浄化の水使い〜変身TS娘は戻れないと知りつつもその道を行く〜

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序章 清姫

序章-1 二人の始まり




 カラカラと音がする。前へ動かした腕に比例して景色が変わる。真っ白で統一された壁から、緑が溢れる森林へ。

 鼻をつくような臭いから自然の香りが肺に満ちていき、心地の良い空気に肺が癒されるような感覚がする。


「あら、出てきたの。思ったよりも早かったわね。」


「空気がそこだけ淀んでるように見えるのは気のせいかな」


 澄んだ景色と空気の中で、そこだけは嫌な気配を感じる。気がするだけで、実際には何もないけども。

 現れたのは黒い髪を短く整えた少し勝気な顔をした女の子だった。性根は悪くはないはずなんだけど、口は悪いのが玉に瑕といったところ。

 彼女は心底不本意といった様子でこちらを見ていた。


「いきなり不躾かつ失礼ね。それが暫くぶりに会った相手に言う言葉なのかしら?」


「妥当な評価でしょ。今までの僕に対する行いを思い返してみなよ。特に、最後に会った時のことをさ」


 本人も心当たりがあるので特に反論することもなく押し黙った。

 顔に出してむくれているところは見た目相応なのに、どうして腹の内はああなのか。


「それで、何でこんな早いの? 約束の時間にはまだ一時間もあるじゃないか」


「そういう貴方こそ、どうして予定よりも早くこんなところに来たのよ」


「特にやることもないから自然の空気を吸いたかっただけだよ。ここもこれで最後かと思うと感慨深くなってね」


「ふぅん? まぁいいわ。ここに早く来た理由だけど、どうやら予定外の来客がここに来るみたいでね。面倒ごとになる前に移動する為よ」


「来客? 僕に?」


 記憶では、僕がこの病院にいた三年もの間に知人友人、そして家族すら見た記憶はない。今更誰が来るのかと少しばかり疑問に思う。

 どちらにせよ、早くここを離れる以上は関係ない話かと判断して思考を打ち切ることにする。


「僕が出て来ない時はどうしていたの?」


「まだ時間はあるはずだし、その時は縛り付けてでも連れていくだけよ。縄はほら、ちゃんと持ってきているから」


 言いながら実際に見せつけてくる。本当に持って来たのかとこちらは引き気味ではある。

 この人は、宝蔵咲夜とはそういう女だ。有言実行を地でいく行動力の塊。それは極短い付き合いでも理解させられた。

 つまり彼女がそう言うということは確実にやっていただろうということだ。


「それじゃ、移動しながら話そっか。ちなみに来客って誰か知ってるの?」


「貴方の知人の女の子よ。わざわざ今日この日、この時を狙って来る理由なんて知れているでしょう? だから、彼女が来る前にさっさと行くの」


「…………そうだね。あの子なら予定時間より早めに来ることもあるだろうし。早く行くとしようか」


 もしかして、と頭の中に浮かぶ人物がいる。

 だけど、その人とはもうかれこれ何年も会っていない。もしも対面したら会えて嬉しいという気持ちよりも複雑な気持ちの方が優っているのが隠さざる本音で。正直に言えば、今は顔を合わせたくはない。もう少し心の整理が出来てからというのが希望するところではある。

 そんなこちらの心中を察してか、咲夜は何も言わずに視線を外した。


「いいわ。開けて」


 近くに停められていた黒塗りの高級車の後部が独りでに扉を開いた。

 するとすぐさま車椅子用の板が伸びてきて地面まで到達し、程よい斜面になった。


「押すわよ」


「ありがとう」


 自分で上がろうとしたところを、咲夜が手伝ってくれる。

 ただ彼女の場合は時間が惜しいなどの理由がほぼほぼ全てだけど。

 白から緑、そして黒の景色へ早変わり。そのせいか妙に落ち着けない。

 そんなことはお構いなしとばかりに咲夜は座席の方へと移って行った。


「出して頂戴」


「畏まりました」


 命令で運転手が車を走らせる。

 景色が水平に動きだした丁度その時、僕側の席から見えるところでは僕のいた病院に向かって全力で疾走している女の子を見かけた。

 あそこにいるのは訳ありの人たちだけ。入院している人が少ないのもあるけれど、見舞いなんて一月に一人いるかどうかくらいのものだった。恐らくは咲夜の言っていた通りに僕を探しているのだろう。そうして探し回った挙句に既に空室となった場所を見て何を思うのか。それを思うと胸が痛い。

