心の成人がまだなんですッ!


 その日の夜。わしはアヲイとエイヴェ、スバルの三人を連れてとある施設の前に来ていた。出発は明日。マジで向こうの都合でしかなくて、信じられんわい。

 旅立つのはわしと、ついていくと言ったアヲイ。わしが傍におらんと指輪に力を奪い取られてしまうエイヴェと、元に戻りたいから同行させて欲しいと頼んできたスバルの四人じゃ。


「で、なんでここに来たんですかー?」

「これから旅をする仲間として、親交を深めようと思ってのう」

「だからって銭湯に来る必要あったんですかー?」

「裸の付き合いって大事じゃからな」

「下心しか見えないんですけどー」


 そう。わしはこの湯浴み、憩いの里に舞い戻ってきた。何故今まで思いつかんかったんじゃろう。幼女のわしなら、堂々と女湯に入れるじゃないか、ぐっへっへ。ジト目のアヲイの視線が痛いが、まあ誤差じゃな。


「いーやーでーすーッ! 女湯なんて入りたくないですーッ!」

「誰か代わってください。スバルさんが必死です」


 何故か一番の拒否反応を示しているスバルを、エイヴェが捕まえている。


「なんじゃスバル。女子の裸、見たくないのか?」


 わしの一言で、顔中を真っ赤っかにしたスバル。


「えっちです、駄目なんですッ! こういうのは、おれにはまだ早いんですーッ!」

「スバルさんって、とっくに成人していた筈では?」

「心の成人がまだなんですッ! とにかく、おれは帰りますーッ!」

「まあまあ。ここは師匠の顔を立てて、のう?」


 心の成人とは何か、と首を傾げていたエイヴェからスバルを引き取ると、わしは肩を組みながら意気揚々と扉を開けた。


「さあてっ! 今日はどんな女子が、おる、のか」


 わしは絶句した。目の前には女子の裸パラダイスが、拍手喝采と共に待っておると思っておったのに。そこにあったのは番台に座っているお婆ちゃん以外、誰もいない空間。


「えっ、えっ? 今日は休みじゃったかぁっ!?」

「通常営業日ですよー。まあせんせーならこういうこと考えると思ってー、貸し切りにしてもらったんですー。お婆ちゃんとは知り合いですしねー、せんせーのお陰でー」


 戸惑うわしの肩に手を置いたのは、口元を酷く楽しそうに歪めておったアヲイじゃった。


「ねえどんな気持ちー? せっかく合法的に女風呂に入れると思ったのに誰もいなくて、ねえねえどんな気持ちー?」

「アヲイ貴様計ったなこん畜生がぁぁぁっ!」


 その場に崩れ落ちたわし。やられた。素っ裸ーニバルを心ゆくまで味わい尽くすつもりが。


「なんで泣いているのか知りませんけど、お風呂入りませんか? 私、疲れてるんですけど」

「だ、誰もいないなら、まだ大丈夫です。さっさと終わらせましょう」


 エイヴェとスバルがさっさと中に入っていった。「今日はあたしの裸で我慢してくださいねー」という言葉を残してアヲイも行ってしまったので、わしも仕方なく中へと入り込む。


「あっ、あれ。ブラジャーってどうやって外すんでしたっけ?」

「単純なホックぐらい、さっさと外しなさいよー。ほら」

「ありがとうございます先輩。おれも先輩の外します」

「ノーセンキュー」

「じゃあお先です」

「エイヴェ。せめて前くらいは隠していかんか」


 巨乳同士で助け合っておるスバルとアヲイの横を、すっぽんぽんになったエイヴェが通り過ぎていく。

 うん。女子の裸が今目の前にたくさんあるというのに、なんかこう、違うって感じがしておる。こいつらが元男であり、中身も男であるからじゃろうか。


「ふう、生き返りますねえ」

「ちょっとエイヴェさん。髪は湯船につけないもんなんですー。ほら、タオルで巻いて」

「じゃ、じゃあおれ出ます。お先っ!」

「たわけが、まだ入ったばかりじゃろうが」

「もう十分なんで離してください師匠ォォォッ!」


 その後は、身体も頭も適当に洗っていたエイヴェを見かねて、あれこれと世話を焼いているアヲイと。何かにつけてさっさと出ようとするスバルを、捕まえて無理やり身体を洗うわしという構図が出来上がった。

