して拭えるものではなかった。

 ……どこかで悪い笑みを浮かべて高笑いしている意地悪なお嬢様の姿が目に浮かぶ。

 こうなると最初から分かっていたのだろう。以前もこの件に関しては憂慮していたのでこの機会に実行に移したに違いない。


「寛大なお心に感謝致します。では清花お嬢様、改めましてお部屋へご案内致します。それから私めへの呼び方に関しましてはお嬢様の好きにして下さって構いませんので何なりとお呼び下さい。あぁ、ちなみに敬語については職業柄仕方のないものだとご理解の程をお願いします」


「……分かりました。では、大門先輩と呼ばせていただきます。咲夜の元で働くという意味で」


 これは僕の人生経験が少ないと嘆くべきか、咲夜や大門先輩が強いと言うべきか。口喧嘩では二人に勝てる気がしない。

 とぼとぼと肩を落としながらついていくこと数分。その間にも彼は色々と話しかけてきた。

 食事は出来るだけ咲夜と共に摂って欲しいので夕食の時刻は決まっているとか、もしも大浴場を使いたい場合は一言大門かもう一人いる使用人に伝えてくれれば用意はするとか、このマンションを使うに当たっての説明が長々と続く。

 この高級集合住宅には僕たち……と言っても僕と咲夜以外に住む人はいない。他の二人も部屋は持っているみたいだけど、元々帰る場所を持っているから常駐している訳ではないらしい。

 この異様な人数の少なさは僕の事情を考えればこれは当然のことではある。下手に人を増やして秘密が露見する危険を上げる必要はない。

 だから防犯面については監視カメラは殆どない。あっても張りぼて程度だ。もし記録などを盗み見された場合に正体の発覚を防ぐ為だと言っていたはずだ。

 代わりにと言っていいのかわからないけれど、この建物の周囲の敷地には頻繁に浄化の水が満遍なく撒かれている。これによって僕の正体を暴こうとするような性根の悪い不埒者は侵入することは出来ず、仮に入れたとしても真相に辿り着く前には精神が磨耗していって気を失うことだろう。

 加えて効果範囲内に足を踏み入れれば僕がそのことを感知出来る仕組みともなっている。防備に関しては完璧とは言えないけれど、侵入者に気づいてから僕が身を隠したり変身したり元に戻ったりする時間は出来るはずだ。


「清花お嬢様の私服は勝手ながら一式取り揃えさせて頂いております。もしもご趣味に合わない場合はすぐに言って頂ければ対応致しますのでどうぞお気軽にお申し付け下さいませ」


 部屋の中の仕様については一通り教えてもらった。どうやら快適度合いは想像以上に高いみたいだ。流石は名家の持ち家という訳らしい。


「分かりました。後で自分でも確認してみます。分からないことがあったら聞きますね。何から何までありがとうございます」


「執事ですので、これくらいは当然のことです。では、これからも咲夜様のことを宜しくお願い致します」


 失礼しますと大門先輩は見事な礼でもってこの場を後にした。足音を一切立たせずこの場からあっという間に去っていく。

 残された僕は渡された鍵を扉に差し込んだ。二箇所も鍵穴は必要なのだろうかと疑問に思ったけれど、きっと防犯面で必要なのだろう。

 やや面倒な思いをしながら扉を開けると、そこには想像だにしない光景が広がっていた。


「うわぁ……」


 一言、思わず出た言葉がそれだった。

 今の僕は清光ではなく清花なので、清花の専用の部屋に入ることになっている。…………そう聞いていて入ったんだけども、何だこれという感想しか浮かばない。

 お洒落と言えばお洒落。かなりのお金を掛けてここが用意されていることは間違いない。

 部屋全体のバランスだって良い。どこか自然体でいて、あたかも少し前までここに人が生活していたかのような自然さがここにはある。

 その生活をしていただろう想像の人物が女の子でなければ。


「フリフリ……そして、フリフリ。ぬいぐるみ……そして桃色の世界……」


 カーテンとテーブルクロスにはふんだんにフリルがあしらっており、全体的に白色やピンク色といった"いかにも"女の子が好きそうな感じで内装が纏められている。黒色に近いようなものは殆どないと言っていい。

 こんな部屋を好む男がいるのかと問い詰めたくなるものの、今の自分の性別を思い出してグッと思い留まる。

 もしも僕の正体を知らない誰かが部屋に入ってきた時のことを考えての偽装工作だろうけども。それは分かるけれども。

 だからって……。


「私服までこんなのにしなくてもいいだろ……」


 いかにもな可愛らしいを徹底的に突き詰めたような、それでいて普段着として着ていても痛々しくないギリギリの可愛さを責めた服がズラりと並んだ光景を見て思わず膝から崩れ落ちた。

 三つもある衣装棚の全てにそれらが敷き詰められていたのを見て、更には下着まで全て女性物で取り揃えられていて、僕はもう何も言えなくなっていた。

 女性として過ごしていく覚悟、それが本当にあるのかと改めて突きつけられたような感覚だった。

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