あたしに、何をさせるつもりなの?


 太陽が傾き始めた正午。アヲイは一人、街をフラフラと歩いていた。


「負け、た。あんなに頑張ってきたあたしが。せんせーの、目の前、で」


 思い起こされるのは、先ほどの光景。弟弟子であるスバルにやられ、無様にも倒れ伏した自分の姿だ。

 正直なところ、彼女はスバルを舐めていた。いくら才能溢れると言えど、所詮は初心者。カナメの元で長年鍛錬を重ねてきた自分が、負ける筈がないと思っていた。その結果が。


「あんな、奴に。ちょっとせんせーに気に入られてるからって、調子に乗って。あたしはずっと、頑張って、きたのに。肆華いざよいさえ、教えてもらってればッ!」

「こんにちはこんにちは、アヲイ君。こんなところで会うなんて、奇遇奇遇ですねえ」


 悪態がいくらでも出てくるアヲイは、いきなり男性に声をかけられて身体を震わせた。自分を読んだその男性の声に聞き覚えがある。恐る恐る、彼女が振り返った先には。


「ピサロ、さん」


 シルキーに車椅子を押してもらっている銀髪ボブカットの丸眼鏡の男性、三十路には見えない童顔に、嫌らしい笑みを浮かべている彼、ピサロであった。彼女は思わず身構える。まるで図ったかのようなタイミングで現れた彼に対する不信感が、身体を硬直させていた。


「これはこれは。あなたみたいな美人に覚えていられるなんて、光栄光栄ですよ」

「……何の用ですかー? あたし、忙しいんですけどー」


 見え透いたおべっかを使ってくるピサロに対して、アヲイは素っ気ない返事をする。


「おや、そうなんですか? カナメさんの瞳場どうじょうを、突発的に出て行ったと聞いていたんですが。一体何の用ができたんです?」

「あ、あんた、何で」


 自身の境遇を言い当てられ、彼女の中で持っていた疑惑が不審に変わる。アヲイは一気に警戒する態勢に入り、ピサロと更に距離を取った。


「何でも何も、話を聞いたからですよ。ねえ、エイヴェ君?」

「そうですね、お話したとおりです」


 彼らの後ろから姿を現したのは、尖がり耳を持った背の高い長髪の華徒エルフ、エイヴェであった。アヲイの目が見開かれる。


「え、エイヴェさん。なんで、ピサロと一緒にいるんですか?」

「手紙を貰いまして。あの事件のほとぼりも冷めましたし、もう一度食客に来ませんかと」


 ポケットから取り出した紙をヒラヒラさせながら、エイヴェはあっけらかんと言ってのける。元々が衣食住に困ってカナメの瞳場どうじょうに転がり込んでいたような輩だったと、彼女は再認識した。


「それでですね。ボク、エイヴェ君から面白い面白い話を聞きまして……ねえ、アオイ君?」

「ッ!?」


 ピサロの言葉に、アヲイの目が限界まで見開かれた。


「な、何を言ってるんですかー? あたしは親戚の彼とは……」

「取り繕わなくても大丈夫ですよ。何せ、エイヴェ君から聞いた話ですから」

「なあッ!? え、エイヴェさんッ! あたし、言わないで欲しいってこいつの館で言いましたよねーッ!?」


 話が違うと、アヲイが食ってかかる。対してエイヴェは、心底分からないといった様子で首を傾げるばかりであった。


「はい? 確かにカナメさんには絶対に言わないで欲しいと言われましたけど、ピサロさんまでは頼まれた覚えはないんですが」

「あ、アンタって人はッ! サイテーッ!」

「そうなんですか? すみません、気分を害したみたいで」


 厳しい視線でエイヴェを睨みつけるが、当の本人には全く効いている気がしなかった。謝ってこそいるものの、言われた通りにしただけなのにという調子が、ありありと見て取れる。


「いやぁ、本当に凄い凄い。ボクは心の底から、称賛称賛したいですねえ」


 更に文句を並べてやろうと、アヲイが息を吸い込んだ時。ピサロが声を上げた。


「自分自身の性別を反転させるなんて、並大抵の覚悟がなけれはできません」

「何が、言いたいのさ? 何をしようが、あたしの勝手でしょ?」

「そうですねえ、それはあなたの勝手です。ボクが言いたいのは、どうしてどうしてそんなことをしたのか、という点のお話お話でして」


 口角を嫌らしく釣り上げたピサロに対して、アヲイの額から嫌な汗が流れる。


「よっぽどです。自分の性別を変えようなんて、よっぽどのことがない限り考えません」

「だ、だからそんなのあたしの勝手で」

「あなたに興味があったので、調べさせてもらったんです。男性の頃からイケメンの癖に誰とも付き合わなかったり、湯浴みには絶対に行かなかったり、身だしなみの気を付け方など。いやあ、色々と色々と引っかかることがありまして」

「な、何が言いたいのさッ!?」


 声を荒げたアヲイ。しかし次にピサロの口から放たれた内容によって、彼女は言葉を失うことになる。




「あなた、最初から心が女の子だったんじゃないですか?」

「ッ!」




 目を見開き、口が半開きになったアヲイ。何かを言いたいのに、何も言葉が出てこない。そんな彼女を見て、ピサロは満足そうに笑っていた。


「図星図星ですねえ。いやあ、ボクの推測も捨てたもんじゃないなあ。まあ心が女の子であるなら、気持ちも分からなくはないですよ。自分の心に合った身体、欲しいですからねえ」

