やっとオレは、あたしになれたんだッ!


 カナメの一番弟子であるアオイは、幼い頃から引っ込み思案な性格だった。他の子達が友達と遊ぶような年頃になっても、彼は親の背中から出ていかなかった。

 それは彼自身の心の内にあった、違和感がそうさせていた。男の子の身体を持ち、男の子として育てられているのに、自分は一向に男の子のものが好きになれない。目移りするのは、女の子のものばかり。それを上手く言葉にできる年頃でもなかった為に、彼は甘えるという形でしか表現できなかった。


「すみません、カナメさん。この子を見てもらえませんか?」

「ほう、この歳で咲者さくしゃとして目覚めるとは。これは凄い才能の持ち主じゃのう」


 ほとほと困り果てた両親だったが、彼の月華瞳法げっかどうほうの目覚めを切っ掛けにする。自分達が咲者さくしゃではなかった為に、彼を街の瞳場どうじょうに連れていったのだ。選ばれたのは、カナメの瞳場どうじょう。たまたま近くにあったことと、当時はまだ彼と同じくらいの年代の子が通っていたのが理由であった。


「おいでアオイ君。わしらと一緒に遊ぼうか」

「君って呼ばれるの、やだ」

「そうかそうか、それはすまんかった。アオイちゃん、一緒に遊ぼうな」


 壮年のカナメは童貞でこそあったが、子どもが多かったことで、その扱いに慣れていた。


「これなんかどうじゃ、男の子らしくてカッコ良いぞ?」

「いや」

「そうかそうか、ならこっちはどうじゃ? ちょっと女の子向けっぽいが」

「ッ!? い、いいの?」

「いいに決まっておろう。悪いことなんかないぞ?」


 アオイのこともよく観察し、彼の好きなものや興味のあるものを受け入れてくれる。カナメからしたらいつものことであったが、アオイからしたら世界がひっくり返るようなことであった。

 言葉にできなかったものを見つけてくれて、それで良いと言ってくれる。それだけのことが、彼には酷く嬉しかった。話が通ったのか、両親も彼の趣向を受け入れてくれるようになり、彼は急速にカナメに懐いていく。


「あー、アオイの奴また女の子みてーなもん集めてるー」

「遊ぶのも女の子とばっかだしよー、こいつ実は女の子なんじゃねー? 弱っちいしよー」

「アオイちゃんって女の子みたいだよね。でも男の子なのがうれしいっ! カッコイイのに女の子っぽいのが素敵っ!」

「そんなことないよ。あた……オレ、男の子だし」


 カナメの瞳場どうじょうでの日々は、アオイに社会性を身に着けさせるものでもあった。自分が他の子とは異なっていることを理解し、それを表に出さない方が上手くいくことも知った。


「あれれー? まーたオレの勝ちなんですけどー? 弱すぎませんかー?」

「ち、畜生っ! 女とばっか遊んでる奴なんかにっ!」


 時が経ち、彼は他の男子に対してマウントを取るようになっていた。馬鹿にされていたことへの意趣返しとして、必死になって月華瞳法げっかどうほうの鍛錬を行った結果であり、やられる前にやるという一種の防衛手段でもあった。

 そんなことをしている内に思春期に入り、女子の間で誰が好きかなんて話が飛び交うようになった頃。彼に近寄ってくる男子がいなくなった。


「ねーねー、アオイ君って好きな女の子とかいないの?」

「別に。オレ、そういうの興味ないし」


 恋バナで盛り上がる女友達に対して素っ気ない返事をしていた彼だったが、内心では異性に興味がない訳ではなかった。

 しかし心が女の子である彼にとっての異性とは、今まで散々こき下ろしてきた男子である。向こうから寄ってくることもなければ、今さら自分から行くつもりもない。そんな彼を構ってくれる異性とは、両親を除けばただ一人。


「ブッフォァッ!? アオイ、またわしの麦茶をめんつゆに変えやがったなァァァッ!」

「ぷっはー、だっさーッ! 気が付いてなかったんですか、ザコせんせー」

「誰がザコせんせーじゃゴルァァァッ!」


 カナメだけであった。いくら馬鹿にしても、彼は付き合い続けてくれる。年齢差など関係なく、無意識の内にアオイは彼を気に入っていたのだった。なおこの頃から彼の瞳場どうじょうは人が入ってこなくなってきており、アオイ以外の面子がほとんどいなくなっていた。

 やがて彼の人生に転機が訪れる。仕事で遠くへ行った両親が隣国とのいざこざに巻き込まれた結果、亡くなってしまったのだ。


「安心せい。お前の後見人には、わしがなる。お前を一人にはさせん」

「せん、せーッ!」


 兄妹もおらず、親戚のアテもなかったアオイだったが、カナメは彼を見捨てなかった。そう言われた瞬間、アオイの中で彼に対する気持ちが、はっきりと固まった。

 それは両親を亡くしたショックの大きさと、縋れるものが他にいなかったが故の気の迷いだったのかもしれないが。兎にも角にも、彼の中でカナメという存在が一気に大きくなった。