 今の今まで会いに来なかったのはきっと理由があったのだろうとは思う。だからこそ折角来たというのに空振りに終わってしまうのは申し訳ないけど、今この時に会うのはこちらにも不都合があるので仕方がない。

 だから、心の中で深く謝っておいた。彼女なら許してくれるだろうと願って。それが自己中心的なことだと自覚して。


「彼女、きっと残念がるでしょうね。……その顔、戻って挨拶でもしておくつもり?」


「いや。そういう気持ちがない訳ではないけど……」


 何分、彼女とは幼い頃からの知り合いであるが故に、あまり悲しい思いをさせたくはない。

 出来ることならば一声掛けてからでも……。


「もう決めたことでしょう。今までの貴方の生活とはかけ離れたものになるって。」


「それは分かってる。でも……」


「いつもの貴方らしくないわね。何だか少し女々しく感じるわ」


 その言葉に僕は何も言えなくなってしまった。


「別に、別に女の子っぽいって意味じゃないのよ。単に優柔不断という意味で使っただけだからね」


 僕の事情を知る咲夜は思い至ったように言葉を告げてくる。


「分かってる。僕が自意識過剰なだけだ」


「そうね。今のは確かに私が悪かったけれど、そこで黙ってしまうのはどうかと思うわよ。今のはまだ日常会話の範疇でしょう? こんなことで一々反応していたらいつか足元を掬われかねないわよ」


 仕方ないとはいえ、これから度々言われるだろう言葉に一々反応していてはあらぬことを疑われてしまうことになるかもしれない。

 それは後々困ることになる。かといってすぐに治せるほど簡単な話題でもないことが悩みの種といったところで。


「それも分かってる。でも、今すぐにどうこう出来る問題じゃないからとりあえずは放置ってことでお願い」


「アナタの心の問題だからあまり口煩くは言わないけど、親切心として新しい自分を受け入れるっていうのが私のお勧めよ。何せ、否が応でもこれからはそういう自分を受け入れていかなくちゃいけないんだからね」


「それはそうだけどさ。咲夜が逆の立場になってみたらどう思う? そんなにあっさりと受け入れられると思う?」


「そんな有り得ないことは考える必要もないわ。状況が特殊過ぎて想像すら出来ないもの」


 あっけかんらんと、思考の一切を放棄した彼女は涼しい顔そのものだ。


「自分で言ったことなのに……。はぁ、そう言い切るだけの度胸だけは羨ましいよ」


「お褒めに預かっておくわ」


 だから本当にそこだけは、そこだけは尊敬に値する。決して真似したくはないけども。

 そこから少しだけ会話が止まる。僕は退屈凌ぎに窓の外の景色を堪能し、咲夜は仕事用のノートパソコンに指を走らせている。

 まだ学生の身でありながら仕事をしているだけあって、その姿は実に様になっている。

 そんな彼女が所有しているこの車は流石はお高いらしく、騒音はやけに少ないし、振動だってあまりない。正に快適そのものだ。お陰で肘を着きながらゆっくりと外の景色を眺めることか出来ている。

 生まれてからあまり多くの景色を見てきた訳ではないので、少し進む毎に違う光景に新鮮な思いで一杯だ。

 そうこうしていると、不意に片方の頬で突かれるような感触がした。


「堪能しているところ悪いけれど、もうすぐ到着するから軽い情報共有をしたいのだけれど?」


 どうやら端末は閉じていたようだ。真面目な様子の顔をしてこちらを見ていた。


「さっき言ってた早く迎えに来た理由が関係してるの?」


「そうよ。管轄内の一部の地域の地脈が活発化したの。おそらくは三十分後くらいにアレが現れるわ。貴方に会いに来る子に構っていたら間に合わなくなるかもしれないから強引に連れて行くことにしたの」