「……で? それがあんたに何の関係があるんですかー?」


 放心していたアヲイだったが、やがて意識を取り戻していた。見抜かれたショックは大きかったものの、知られたのであればという開き直った心地もある。


「人のデリケートな部分にズカズカ入ってきてー、本当にデリカシーがないですよねー。あんた、モテないんじゃないですかー?」

「そうですねえ。おっしゃる通り、ボクは顔とこの身体のこともあって、女性には全然全然縁がありませんでしたねえ」

「ハッ! しょーもな。あたし帰るー。童貞と話してる暇はないんでー」


 クルリと背を向けたアヲイは、さっさと歩き出した。不快にしか思わない彼から、さっさと逃げたかった。


「良いんですか? ボクって結構結構、口が軽い方なので。うっかりうっかり話してしまうかもしれませんけどねえ。例えばそう、カナメ君とかに」

「うッ」


 そんなアヲイの足は、ピサロが放った言葉によって止まることになる。


「お師匠様に、バラされても良いんですかあ?」

「……今ここでアンタらをまとめて殺せば、せんせーにバレることもない」

「おお、怖い怖い。それはそれは困りましたねえ、ボクはこの身体ですし。それでは……反転してしまったものを元に戻す方法について。どうですか? 興味興味、ありませんかあ?」


 アヲイは振り返らざるを得なかった。


「な、何言ってんのあんた? エイヴェさんが反転させたものについては、研究が進まない限り元には戻せないんじゃなかったんですかー?」

「エイヴェ君ではありませんよ。ボクが言っているのは、違う方法についてです」

「は?」


 ピサロの言葉に揺るがされたのは、アヲイの方だった。


「ボクはですねえ。とある事情から、調べられる範囲での肆華いざよいの使い手の情報をまとめていたんですよ。その中に一人、こういう能力を発現発現させた人がいるらしいです。事象を元に戻す力、ってね」

「ッ! 戻、れるの?」


 アヲイの目に動揺が走る。ピサロはそれを見て、一層笑みを濃くした。


「あなたは良いでしょう。心と身体が、やっと一致したんですからね。しかししかし、あなたの先生はどうでしょうか? 望まないままに幼い女の子になったこと、本当に本当に気の毒だと思います。アオイ君……いえ、今はアヲイ君でしたね、失礼。彼を助けたいとは思いませんか? 他の誰でもない、あなたなら」

「そ、それは」


 戸惑いを見せるアヲイに対して、ピサロは容赦しない。更に畳み掛けるように、彼女へと言葉を投げかける。


「両親を亡くしたあなたの、親代わりとなってくれた人。その人はずっと、貴女の傍にいてくれた。いくら迷惑をかけても許してくれて、どんな自分でも受け入れてくれる。そんなそんなカナメ君に対して、あなたは弟子として……いや、あるいはもっと違った想いを」

「それ以上言わないでッ!」


 遂にアヲイは声を荒げた。ピサロは口を止めたが、顔に張り付いた笑みは消えていない。


「それはそれは、失礼失礼しました。それでそれで、いかがでしょうか。事象を元に戻す力を持つ咲者さくしゃについての情報は。あとは先ほどのお詫びです。肆華いざよいを目覚めさせる方法についても、お教えしましょう」

「あ、あんた、まさか」

「お察しの通り。ボクも肆華いざよいが使えるのですよ。だからこそ、経験からお教えすることもできます。肆華いざよいに目覚めれば、あのスバル君にも勝てるでしょうしねえ」


 こちらの心を見透かした上で、ピサロは最も欲しい好条件をチラつかせてくる。アヲイは精神が絶えず揺れ動き続けていて、落ち着かない心地だ。


「協力協力していただけるのなら、もちろんカナメ君にも黙っています。いかがですか?」

「……あたしに、何をさせるつもりなの?」

「素晴らしい。やはりあなたは、頭が良く回る方だ。ええ、ええ。ボクも慈善事業じゃないんでね。あなたにお願いお願いしたいことがあるんですよ」


 口ぶりから察した内容を問うてみれば、彼から称賛の声が上がる。アヲイはそれを、特に嬉しいとも思わなかった。


「なに、難しいことじゃありませんよ。ただし、これは口外できない類の話でしてね。これを聞いた以上は、あなたも後戻りできなくさせていただきます。覚悟は覚悟は良いですか?」


 ピサロは座ったまま、車椅子の上から手を伸ばしてくる。アヲイにはその手を取ることが、地獄の門を開けることではないかという気さえした。小柄で身体的に不自由である筈の彼が、悪魔にしか見えない。


「別に急ぎません。気が向いたら、ボクの館へお越しください。もちろんもちろん、今日でも構いませんよ? では行きましょうか、シルキー」

「はい、ピサロ様」


 彼女が躊躇っていると、手が引っ込んだ。踵を返した彼らは、さっさと動き始めてしまう。


「あっ、アヲイさん。瞳場どうじょう宿木指輪ミッスルトゥリング忘れてきたので、来られるなら持ってきてくれませんか? 駄目なら後で取りに行きますので」


 言うことだけ言って、エイヴェに至っては頼み事まで残して、彼らは行ってしまった。道に残されたのは、その場で立ち尽くしている彼女のみ。


「あたし、は」


 顔を俯かせたアヲイ。そんな彼女の頭の中には、今までの出来事が思い返されていた。

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