一瞬だけの恋は炎だった

水の月 そらまめ

第1話 僕の初恋は花火のような一目惚れ


 シトシトと雨の降る中。僕は一人の女性に恋をした。


 一目惚れだ。あんなに素敵な人がいるのかと凝視しても、彼女は僕には気が付かない。

 傘をさす僕と、濡れた君。


 行き交う人は、彼女など居ないかのように通り過ぎ、目すら合わさないようにしていた。

 透けそうなくらい、ずぶ濡れの君は微動だにせず、ただ突っ立っている。その儚げな様子が、僕の胸をときめかせた。


「綺麗」


 つい零れた言葉にも気づかないほど、僕は君を見ていた。


 あの物憂げな表情は何を思っているのだろう。

 君はどんな人なのかな。

 話しかけていいかな。いやでも初対面でなんて話しかければいいんだ? ナンパって難しくない?


 例えばどんなのだ?

 やぁこんにちは、僕は……。いやいや、そんな軽く話しかけていい状況じゃないよな。

 じゃぁ、ずぶ濡れだね、大丈夫? の方がいいか? それとも、何してるの彼女? 何してるの君、の方がいいかな? うっ、なんか軽いやつみたいじゃないか。何かないか俺の人生。捻り出せ、いま最適解をっ。


 悶々としながらガン見していた俺と、伏せていた目をあげた君の目が絡み合った。


 ボツボツと雨が傘をうつ音だけが僕の耳に届く。続く心臓の高鳴った音。

 君と目があって3秒。ピチャピチャと他の人が歩く音が僕の耳に届き、僕の体温は熱くなって、のぼせてしまいそうなくらいドキドキしていた。


 う、うおぉぉおお! 可愛いっ、目があった! もう行くしかないだろこれ!


 僕は水たまりを踏みつける。靴が水没しながらも、彼女の元へ歩いて行った。

 赤い傘のおかげできっと顔の赤面はバレていないはずだ。



「大丈夫ですか」



 ぎりぎり僕の方が背が低い。


 ま、まだ伸びる。まだ成長するっていう希望は残ってるぞっ。

 赤い傘を上にあげて、君をうちつける雨を防ぐ。意味があるのかと言われれば、たぶんない。外を歩いているうちは、雨などあってないようなもの。

 ここまでずぶ濡れになったら無敵だ。

 まだ一言目を一方的に話しかけただけなのに、僕の心臓はどんどんお祭り騒ぎになっていく。


 うわっ、可愛い、めっちゃ可愛いっ。


 積極的に行きたい気持ちを抑えながら、咳をして、息を整える。

『積極性は大事だと思うけど、がっつかれすぎると引くわ』僕は姉の愚痴を思い出したのだった。


 コミュニケーションには自信はないが、今この時じゃないとこの女性とは会えないだろう。

 覚悟を決めたはずだろ俺、腹括れ!


 君は答えない。僕は勇気を振り絞って会話を続けた。


「どなたか待っているんですか?」


 彼女は悲しそうにまぶたを下げた。

 まつ毛長い。じゃなくて。……ハンカチとか持っときゃよかった。タオルも持ってきてないよ。拭けるものといえば……ティッシュ? ティッシュー……? ないよりマシか?


 俺の服を脱いで彼女に渡すというのはどうだろう。

 キモがられたら俺泣くぞ。


「…………いいえ」


 ためてためて、溢れるように出た震えた声だったが、声を聞けたことに感動して僕は胸を押さえる。

 僕は恋をしてしまったのだ。今まで味わったことのない恋を。そしてこれ以上の恋はたぶんない。一目惚れとはそういうものだと、姉が言っていた。


「よ、よかったら僕とお茶してくださいっ」

 ゴンッ

「痛っ」


 思い切り頭を下げたら、傘が君に当たってしまった。


「うぁあっ! ごめんっ!! 本当にごめん!!」


 やべっ、頭に触っちゃった! しかもナンパ下手すぎか!?


「ぁ、へへ、大丈夫ですよ……」


 クスッと笑った君はやっぱり素敵だった。


「あぁえっと、ここは寒いですし、お店にでも入りませんか? 温かい飲み物でも飲みません? 僕奢りますっ」


 …………あ。やべ、勢いで言ったけど。この辺の店、通学路なのにいい店なんも知らなねぇ。



 次第に反応を示すようになった女性は、安藤あんどう好望このみさんと言うらしい。


 お店に入るのは嫌らしい彼女の希望で、人気のない公園の遊具の中に、僕らは二人で座る。

 お店で買った、ホットな飲み物を手にしたまま。


 穴の空いている前後左右のせいで、地面は水浸しだ。

 まぁいいか。


 よく考えてみろ、雨の日に異性と二人で遊具で雨をしのぐ。ぐはっ。やべぇ、緊張してきたぁ!