「なるほど。それで、等級は?」


「準三等級。大体中の中くらいの強さの奴ね」


 これが僕が彼女から請け負った仕事。その準三等級が中の上だからといって簡単な仕事かと言われると、一概にそうとは言えない。かなりの腕前があって、相当な経験を積んだ者ならば倒せるだろう程度の存在。それを僕は相手にしなければならない。

 人が人以上の力を持つ存在に挑み、これに打ち勝つ。所謂妖怪退治に手を出し始めたのがほんの数か月程度前の僕に相応しいかと言えば、常識には"有り得ない"だ。経験としては足りなさ過ぎるもいいところだ。


「油断は出来ない相手だね」


「貴方には簡単な相手でしょう?」


「勝てない相手じゃないとは思う。けど、そうやって慢心した時に足元を掬われたことがあるからね。出来るだけ油断はしないようにしてるんだよ」


「へぇ、それは初耳だわ。どんな相手だったの?」


 聞かれてその時の思い出が蘇るような思いだ。あんなことは二度とは起こしたくはないと固く誓った出来事だ。


「……言いたくない。ただ、誰にも見られていなかったのは不幸中の幸いだったよ。流石にあれは記録に残したくはない」


 あのことはただの失敗では終わらない。なので記憶の奥底に封印しつつ、戒めとして時々思い出す程度にしている。そんな記憶だから他人になんて決して言えやしない。


「どうせ卑猥な攻撃でもされたんでしょ。女性退魔師なら大体が通る道じゃない。気にし過ぎよ」


「さ、されてないから!」


 思わず強く否定してしまったことに気付いたけど、時すでに遅し、咲夜はこちらを慈悲の目でもって見ていた。

 居たたまれない気持ちになって目線を外に向けた。事実なだけに反論がし難いのが悔やまれる。

 意地になって下手に抵抗しようとすれば墓穴を掘る羽目になりかねないのでここはじっと黙ることにする。


「そうやって完全無欠の"清姫"が完成したという訳ね。ふふっ、この情報はいくらで売れるかしらね」


「もし売ったりしたら全力で呪うからな」


「やだ怖い。別にそんな程度ことで今の威光は揺らがないでしょうに。寧ろ失敗談があった方が親しみがあっていいんじゃない?」


「人の失敗談を嬉々として広めようとするなと言っているだけだ。今の咲夜からは意地悪の気配を感じるから特にダメ」


 断言してそこで終わりと腰を深く根ざす。こちらが梃子でも動かない様子を見て咲夜が小さく嘆息する。


「こちらとしては"清姫"が親しみやすい存在になるかどうか程度の話だから貴方が嫌ならしないわ。それで? 討伐の件は引き受けてくれるのかしら? 報奨金は前金と合わせて百と数十万ってところね。そこから被害額等を算出してのいつもの形になるわ」