「また来たわよ、この変態ジジイィィィッ!」

「裸ぐらい見ても減るもんでもなかろうが、こんのドケチ共がァァァッ!」

「……オレが、本当に女の子だったら、良かったのに」


 何度も女風呂に突撃していく、自分の想い人。非モテが因果で決められていると思えるくらいに、カナメは女性との縁がなかった。一念発起して風俗行ってくると言い、「風俗嬢にNG出された」とトンボ帰りしてきた際には、流石に可哀そう過ぎて晩御飯を奢ったくらいだった。

 自分を好きになってくれる女の子なんていない。そう嘆いているカナメに対して、ここに好きでいる自分がいるよとは、どうしても言うことができなかった。


 何せ今の彼は自分の親代わりでもあり、心は女の子でも身体は男性だ。国の法律で同性愛は厳しく禁止されていたし、言ったところで受け入れられる確信が持てない。彼はずっと踏み出せずにいた。


「反転屋?」


 もう諦めるしかないのでは。そんな思いすら芽生えていた折に拾った、一枚の紙。金策の為にエイヴェが手作りした、あのチラシであった。最初こそ半信半疑だった彼は、万が一叶えば儲けもの程度の意識で彼の元を訪れる。


「本物、だ。これ、ならッ!」


 アオイはエイヴェの力が本物であることを知り、歓喜した。諦めるしかないと思っていたことに、突破口が提示されたのだ。自分の違和感すら取っ払う、全てを解決できる方法が。

 その後の彼の行動は早かった。自分の親戚という体で新しい身分と名前を用意し、アルバイト代を切り詰めてエイヴェに支払う金も見繕う。周囲の人間関係にも整理をつけて、一通り準備が整った頃。


「来週、楽しみにしててくださいねー」


 カナメにも再会を匂わせて、彼は意気揚々とエイヴェの元に向かう。好きな人の性癖に合わせるように徹底的にお願いした上で、彼は彼女へと姿を変えた。


「やっとオレは、あたしになれたんだッ!」


 頭の中に広がっていく薔薇色のイメージ。愛しいカナメの元へ行き、徹底的にからかってやる。その上で自分はあなたのことが好きだよと伝えて、結ばれる。一度も女の子に縁がなかった彼であれば、好みの見た目を手に入れた今なら楽勝であるという目論見だった。

 その後は色々と手を回していた身の回りの整理に加えて、女の子の身体に慣れる為に少しの期間を置いて。満を持して迎えた、彼との約束の日。ここから始まるんだと、彼女が意気揚々と瞳場どうじょうの扉を開けたら。


「ウヒョーっ!」

「うわッ! な、なにこの女の子ッ!?」


 見知らぬ女の子が、自分の胸に飛び込んでくる。更には話を聞いてみればその女の子こそがカナメであった。


「そ、そんな。こ、これじゃあたし、何の為に」


 アヲイは一気に目の前が真っ暗になっていく心地だった。何とか理由をつけて彼と一緒に居られるようにこそなったものの、元々の自分が望んでいた形はこれではない。


「エイヴェさん、何処ッ!?」


 アルバイトが終わってから、彼女も探し続けていた。帰りが遅くなっても構わなかった。カナメを元に戻す為に。色々あった末、カナメの方がエイヴェを見つけ出していたが、元に戻ることはできなかった。時間が欲しいと言われ、確実に戻れる保証もない。

 今後どうなるのかと暗雲が立ち込める中、全く関係のない第三者、スバルが現れる。


「よくやったスバル。偉いぞ」

「ありがとうございます、師匠ッ!」

「…………」


 有り余る才能と彼女には分からないカナメの琴線に触れた結果、自分以上に可愛がられ始めた弟弟子。そんな彼に対して、言いようのない思いがどんどんと募っていった。

 最初こそ、カナメは久しぶりの新人ではしゃいでいるだけだと思っていたが。メキメキと成長し、遂にスバルは参華ぎょっこうにすら至った。


「ね、ねえスバル。あたしと手合わせしない?」


 諸々の限界を感じたアヲイは、スバルと戦うことを決意した。こんなぽっと出の奴なんかに負けない。カナメの目の前でこそサボっていたが、陰ではずっと彼の言いつけを守って努力してきた、という自負が彼女を突き動かした。

 限界まで鍛錬を積んで迎えた、スバルとの模擬戦。こてんぱんにしてやると意気込んでいた彼女は、あっさりと敗れた。


「あたしが、負けた。あんな、ぽっと出の、素人なんかに。あたし、が」


 経験の差という部分で多少の侮りこそあったものの、油断はしていなかった筈なのに。兄弟子としての力を見せつけ、カナメに褒めてもらうのは自分だった筈なのに。

 言いようのない感情がせり上がってきた彼女は、咄嗟に瞳場どうじょうから逃げ出した。留まっていたら何を言い出すが、自分でも分からなかった。


「反転してしまったものを元に戻す方法について。どうですか? 興味興味、ありませんか?」


 逃げた先でチラつかせられた提案。例え相手が、信用できない人物であったとしても。エイヴェの時のように、万が一それが叶うのであれば。


「ようこそ。歓迎歓迎しますよ、アヲイ君」


 もしかしたら、自分の中にあるこのぐちゃぐちゃな想いだって、解消されるんじゃないか。そう思ったアヲイは、街はずれにあるピサロの館へと赴いたのだ。

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