 僕は赤い傘を畳むと、彼女と同じように、汚れることも気にせず泥のある地面に座った。

 暖かい『レモンココア豆』の缶がなくとも、僕の手は熱々だ。

 しかも俺、何買ってんだよ……。『レモンココア豆』って……こんなん売ってんの初めて見たわ。



 雨の音をBGMに、僕と君はゆっくりと話をする。お互い、あまり会話が得意じゃないから。僕は自分の話もしつつ、君にも打ち解けてもらえるように共通の話題を探しながらなんとか会話を続けていく。


 そして聞きたかったことをやっと聞けた。

 安藤さんは、を待っていたらしい。


 がっくし。


 でも諦めない。こんな雨の日に連絡一つよこさず、朝から安藤さんを待たせる奴になんて絶対負けないっ!


 僕は自分に喝を入れて、少し冷えてきた手を自分の身体に触れさせる。

 そろそろ秋も近づいてきた頃だ。まさかこんなことで実感するとは思わなかったけど……。

『レモンココア豆』もすっかり冷えてしまっていた。


 熱い顔に触れて、人肌って暖かいんだなと。どうでもいいことを初めて実感した。

 ずっと雨にさらされていた君の肌は、冷たいだろうな。


 触れるのはアウトだよな?

 …………やべぇ。あと何を話せばいいんだ。何か気の利いたことでも言えればいいんだけど。何か、何かっ! 何かないか!?


 思い切り落胆するのを見せてしまったから、少し気まずい空気が流れている。



 無言で、ただ隣り合わせになりながら、僕らは数十分そうしていた。

 夕方あたりの空は暗く曇り、晴れることはなさそうだ。もしかしたら、すでに月が出る時間帯かもしれない。


 そんな時、君がぽつりと言った。



「私、明日地獄に行くの」


 彼女の真意が掴めない。僕はキョトンとして、君は苦しそうに笑った。

 なんとしても会話を続けなければと思っていた僕は、とりあえず聞き返す。


「地獄?」


「そう、朝昼夕夜ちょうちゅうせきや駅は、地獄につながるんだって」


 聞いたことのない話だ。オカルトじみた事には全然興味がなかったからな……。

 僕は授業よりも、テストよりも、今までで一番必死に頭をフル回転させたが、そんな感じの情報は全く出てこなかった。

 ちくしょう……話を合わせられない……。


 僕は間を置いてしまったが、素直に聞き返す。


「どうやって行くの?」



「……電車が来る時に、線路へ飛び降りたらいいらしい」


 安藤さんはにっこりと笑った。

 その笑顔に鼓動が早まり、顔が赤くなって行く。しかし聞き捨てならない言葉だったと、彼女の言葉の心中を探る。


「それって、死んで地獄に落ちるってこと?」



「どうなんだろうね……」


 安藤さんは辛そうに笑っていた。

 どうしてそんな顔をするのかわからない。僕はそれを聞いてもいいのかと、躊躇してしまう。


 好きな話題だから出したんじゃないのか? それとも、僕があんまり乗れなかったからがっかりしたとか!? わからない……。


 僕は君を覗き込む。



「明日地獄じゃなくて、僕とまたこの公園で会ってくれませんか!」



 君は僕の問いかけに答えてくれなかった。

 にっこり笑顔を浮かべはしたが、悲しんでいることを僕は少しだけ察した。

 放って置けない。でも僕なりに勇気を振り絞った。これ以上どうすればいいんだ!?


 それ以降会話もなく。僕は彼女がいま辛い思いをしているんだろうなと察しながら、何も言わなかった。

 しとしとずっと降り続けていた雨は、いつの間にか止んでいた。


 君が立ち上がる。



「そろそろ、帰るね」


「ああ、そうですね。僕も帰らなくちゃ」


 もっと話したかった。何やってんだ俺!

 別れぎわに、連絡先を交換していないことに気づく。


「あっ、待って! 僕はあなたのことが好きになってしまいました! お友達から始めてくれませんか!」


 しまった。僕はなんて早とちりを。

 ただ連絡先を聞きたかっただけなのに、告白してしまった。恥ずかしさのあまり、雨も降っていないのに傘を広げる。でも彼女の反応は気になってしまう。


 君は、赤い傘に照らされて真っ赤な顔をしている僕を見て、苦笑いをした。



「いいですよ」



 やった!

 これでまた会えるっ。


 いま僕は満面の笑みをしているだろう。

 きっと、君の心からの笑顔を僕が引き出して見せる!


 やったやった! 連絡先ゲットだ! よくやった僕! 僕にしてはめちゃくちゃ積極的に行けたんじゃないか!? よしよしっ!

 僕は傘を畳まずに、何も持っていない腕を振る。


「またね! 安藤さん!」


「……ばいばい」


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