「お金に関しては咲夜に任せる。それと、引き受けるも何も自分の飯の種だから行くに決まってるだろ。いつもみたいに言えばいいじゃないか」


「つれないわね。そこはその場のノリというものでしょうに。まぁでも、そうね……じゃあ────契約に則って、退魔師"清花"に出動を命じるわ」


 僕と咲夜の関係は甘いものでも熱いものでもない。

 衣食住と僕の退魔師としての活動を支援する代わりに彼女の目的を果たすように手を貸すこと。

 言葉にしてしまえばそれだけの関係だ。けれど……。


「ご期待には応えてみせるよ」


「良い報告が聞けることを願っているわ」


 まるで狙っていたかのように停車し、扉が開いた。

 同時に地面に伸びていくスロープを使って後ろに下がって降車する。

 辺りに人影はいない。気配すら。そういう場所を選んだのだろうから安心して集中することが出来る。

 さて、と意気込みを入れたところで。


「実は私、貴方が変身するのは初めて見るのよね」


 なんて、水を差してくる奴がいた。


「見世物じゃないんだけど。さっさと帰ってよ。向こうには直接帰るから」


「いいじゃない。雇用主に一回くらい見せてくれたってバチは当たらないでしょう?」


「寧ろ僕が当てるよ? そこのところ分かって言ってる?」


「いいから! 早く! 物の怪が出現して暴れ出す前に! さぁ!」


 急に語気を強め出した彼女の目からは好奇心なるものがひしひしと伝わってくる。

 既知の間柄の人に見られるのは恥ずかしいから本当に止めて欲しいのだけど。


「…………」


 帰れと強く視線に込めて睨んでも動く気配は微塵くもない。やがて、物の怪の出現の波動を感じ取った。


「……はぁ」


 これはもう腹をくくるしかないか。


「"転身"」


 何もなくなった僕に出来る唯一の術。通称は化装術。正式名称は葛木流心装転身術で、その後に術の種類によって色々と付け足されていくけど、発動をする為なら別に全てを口にする必要はない。

 これはもう碌に歩くことも出来なくなった足を動かす為に、実家の秘伝の術を改造して自分のだけの為に作った独自の術。

 本来ならば化装術というのは動物や幻獣といった人間以外のものに変身する為の術だけど、僕の場合は新しい自分に変わることを目的として改良している。

 その対象とは、人間から人間へ。自分ではない自分に変身すること。それ自体は完璧に為すことは出来た。

 しかしながら、化装術が別の生物に変化することを目的としているせいか、"同じ人間"へと変化することは出来なかった。

 その結果として僕の体は元のものとは似ても似つかないものになってしまったのだ。


「相変わらずの"美少女"っぷりね、"清姫ちゃん"。これなら"元が男の子だった"なんて、誰も思い至らないでしょうね」


 目線は咲夜より少し高いくらいか。

 足の裏に地面の感触を感じる。膝を真っすぐに伸ばしても何の不自由なく立っていられる。

 同時に髪の毛が数倍伸びて腰辺りにまで届いていて、胸の辺りが少し窮屈になっていて、股の間が少し寂しくなっているだけだ。

 服装も変わっている。白と赤を貴重とした日本固有の伝統衣装、所謂巫女服へと。

 少しアレンジが加わっているものの、元のものよりも各段に動き易いものになっているので特に問題はない。


「うるさいよ。僕だって好きでこうなった訳じゃな……くもないけど」


 この化装術の基本理念は別の生物に変わることが第一だ。だから元と同じ生物に変身することはそもそも想定すらされていない。

 従来までの化装術では変身したとしても身体の情報がそのまま引き継がれるから、僕の場合は足のない生き物に変身する意味のないものになっていた。

 だからこそ自己流で改造を施して人間への変身を可能にしたのだけど、残念ながら根本の基本理念までを変えるには至らなかった。僕は僕ではない、別の何かにならなければならなかった。

 どうにかこうにか抜け道を探そうと模索して、長い時間を掛けて辿り着いた結論が別の性別に変わるということだった。

 切っ掛けはかつて家族が読んでいた本の一部に書いてあった『人間の男と女は近くて最も遠い存在』という言葉から。

 こうして僕は術を改造したことと、変身の対象を女性へとをすることで再び自らの足で地面を歩くことが可能になったという訳だ。

 だからある意味では自分で望んだ結果とも言えなくもない。


「……ふぅ。どうかな? しっかり変わってる?」


 ただし、これにはある大きな問題がある。

 これが一般的な簡素な化装術で、単なる見た目上だけのもの、または幻術に類するものだったならばまだ良かった。

 しかし、葛木流のそれは全くの別物だ。この術は術者の体そのものを全く別の物へと変質させる。その本質は違う生物に成り代わる為のものだから、精神性以外の全てが別の生物へと置き換わる。つまりどういうことかというと、元々が生物学的に"男だった”僕は、今は生物学には完全に"女になった"ということだ。