 一方で何故風呂が嫌いになったのかとスバルに聞いてみれば、女となった自分の身体を見るのが恥ずかしくなったらしい。逃げようとする彼女を羽交い絞めにしつつ、おっぱいまでわしが洗ってやったのじゃが。なんじゃろう、手間のかかる親戚の子どもを風呂に入れているようで、興奮もへったくれもなかった。


「はぁぁぁ。なんで銭湯まで来て、こんなに疲れにゃならんのじゃ」

「全くですねー」


 手間のかかる二人の世話を終えて、さっさと脱衣所に帰した後。わしはタオルを身体に巻いたアヲイと共に、ため息をつきながら露天風呂の湯船につかって息を吐いた。

 空には丸い月。白黄色はくおうしょくの光が、淡くわしらを照らしておる。


「ねえ、せんせー」

「なんじゃ?」

「せんせーはあたしのこと、知ってたの?」


 ようやくのんびりできる、と足を伸ばしていたその時。アヲイのやつが恐る恐るといった調子で、おずおずとわしを見ておった。


「お前がアオイじゃったってことか? ああ、知っておったわい。同じ参華ぎょっこうを見せられた時から片鱗はあったが、確信したのは夜中に自主トレしておったのを見た時かのう。アオイの奴も昼間は散々サボってた癖に、夜中にはわしの言いつけ通りにキチンと鍛錬しておったからな」

「し、知ってたんだ」

「当たり前じゃ。肆華いざよいを初見で制御し切るなぞ、才能以上に普段からの鍛錬が必要。わしが言った通りに、ずっと鍛錬を続けておったんじゃろう?」


 ソースはわし。若かりし頃にその辺をサボっておったからこそ、わしは目覚めに失敗してああなった。わしは一番の弟子に、同じ道を辿って欲しくなかったんじゃ。


「じ、じゃあさッ! 分かってたんなら、さ。せんせーはあたしのこと、怒らないの?」

「何がじゃ?」

「あたし、せんせーのこと騙してたし。ピサロなんかに唆されて、酷いこと、言って」


 顔を伏せた後に、彼女は視線を逸らしておる。全く、しおらしいと思えばそんなことか。


「あの時に怒ったじゃろう? それで終いじゃ。いつまでもグチグチ言うのは、性に合わん」

「な、なんでさッ! なんでせんせーは、いつもそんな優しくしてくれるんだよッ!?」


 今度は立ち上がりおった。勢いで湯船に波が立ち、わしの顔にぴしゃぴしゃとお湯がかかる。


「あたしがピサロなんかに組して、見ず知らずの人も傷つけて。挙げ句にはせんせー自身も危ない目に遭わせたって言うのにッ! なんで、なんでそんな簡単に許しちゃうんだよ」


 その瞳からは、雫が零れ落ちてくる。何故許すのか、なんて。そんなこと言われてものう。


「わしがお前の気持ちを、分かっておるからじゃよ」


 わしの一言に、アヲイは目を見開いていた。思わず涙すら引っ込むくらい、大きく。


「あたしの気持ちを、分かって?」

「お前はずっと、わしに甘えておった」


 立っておるアヲイに向かって、わしははっきりと口にした。


「両親を失い、友もおらんかったお前。遊んでおる女の子こそおったが、それも何処か本気にはしておらんかったな? お前が真に気を許しておったのは、わし一人じゃった」


 どれだけお前が馬鹿にしようが、わしにも何人もの人と関わってきた人生経験というものがあるんじゃ。女性経験だけは、あのメンヘラ駄女神の所為で皆無じゃけれども。


「じゃからこそ、お前のことは分かっておる」

「じゃ、じゃあ。あたしのことなんか、全部、せんせーは知ってて」

「当然じゃろう? どれだけの付き合いがあると思っておる」


 ここらではっきりと言っておいた方が、良いかもしれんな。アヲイも良い年じゃ。言っても受け止められるくらいには、大きくなったじゃろうて。


「アヲイ」

「な、なに、せんせー?」


 改めて、わしはアヲイを見た。視線を受けた彼女は、ビクッと身体を震わせておる。


「一度ちゃんと言っておこうか。聞いておれよ」

「う、うん。ちゃんと、聞いてる、から」


 立っていたアヲイは寒くなってきたのか、あるいはわしの話を聞くためか。湯船につかるように座り、わしと視線を合わせた。もじもじと身体をせわしなく動かしており、その瞳には何かを期待しておるような色が見えておる。