 体が年相応の女性のものに変化していき、胸が膨らめば股間のものだって失くなるし、女性として当たり前の物だって月に一度は来る。

 特に最後の、あれだけは止めて欲しかった。けど後から微調整が出来るほどこの術は扱い易くはない。

 そこの部分のみを調整しようとすればどこかに歪が生じるから、修正は実質的に不可能と言って差し支えないだろう。

 そうして完全に姿形が変わった僕を見て咲夜は意味深くて深くないような笑みを浮かべていた。


「ふーん。これが完璧な化装術と呼ばれる葛木流の化装術で、それを独自に改変した結果なのね」


 言いつつ、ズケズケとこちらに来ては無遠慮に僕の体を触れて来る。


「ちょっと! 髪を触るな胸を触るな下はもっと触るな!」


 叩く勢いで手を払うと、咲夜は少し拗ねた顔で言い訳をしだした。


「だって、目の前でこうまで女の子になられると気になるじゃない。色々と確かめたくもなるでしょう」


「気持ちは分からなくもない。けど、時間がないと言ったのは咲夜の方だろ。……はぁ。もういい、とりあえず行ってくるから」


「残念。帰ってきたら汗を掻いているでしょうし、一緒にお風呂に入らない? 勿論、その姿でだけど」


「は、い、ら、な、い!」


 言い切ると同時に地面を蹴って飛び上がる。転身したこの体の身体能力は常人のそれではない。

 それは今まさにひとっ飛びで二階建ての一軒家の屋根に飛び乗ったこともそうだ。そのまま足に力を入れて目的の場所へ目掛けて飛ぶ。

 身体能力が向上しても空を飛べる訳ではない。けども、そう錯覚するくらいには高く飛びあがり、それに比例して滞空時間も長くなる。

やがて勢いで上昇する限界高度に到達して、そのまま自由落下に転じていく。

 このままであればいかに自分の体が丈夫だとしても無事では済まないだろう。


「水球」


 落下着地点に現れる宙を漂う水の球体に体を突っ込ませる。ただの水ならば落下の勢いでそのまま突き抜けてもおかしくはないけど、この水に限ってはそれはない。着水直後から既に落下の勢いはほぼゼロに限りなく近くなっており、少しの衝撃もなく綺麗に地面に降り立つことが出来た。

 モロに水を被ったはずだけども、服に染みはない。これはただの水ではないという証拠だ。


「さて、と」


 指定された場所では既に空間の歪が始まっている。

 龍脈の異常活性によって霊気のバランスが崩れて異界との繋がりが不安定になっている。繋がらないはずのものがこの地に繋がりを持とうとしている。

 これを鎮める為には龍脈の異常を直すか、異界との道を閉ざすかの二択しかない。

 放って置けば際限なく被害は広がるので出来るだけ早急に何とかしなくてはならない。


「出たな」


 そして、それを邪魔する奴に対処しなければならない。

 異界の魔物、通称妖怪。外国の呼び名だとデーモンやクリーチャー、ゴースト辺りが主らしいけど、日本では専ら妖怪が通っている。というのも──


「鵺か。三等級としてはかなりの大物だけど、小さいな。まだ成長途中ってところかな。相性としては悪くないか」


 猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇を持つ幻想の中の存在だったと思われていた生物だ。その幼体の大きさは大きくした程度だろうか。

 聞いた話でこの個体とは比較にならないほど巨体なはずだから、まだ未成熟の個体であろうことは推察出来る。

 こういったように、日本には日本の、外国には外国の、それぞれの国特有の生物が異界からは現れる。

 その中でも鵺は比較的上位の生物で、その幼体だからこそのこの等級だろう。

 それでも種特有の固有能力はそう変わらないはずだから、成体よりも弱いと見縊っていると痛いめに遭うのは間違いない。


「水刀」


 先程の足場の水と同様に空中に出来た水溜まりから刀のようなものを引き抜く。

 文字通り、形そのものだけの水で象られたた日本刀。柄も柄も刃も全てが水で出来ている。

 握れば潰れてしまいそうな不安定な外見とは裏腹に、水刀はその存在感を醸し出していた。

 ここにいるのはただの人間と尋常ならざる力を持つ鵺。

 本来ならば力関係は鵺の方に軍配が上がるはずなのに、武器を取り出したこちらを見てあちらは毛を逆立てて警戒を最大限に露わにした。


「いざ」


 刀を上段に構え、殺意を漲らせる。

 寄らば斬る。

 その覚悟が伝わったのか、鵺は奇声をあげて突撃を敢行した。


「フッ!」


 真っすぐから突っ込んでくる相手へ正面から切り伏せる。

 鵺はそれを察知してか、寸前で横に躱す。

 ただ、こちらも全力で振り下ろした為に鵺は完全には避け切れずに肩の一部を負傷させることが出来た。

 本来ならこの程度の傷は妖怪にとっては何でもない。この後もすぐに問題なく動けるはずだ。けれど……。


「僕の勝ちだ」


 直後に鵺は口から血を吐き、傷を負わせた側の足を縺れさせた。

 その隙を見逃さず、間合いを詰めて刀を振るう。鵺は抵抗しようとはしていたものの、それよりも早く水刀は液体の塊であるにも関わらず太く頑丈に出来ている鵺の首をそのまま斬り落とした。

 一応、最後の抵抗を警戒して間合いを取るけれど、その必要はなかった。鵺の体は数度だけ痙攣を起こした後に完全にその動きを止めたからだ。


「ふぅ……。任務完了っと」


 あとは龍脈の正常化をすればいいだけの簡単な仕事だ。

 妖界から出て来るのは大抵が一匹のみで、稀に複数行動な生態が主な生物が二匹から三匹で現れる程度だ。時間が経つと追加で送られてきたりもするけれど。すぐに閉じれば特に問題はないとはいえ妖界へ続く道を閉ざすのは急務だ。

 水刀の形を崩して水球へと形を変える。それをそのまま地面に落とすように落下させていく。


「祓い給え」


 地面に吸収されていく僕が作り出した水が地下深くにある龍脈へと浸透していく。

 今回の原因は龍脈の通り道が狭まったことで起こった霊力溜まりが原因だった。更にその元となった源を探っていくと、人間の設置した水道管が龍脈の異常を引き起こしたようだった。


「清め給え」


 なので、まずは霊力が溜まり続けたことによる霊力の淀みを清浄化させる。

 僕の扱う水にはそのことに特化させて性質があるので専門の術士を呼ばなくとも一人で浄化は完了させられる。

 次に龍脈の通り道を少し弄り、別の道を作ることで滞りなく霊力を行き渡らせることに成功した。


 これで退魔術士としての仕事は完了だ。別に浄化は他人に任せても良かったけど、それはこちらの都合でやらせて貰った。


「……ん? 何だか騒がしいような」


 この場には咲夜が依頼した人たちによって人払いの結界が敷かれているはずで。

 だからこそ人目を気にせず戦うことが出来たのだけども、妖怪が倒れ妖穴が閉じられたのを確認したのでどうやらその結界が解除されたらしい。それを知らされた見物客が怒涛の如くやってきているらしく、目敏く僕のことを見つけた一人が大声をあげた。


「"清姫"だ! "清姫"がいるぞ!」


 なんてことを大声で口にするものだから、それが周りにも伝播してしまって。


「えっ!? 本当!? どこどこ! 私も一目でいいから"清姫"見たーい!」


 知る人が増えればその分だけさらに知っていく人が鼠算式に増えていく。

 この惨事に僕は目を覆いたくなったけれども、すぐさま水球を霧状に拡散させて自分の周囲を覆う。そのお陰で自分へ向けられるレンズは霧の壁に阻まれて正確な撮影が出来ないでいる。

 このすぐに動画や写真を撮ろうとするのは何なのだろう。肖像権という言葉を知らないのだろうかと問いかけたくなる。

 とにかく、もうこの場には何の用もないのでさっさと退散することにしよう。


「あぁ! 待って!」


「せめて一枚だけでも!」


 そんな声は無視をして、屋根から屋根へ、一足飛びに移り渡って離れていく。

 たった一枚、過去に撮られてしまった写真からのこの人気。これだけはいつまで経っても慣れない。

 いつもの通りなら僕の方から結界の解除をお願いするはず。なのに今回は何の連絡もなく解除された。これは恐らく咲夜の策略だろう。

 彼女は常々僕を有名にしたがっていたので、今回もその一環だと思われるる。こちらの地域に住み始めるということで本格的に計画を始動させるつもりだ。


「もしもし。あぁ、任務は完了したよ。ただ、後で覚えてなよ」


 電話口から聞こえてくる「あら怖い」と惚けるような声を打ち切って、ただ帰ることのみに集中するのだった。

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