「アヲイ、お前はわしのことを」

「うん。あたし。あたしずっと、せんせーのことが」


 わしの言葉に合わせて、アヲイも言葉を紡いだ。なんじゃ、こんな時になって、可愛い奴よの。そんな馬鹿弟子に優しい視線を送りつつ、わしは言い切った。




「甘えられる父親代わりとしてみておるな」

「好……は?」




 ドヤ顔で宣言したわしに対して、アヲイは顔をしかめておった。


「何を訝し気な顔をしておる。お父さん子だったお前は、亡くなった父親代わりにわしを見ておったな?」

「…………」

「じゃから、そろそろはっきり言っておこうと思ってな。お前も良い年じゃ。いい加減父親離れをして、一人前の大人としてな」

「せんせー。じゃあ聞きますけどー」


 得意げに語っておったというのに、何故かアヲイの声と視線は絶対零度じゃった。なんで。


「あたしがせんせーに、その、甘えてたのって。お父さん代わりだって思ってたからなんですかー?」

「そうじゃろう」

「じゃあ、あたしが男友達を作らずに女の子とばっかり遊んでいたのは?」

瞳場どうじょうの同輩にいじめに近いものを受けて、男が嫌になっていたんじゃろう? それにお前はイケメンじゃった。女の子の方から優しく寄ってきてくれるのなら、そっちに行くに決まっておる」

「あたしがわざわざ女の子になった理由は?」

「お前が女の子になって遊びたい、って自分で言ったんじゃろう?」


 何を分かり切ったことを聞いてきておるのか、馬鹿弟子の内心が分からん。


「……マジだ。この人、本当に何にも分かってないんだ。うわー」


 茫然。そんな言葉が似合う表情のアヲイが、小さく口を動かしておった。えっ、何。そんな小声だと聞こえん。


「そっか、そっか。やっぱりせんせーだ。これがせんせーなんだッ!」


 かと思えば。急に嬉しそうに声を張り上げつつ、立ち上がった彼女。


「伊達に六十年間童貞を貫いてきてないね。せんせーは世界最強の童貞だよッ!」

「ふぐはぁぁぁっ!?」


 今までで一番眩しい笑顔で放たれた、世界最強の童貞宣言。言葉で胸を撃ち抜かれた感覚があった。ゆっくりと、後ろへ倒れ込んでいくわし。湯船にダイブした時、まだ胸の痛みは取れておらんかった。あと頭がボーっとしてきたわい。


「うんうん、やっぱりせんせーは童貞だ。なーんにも分かっちゃいないんだ。あのメンヘラ女神の所為もあるとは思うけど。ここまで分かってないとか、もうこれせんせーの自己責任じゃないですかー? ざーこざーこ」

「なんでそこまで煽られにゃならんのだ貴様ぁぁぁっ!」


 何処で有利不利が切り替わったんじゃ? さっきまでわしのターンだったのに。起き上がった弾みで頭のタオルが落ち、赤い髪の毛が四散する。それに構わずアヲイに向かって吠えたが、全く意に介していない様子であった。


「まあ、うん。一応は許してもらえたみたいですしー」


 するとアヲイの奴が、わしの方へと歩み寄ってきた。なんじゃなんじゃと思っておったら。


「ん」


 ほっぺにチューされた。


「一応、お礼でーす。別に勘違いしないでくださいね。って言っても、童貞のせんせーには分からないか」

「な、なななっ」


 相手があのアヲイだとは言え。好みの短髪巨乳美少女にキスされたということで、わしの脳内回路はパンク寸前で波乱万丈奇々怪々、奇想天外ビックリ仰天。


「う~ん」

「えっ? ちょ、せんせーッ!?」


 そもそもキスの経験すらなかったわしが、当てられた唇のぷるんっとした柔らかい感触に抗える筈もなく。もう一度、後ろへとゆっくり倒れていった。唇に生暖かい感触と舌に鉄臭い味があったから、多分鼻血も出ておるな。

 張本人であるアヲイの声が響く中、わしはゆっくりと意識を失っていった。キスによる衝撃もあったじゃろうが、多分気絶した主な原因は、のぼせたからじゃないかとも思った。

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